弾の行方にご注意ください

興味が無い人間というのは居るものだ。人当たりのいいと評判の俺でさえ居るのだから、ロイは言うに及ばないだろう。しかし面倒なもので、興味を持ってもらえない=嫌われていると思うのか、妙にしつこく絡んでくる人間もいる。兎角この世は生き難い。


射撃演習を担当する指導員は、うんざりする程その手の男だった。ロイの銃の構え方、指の掛け方、そのいちいちにネチネチと文句を付ける。ロイは内心の苛立ちを隠そうと無表情に従う。それが余計にカンに触るのか、その男はいよいよ絡むといった具合。まるで手酷くフラれた女だ。


ロイの射撃は決して下手ではない。着弾、といった点で、平均以上ですらある。ただ、反動で少し身体がブレ易いかもしれない。仕方ないだろう、そんなバカデカい銃。士官学校に回されてくる銃は軍の払い下げ品で、今どき戦場では使われない旧式のロング・ライフルだった。暴発して死んだ生徒もいるとかいないとか、まことしやかに囁かれるほどの。



「解散!マスタング、お前は残れ!」



またか。俺はちらりと数列離れたロイの横顔を窺う。への字に曲げた唇は、まあ言われてみれば反抗的で、ちょっと苛めたくなる気持ちも分かる。薬莢を片付け、火薬の匂いの立ち篭める射撃場を後にしながら、もう一度振り返ると、弾を込めているロイがまた何やかやと言われている姿が目に入った。






部屋に戻ってきたのは夕食もとうに終わった頃合で。無言で扉をあけると、そのまま部屋の隅の洗面で手を洗う。洗うというよりは冷やしているのだろう、本当はもうさっさとベッドに崩れてしまいたいのか、膝が笑っているのが分かる。


「手え出せ」
「……自分で」
「出来ねえから言ってんだ、ホラ」


人差し指と親指の付け根の皮膚が、殆どズル剥けになっている。滲みるだろうが仕方ない、消毒液を垂らしてやると、さすがに痛みに小さく呻いた。


「アッチもこれぐらい剥けてたら良かったのにね、ロイちゃん」
「……剥けてる」
「さいですか」


笑いも取れないか…と苦笑しながら、畳んだガーゼにまた消毒液を染み込ませて傷へ乗せ、包帯で巻いてやる。ロイの眸が、少し何か言いたげに細められた。こんなに大袈裟にされたら、今度の演習でまた嫌味を言われそうだと思ったのだろう。


「今度は五日後だろ。それまでに治るさ」


そう言うと大人しく頷いて、ロイは靴も脱がずに俺のベッドに横に倒れ込んだ。飯は、と聞くと、いらないという意味か、億劫そうに目を瞑ったまま首を振った。手の掛かるルームメイトだ、俺は面倒な長靴を脱がせてやる。泥のように眠りに落ちたロイは、余程腹に据えかねたのか、寝ていても眉間に皺が寄っている。


「…この偉そうなツラが原因なのかね」


眉間の皺を人差し指と中指で挟んで横に伸ばしてやると、文句を言いたそうな顔で身動く。癖の無い前髪が流れて、額に赤く擦傷が覗いた。それは大きくはないが、硬い物で引っ掻いたような。血は出ていないが、皮膚を削いで引き攣らせていた。殴られでもしたか。体罰は悪習ではあったが士官学校の演習には付き物だ。俺は肩を竦めて、片手でロイの前髪を撫でながら、片手で灰皿を掴んで膝へ置いた。前髪を梳き上げて額を出してやると、普通は少しは大人びる筈なんだが、こいつはどうして余計に坊々になるんだろうか。掌のしたで、次第に寝息が静かに、深くなっていく。







それから数日後、俺はあまり見たくない顔と廊下で擦れ違った。


「やあ、ヒューズ君」


機嫌良く声を掛けてくるのは、件の指導員だ。先生と呼ばれてはいるが、教員の資格があるわけでもなく、クレー射撃で一度表賞された程度の退役軍人。どういうコネで転がり込んだのか知らないが。ごま塩の髭が不揃いに伸び、往年それなりに引き締まっていただろう体躯は見る影もない。

俺に愛想がいいのは、俺が射撃で何度か表賞されているからだ。「自分の優秀な教え子」だと公言して憚らない。お前の薫陶を受けた覚えはさらさら無いのだが。自分に自慢の種が無い人間に限って威張りたがるのは何故だろう。他人まで自分の物のように言う、理解の出来ない男。


だからと言って、俺は侮蔑の笑みを浮かべたりはしない。最低の人間にも、最低のマナーは払ってやるべきだ。軽く頭を下げると、調子に乗った馬鹿がまた喋る。


「君、前回の考査、首席から危うく落ちるところだったじゃないか。
 だが安心したまえ、私は応援しとるよ」


お前の応援なんか誰が要るか。知らず顏に出たんだろう。三年の付き合いになる友人が、横から心配そうに俺を窺い見た。


「次回も君は安泰だ。私が採点するのだからな、射撃は。
 何ならマスタングを落第させてやってもいいぞ」


思わず拳を握りしめた俺の前へ、隣から級友がひょいと飛び出した。間延びした声で大袈裟に媚を売る。


「うわ、いいなー。僕の点も甘くお願いしますよ」
「はっは、君はちっとも当たらないじゃないか」


連れは、俺をちらりと振り返って目配せした。この場は堪えろと言うのだろう。道化になってくれた友人に、渋々従って拳から力を抜いた。有頂天になった指導員は、上機嫌で歩いていく。


