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日本の禅に多大な影響を及ぼした禅僧・道元を、インドの覚者・OSHOがとりあげる。
「満月に捧げられる」というOSHOの言葉から始まるこのシリーズで、
多くの禅者を導いてきた、あまりに有名な道元の「正法眼蔵」を、
今に生きる禅として説き明かす。
「すべての人間は仏性が備わっている。ならば、なぜ修行が必要なのか」
――幼くしてこの深い問いに悩まされた道元への共感が、
全編にわたり熱い禅話として繰り広げられる。
第1巻では、道元の求道へのいきさつに触れつつ、
自ら実際の瞑想リードを通して、禅の醍醐味へと誘う。
◆
道のことなど構わないことだ。
ただ自分自身を学ぶがいい。
〈自己を学ぶということは、自己を忘れることである〉
――誰が自己を学ぼうとしているのか?
自己を学ぼうとする者は、すでに自己を落としている。
自己を学んでいる者は、観照者、あなたの真の自己なのだ。
〈自己を学ぶということは、自己を忘れることである〉
〈自己を忘れるということは、すべてのものに悟らされることである〉
そうなれば、あなたがどんな状況にいようとも、問題ではなくなる。
いかなる状況にあっても、あなたは悟らされる。
想像の及ぶ限りの、あらゆる状況のもとで人々は悟りを得てきた。
問題は、自己が脱落しているかどうかだ。そうなれば、木を切っていようが、
井戸から水を汲んで運んでいようが問題ではない。
自己がない瞬間、ただ観照しているだけとなり、
沈黙した注意探さのみがある時、
あなたはすべてのものによって悟らされている。
OSHO(DVDより)
●道元
鎌倉時代の禅僧。日本の仏教宗派・曹洞宗の開祖。
13才で出家、比叡山などでの修行を経て、宋(当時の中国)に渡り、
如浄のもとで大悟、印可を受ける。帰国後、
永平寺を開くなど、禅の普及に努めた。
自らの教えを「正伝の仏法」であるとして宗派を否定し
釈迦にならい、ただひたすら坐禅にうちこむことこそが
最高の修行である(只管打坐)と主張した。
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