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Essay 「侃諤(日本・極東ロシア間物流事情)」
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<口封じ>とは機密や秘密事項が外部に漏れない様にする人為的圧力行為を意味し、主として抹殺に拠る現世からの消し去り、死人に口なしをも併せて意味する。 免疫学の世界的権威として知られる米国ハーバード大学教授、ドン・ワイリー氏(57歳)が、今月中旬から失踪している事実が29日明らかとなった。同教授の専門研究分野が、エイズやエボラ出血熱、インフルエンザに及び、それらの研究では特に著名であるが、世界的な権威の一人でもあるところから、何かしらの事件に巻き込まれた可能性が高いと推測され、米連邦調査局(FBI)は本格的な足取り調査に乗り出したとの情報があった。 同氏の失踪原因は勿論まだ解明されてはいないが、個人的な自殺の理由もなく、定例会合途上での失踪でもあれば、拉致監禁されたか若しくは口封じとして、既にこの世から抹殺されているかの最悪の推理も否定出来ない。前者でもあれば彼の頭脳と知識を必要とした者の犯行と読み取る事も出来るし、後者でもあれば公になっては困る事実の漏洩を危惧した公私に亘る機関が、彼の存在継続に対して信用を与えず、用済みとして処置したのではないかとの、悪しき推測も成立する。 ドン博士の頭脳と知識を必要とする者とは、ブッシュ氏でもあればローグ(ならず者)として、真っ先に槍玉に上げるであろうアラブ系人種の過激派を想定しがちだが、それだけではなく、医薬品業界を一、世界各国が一種の「金を産む鳥」として、彼を欲している事も忘れてはならないのだ。微生物研究に携わる権威ある学者の失踪と聞かせられれば、直ぐにでもアラブ系過激派分子の犯行と結び付けたくもなるが、それは余りにもお粗末なプロパガンダに洗脳された者の取る情報理解の仕方ではあるのだろうし、余り芳しい思考回路とは云えない。 公になっては困る公私何れかの機関に拠る拉致、及び口封じとは、先ず私的機関でもあれば、微生物解析で成功する薬剤としての症例効果とその公表及び特許取得が、同博士の頭脳に頼る他企業に独り占めされる事で自社が受けられなくなる利益の喪失に危機感を抱き、不条理としての抹殺や暗殺を企てる米国企業が現にあったとしても、この国家では不思議でも何でもない日常茶飯の事でもある。 特に、世界に蔓延し始めたエイズウィルスを消滅させたり、或いは進行を全く阻止したりの可能な薬剤の開発に成功し、仮にその成功が公にでもなれば、地球上に4〜5千万人とも推定され、且つ増加の一途を辿るエイズ患者を顧客として失う事にもなる訳で、エイズウィルスの完全消滅を希望しない製薬企業にとって、開発の成功はそれ程憂うべき問題でもあるのだ。 折角人為的に作り上げたウィルスを世界にばら撒き、後退作用を含む薬剤を徐々に世界に送り出す事で、企業収益が安泰もする目論見が、脆くも崩れて仕舞う事を危惧する者がいたとしても驚くにはあたらない。 更には、エボラ出血熱ウィルスにしても、完成しアフリカに配備したばかりの小規模なものでもあれば、ここで阻止される製剤を、最先端に位置し研究するドン博士に拠って免疫性薬剤として開発される事は時間の問題であり、それは同時に、不条理手法で病原菌を作り出す為に掛かった莫大なコストすら回収出来なくなる恐れさえ出て来るものでもあれば、事業計画に重大なマイナス変更を余儀なくされる可能性は多々あるのだ。フィクション小説ではないが、その様な企業が米国や英国にあったとしても別に驚くには値しないのである。 よもや国家機関が拉致監禁を実行し、口封じに走ったとは思いたくもないが、親が親であれば子も子、子は親の背中を見て育ち、DNAも一緒の特質を持ってもいる子でもあれば、犯す過ちさえ同じであっても不思議ではなく、強ち的外れの推測とも云えないのである。 同博士の頭脳を以ってすれば、エイズウィルスやエボラ出血熱に対する抗体づくりの研究等に比較すれば、強力な炭疽菌の製造や解毒製剤の製造もともに可能ではあるのだろう。