和尚タイムズ

Vol.17

¥1344円(税込み)
 




 


17.特集 自分自身を祝う

●祝い、瞑想し、祝いなさい 
●あなたの目を開きなさい 
●孤独を忘れる
●ただイエスと言う 
●労働ではなく祝祭を 
●印象―暫く座りなさい<物語>偏ってはいけない―禅師の死 
●ジャズ風エンライトメント 他


あなたがたの生は義務とやるべき仕事の連続だろうか? それとも祭りだろうか? 
生が仕事であるとき、あるいはひとつの義務であるとき、
それは重荷となり、足かせとなり、私たちは沈んだ気持ちでそれをすることになる。
クリシュナは生を仕事や義務とはとらえない。彼はそれを祭り、祝祭としてとらえる。
生は実際大きな祝宴であり、至福に満ちた祭りだ。
それは宿題でもなければ、やるべき仕事でもない。

ある人が生を祭りととらえたとしても、働くことをやめることにはならない。
その人は無論働くだろう。だが、その仕事は祝祭の一部となり、祭りの性質を帯びるようになる。
その仕事からは歌や踊りが起こる。
たしかに働き過ぎはなくなるだろう。
仕事量は減るだろう。
だが仕事の質ははるかに勝る。

あなたがたも気づいているに違いない。
仕事漬けの人々がどのようにしてあらゆる物事を仕事に変え、生を緊張の連続に変えてしまうかを。
人生のあらゆる苦悩は仕事の虫たちの仕業だ。
彼らのモットーは「やるか、やられるか」だ。
彼らは言う、「生きている限り何かをやり続けろ。何もできなくなった時は死だ」と。
仕事以外にはいかなる生のヴィジョンもない。
しかも仕事に対する正しい見方さえも知らない。
何のために働くのか? 
なぜ人間は働くのか?

人が働くのは生きるためだ。では、生きるとは何を意味するのだろう? 
それは生を祝うことを意味する。
私たちは生に踊りの瞬間を持ち込むために働くのだ。
実のところ、仕事は生を祝うための一手段にすぎない。

OSHO(本文より)