1998年(平成10年)の全島闘牛大会

開催年 開催日
場  所
優勝旗争奪戦 栄光のチャンピオン牛
平成
10年

1998
 70
 春の
 全島大会
 5月10日
 
 具志川市営
 安慶名
 闘牛場

昆布ヒーゲーが沖縄一"腹取り"で
はるか花形下す

○昆布ヒーゲー 8分30秒 はるか花形●

69回の覇者風神大王が徳之島へ移籍し、
2回連続で王座決定戦となった。選ばれたのは、
昆布ヒーゲーとはるか花形。
ヒーゲーは69回で大関戦を勤めたため、
押しも押されぬ繰り上がり。はるかは69回では
7番の登場ながら、選出時点では破竹の10連勝と、
これも順当な選抜だった。

予想にたがわぬ"大接戦"となった。両牛、
立ち上り早々から、激しく"腹取り"の応酬を繰り返し、
観客を沸かせた。ヒーゲーのフットワークは素晴らしく、
グルグルすごい勢いで回りながら、徐々にはるかの
体勢を崩した。はるかは、ヒーゲーの鋭い攻めを
持ちこたえるに大わらわ。対戦開始後三分、まず、
北側のサク際でヒーゲーの最初の「腹取り」一発。
しかし、これは、はるかがよく残し、再び中央へ。


ヒーゲーの怒涛の押し込みで一気に後退させられる
はるか花形(手前)。

一呼吸入れ、今度ははるかがカケ押しから反撃に
出ようとするが、ことごとくヒーゲーの堅い守備に
阻まれた。
両牛の呼吸が荒くなった八分すぎ、
ヒーゲーがこんしんの力を込めて、はるかを
南側の土手に運んだ。土けむりが上がるや否や、
続けざまに強引な腹取りを決めた。たまらず、はるか
が敗走、あっという間に大一番に幕が降りた。
見ごたえ十分の攻防だった。



二度目の腹取りが決まった瞬間。
この後はるか花形が敗走、ヒーゲーの勝利が決まった。

牛主の佐久原さんは闘牛界ではよく知られた
ベテランの一人だが、王座獲得は初めて。
愛牛に駆け寄り、喜びをいっぱい表していた。



春の全島闘牛大会
熱戦にギューギュー4000人 

各地区の強豪牛がそろった第70回春の全島
闘牛大会(県闘牛組合連合会主催、
沖縄タイムスなど後援)は10日正午から
具志川市営安慶名闘牛場で行われた。
太陽が差す暑熱の中、4000余人の観衆が
牛の格闘技を楽しんだ。

締めくくりの横綱・優勝旗争奪戦を頂点に
12組の対戦がたっぷりと4時間繰り広げられた。
体重1000キロ前後の大型牛がそろい、
強力な押し込みからリング際で空中高く
持ち上げる「かつぎ上げ」の力わざが続出。
短時間で決着する引き締まった内容が多く、
県内外からの観客は闘牛の迫力を満喫した。

 


昆布ヒーゲー

沖縄産 1000kg

94年10月具志川まつり大会でデビュー。
体調不十分で出場した2戦目で初黒星を
喫したが、その後は連戦連勝。2000年
5月戦闘シャネルに敗れるまで引き分け
を挟んで14連勝した。”技牛”横綱として
人気沸騰、マスコミにも再三取り上げられ
るなど一時代を築いた。
天性の柔軟性とスピードを併せ持ち、
勝負を決める集中力が抜群だった。


大関格で活躍していた97年夏に佐久原
好助牛舎に移籍。同年秋の全島では
ライバルだった戦闘パンダと30分の
死闘を展開、結局引き分けたが、将来
性を強く印象付けた。
98年戦闘パンダが四国に去り、押し出さ
れる形で第一人者の地位を獲得。
同年5月はるか花形を破って名実ともに
沖縄の最強牛となった。


念願の優勝旗を手にした
佐久原好助さん(右側)



昆布ヒーゲーの戦績
王座を失う2000年の5月まで
 日  付     対 戦 牛    勝敗
94年10月29日 篤  号
95年01月08日 普天間トガイー
  年07月16日 琉球アヨー
96年01日28日 義丸タイガー
  年03月17日 具志川大力
  年06月16日 知花重機号
  年08月03日 目取間パンダ
  年12月08日 具志川真竜
97年02月09日 大翔号
  年05月10日 新学号
  年09月14日 たくまトガイー
  年11月09日 戦闘パンダ 引分
98年05月10日 はるか花形
  年11月08日 戦闘大力
99年05月09日 仲西トガイー
  年06月20日 優 花形
00年03月19日 新風グラマン
  年05月14日 戦闘シャネル