国家機関に拠り、純度の高い炭疽菌の製造を同博士が直接依頼要求されたものか、若しくは同氏に師事する研究学者に依頼されたものであるかの何れかが考えられるのだが、米国内にばら撒かれた当該炭疽菌の製造元が、ドン・ワイリー博士の研究班の手になるものである事が判明し、愕然とするケースさえこの場合の事由として考えられなくもないのだ。 国家機関から研究用として製造依頼され供給された当該炭疽菌が、実は民主党上院議員を一とする一般米国市民に危害を加える目的でばら撒かれたものである事を知り、良心の呵責に耐えられなかったのであろう。悩み考えた挙げ句、「主」の命じる侭に官憲に通知する決断をくだす。それを察知したであろう件の国家機関は、常套手段としての拉致、監禁、抹殺の一連の行動に走る仕儀と相なる、と云うのが推理劇の一つでもある。 推理小説もどきの他愛のない一つの想像でもあるが、自然の摂理に従う事を美徳とは決して考える事のない現状の不条理国家アメリカ合衆国、及び共和党政府でもあれば、また、その後ろで実権を握り裏帝国を確立した観のある「CIA」でもあれば、自然の摂理など糞くらえ、人間の徳など糞くらえ、創造さえ出来れば現実化は全て可能だとでも本気で思い込んでいるのだろう。 彼らに染み付いた「全能の神」、それは偶像崇拝に拠ってもたらされてもいるのだが、昂じる結果として独善を発症させ、更なる不条理の惹起を可能にもするのである。自らの如何なる行為も正義の実践であるとする思い込み、まさしくこれこそ独善なのだが、これはヒエラルキー社会がいみじくも作り出す結果としての副次的態様ではある様だ。 差別された事もなければ、迫害はおろか、貧乏のビの字さえ知らぬ、ヒエラルキーの堅固な要塞に守り育てられた、実に優秀な頭脳を持った人々が執行する裏表に巣食う権力集団。其処で頭脳集団としてともに働き続ける人々には、条理、不条理の観念は既に捨て去られて存在せず、唯一あるとすれば、偶像崇拝に邁進する自己の没頭埋没と、他者に対する偽善に満ち溢れた強制としての平伏要求ではあるのだろう。 ヒエラルキーの上位に位置する人間でもあればある程、その欺瞞性の密度も必然的に高まりもする。権力者に唯一無二の特権的欺瞞の使用権を与え、覚醒されぬ侭の状態が国家社会に永らく続けば、当該権力者を抱える国家は、あのヒトラーを擁し、ムッソリーニを擁し、スターリンを擁した、所謂恐怖政治を発症させる独裁国家を形づくる原因ともなる。 過去の過ちを二度と繰り返してはならないと云われ続けながらも、再び発生もさせる国家社会が現に在る事を思えば、如何なる時代においても不条理としての歴史がなくなるものではなく、繰り返される歴史でもある事を私たちに教えて呉れてもいる様だ。 不条理としての偶像崇拝に完全に迷い込んだブッシュ氏、後に引くには既に遅すぎる。万が一にも自らの為す、或いは演じる大統領政策に疑問を抱き覚醒したところで、其処から降りれば「暗殺」の憂き目に遭遇し、降りなくとも、理性ある国民の中から彼に対する懐疑心は生まれ非難として膨らみ、彼を襲うのだろう。トルーマン同様、目覚めの悪い日々は生を納める迄続くのであろう。 だが、それを取り繕うのも裏政権の役目でもあれば、国民の目を逸らす為の新たな不条理作りは、絶対に欠かせない対応条件ともなる。振り子がまともな位置に戻る迄のその時間、犠牲者となる人々の屍が、特に有色人種にもたらされる犠牲としての屍は累々と積み重ねられ、悪臭を放って彼らの鼻腔に付着するのであろう。悪臭から逃れる事は出来ず、狂人でもあれば喜んで嗅ぐのではあろうが、まともな人間にとっては居た堪れない臭いであると同時に、それは悲惨な現代社会における地獄の光景でしかない筈だ。 「主」よ!アメリカ合衆国を不条理から救いたまえ。 −つづく− |
