1997年(平成9年)の全島闘牛大会

開催年 開催日
場  所
優勝旗争奪戦 栄光のチャンピオン牛
平成
9年

1997
 68
 春の
 全島大会
 5月11日

 石川市
 イベント
 広場

 ●新垣号 9分27秒 荒鷲○


荒鷲(右)の押し込みを全力で食い止める
新垣号。


体重950kgの体重ながら前年の春秋全島を
連覇、今年春の全島を制することなれば、
3連覇となり、名牛の仲間入りは確実となる
新垣号。その前に立ちはだかったのが荒鷲
だった。強烈なワリ技を持ち、パワーも並外れて
いた、ボクシングに例えると、ライト級(新垣号)
にミドル級をぶつけるようなものだった。
大会前の下馬評も荒鷲優勢が多かった。

好カード多数の取組が人気を呼び、
石川イベント広場は3500人の観客で埋まった。
10分以内の短期決戦が5番、技とスピードの
激闘連発で大いに場内がわいた。
注目の横綱戦は予想どおり、荒鷲が攻め、
新垣号が守る展開となった。

荒鷲は初っ鼻から、新垣号を激しく攻め立て、
戦いの主導権を握った。鋭い立角で、反動を
付けながら新垣号の顔面に打ち込む得意の
ワリ技が次々に炸裂。新垣号がひるむと
一気に押し込むパターンを何度も繰り返した。
波状的な荒鷲の鋭い押し込みの前に新垣号は
ほとんど防戦一方。すぐにでも勝負が付きそうな
荒鷲の大攻勢だったが、新垣号は首を低くして
この窮地をよくしのいだ。相手の疲れを待って、
いつもの持久戦持ち込むかと、見えたが、
意外にも今回は早々と力尽きた。
やや呼吸が荒くなった9分、頭を上げるや否や
突然の敗走。場内が大きくどよめき、あっけなく
勝負が決した。
荒鷲は八戦全勝で栄冠を手にした。


荒 鷲
沖縄産 1000kg

95年4月の赤道大会でデビュー。
4連勝を引っさげて、96年徳之島遠征。
吉野兄弟号(元大嗣龍)をわずか2分で
撃破。この一戦で大いに”株”を上げ、
徳之島の人気牛となったが、翌97年
1月沖縄に帰ってきた。
3月のオールスター大会
で武双大力に圧勝、5月の王座挑戦牛
の座を決定的にした。
立ち角を使った威力十分のワリ技で相手
の上体を起こし、すかさず腹取りに出る
戦法は闘牛ファンを唸らせた。


圧倒的な強さで沖縄チャンピオン
となった荒鷲号。
 69
 秋の
 全島大会
 11月10日

 沖縄市営
 闘牛場

○風神大王 4分30秒 沖永開発北斗号●


風神大王の爆発的押し込みで横転する
沖永開発北斗号(手前)。

5月全島の覇者荒鷲は再び徳之島へ移籍し、
沖縄王座は空位となった。
王座決定戦には、すでに大関格に出世し、
将来の横綱候補の筆頭だった風神大王と
こkまで10勝を稼ぎ、序々にランクを
上げていた沖永開発北斗号が選ばれた。
大王は1180kg、開発号は1080kg。
体重、前に出るパワーいずれも大王が勝り
、戦前の予想は圧倒的に優勢だった。

好天気の下、次々に対戦が展開されたが、
13取組中、8番が15分超の長期戦となった。
相次ぐ”熱戦”となり、横綱戦は午後4時
を過ぎてから開始された。

鼻綱を付けたままで行われた。
北斗号、開始早々は立ち角で突き上げる
ような割りワザを連発。一瞬場内が
わいたが、すぐに大王の反撃が始まった。
大王が猛然と突進!耳の後ろに大王の角
が鋭く入り、あっという間に開発号は
土手際にかつぎあげられて有無を
言わさぬ腹取りを決められた。さらに大王が
のしかかるように押し込むと、開発号は
もんどり打って横転した。
会場から大きなどよめきが起きたが、
闘牛士数人が出て、大あわてで2頭を
引き離した。


風神大王
岩手産 1180kg

95年12月デビュー。
初場所の頃からその大きさは
威容を放っていた。しかし、闘牛通の
間では、体格に比して首力が十分で
なく、大成までは時間がかかるとの
見方がもっぱらだっった。牛主は
このあたりを十分に判っていたようで、
96年はわずか2戦しか、出場せず
じっくりと熟成を図った。
相手関係も無理せず、序々にランクを
上げていった。
頭角をあらわしたのは、97年に入って
から。新春闘牛で新垣トガイーに快勝
し、”通”の関心を集めた。そのあと川風
花形翼号、雷電トガイーと連破。
特に雷電トガイーを柵にたたきつけた
一戦では、評価をぐんと上げた。
初戦からすべて7分以内の圧勝
劇の連続。闘牛界一の巨漢ながら、
そのスピードは中量級並、勝負どころ
の集中力も十分で次期横綱との評判が
もっぱらだった。