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4月1日(土)
日記をつけ始めることにした。
整理せずに溜まっていた書類たちについて、スキャンしてPDFファイル化する整理作業をした。
以前査読した論文の修正投稿版の査読をしていなかったので片づけた。和文だと査読が楽(論文を読むのもそうだが、査読レポートを日本語で書けばよいので)で助かる。
4月2日(日)
某所で一時期書いていた日記を整理するために、一部の内容をこちらに移行することにした。以下は2011年10月3日の書き込み。
某所で「しりとりに使えない数学用語」の話題が出ていたのを見て思ったこと。数学用語限定ではなく普通のしりとりにおいて、固有名詞の使用が許されるならば「ンジャメナ」とか「んじょも」とか「んばば・ラブソング」などの逃げ道があるので、「ん」で終わる語よりも「を」で終わる語(例:相田みつを)の方が破壊力が高そうである。
もっと言えば、「藤岡弘、」とか「どんなときも。」の方がより強力そうなのだけど、標準的なしりとりのルールでは語尾の句読点の扱いはどうなっているのだろうか。
↑次は2011年10月25日の分。
この日は某大学での非常勤講義の初日だった。「ランダム」という概念を軸にいくつかのトピックを紹介するという趣旨の講義なのだけど、テーマがマニアックだからなのか、受講登録者7名で初回出席者5名という小規模な講義になった。
1日につき2コマで全4日間、計8コマという編成で、初日の1コマ目は確率論の歴史的な話を少々と今後の講義内容のさわりを紹介する具合で進め、2コマ目では後の話で必要となる確率論方面の定義や定理(大数の法則とか)をいくつか紹介して終わった。ただ、単に高校で習った確率の復習をするだけでは何なので、確率測度の考えに基づいた確率空間の公理系の導入を行ってみた。まぁ、単なる趣味の問題ではなく、次のコマで「確率0の事象の可算和は確率0」という性質を使いたいという事情もあったのだが。
で、講義後に質問に来た熱心な受講者のおかげで気が付いたのだけど、ボレル集合族や確率測度が云々という以前に、「集合族」という概念自体が理解しにくいものだったらしい。言われてみれば、高校までの数学だと「集合を要素とする集合」って明確には扱われていなかった気がするなぁ、その辺りはもっと丁寧に説明すべきだったなぁ、と反省。
なお、これは完全に趣味の問題として、標本空間が有限ならいいけれども無限の場合には、標本空間の任意の部分集合に対して「確率」を整合的に定義できるとは限らない(つまり、「非可測集合」が存在する)ということを不自然なほどに強調しておいた。ただし、高校数学程度の予備知識しか仮定しないという建前で進めている上に時間も限られていたので、肝心の「選択公理」という単語を口に出す余裕が無かったのが少々心残りである。
↑↑次は2011年12月7日の分。
この日は島根大学の理工特別コースの学生さん向けに頼まれていた講演をした。理工特別コースというのは、特別に選抜された総合理工学部の学生を対象に、色々な研究室の見学や3年次からの早期研究室配属など様々な企画を行うものらしい。その一環として、各分野の専門家を招いて分野紹介をしてもらう企画があるらしく、私は(数学ではなく)情報セキュリティの専門家という立場での分野紹介を依頼されていた。情報セキュリティの研究に数学が役立っている事例などを織り交ぜつつ、身近なところで実は陰ながら情報セキュリティ技術が働いていることと、情報セキュリティについては非常に幅広い観点からの研究が行われている(例示したのは、狭い意味での情報科学に加え、サイドチャネル攻撃、生体認証、フェイルセーフな暗号設計、情報セキュリティの法律的な取り扱いなど)ということを強調しておいた。後で先生の話を聞いたところ、どうやら好評だったようで何よりである。
2011年の分はひとまずこんなところだろうか(他にももっと色々なしょうもないことが書いてあるけれどもきりがないので)。
4月3日(月)
所用で病院へ行ってきた。片道自転車で20分ぐらいかかるのでちょっと遠いが、良い運動にはなる。
論文査読を一つ片づけた。本当はもう一つ査読レポートを書き上げたかったのだが、査読レポートの入力のために論文誌の査読システムにログインしたら、なぜか査読していた論文がシステム上で自分に割り当てられていないことが判明した。現在調査依頼中。ということでそちらの査読は足踏みしている。
4月4日(火)
某企業との共同研究で国際会議ESORICS 2023に投稿していた論文(縫田は共著者)の採録通知が届いた。新年度早々めでたい話である。
某所の日記の移行作業。2012年1月分はざっとこんなところだろうか:
【2012年1月10日分】しばらく前から仕事関係のToDoリストを作らなければと気に掛け続けているのだが、忙しい日にはそんなことしている精神的余裕がないし、忙しくない日には折角だから数学に打ち込みたいのでやはりToDoリスト作りなんかする気になれない。というわけで、排中律を避けられるような絶妙な忙しさ具合の日が出てこないとずっとToDoリストは作られないままである。
【2012年1月17日分】「可算個の可算集合の和集合は可算集合」の証明に選択公理が使われている(より正確には、選択公理のない素のZF公理系と独立な命題である)ことはその筋の人には比較的良く知られているが、どうやら選択公理だけでなく冪集合の公理も使われているらしいという情報 を得た。元ネタはarXiv:1110.2430v1 らしい(ただし、査読前のプレプリントなので、内容が間違っている可能性も頭の片隅に置いておかねばならない(脚注:原理的には、査読を通った論文誌の論文だって間違いを含む可能性は零ではないのだからそういう可能性を無視しないという注意は共通なのだが、査読前の方がそういう可能性はより高いという比較の問題))。しばらく考えてみたがどこで冪集合の公理が使われているのかよくわからないので、そのうち件のプレプリントを読んでみようかな。
【2012年1月23日分】バナッハ=タルスキの定理を援用(脚注:ってレベルじゃないが)して色々なものを増やすというのはよくある数学ジョークの一つだが、単位球一つと二つが分割合同であるということは、球を増やす方向だけでなく減らす方向にも適用できるはずである。にもかかわらず、「減らす」という方向性で表現されたジョークは極めて稀である。「減らす」ことよりも「増やす」ことにばかり思考が働くというのは人類の欲深さという業の現れなのだろうか、などと先日のkagami_hrさんの至言 を読んで考えたことをふと思い出したのでメモ。
【2012年1月30日分】さっきとある事情で久々に「コンパクト空間からハウスドルフ空間への連続写像は閉写像」という定理を使った。この定理は個人的にかなり好きな方の部類に入る定理で、私は普段は数学に美しさというものをあまり求めないのだけれども、この定理とその証明には「論理の流れの美しさ」と「機能美」がともに満ちているように感じられる。数学の箱庭のようなイメージである。
4月5日(水)
某所に投稿中の共著論文2件のfirst round reviewの査読コメントの通知があった(見る人が見れば某所がどこなのか明らかである)。ひとまず両方ともfirst roundでrejectにはならなかったのでそれはよかったのだが、1件は事前に期待していたほど高評価なコメントではなかったので残念。rebuttalで挽回できるとよいのだが。もう1件はまずまずな雰囲気だけど、ちょっと根本的な価値観が合っていない感じの査読コメントが含まれているので、それが足を引っ張らないでくれるといいなと願う。
某所の日記の移行作業。2012年2月分では何はともあれこれは外せない、2012年2月11日の分:
Twitterで教えてもらった「エミール・ゾラの肖像」という絵画 。
(よく10年以上もリンク先が生き残っていてくれましたね…。)
↑次は2012年2月15日の分:
IACR ePrintの2012/064の表題が(少なくとも、これを書いている時点では)「Ron was wrong, Whit is right」となっているのだけど、論文の内容の推測し易さを無視して見掛け上のキャッチーさだけを追究した悪い表題の見本だと思う。どうしてあっちの分野にはそういう表題を付けたがる人が多いんだろう。
↑よく考えると「なまけもの暗号」や「エンターテイメントセキュリティ」だってよくわからないといえばわからない表題なのだが、そちらは悪い表題だと思わなかったなぁ。一体どこに境目があるのだろう。
このIACR ePrint 2012/064の論文というのは、その後CRYPTO 2012(暗号分野のトップ国際会議の一つ)に投稿されて、acceptされて論文リストが公表された後に題名の惨さが問題になったんだったかPC memberからacceptの条件として題名の変更を要求されたんだったか記憶が定かでないけれども、ともかく最終的に"Public Keys"というこれまた情報量の乏しい(あまり反省の色が見られない)題名に変更されてCRYPTO 2012で発表された論文のこと。なお、上記の文章中では「一体どこに境目があるのだろう。」と書いているけれども、現在の視点でその「境目」の一部を言語化してみると、情報量の乏しさや過剰なインパクト重視の印象(今風の言葉では「炎上マーケティング」的な品の無さ)もさることながら、そもそも件の変更前の題名は「既存の研究の中身に対する評価」ではなく「その研究を行った人物の評価(というか謗り)」になってしまっているのである。