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ノンジャンル(〜2002年8月12日)

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2002年5月9日

自分の能力を過信するとろくな事が無いですが、自分はもっと成長できるという事ぐらいはいつでも信じていたいものです。
と、記念すべき1回目の書き出しからマニアな話題ではさすがにどうかと思ったのでまともな文で始めておいて、と。

さて、本題。SpeedStroker
フリーのタイピング練習ソフト風ギャグゲーム。いや、ちゃんとタイピング練習にもなるんですがね。
何がギャグかって、このソフト、ユーザーが問題を自由に、簡単に作成して追加できるのですよ。ということは、四字熟語や世界の国名の合間に、「ンジャメナ」とか「志村〜、後ろ後ろ!」とか「技のデパートモンゴル支店」とか「筋肉番付」(Muscle Rankingと入力)とか(以下略)の素敵な言葉達が混ざることは必至なわけで。で、さらには素敵な言葉達だけの世界を作ることも可能なわけで。
この説明で「何か」を感じ取った方、ぜひ一度、貴方の素敵な言葉達と遊んでみて下さいませ。

デフォルトの問題ファイルにアニメの台詞(推定)が含まれているあたり、この作者、確信犯では…

2002年5月12日

目標を達成できるかどうか思い悩むより、目標を達成するためにはどうすればよいか考える方が有意義ですよね。

自分の欠点は「遅刻しやすいこと」だと思っていたけれども、本当はもっと大きな、根本的な欠点が何か自分の中にあり、「遅刻」という現象はその氷山の一角にすぎない。
そして、その根本の欠点はいつか大きな災いの種になるのではないか。

などという考えが不意に、しかし鮮明に浮かんできました。
発想があらぬ方向に跳ぶことはよくある私ですが、この鮮明さは珍しいです。

ならば、遅刻癖を無くすことができれば、それが根本の欠点とやらの解消につながるかもしれない。というわけで、明日からの目標は「遅刻をしない」に決定。

2002年5月16日

「遅刻をしない」作戦続行中。3回外出して現在1勝1敗1引き分け。
1敗は今日午後の研究室セミナー(否発表当番)。TAの仕事のレポート採点が遅れたため見事に敗北を知ってしまいました。仕事が完了したので致命傷は避けられましたが…
1引き分けのときは、待ち合わせの相手が遅れるとの連絡を前もってくれていたので、待ち合わせ時間を10分遅らせました。それで、当初の時間には現地に着いていたのですが、トイレを探してさまよっているうちに10分経過。そして遅れて到着。駄目ですね。
しかし、遅刻しなかったことの方が珍しい火曜午前のセミナーに遅刻しなかったのは個人的には大きな1勝でした。発表当番でしたし。
まぁ、遅刻しなかったことがネタになるうちは決して作戦成功ではないのですがね。

さて、今日はセミナーの帰りに、研究室の先輩方と喫茶店で語らいました。
そこには東大先端研に今春就職された研究室の元先輩もいらしたのですが、その先輩が語って下さった現在の研究内容がとても興味深いものでして。
何と言うか、現実世界に影響を与え得るテーマでありながら(純粋)数学的な面白さを損なっていない、というある種理想的な研究内容であると感じられました。早く私もそのような幸せな研究テーマを見つけたいものです。

2002年5月31日

私の脳では、「うっちゃん」は某お笑いの人ではなく「お好み焼きうっちゃん」を指すことが判明。
だからニックネームが「うっちゃん」の人の話をされたとき、女性だと思い込んでいたわけですな。自分だけ納得。

漫画ネタついでにもう一つ。
よく、「高校球児が自分より年下なことに気付いてショックを受ける」とか、「横綱が(後略)」とか「日本代表の監督が(後略)」などという話がありますが、「一堂零が自分より年下なことにふと気付いてショックを受け、しかし本当に年下なのか自信のない自分にショックを受けている自分にショックを受ける」というのはいかがなものか。
余程疲れがたまっていたんですかね。そのときの私。

と、マニアな漫画ネタだけでは何ですので、真っ当な漫画ネタも書きます。
ふと思ったのですが、小説の場合、雑誌での連載を経ずに初めから単行本として世に出る作品が多いですよね。では、なぜ漫画では、ほとんどの作品が雑誌で連載後単行本へ、という道を辿るのでしょう?
色々考えたのですが、これといった結論は出ませんでした。それとも、私がよく知らないだけで、雑誌に載っていない漫画の単行本も多いのでしょうか?

