| #40/ぼくひとりせつないんです。 |
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本日も終わり。よく働いた。(僕なりに) さあ明日の予定はどうだったろうと手帖を広げる。 一週間のスケジュール欄、その真ん中あたりの日付の横。ぽちりとささやかに付けられた赤い点。 ああ、明日はマリアさんの誕生日だ。 去年も一昨年も、どうしようかと迷うだけ迷って何も贈れなかった。 今年もブロッシュ軍曹は腰抜けでしょうか。手帖をぱんと閉じて机の上を片付けた。 中央司令部からまっすぐ伸びる大通りを、西に一筋入ると高級店が軒を連ねている。多分将校御用達。僕のような下っ端は、肩の階級章を一瞥されるだけで、相手にしてくれない店だってある。 ショーウインドウに並ぶ、予算よりあきらかにゼロが一つ多いあれこれを眺めて歩く。もっと分相応な店で買おうかなあ。なんでこんなところに迷い込んだかというと、話はヒューズ中佐の去年の結婚記念日に遡る。 昼休みに買い物に出た中佐が、机の上に置いた濃紺の包みと銀色のリボン。それを見たマリアさんは、珍しくうっとりと「いいわね。私もあんなプレゼント、記念日に貰えたらな」なんて言った。僕の心に、その言葉が深く深くインプットされた。中佐は僕に、その店の名前を笑って教えてくれた。 「へえ、誰にプレゼントすんだ?一ヶ月分の給料、ふっ飛んじまってもいいぐらいの愛か?」 僕の一生がふっ飛んじまってもいいぐらいの愛です。ビシっと敬礼してそう返すと、中佐はきょとんとしてから爆笑した。 その店は通りの北端にあった。ひときわ大きなショーウインドウ、総大理石の建物。このなかに、いったい僕が買えるものがあるんだろうか?もう3年も履いてすり減った革靴が、入り口の絨毯にふかふかと沈んだ。この絨毯だってきっと僕の給料より高いだろう。目が回りそうだ。 敷居が思い切り高いその店は、ほんとうの高級店らしく、実に店員の行儀がよかった。場違いな僕にも暖かい笑顔と、優しい挨拶。ぎくしゃくと笑みを返し、陳列台を覗き込むと、予算よりゼロが二つ多かった。思わず半歩後ずさる。 「プレゼントですか?よろしければお手伝いを…」 ハニーブロンドにヘーゼルの瞳の、店に相応しい上品な女性が陳列台の向こうから微笑みかけてくる。適当に見て、ムリだったら「また来る」って言って出てけばいいんだよ。中佐はそう上手い逃げ方も教えてくれた。僕は唾を飲み込んでから「プッ…プレゼント、です」と答えた。 店員は如才ない笑顔で「どんな方ですか?」と訊いてきた。僕は、ええと、とあたまを掻いてから 「賢くて、優しくて、気遣いが出来て、人をイヤな気持ちにさせたり絶対しなくて、しっかりしてて、でもちょっとミーハーだったり、ちょっとうっかりしてたり、でもそんなとこも可愛くて、他人が困ってると放っておけなくて、何でも一生懸命で…あ、美人で、それから」 店員は僕の言葉を完璧な笑顔で全部聞いてから、「素敵な方ですわね。もしさしつかえないようでしたら、髪や瞳の色や…お年をお伺いできれば、お似合いになるものを探せると思うのですが」と言うので、僕は穴があったら入りたい気持ちになった。 髪も瞳も黒だというと、店員はバロックパール(というらしい)のピアスを出してきて見せてくれた。その少しいびつな、でもかわいらしい形は、僕の頭の中でマリアさんによく似合った。脳裏のマリアさんは、指先で白い粒を揺らして「ありがとう、ブロッシュくん」と微笑んだ。僕は自分の妄想にうっとりし、おそるおそる値段を訊いてみるとこの店にしては安かった。きっと買えそうな物を選んでくれたんだろう。(それでもやっぱり、予算よりゼロはひとつ多かったけれど) 僕は思い切ってコートから財布を掴み出した。 翌日、僕は自分の机の引き出しに濃紺の包みをしまった。店員は丁寧に、あの銀色のリボンをかけてくれた。 「軍曹、誰かにプレゼントですか?」 いきなり後ろから話しかけられて、僕はびっくりして心臓が飛び出しそうになった。振り向くと去年から配属になった女の子が二人、並んでいる。 「…あ、うん…」 曖昧な返事をすると、その一人がちょっと困ったような顔で笑い、もう一人をひっぱって部屋を出ていった。閉まった扉の向こうから、かすかに声が届く。 「あれってきっと、絶対彼女とかに…」 「ショック、やっぱり……あんなすごい店の…」 マリアさん、僕も案外モテる…?かもしれないです。 どこに消えちゃったか知らないけど、早く帰ってきてください。 じゃないと浮気………………………… …………………………………………… …………………………できませんけど。 誕生日おめでとう、どこかに居る、僕の大切なひと。 さあ、今日も一日がんばろう。 |