学問の世界では(少なくとも、私が有意な水準で関わっている数学分野や暗号分野では)、研究の中身については互いにかなり厳しく(時として、多分一般人が見たら引くレベルで)不備の有無を検討したり批判したりすることがあるけれども、それと研究を行った当人の人間としての評価は別、という意識がある(少なくとも、理想としてはそのことが共有されていると信じている)。まぁこれが明らかにトンデモな主張を連発している人物とかなら微妙なところだけれども、そうではない真っ当な研究者を名指しして「Ronは間違っていた」はないだろうよ、と憤りを覚えるのである。(ここまで書いていて思い出したのだが、確か名指しされたRon氏本人が激怒したとかいう話があったような気がしてきた。まぁそれはそうだろう、私だって同じ立場になったら多分かなり怒るだろうと思う。)
↑↑次は2012年2月18日の分。
さっき見つけた「入試問題に解答うっかり明記…名古屋市立大ミス」という記事 について。
名古屋市立大(名古屋市瑞穂区)は17日、今月4日に実施した大学院人間文化研究科博士前期課程の入学試験の「英語」で出題ミスがあり、受験した4人全員を正解として得点を与える措置を取ったと発表した。
発表によると、出題ミスがあったのは、長文を読ませて適切なタイトルを選択する問題。解答が問題の下に明記してあったという。
(2012年2月18日16時42分 読売新聞)
問題が簡単すぎたという点で間違いなく出題ミスなのだろうけど、通常の出題ミス(正解が存在しない、問題が曖昧で正解が定まらない、など)と違って問題を解こうとした受験者が不利になる類のミスではないと思うので、別に特別措置は必要なかったんじゃないかなぁ…。
最後の感想部分、今になってみると「全員正解の特別措置は適切な措置だった」と感じる。というのも、受験生全員が全員「しめしめ、問題文に答えが書いてあるぞ、何てうかつな出題者だ」とあっさり正解してくれるとは限らず、「どうみても答えが書いてあるっぽいけれども、これは何かの罠だろうか、いやしかし…」と無駄に悩まされる羽目になった思慮深い受験生がいた可能性も少なからず存在するからである。そのような理由で件の問題はやはり不適切な問題で、まぁミスの種類が種類だけに特別措置がなくても受験生全員が正解していたかもしれないのだが、それでもなお「全員正解とする」と出題側が宣言することによって、「不適切な出題だった」と出題者側が公式に認めたという図式を確立する効果があったものと考える次第である。
↑↑↑この月の分の最後は、2012年2月24日、2月25日、2月28日の一連の内容について:
【2012年2月24日分】日本数学会のウェブサイトに「「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言」という文章 が掲載されていた。後で何か書くかもしれないけど、とりあえずメモのみ。
【2012年2月25日分】昨日書いた日本数学会「「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言」の件について感じたことをいくつか。
問1-1(2)は「ある中学校の三年生の生徒100人の身長を測り、その平均を計算すると163.5cmになりました。」という前提から「100人の生徒全員の身長をたすと、163.5cm×100=16350cmになる。」が「確実に正しいと言える」かどうか判定する問題である。正解は「○」なのだが、有効数字の扱いを気にして「×」と答えることがあり得るのではないかという指摘をTwitterで目にした(確かに、現実世界で100人の身長の(誤差を含む)計測値の平均が163.5cmになったとしても、身長の真の値の和がその100倍になるとは限らない。「身長の真の値」という概念が気持ち悪いとしても、仮に100人を横にして直列繋ぎにして全長を(元々の計測値と同じ精度で)測定したとしたら結果が元の平均値の100倍になるとは限らない)。「平均」の概念の無理解に基づく誤答と、このように有効数字まで考慮した「考えすぎの誤答」は、同じ誤答だとしても明らかに性質が異なる。両者の切り分けを行うためにも、問2-1だけでなくこの問題も記述式(理由を書く欄を設ける)にしたらよかったのではないかなと思う。
問題2-2は、ある具体的な2次関数が提示され、「…のグラフは、どのような放物線でしょうか。重要な特徴を、文章で3つ答えてください。」という問題である。私は(「3つ」ではなく「三つ」だろう、という点は置いといて)「重要な特徴」という表現に引っ掛かりを覚えたのだが、添付文書の「大学生数学基本調査報告書(FAQ)」に関連する項目があったので引用してみる。
Q11.問2-2について,グラフの「重要な特徴」という,価値観を問うようなたずね方は不適切なのではありませんか?