廊下を曲がった男が見えなくなってから、友人は、ふーっと息を吐いてみせた。


「すげえ顔すんなよ、マース。テキトーに機嫌とっときゃいいんだよ、あと1年の付き合いじゃねえか、あの爺とも」


すまん、と小さく頭を下げてからも、俺の胸中はなかなか鎮まらなかった。ロイの額の赤い傷が、目の前を何度かちらついた。







包帯は取って、もうささやかなテーピングだけにしていたのに、それすらも教官のお気に触ったらしい。ロイは一挙手一投足に文句を付けられ、見ている周りがいつキレるかとハラハラする程だった。当然のようにロイに居残りを命じてから解散が告げられる。ライフルを背負って倉庫へ戻りかけたが、あのテーピングをしたのは俺だ。他人面する訳にもいかない。


せめて待っててやるかと射撃場へ戻り、少し高くなった観覧席からシゴかれるロイを見ていた。着弾は悪くない。むしろあの教官よりいいだろう。俺は膝に置いたライフルのクリーニングをしながら、撃つ度に姿勢を直されるロイを眺めた。もしかしてあれはセクハラなのか?眺めながら分解した銃身を元に戻す。


伏射、立射、膝射を交互に繰り返させる。そりゃあ膝も笑うだろう。射座から標的までは100m。ボロボロになった標的に、ロイの撃った弾がめり込む。今のはいいんじゃないか?そう思っても鉄拳が飛ぶ。おいおいいい加減にしてやってくれ、そいつは顔が命なんだ。あんまり揺すると頭の方も悪くなっちまう。ちなみに此処から照準まで、距離は約300m。手許のライフルにスコープを装着して距離を確かめる。


伏せて一発撃ってから、殴られてまた立ち上がる。酷い話だが耐えろ、友よ。これが体育会系士官学校の通過儀礼なのだ。立ち上がるまでが遅いとまた拳が飛ぶ。よろめくと足が弱いとまた殴られる。卒業したら二人で「ドキュメント士官学校」という本でも出そう。きっと入学志願者がぐっと減る。ところで俺の眼鏡は射撃には向いていない。射撃では、顔が標的に対して斜めに向いてしまうので、眼鏡のレンズの端のほうで標的を見てしまい、理想的な照準像が得られない。なのでこの様な、ゴーグルタイプの特殊な眼鏡を使用する。眼鏡を外して首から下げたゴーグルを掛ける。


40発も撃っただろうか。手に力が入らなくなってきたのか、ロイの弾は中心を外れはじめた。それに付け込むように殴る男。当たり前じゃないか、何発撃たせるんだ。射撃とはもっとデリケートな物。そんな短時間に照準が合わせられないのは、お前だって知っているだろう。ちなみに照準を合わせ方だが、スコープの場合は、標的上の狙う点(例えば仮に、あの男の頭)とスコープの十字線―― レティクルの中央を合わせる。簡単だけど手ブレに気をつけないといけない。身体の揺れにも注意して。俺はスコープ越しに特訓という名の体罰を凝視する。


疲労もピークに差し掛かったロイに、男が胸元から拳銃を引き抜く。おい待てよ。銃筒を握って、銃把で殴りつける。咄嗟にロイが避けた。「貴様、避けるなッ」 馬鹿言うな、誰だって避ける。さあ、マース・ヒューズのライフル講座も佳境に入って参りました。最後は微調整、スコープのノブを回してmm単位のズレを直す。ロイが直立不動の体勢を取る。もう一度振り上げられる銃。あとはお分かりですね、揺れないように慎重に引き金を引きましょう。




爽快な音がして、馬鹿の足元の土塊を弾き飛ばした。




スコープの中心のミル・ドットに、驚愕して声も無く振り向く指導員の怯えた顔が映った。どうだ、お前の自慢の愛弟子の腕は素晴らしいだろうが。靴先ギリギリに突き刺さった弾を拾いに、俺はゆっくり立ち上がって手を振る。


「失礼しました、暴発しちゃって…。あービックリした」


へらへらと笑いながら小走りに近付くと、男は口に泡して何かを言おうとしていたが、恐怖と激情で舌が縺れるのか碌な言葉が出てこなかった。俺は足下の薬莢を拾い上げ、まだ震えている指導員の肩をポンと叩いた。



「いい加減にしとけよ。みっともねえ」



激怒と畏怖の混じった眦を裂いて、それでも男は木偶の棒のように立っていた。俺は表情と声を改めて、「そろそろ夕飯ですから、こいつ連れて帰ります〜」とロイの腕を引いて射撃場を後にした。背中から撃たれるかと思ったが、最後まで銃声はしなかった。あの臆病者の拳銃には弾なんか最初から入っていないんだろう。完璧に外す自信も、狙って撃つ度胸もない男。少し哀れな気もした。やり過ぎちまったかなと一度だけ振り返ると、酷く肩を落として立ち尽くしていた。






連れ立って歩き、夕陽が橙に照らす宿舎が見えてくると、ロイは不意に堪えきれないように笑い出した。


「…知らないぞ、どうなっても」


笑う額に傷が無いのを見て、俺は何故か妙に嬉しくなった。


「あー…、俺が落第じゃねえか…格好悪ィ」
「ようやく俺が首席か」
「誰の所為だ、ボケ」


俺の所為なのか?ととぼけた顔で笑うロイの手はまたズル剥けで。俺は飯を食いに行くのが先か、手当てしてやるのが先かと考える。暖かい色の落陽に長く影を引きながら、随分と幸せな気持ちで。








ヒューズは穏やかにキレたりするといいなあ…と。(2004.03.17)