| 諸葛亮孔明 (しょかつりょうこうめい)
蜀史 「諸葛亮伝」によれば、身長 8尺
顔は冠の白玉のごとく、頭には綸布(組み紐製の頭巾)
身には鶴ショウ(道士の着る衣)を身にまとい
神仙の風韻を漂わせていた。 と在る。
181〜234年
{王}郎{王}邪郡陽都(現在の中国山東省臨沂市)の人
前漢の司隷校尉 諸葛豊の子孫で、父の名は諸葛珪
兄、諸葛謹(呉の国に使える)弟に諸葛均がいる。
194年頃黄布賊の乱の影響で難民の群れに加わり
故郷を後にする。 途中、兄 謹と義母は江東に向かう。
孔明と弟、均は伯父の諸葛玄に引き取られる事になり
玄の任地荊州(現在の中国 湖北、湖南省に落ち着く
2年後、叔父の玄が死んだ為、孔明は襄陽郊外の陸中で
晴耕雨読の日々を送る。その間徐庶、孟建等の逸材と
交友しながら勉学と天下の動向を見守る10年間を過ごした。
207年、劉備の「三顧の礼」に応えて草庵出る。
そして改めて劉備に「天下三分の計」を説く。
劉備に仕えた後の孔明は、曹操の猛攻撃(長坂の戦い)に
合うがなんとか孔明の策でその危機を乗り越える。
そして、「赤壁の戦い」では呉の孫権との連合軍で
曹操の大軍を打ち破り(これによって劉備は荊州の領有を
勝ち取り,漢中、益州攻略の拠点を築く事になる)
214年 劉備は成都に入城し、ここに孔明の提唱した
「天下三分の計」を実現させる事になる。 孔明はこの時、
軍師将軍.署左将軍、大司馬府事をつとめ、蜀の軍事と政務の
大黒柱として働くようになる。 以後、劉備の死後は劉備の遺児、
劉禅を補佐しながら 北伐を開始するが、結局第一次北伐の際の
失敗が後々まで影響して 志し半ばにして、
五丈原に没する。 享年54才
三国志との出会い
本当はもう少し詳しく書きたかったけど、何しろ本や人物辞典に
書かれてる事をまとめるのって苦手で(^^;)、
ここからは、私が何故三国志に興味をもち始めたのかについて 少し触れたいと思います。 あれは今から10年ぐらい前
NHKで「人形劇 三国志」という
最初の内は、見たり見なかったりだったりだったのが
いつのまにか毎週!欠かさず見るようになり 気がついた時には
すっかり三国志の虜になってました。
そして、物語も最終に近づくに連れなぜか諸葛亮孔明の事が
妙に気になりはじめ気がついた時にはもう〜孔明ラブラブもーど(^o^;)
最終回 孔明先生が死ぬ場面で目頭は熱くなる
マジで涙を堪えるのが大変でした。
だから三国志が終わった後暫くは放心状態が続きましたね。
何故!孔明先生のファンになったのか! 1つには孔明先生の声を
出してらした森本レオさんの あま〜〜い、やわらか〜い声に
痺れた(^^;)とまではいかないまでも とにかくあの声で孔明先生のファンになった事は事実ですね (^^)
人形劇 三国志の放映が
終わって数年後。パソコンのゲームで 「三国志」という
名前のゲームを見つけやってみるとこれが めちゃくちゃ!面白い!と言うよりもう〜おもいっきりハマってしまったのがいけなかった
^^;) ここから私の三国志気違いの道が始まったと言っても
過言ではありません!。 光栄の三国志シリーズ1〜6まで全て持ってるなんて
(それも88からWINSOWS版まで)
私ぐらいでしょうね。 「三国志演義」、「吉川三国志」を読破し!光栄のIFシリーズ等々
三国志と名の付くものならアニメからげーむまで!! インタネットも三国志関連のサイトは探して面白そうな所は
ブックマークに加えてま〜す。 これからも三国志について
まだまだ勉強不足の点が多くてHP開設と共に改めて
三国志について勉強していけたらいいな〜と思ってます。
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