A11.本調査は,成績や進路に関係するものではありません.ですから,設問の妥当性は調査目的に合致しているかどうかによって判断されるべきだと考えます.「個別の操作(計算等)は比較的よくできるが,その操作の意味がわかっていない・考えない大学生が増えた」という意見が,これまで日本数学会会員から多数寄せられてきました.そこで,「できる」と「わかる」の乖離を調べるために,あえてこのような設問を設定しました.本設問では,二次関数に関して学ぶ操作(例:x軸やy軸との交点を求める,頂点の座標を求める,等)がどのような意味を持つかを理解しているかを調査しています.これにより,二次関数のイメージが根本からずれてしまっている層や,自分が受けた印象と客観的であるべき特徴との違いを認識できていない層が存在し,また,それが無視できないほど大きな割合になることが明らかになりました.
「本調査は,成績や進路に関係するものではありません.ですから,設問の妥当性は調査目的に合致しているかどうかによって判断されるべきだと考えます」という点には同意するものの、それでもやはり問題の「重要な特徴」という表現が適切であったかどうか疑問が残る。何故なら、一つの2次関数が持つ性質のうちどの性質が重要であるかは状況に依存するからである。(例えば、2次関数をShamirの秘密分散法に応用する場合、指定したいくつかのx座標における放物線上のy座標の値が何であるかという性質こそが重要であり、放物線の頂点の位置はどうでもいい性質である。)というわけで、「どのような観点から」重要な特徴を答えるべきかをもっと明確にした方が望ましかったと思う。回答者の無用な混乱を避ける問題文を作成することは、「調査目的」にとっても有益なことだと思うのだが。
という具合に色々書いてみたが、私としては今回の件から得られる教訓は、数学に関する理解度を筆記試験で測るという行為にはかように困難が伴う、ということだと思う。こうしてみると、近頃話題になっている「大学における学生の学習成果を統一試験で測定する」という案についても、(測定行為自体の意義については脇に置くとしても)その実効性がかなり不安になるところである。
【2012年2月28日分】「大学生数学基本調査」私案
以前の日記にも書いた日本数学会「「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言」 の件。私に限らず色々な方々が設問についてツッコミを入れているけれども、批判するだけなのもどうかと思ったので、私なりに書き換えた設問の案を以下に記しておくことにする。
なお、設問の内容や題材の選択にも思うところはあるのだが、その点は出題者の意思を尊重して、設問の内容そのものは極力もとの設問に沿うよう心がけた(が、どうしても納得できない点については変更を加えてある)。
1-1 カードが100枚あり、それぞれ1から9までの整数のどれかが書かれています。カードに書かれた数字の平均を計算すると、ちょうど5になりました。この結果から確実に正しいといえることには○を、そうでないものには×を記入し、そう考えた理由を下の空欄で説明して下さい。(記入欄は省略。以下同様。)
(1) 数字が5より小さいカードと5より大きいカードは同じ枚数だけある。
(2) カード100枚の数字の合計は、5 × 100 = 500 に等しい。
(3) カード100枚を、書かれた数字によって「1か2か3」「4か5か6」「7か8か9」の三つの組に分けると、「4か5か6」の組のカードが最も多い。
1-2 次の報告から確実に正しいといえることには○を、そうでないものには×を記入して下さい。(追記) また、そう考えた理由を空欄で説明して下さい。(追記終わり)
「教室の中の男の子たちと女の子たちが、それぞれ前か後ろを向いて座っています。後ろを向いている子供はみんな女の子です。そして、本を読んでいる男の子は一人もいません。」
(1) 男の子はみんな前を向いている。
(2) 前を向いている女の子はいない。
(3) 前を向いていて、しかも本を読んでいる子供は、一人もいない。
