西安は中国の関中平原中部に位置し、陜西省の省都であり、中国中西部の重要な中心都市。北に渭水が東西に流れ、南は秦嶺山脈が東西に走っている。総面積は9983平方km、総人口は約700万人、そのうち市街区の人口は約300万人。温和な気候と自然環境に恵まれた土地であり、古来、中華文明の中心として栄えてきた。紀元前三世紀より、西周、秦。西漢、新莽、西晋、前趙、大夏、後秦、西魏、北周、隋、唐など、十三の王朝が都を置いた。現在、中国の古都のひとつとして有数の観光都市で、無数の歴史遺物がある。
私が訪れたのは1992年の2月。その当時は中国近代史をのぞき、今ほど知識が無かった私。今行けば、とても感動するだろうな。ここは私がとても好きな唐の都があった場所であり、唐にまつわる遺跡が数多く残っているところだから…。

■碑林
碑林は宋の徽宗(水滸伝で有名ですね)野路代にたてられた孔子廟を利用した博物館で、館内に集められた2000点以上にのぼる歴代書家の石碑が有名。王義之、欧陽詢、顔真卿、虞世南など有名な書家による対策が並んでいる。唐玄宗の書による碑もあるとか。
あまりの石碑の見事さ、多さに感動。当時は唐に関する知識はほとんど無かったが、現在は、唐の時代がとにかく好きになってしまった私。後で調べると、中には私の好きな唐太宗が戦いのなかで倒れた6頭の自分の乗馬をレリーフにした碑や、太宗を支えた名臣たちの書もあるとのこと。今から思えば、それらをしっかりと見てくればよかった。悔しい!今、一番もう一度行きたいところの一つである。

写真下左:石碑の一部。書物が高価で庶民の手になかなか手に入らなかった時代は、各地にこうした石碑を建てて、教育の一環として使われた/下中央:碑林博物館内にある孔子廟/下右:上写真の中にあった石碑。何だったかの由来が会ったような気がするのだが…忘れてしまった。


■華清池
西安市北東30キロにある温泉地。秦の時代から離宮が造られており、3000年の歴史をもつという。唐の時代にも華清宮という離宮があった。楊貴妃が玄宗の後宮に迎えられる際に湯浴みをして身を清めた場で、冬になると玄宗と楊貴妃が共に過ごしたという。白居易「長恨歌」には「春寒くして浴を賜う華清池 温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」とうたわれている。楊貴妃が使っていたという湯も復元されていた。
現在は広く美しい庭園となっている。ただ、池の中に立つ楊貴妃の像は、とても豊満でエロチック。たしかに「新唐書」など史書には、楊貴妃が豊満な肉体だったことは記されているのではあるが、この像は何かしら違和感を感じてしまった。楊貴妃の絶大なファンである友人などは「こんなんじゃない!」と憤慨していたが。楊貴妃を中国人がどう捉えているのか、知る材料にはなるとは思う。
また、ここは中国近代史上大きな転機となった西安事件の場所でもある。(当時の新聞→こちら)西安事件とは1936年、ここに滞在していた蒋介石が張学良に捉えられた事件。当時、内戦と外国による侵略で内憂外患状態だった中国をどうしていくのか、という点で蒋介石はまずは内戦を止めて統一戦線を作り、外国(ここでは主に日本)にあたるべきであるといった世論の声に反し、「安内攘外」(国内を統一してから外国に対処する。特に共産党をつぶす)政策をとっていた。世論の声を受ける形で張学良が蒋介石を監禁し、政策の変更を求めて「兵諫」した事件である。この事件を契機に第二次国共合作が行われて抗日民族統一戦線が形成され、現代中国を作り上げる大きな転機となった。
蒋介石が滞在していた建物の前には大きな碑がある。私は中国歴史の大きな転機となった場に立ち感無量であった。
左:西安事件を記した碑/中央・右:華清池風景

■旅の小話

●西瓜の種
中国では食べられているのしっています?種の皮が固いから食べるのにちょっと苦労はするけど、あっさりしていてとってもシンプルな味。種を炒めるときの味付けを甘くするか、醤油味にするかでだいぶ違ってくるけど。西安のなんて名前だっけ?阿倍仲麻呂の碑がある公園、では、西瓜の種の皮が当たり一面散らばっていたのを覚えています。それを思い出して、西安のコーナーに西瓜の種ネタ出したわけですけど。でもちゃんとゴミ箱に捨てろよな!
●カボチャの種 
カボチャの種を食べる事を知っている人は多いと思うけどでも日本みたいに皮をむいて売っていることはない。むくのは面倒だけど、皮付きの方が変な味がついていなくて、種の甘さを味わえるから良い。日本では皮をむいたものにたいてい味付けしていて、しつこい味がする。神戸や横浜では皮付きのものも手にはいるが、干からびていておいしくない事が多い。輸入の間に品質が落ちてしまうのだろうか?やっぱり本場が良い。カボチャの種はほっこりとした甘さがあってとっても美味しいですよ。一度食べてみて下さい。