王座獲得2回
王座防衛回数3回
 71
 秋の
 全島大会
 11月8日

 石川市
 イベント広場

戦闘大力(右)を押し込み、腹取り
を決めようとする昆布ヒーゲー。


秋の全島大会
昆布ヒーゲー初防衛
腹取りで戦闘大力に圧勝 

○昆布ヒーゲー 4分09秒 戦闘大力●

1990年代後半から沖縄・徳之島間で闘牛トレードが
活発化し、沖縄チャンピオンが徳之島に移籍することも
頻繁となった。96年には荒鷲、風神大王が連続で
徳之島に渡った。そんな流れの中で昆布ヒーゲーには
トレード話はなく、王座防衛を目指す姿勢が新鮮に
写るほど闘牛界の状況は変化していた。
しかし、ヒーゲーに対抗できる強豪は見当たらなかった。
ヒーゲーを破る可能性が高いとして、白羽の矢が立った
のは、何と戦闘大力。大方の闘牛ファンが驚いたのは、
将来の横綱を嘱望されながら前年四国へトレードされ、
もう再び沖縄の土を踏むことはないと考えてていたからだ。
大力の沖縄復帰が画策され、これが見事に実現した。
98年6月に四国から移動、11月の挑戦牛指名獲得に
向けて動き出した。沖縄にいた頃から抜きん出た人気
花形牛だっただけに選抜にさほど労力はいらなかった
大力の、天下一品鋭い角を使ってヒーゲーを撃破できる
かもしれないとの期待が膨らみ、挑戦牛優勢の声が
日増しに増えていった。そして、ついに両雄が激突する
日を迎えた!98年11月8日

沖縄横綱の座をかけて、昆布ヒーゲーと戦闘大力が
息もつかせぬ目まぐるしい攻防を展開した。序盤から
猛然とヒーゲーが突っ込み、どんどん前に押して出た。
すごい気合、これほどヒーゲーが攻めたことは見たこと
がない。たちまち、戦闘大力はたじたじとなり、 ヒーゲー
のスピード豊かな攻めに、ついていくのが精いっぱい!
鋭い角を使う場面はほとんどない!3分30秒過ぎ、
怒涛の押し込みからヒーゲーが走った。大力一気に後退。
ドーン鈍い音を立て、大力が激しく柵に叩きつけられた。
もがく大力、何とか留めの腹取りを免れたが、何と後ろ
足負傷! さー、どうなるか場内が大きくどよめいた。
痛々しい姿で敗走する大力を見て、審判長はさっと赤旗!
沖縄闘牛の最強牛となったのは、
再び昆布ヒーゲーだった。


巨体が激突会場熱気
迫力の試合に酔う
石川秋の全島闘牛大会

県内闘牛の精鋭を集めた第七十一回秋の全島闘牛
大会(主催・県闘牛組合連合会)が八日、石川市の
イベント広場で開かれた。漆黒の巨体がぶつかり合う
迫力ある取組の連続に、会場は各地から詰め掛けた
観衆三千人余の熱気に包まれた。
注目のシーの一番では、横綱の昆布ヒーゲーが
貫録の取り口を見せつけ、初のタイトル防衛に成功した。

大会は十三組二十六頭の出場が予定されていたが、
この日は故障に伴う不戦試合が二番あり、
十一組二十二頭で行われた。県内各地に約六百頭
いるといわれる中から選抜された実力牛ばかりとあって、
スピード、力技などそれぞれが持ち味を発揮した。

特に三役以上の試合では、一瞬の形勢逆転や、
相手の腹を取り一トンを超す巨体を投げうつ大技も見ら
れ、客席からは牛の一挙一動に歓声や指笛がわいた。

また、この日は公共ロシアテレビ局のスタッフが大会の
模様を取材、沖縄伝統の熱い戦いをロシア国民に
伝えようと、熱心にカメラを回していた。


初防衛を果たした昆布ヒーゲーと
牛主の佐久原好助さん。