Tea for two

中央に移動して慌ただしい間に、ヒューズの月命日が巡ってきた。墓参に来てみると、黒衣のグレイシアとちいさなエリシアが大理石の墓の上に花を供えていた。


振り返ったグレイシアは、私を見ると娘の手を引いて墓の前を開けてくれた。私が赤い花を捧げ、ヒューズと話をする間、黙って横でそれを見ていた。明るかった彼女の顔に、この一月の憔悴と諦めのようなものが滲んで見えた。


お茶でもいかが?と精一杯の笑みを浮かべて誘われ、少し迷ったが頷いた。墓地を出て少し歩くと、アイリスブルーの屋根のカフェが見えてきた。案内された街路樹の紅葉がよく見えるオープンテラスは、暖かい陽射しに満ちていた。


「エリシア、大佐に御迷惑をかけては駄目」
「だってローイがいいんだもん」


1人の席に座るのが落ち着かないのか、エリシアは私の膝に座りたがった。ヒューズに似ているところがあるだろうか。面立ちはあまり似ていないように思う。もしあるとしたら、この物怖じしない人懐っこさだろうか。

私はグレイシアに構わないと笑って、エリシアを膝に抱き上げた。エリシアは嬉しそうに私の軍服の胸に頬を擦り寄せた。



「パパ」



軍服が。仕事明けとはいえ、配慮を欠いたと胸を突かれた。



「パパの服」



柔らかい頬を肩から吊るした飾緒に寄せ、黒羅紗の外套を両手で握り、エリシアは安心したように目を瞑る。



「…ごめんなさい」

先に謝られて、私は返答に弱る。

「いいえ、私こそ考えの足らないことを」

「まだ分かっていないんだわ。“死”なんて三歳には難しすぎるのかしらね」


あんなに愛してくれていた存在が、突然永遠に消えてしまうなんて。はっきり分からない方が幸せなのかもしれない。失ってしまった存在の大きさに、ずっと喪失感を抱えて生きるよりは。

グレイシアと同じ色の髪を撫でた。案外に張りのある髪に、梳き入れた指が怯む。驚くほど同じだった、何度もこの指を縋らせたあの黒い髪と。


私の僅かな動揺さえ見通すように、愛らしい未亡人カップを片手にちいさく笑った。


「……私、ずっと貴方のことが憎らしかったわ」


声にはどこか清々とした響きすらあって、私もゆっくりと笑い返した。


「奇遇ですね、私もですよ」


寝惚けたエリシアの手が、軍服の襟の返しを確かめるように撫でた。


「今でも思うの。あの人は本当は生きていて…。貴方がどこかにかくしてしまったんじゃないかって」


ちいさな忘れ形見の額、その髪の生え際をそっと撫でながら、目を伏せて薄く笑う。


「……そうだったらどんなにいいかと思いますよ」


本当にそうだったら。視線を合わせると、彼女は優しく目を細めた。そんな僅かな表情が、ヒューズに似ている気がした。一緒に暮していると仕種さえ似てくると言うけれど。私達は声に出さず、ひっそりとした微笑みで互いの虚無を慰撫しあった。死は一瞬の現象ではない。そこへ至るまでの当人と周囲の苦悩と悲哀、そして死した者が去った後の埋められない寂寥。


人の死は次第に忘れられる。それは薄情なことではなく、防衛本能だ。ずっとその空白を意識していては、精神が病んでしまう。ヒューズの葬儀で涙を零したたくさんの参列者も、少しずつこの愛すべき男を忘れていくだろう。しかしこの母娘にとって、それは一生、忘れようのないことなのだ。日常のすべてにもういない男の影を見るだろう。

そして私も。




「いいわ。なら暫く貴方に預けていると思うわ」


彼女は独白のように呟いて綺麗に笑うと、華奢なカップをソーサーに戻した。その小さな音でエリシアが目を覚ます。


「今日はありがとうございました。そろそろ戻ります。
 ……貴方の抱き方、あの人にそっくり」


悪戯げな表情を作って微笑むと、グレイシアは立ち上がり娘を促した。エリシアは少し戸惑ったような顔をしていたが、私の頬にキスをして膝を降りた。


「ローイ、また遊びにきて。
 おもちゃいっぱいもらったの」


それが父を失った幼い子を慰めるためのプレゼントだとは、きっと思いもしない愛らしい笑顔でそう言うと、エリシアは母親の手を握った。頷く私に会釈して、母娘はカフェから見通せる街路樹の下を歩き去った。



「…それでも私は」


幸福という名の誰よりも愛された娘。
あの男が最後に何処よりも帰りたかっただろう暖かい家。


「貴方が羨ましいことがあったんですよ」


今年は寒くなるだろう。寒ければ寒いほど、何度もお前を思い出すだろう。

冷たくなった珈琲を一口飲んで、私は追憶を胸に沈めた。







(2004.03.12)