2-1 偶数と奇数を一つずつたすと、答えはどうなるかを考えます。
(1) 偶数や奇数とはどのような数でしょうか。それぞれ、定義を空欄に記入して下さい。
(2) 偶数と奇数を一つずつたすと、答えはどうなるでしょうか。次の選択肢のうち正しいものに○を記入し、そうなる理由を空欄で説明して下さい。
(a) いつも必ず偶数になる。
(b) いつも必ず奇数になる。
(c) 偶数になることも奇数になることもある。
2-2 2次関数 y = −x2 + 6x − 8 のグラフを、なるべくその形や位置関係がわかりやすいように描くとしたら、あなたはこのグラフのどのような特徴に注目して図を描きますか。その特徴を三つ答えて下さい。
3 右の図の線分を、正確に3等分したいと思います。定規(直線を引くのに使います)とコンパス(円を描くのに使います)を使ってそのような作図をする手順を、箇条書きにしてわかりやすく説明して下さい。ただし、図形の実際の長さや幅などを測ってはいけません。なお、説明に図を使う場合は、正確でなくても大まかな形を描くだけでかまいません。
そこまで精読していないので誤字などはご容赦ください(ご指摘いただければ直します)。
(追記)ちなみに、twitterでも書いたのだが、本当に実効性のある調査をするためには、対象となる大学生だけでなく、当然に「数学的能力がある」と看做されるべき比較対象群、例えば理系専門職従事者にも同じ調査を行うべきと思う。もし後者の集団の正答率が悪いとしたら、後者の集団の数学的能力が低い可能性よりも、設問が数学的能力を問うには不適切であった可能性が高いだろうから。
この件、当時書いた私の見解は今でも同意見なのだがそれはさておき、調査の内容や上記の文中で引用しているQ&Aの文面あたりに私の「新井紀子氏センサー」が反応を示したので上記「提言」のページ を調べてみたところ、この調査を踏まえて行われたシンポジウムのプログラム(PDFファイル) の登壇者にやはり同氏の名前を発見した。こんな勘ばかり鋭くなってどうするのか。
4月6日(木)
先日Twitterで、大学教員は(特に職階が上がるにつれて)多くの毛色が異なる用務を同時並行的に処理する必要があるので、頭の切り替えが上手くないとやっていけない(←大意)、といった趣旨の意見を目にした。それは私も感覚としては頷けるものがあり印象に残っていたのだが、試しに実例として、本日自分が仕事で行った作業(のうち、憶えているもの)一覧を作成してみた:
指導学生とのセミナー(1時間半ぐらい)
上記セミナーの最中に来客対応(一時的に離脱)
担当講義の準備(講義ノート作成)
同講義のシラバス情報の修正願(メール)
数学の論文の査読(3ページ分ぐらい進んだ)
某研究費の成果報告書用のデータ収集(昨年度の関連発表論文一覧の作成)
インターンシップ科目の説明会資料作成
同科目の要項の改訂に関する話し合い(メール)
同科目の要項の改訂に関する書類様式の作成
某企業の兼業に関する申請書提出(内容を確認して署名)
居室のプリンターのお手入れ(上の作業で印刷に不具合が起きたので)
担当する輪読科目の使用テキスト選定
同科目の受講生向け注意事項の文書作成
同科目の受講生との顔合わせ日程調整(メール)
集中講義(私がホスト役になるもの)のシラバス代理入力
某研究費(分担分)の交付申請書内容確認
建物のネットワーク変更に伴うPCの設定更新
PCのデータバックアップ作業
その他、細々としたメール処理
当初の予定ではあと二つぐらい着手したかった作業があったけれども時間切れのため断念している。自分自身の主観としては「確かに多い」と感じるものの、例えば他業種の同年代の方々との比較という点では比較対象の情報がないので何とも言えないところである。とりあえず、誰かの参考(←何の?)になれば幸いである。
4月7日(金)
