気づきの瞑想

気づきの瞑想  60分/3300円 
感じている者に気付く(Be Aware Who is Sensing)
 

OSHOヴィギャン・バイラヴ・タントラ『タントラ秘法の書』からの瞑想法。ある特定の感覚を通じ生き生きと覚醒する。その覚醒の中にとどまる。目という窓を通して見ていることから覚醒する。耳を通して聞いていることから覚醒する。感触をとおして感じていることを誰が観てるかに覚醒するOSHO 気づきの瞑想法のための音楽。

 

 

気づきの瞑想 

〜The Book of Secrets : 63 Be Aware Who is Sensing〜

ブック・オブ・シークレッツ:第63番 感じている者に気づく
瞑想法

"When vividly aware through some particular sense, keep in the awareness"
"ある特定の感覚を通じて鮮明に気づく、その覚醒にとどまる"

第1ステ−ジ15分

楽な姿勢で座りましょう。誰かを見る、又は、何か物を見ましょう。壁、花や木、何でも構いません。そして、あなたは、あなたの目を通して見ていることを憶えていましょう。目はただ、あなたの窓です、あなたは内側から目を通して見ている誰かです。その目の、背後で見ているに誰かに注意を合わせましょう。

第2ステ−ジ15分

目を閉じましょう。音楽を聴きながら、あなたの耳はただ、受信機であることを覚えていましょう。音は、円を描いてわたし達に伝わります。あなたは、つねに音の中心にあります。あなたは、その静寂のセンターから、音を聞きます。

第3ステ−ジ15分

目を閉じたまま、何か物、又は表面に触れましょう。あなたの手を通して触れる時、その背後で触れることを感じている、内側の誰かを憶えていましょう。それぞれの素材の違いを繊細に感じながら、この全てのあなたの感覚は、ただ扉であり、受信機であり、媒体であり感受する器官です。あなたは、それらの背後にいます。

第4ステ−ジ15分

目を閉じたまま横たわり、動かずに静かにしています。


〜開いているとき、ただ耳を通じて聴き、自分の内なる中心に気づく。触(さわ)っているとき、ただ手を通じて触(さわ)り、背後に隠れている内なるものを想起する。どの感覚も内なる中心へと向かう。

感覚にだまされると、みせかけの世界を真のものと思い込んでしまう。もし、感覚を通じてみる事ができたら、目覚めていられたら、世界は少しずつまぼろしのように、夢のように見えてくる。そして、実体が、この世界の実体が、見通せるようになる〜


静寂の名において人々が体験しているのは、音が無いということだけだ。だが、静寂とは全面的に異なった現象だ。それは完全にポジィティブだ。それは実在的であり、虚ろではない。それはかつて聞いたこともないような音楽や、あまり親しみのない香り、内なる目によってのみ見えるような光で溢れている。

静寂とは架空のものではない。それは実在だ。しかも、あらゆる人の内側にすでに現存する実在なのだ。だが、私たちはけっして内側をみようともしない。内なる世界には、それ自体の味わいがあり、それ自体の香りがあり、それ自体の光がある。それはまったく静かであり、計り知れぬほど静かであり、永遠に静かだ。そこにはかつていかなる音もなく、これ以降もないだろう。いかなる言葉もそこまでは届かない。しかし、あなたは辿り着ける

OSHO




気づきの瞑想  ¥3300(税込み)

注文番号mmc-18