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厳選した事情聴取者の中からアラブ系住民550名のテロ犯罪被疑者を出したとされる米国、当該数量をその侭鵜呑みにする事は出来ない。既にその数倍を被疑者と云うよりは犯罪者と云う形で、拘引、拘束及び留置は為されてもいるのだろう。 この様に単純にも、肌色で決め付ける捜査手法を常時行う米国家権力、且つそれで良しとする社会体制が現にある以上、米国国家権力に拠る不条理は増えこそすれど減る事はなく、社会は歪んだ体制の侭温存され続ける事となる。 表面を取り繕う云い方として、宗教対立ではなく、人種間の対立でもない、またアラブ人に敵対するものでもなく、テロ犯罪阻止の為のものであるとの、至極当然の云い方でブタ箱にぶち込む大義名分を掲げる米国共和党主導政権だが、既にその正当性は崩れてもいる。過去においては、アフリカ系市民が、ユダヤ系市民が、或いは中国系市民が、更には日系市民が同じ思いとして味わわされた屈辱と迫害の実態は、今アラブ系米国市民にその矛先が向けられ実行されてもいる。 様々な犯罪が、白色人種、有色人種を問わず、引き起こされてもいる米国社会で、時を賑わす犯罪者が特定可能な顔形や肌色を持っていれば、即刻その人種を犯罪者グループの中に一旦押し込め、無実と分かる迄は一切解放さえしない神経症的粘着気質は、詰まるところ米国権力社会を牛耳る者に特有の驕りと精神異常性にそれは到達するのだろう。 国際社会が、米国の持つ不条理性を一切諌める事もなく、なじる事さえない侭の状態に置かれれば、米国政府の為す不条理の度合いは益々エスカレートする事が避けられないものとなる。 米英の持てる軍事力に比較すれば、旧兵器と僅かな量の武器弾薬しか持たず、対等な戦争等望むべくもないタリバン政府が、彼らの相手になる訳もなく、それでも人間として戦わざるを得ないタリバン兵士の反抗を嬉々として受け入れ、吸血の味を楽しむブッシュ政権、今度はイラクか北朝鮮であるのかと、口の周りに残った血のりを舌なめずりしながら昂ぶるブッシュ氏、まさにヒトラーの再来とも云える残虐行為ではあろう。 現地派遣CIA職員が銃弾に倒れ一命を落とし、彼の名前と顔写真も同時に放映されていたが、同時刻には既に800名ものタリバン戦士は命を絶たれ地に臥してもいる。同じ人間としての生命体を持ちながら、方や虫けら同然の扱いで死に行く様は実に惨い仕打ちでしかない。精神力だけで戦い続けても死を迎えるだけのタリバン戦士、勝ち目のない戦と解ってはいても戦わなければならない状況は、竹槍を担ぎ「鬼畜米英」と叫び命を落としていった何処かの有色人種国家と似てもいる。 平衡感覚を既に喪失したブッシュ政権が執る行為は残虐行為である事が既に明白で、原因、結果、責任の全ては米国以外の国家、若しくは其処に帰属する有色人種に被せられるのは当然の彼らの、「官軍」シナリオでもあるのだろう。 不条理をこれ程迄多大に抱え込む米国、楽しみは欲の満足と殺人ゲームとしての武力攻撃とは如何にも無法地帯の西部劇での私刑を思わせる。 『面白いだろう、楽しいだろう、もっと楽しむが良かろう。有色人種は生きるには値しない無価値な、遊びの対象としての生き物でしかないのだ。黄色い肌、茶色の肌を持ち、黒、赤の肌を有する生き物は、白人と同様に、地球に住まう権利等何処にも認められないのだ。今までに白人の知恵を絞って研究開発した遊びの道具は、究極的な目的でもある楽しみとしての「悲鳴、泣き叫び」そして「死」を得る為に、人間に似たそれらの動物をいたぶる為に知恵を絞り、工夫を凝らしても来たのだ。また、その為にも有色人種の数の増えるのを楽しみに待っていた事など知るまい。数が少なくなっても、ゲームが出来なくなれば困るが、今は十分に楽しめるだけの数にまで増えた事は確認している。 昔からそうであった様に、赤い肌はギロチンの対象として楽しませて貰ったし、或いはガス室に閉じ込め、苦しみもがく中での狂乱の悲鳴を聞く事で満足させても呉れた。黄色人種に対しては、開発したばかりの核兵器やガス弾を使い瞬時に数十万人を焼き殺した事もあれば、奇形が出るかどうかの試しさえしたものだ。また、生き残ったそれらの動物を研究材料としてホルマリン漬けで大切に保管させて貰ってもいる。毎朝、研究室に入る度に次の不条理を創造する意欲が湧いて来るのだ。その様な楽しみを目標として来た白人の知恵の結晶や努力など、有色人種の持つ知能程度では理解も出来まい。 今だから話せるが、LSDはスイスが合成に成功し米国に持ち帰り量産、隠れた精神兵器として役には立ったが、エイズウィルスやエボラ出血熱菌程の効果はなかった。エイズやエボラは勿論、米国特殊研究所が開発合成に成功した唯一のものだ。 狂牛病原体だけは英国で作られたが余り楽しみともなるものではなかった。