#43/さみしくて
「女の子がいい」


マースは、私のまだ膨らんでもいない下腹を撫でて、夢みるような声で言った。指先は臍のくぼみをくすぐって、下生えを撫で、また腹の上へ置かれた。小鳥を撫でるような、優しい力加減で。


「…男の子はだめなの?」


マースは少し考えて、「女の子のほうがいい」と子供がごねるみたいに呟いた。窓から月の青い光がシーツの波へ落ちて、寝室は水槽のようだ。





子供が出来たわ。仕事から戻ってきたマースにそう告げると、彼は飲んでいたスープのスプーンを取り落とし、どうしてそんな大事なことを帰ってくるまで黙っていたんだと狼狽え顔で立ち上がった。

「知ってたら花束ぐらい抱えて帰ってきたのに…!」

それから椅子に座っていた私を抱き締めて、あわてて力を緩めると両手を握って足下に跪いた。

「ありがとうありがとうありがとう…産んで下さい」

こんなうやうやしい彼は初めてで、私は可笑しくて両手を握られたまま微笑んだ。

「産んで差し上げるわ」

マースは私を見上げて笑い、手の甲にキスをした。






「どうして女の子がいいの?」


汗で少し湿った前髪を乱すようにそっと撫でると、瞑っていた目がゆっくり開く。金色に見える瞳は、夜を歩く猫に似ている。自分勝手で、きままで、我侭な。


「女の子だったら、君に似て可愛い」


てきとうな返事をするとき、彼は私の目を見ない。もう、と怒った声を出して頬を抓ると、観念して肩を竦める。


「男の子だったら、何だか君を取られるような気がする」


きっとグレイシアは、その子のことをとても可愛がる。いっぱい考えるようになる。一日の半分ぐらい、息子のことを思う。俺の地位が危うい。

マースはそう呟くと、ふてた様子でシーツに膨れた頬を埋めた。うまれる前から息子に嫉妬だなんて、ほんとうに馬鹿ね。そう言って笑ってあげるのがきっと正解だろうけど、私は黙って鼻をつまんでやった。

すこしは不安になるといいわ。すこしはさみしがるといい。
だってあなたは、息子以上にいつもだれかを思っているでしょう?



「…フエイヒア…」


鼻をつままれたまま、哀れっぽい声を出す貴方。可愛くて、あっさり許してしまいそうで、私は慌ててベッドの上を転がり背を向けた。機嫌を窺うような沈黙があって、それからマースの両腕がそろそろと後ろから私を抱いた。


「…ごめん、女の子でも男の子でも、どっちでも嬉しい」


きっと女の子が産まれるわ。

胸に回された掌の、薬指の指輪を上から握ると、きっと少しあかいだろう貴方の鼻が私の後れ毛を分けて、うなじに唇が触れた。

そして貴方は娘に夢中になる。
でも、私はそんなことに妬くほどさみしがりじゃないけれど。

私がちいさく笑う気配に、うなじの窪みに押しあてられたままの唇が綻んだ。