近頃は図書室に赴かなくてもオンラインで電子ジャーナルや専門書の電子版を読めたりするのであるが、今日は電子版がなく冊子体でしか読めない文献の調べ物が発生したため、現職着任3年目にして初めてうちの大学の図書室で調べ物をするという実績を解除した。学生の頃はよくそのように図書室で本や論文を探し回っていたなぁ、と懐かしい思いがした。(なお、本当に欲しい情報は実はオンラインで読める論文に書かれていたというオチが付いている。)
4月8日(土)
9日後から始まる組合せ論の講義の準備のために講義資料を仕上げていた。大部分は昨年度のものを踏襲したのだが、新ネタを少し追加したり、昨年度の講義で説明したとある定理の証明について当時の受講生からより簡潔な方針の証明を教わっていたのでそれを資料に反映させたりと、手直しが必要な箇所もそれなりにあった。
4月9日(日)
今日は選挙の投票に行ってきた。開票の結果はまだわからないが、近頃は立候補者が少なくて無投票になる選挙区が増えているとの話を耳にするので、結果がどうあれまずは投票の機会があるだけでも良いことだなぁと思う。
4月10日(月)
昨日の選挙の件、投票した候補者が当選していた。めでたい。
4月11日(火)
数日前にとある論文を某所に投稿していたのだが、「この内容はうちの論文誌には適さない」という理由で早々にrejectされて戻ってきたので、別のところに投稿し直してみた。今度はどうなることやら。
4月12日(水)
今日は大学構内がずいぶん混雑していると思ったら、夏学期の講義が始まっているのであった。普段は混雑緩和のために、学生さんの昼食の時間帯よりも早めに昼食をとるようにしているのだけど、今日は用事があってあまり早く昼食にできなかったため(とはいえ、学生さんの昼休みよりは少し早かった)、昼食を済ませて部屋に戻ろうとしたときに食事処の入口に長蛇の列ができていてびっくりした次第である。
Twitterで「JSTさきがけを過去に取った人は科研費の基盤Cに応募すべきではない(もっとレベルの高い種目に応募せよ)」みたいな意見を目にした。それに賛同している研究者の方もちらほら見かけたのだけれども、個人的な意見としては「そんなの個々人の自由でしょう」としか思えない。そもそも(現状がどうであるかはともかく)本来は、研究助成金というものは研究に必要だから応募するものであって、研究者のキャリアアップの道具でもなければ選別の道具でもないはずなのである。各自がその時々の興味関心に応じて、行いたい研究の規模に見合った金額の助成に応募すればそれでよいのであって、普段は学問研究の自由の大切さを訴えているはずの学者の側が、本質的でない「しきたり」を自ら積み増すような言動をするというのは、自分たちの首を絞める行為であるように私には感じられる。
4月13日(木)
今学期の学生セミナーの一つは私の著書の輪読をしているのだが、今日あったセミナーでの発表には、私が著書の実物を入手した直後に気が付いた痛恨の誤記の箇所が含まれていた。もし発表者が誤記に気が付いていなかったら訂正できるようにと身構えていたものの、無事に誤記を修正しつつ発表が行われた。優秀な学生さんである。
日記をつけ始めたときには単一のページに1年分の文章を載せる気でいたのだが、しばらく日記をつけてみたところ、1年分も同じページに詰め込んだら分量がとんでもないことになると気が付いた(むしろ何故最初に気が付かなかったんだろう…)。というわけで、1か月ごとにページを切り替えるウェブサイト構成に変更した。
4月14日(金)
今日はとある原稿書きに勤しんでいた。
某所の日記の移行作業。2012年3月分について、まずは2012年3月9日の分:
Twitterでmath26さんから教えていただいた のだが、情報処理学会論文誌に掲載されている「体系的探索による裸玉詰将棋問題の創作」という論文 の参考文献として、私が15年ほど前に某詰将棋雑誌の読者コーナーに投稿した文章が引用されていることを知って驚いた。よくもまぁ件の論文の筆者はあんなマニアックな文章を探し出してきたものだ。(この話を知った時点では最近の論文なのかと勘違いし、「15年も前の某雑誌の読者コーナーなんてどうやって探したんだろう」と驚嘆したのだが、さっき見返してみたら論文の発表年は2000年だったので、当時からすると3年前の文章だったことになる。とはいえ3年前の読者コーナーだって相当見つけにくいことには違いないが。)