遅まきながら、今日の不定記は漫画特集に決定。というわけで最後も漫画ネタで。
書店で『ヒカルの碁勝利学』(だったと思う)なる本を発見。まだ読んでいないので内容はわかりませんが。
『キャプテン翼勝利学』は、まあ世界杯目前だからなあ、と納得したのですが。本当にヒカルの碁は人気なのだなあ、と妙に感心してしまいました。おそらく囲碁自体も人気なのでしょう。最近囲碁本や碁会所をよく見かける気がします。

誰か数学(後略)。

2002年6月10日

私の部屋にはテレビがないので、サッカーW杯はラジオで聴いています。

テレビより情報量が少ないのは否めませんが、目が疲れないのは助かりますね。テレビで一試合集中して見るとかなり疲れますから。
あと、ゴール後のアナウンサーの絶叫が控えめなのも好印象でした。

2002年6月18日

たかなたかなたかな〜、高菜を食べると〜♪

今日、回転寿司屋の店先で「おさかな天国」が流れているのを耳にしましたが、寿司って身体に良いものなのでしょうか。そりゃ、魚乗ってますけども。微妙。

ありませんかね。「おさかな天国」を流す牛丼屋。便乗商法ということで(違)。

最後に、本日のサッカーW杯。
なんと!日本が、日本がトルコに(中略)!!
そして!韓国が、韓国がイタリアに(中略)!!

2002年7月3日

『むかしむかしある海辺の村に、村一番の釣り竿作り名人と呼ばれる男がおりました。村の漁師はみな、名人の作った釣り竿を手に、毎日仕事に精出していました。釣り竿が沢山売れるので、名人は暮らしに困ることもなく、毎日幸せでした。

優しくて働き者の名人は、漁師のみんなが沢山魚を釣れるようにと願い、より良い釣り竿を作るため、日夜研究を続けておりました。そしてとうとう名人は、大事に使えば何年も、何十年も壊れないほどの丈夫な釣り竿を作れるようになったのです。
漁師のみんなはとても喜びました。それを見て名人もとても喜びました。名人が釣り竿用の竹を取っている竹林の地主さんもとても喜びました。なぜなら地主さんは、竹林の竹が減りすぎているのでは、と心配していたのです。でもこれからは、あまり竹を切らずにすむようになることでしょう。

それからというもの。
名人の釣り竿があまりに丈夫で壊れないので、新しい釣り竿を買いに来る漁師さんはめっきり減ってしまいました。優しくて働き者の名人は、釣り竿が売れないので、暮らしに困るようになり、幸せでなくなってしまいましたとさ。』

現在の資本主義社会において、この名人が安心して丈夫な釣り竿を作り続けられるような新しいビジネスモデル、社会の仕組みを構築すること。
そのために自分ができること、数学者(の卵)としてできることは何だろうか、と最近強く意識しています。

難しい問題ですよね。しかし、それくらいの大望を抱くのも一興かな…と。

2002年7月30日

最初に思いつく「自分と同い年の有名人」がいまだに「岩崎恭子」ってのはいかがなものか。>自分
そもそも岩崎恭子氏が今でも有名人なのかどうかも怪しいですし。

ご存知ない方のための簡単な岩崎恭子氏講座。
氏は、バルセロナ夏季五輪(1992年)女子200m平泳ぎ金メダリスト(当時14歳)にして、 「今まで生きてきた中で一番幸せです」の優勝コメントが、一世を風靡したり、「まだ14年しか生きてないくせに」と的外れなツッコミを受けたりした、当時の時の人です。(なお、上記の内容が私のバルセロナ五輪に関する記憶の全てです。)

当時14歳だった私にとって、「自分と同い年の人間が世界の頂点に立った」ということは非常に衝撃的な出来事でした。
だからこそ記憶に残ったわけで。アトランタどころか、シドニーの記憶も怪しい現状を考えても。

ところで今の14歳って、同い年の有名人といったら「(中略)。」のメンバーなのかなぁ。何だかなぁ。

2002年8月12日

今日ニュースでやっていた、昔のジャンボ機墜落事故の犠牲者が500人強(だったと思う)。
1年間の交通事故での死亡者数、日本全国で約1万人。

では、後者の事実を耳にする機会が年に20回もあるのか、というと…


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