ちなみに、私の記憶が確かなら(そもそも件の文章の存在をすっかり忘れていたぐらいなので、これは相当怪しい仮定なのだが)、あの文章には数学的にはあまり大したことは書かなかったと思うのだが、それでもこうして参考文献として参照していただけるというのは嬉しいものである。
↑次は2012年3月14日の分:
3/14(ホワイトデー)を分数(14分の3)だと思って小数にしてみると、およそ0.214(より詳しくは0.2142857142857…)となってバレンタインデー(2月14日)が現れるということに気が付いた。
4月15日(土)
プログラミング言語のRubyでGUIソフトを作るためのRuby/Tkというライブラリの存在を知ったので使い方を勉強していた。
4月16日(日)
Ruby/Tkの勉強の続き…なのだけれども、Tkとは関係なくRuby自体の挙動に関していろいろと落とし穴にはまっていた。
一つはリストのコピーの件。Rubyにおけるリストのコピーはデフォルトの挙動がいわゆる浅いコピー(でいいんでしたっけ)というもので、例えばリストAのコピーによってリストBを作った後で、Aの中身を変更するとAだけではなくBの中身も同様に変更されてしまう、という仕様になっている。これ由来のバグが発生していて、その原因を突きとめるのにえらく苦労したのであった。(これ、浅いコピーをデフォルトの挙動にするのってどういう利点があるのだろう?)
もう一つは、Rubyのスクリプト内部で外部コマンドを実行する機能(コマンドを``で囲ったりするアレ)について。この機能で外部コマンドを実行する際にはPATH環境変数の指定が無効になるらしく(仕様を確認したわけではないので推測だが)、狙い通りのコマンドがなかなか実行できず(ファイルが見つからない、というエラーが生じて)難儀した。いろいろ試した末に、「スクリプトファイルを置いてあるディレクトリに、実行したいコマンドを記述したバッチファイルを置いて、そのバッチファイルの方を外部コマンドとして``で実行する」という回りくどい対処法に辿り着いた。やれやれ。
4月17日(月)
今学期の担当講義の初日。組合せ論の講義であり、最初の話題はいわゆる全単射による等式の証明である。大まかにいうと、全単射による証明は、等式を単に(数学的帰納法などで)証明するだけではなく、その等式の「意味」や「背景」をより明晰に理解したい、という動機に基づく技法であると思っている。受講生には、仮に数学が「ある公理系のもとで証明可能な定理全体の集合を特定する」ためだけの無機質な営みであるならば、一度証明された定理の別証明を考える意味は乏しいだろうけれども、数学は人間が行うものであるから、定理のより良い理解のために証明を工夫することに意義が生じるのだと思う、といったようなお話をするなどした。
4月18日(火)
とある指導学生の推薦状を書くなどしていた。推薦状は作成に時間がかかるのだけれども、基本的には「推し」のことを褒め称える文章を書いているようなものなのでストレスはほとんどないのである。
4月19日(水)
しばらく前にTwitterで、とある話題をきっかけに「(分数にする方ではなく)商と余りを計算する方の割り算の標準的な名称ってあるんだろうか」という疑問をつぶやいていたのだけれども、今日セミナーで学生が発表していた箇所に「ユークリッド除算」という呼称が出てきた(ちなみに『多項式と計算機代数』(横山和弘(著)、朝倉書店)という本)。メモ。
4月20日(木)
今日の学生セミナーでは私の某著書をテキストに用いているのだが、「学生セミナーの最中に自分の著書の誤記を指摘される」実績を解除してしまった。反省。
4月21日(金)
夏に某大学で集中講義を予定しているので準備をする必要があり、ひとまず講義ノート用のLaTeXファイルの作成(中身はまだ)だけして気分を盛り上げてみた。
4月22日(土)
4月23日(日)
某所の日記の移行作業。2012年4月分について、まずは2012年4月6日の分:
条件付採録(ただしmajor revision)中の論文の手直しをしていて、「条件付採録の論文の手直しというのは費用対効果の観点からは新しい論文を書くよりお得なはずなのに、なぜこうもやる気が出ないのだろう」と不思議に思っていたのだが、それは自分が書きたいと思っていることではないことを書く必要があるからかもしれないと思い至った。
↑次は2012年4月8日の分:
今日教わったところによると、何かのサービスの利用規約などで「他人」と書いてあるときには、法的には同居人は「他人」に含まないというのが通説なのだそうな。しかしながらサービスを使う側の一般人は「他人」が法的にどう定義されるかなんて知らないことが殆どなわけで、そういう紛らわしい用語を使う場合には規約の冒頭にでも定義を書いておいてほしい…と思うのは数学者の職業病だろうか。
↑↑次は2012年4月22日と4月23日の一連の内容について:
【2012年4月22日分】某国際研究集会の投稿論文は16ページ以内という制限があるのだが、手元にある原稿は33ページに及んでいる件。さて。
【2012年4月23日分】33ページから16ページへの圧縮に成功。
↑↑↑この月の分の最後は、2012年4月30日の分:
ゼルプスト殿下ことtenapiさんがTwitterにて「俺はお釈迦さまのファンなので嘘はつかないように心がけているけど(引用時省略)」 と発言されているのを見て、「お釈迦さまのファンなので」という表現の奥ゆかしさに感銘を受けた。どう感銘を受けたのかうまく説明できない自らの文章力の無さがもどかしいけれども、こうした玄妙な表現力の積み重ねによって、あの「日本語なのに読みやすい数学の文章」が成立しているのだなぁ、と感じ入った次第である。
先日Twitterでも書いた が、私自身は将棋の腕前やぷよぷよの腕前は大したことないけれども、それでも将棋のプロが将棋を語ったりぷよぷよの達人がぷよ勝負を語ったりするのを聴いてワクワクさせられることが少なくない。そのような「語り」は、(最低限の予備知識や素養は求められるかもしれないが)語りの主ほどの能力を持たない人にも響くような魅力を備えているということなのだろう。翻って、将棋やぷよぷよよりも数学の方がプロまたはプロ級の人数はずっと多いわけで、必ずしもプロ級の数学力を持っていない人の心にも響くような、ワクワクする数学の「語り」が世の中にもっと満ちていてもいいはずだよなぁ、と思うのである。
勿論、私自身も数学の能力で生計を立てている身である以上、そういった数学の「語り」を生み出してしかるべき側の人間であると考える。その意味で上の思いには多分に自戒が込められているのであるが、冒頭の「お釈迦さまのファン」発言に触れて、そうした「語り」を生み出すための表現力をもっと磨いていきたい、と改めて気を引き締めた次第である。
4月24日(月)
今日の組合せ論の講義では、全単射を作る練習(?)として、n文字の132-avoiding permutationとn文字の321-avoiding permutationと長さ2nのDyck pathがすべて同数あることの証明を紹介した。昨年度まではEulerの五角数定理の証明(Young図形の行を増やしたり減らしたりするアレ)を紹介していたのだけど、形式的冪級数やYoung図形に思い入れの無い状態であると思われる受講生にはあまり面白くない話だったかな、と思って題材を変更してみたのであった。証明を完結させるのに90分丸々かかった、というかちょっとだけ時間超過したので最後は冷や汗ものであった。反省。
4月25日(火)
4月26日(水)
4月27日(木)
私の某著書をテキストに用いている学生セミナーで発表を聴いている最中に、本に書いてある某命題の証明を少しだけ簡略化できる(というか、元々の証明が無駄に回りくどいことをしていた)ことに気が付いた。誤記というわけではないのだが、あれだけ事前に推しの敵とばかりに気合を入れて内容を確認したのにいろいろと至らない点が見つかるものだなぁと反省している。
4月28日(金)
4月29日(土)
4月30日(日)