但し英国の関係者は、日本には原産国を偽造して大量に研究材料として配りもしたが、只か安くすると疑われるので多少値引きした様に見せ掛け、欧州の数ヶ国から間接的に輸出したそうだ。日本は単純な国家でもあれば、また、米国の「妾政権」として操られた為政者ばかりの国家でもあれば、心配する程の難しさはなかった。今頃になって右往左往している様だが、十分楽しめたし、これからも楽しめる場面は出て来る事を期待している。 米英がともに開発した最大の特徴は、核兵器と遺伝子組み替え技術に拠るエイズウィルス菌の製造にあるのだろう。ロシア、東欧圏に住まう赤肌色の人種の苦悶を楽しむ上でもそれは格好の遊び道具の開発だった。勿論、アメリカに住む黒色や茶色、黄色にも広めてもいるが、未だものの数ではない。しばらくは、この楽しみを続けさせて貰う事とするか、、、』、悪魔の囁きが耳元で聞こえて来る。 米国民主党政権は、不条理が跋扈し始めたこの様な自国社会を、理性ある国家に引き戻し、狂気性を帯びたブッシュ共和党現政権、その彼らが陥ってもいる偶像崇拝としての狂気の呪縛からの解放と覚醒を推し進めるのが最重要課題ではあろう。 米国内での同時多発テロはまさしく忌むべきものであり、首謀者若しくは共犯者は適切に処罰されて然るべきものでもある。米国民が何故に当該残虐行為を受けなければならないのか、或いはまた、将来ともに同じ様な不条理に苦しみ続けなければならないかを考えれば、愛国的為政者ではなくとも怒りはこみ上げ、憎しみをもたらす見えぬ影に対して鉄槌を下したくなるのも当然とは思う。 だが、ブッシュ共和党政権が今まさに実行しているのは、アメリカ合衆国が育て培養して来た自らの一方の不条理発生の幻影に怯え、条理としての本体に牙を向けていると云った、まさしく忌々しき態勢下に米国社会があると見て取れるからである。ブッシュ大統領個人が単なるアクターでもあれば、彼が望もうが望まなかろうが、裏で蠢く時代錯誤のシナリオライターと演出家の構成で、実に様々の不条理劇は推し進められ、魔界に国際社会を導くレールさえ敷かれ兼ねない危険性が現実的問題となって表れてもいるからである。 無作為に遣り過ごせば、歴史上類例を見ない、渾然一体とした人種統合の整然とした社会建設が、「米国」と云う名を冠した尊敬される模範国家として成立する事は叶わず、不条理を更に押し広げるだけの、名称は国家ではあるが実態としては一部民族を頂点とする欲深き秘密性を帯びた狂気国家として、疎まれる存在としての国家となるだけでもある。 憎しみをテロ行為に向けるのは当然としても、狂気性を併せ持つ自国の権力者群にも、民主党は目を向けなければ、裁判官の役目さえ放棄したに等しい国家態様ともなる事を忘れてはならない。事実を事実として認めるのは誰でも出来るが、真実の追求を当該現象としての事実の多寡で、放棄若しくは停止させる感情の起伏で覆い隠してはならないのだろう。 −つづく− |
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イラクへの侵攻、或いは北朝鮮に対する侵攻を米国社会挙げて推し進めるかの如きプロパガンダの流布がいったい何を意味しているのかを、侵攻そのものより以前に考えてみる必要は間違いなくありそうだ。イラク国内には既に米英軍を置き、実態的には制空権を握り、地上は基より上空からも監視の目を光らせている米英軍でもあれば、更なる侵攻はイラク全土に対する米英の占領目的でしかない事となる。 また、北朝鮮に対する侵攻の現実問題に付いては彼の親玉でもある中国が先ず黙って見過ごす事もない場面を想定すれば、それなりの覚悟は米英ともに必要ではないか。不条理を全面に押し出すブッシュ氏でもあれば、複数の国家に対する軍事攻撃を実施し兼ねない可能性は高いが、それ以前に何かしらのシナリオに基づく理由はありそうだ。 微生物兵器或いは核兵器に対する、米英を主体とする査察官と査察の実施を受け入れなさい、さもなければテロ国家と見做し、軍事攻撃は避けられないものとなるとの云い分が若し通用するとすれば、いったいどの様な条件下においてであろうか。 大量殺戮兵器ともなり得る当該兵器の製造工場が、明らかに存在し、稼動している或いはその可能性がある場合を指し示してもいるのであろうが、同時に、査察の実施に対しては米国からの派遣が正当性を持ち、一切の不法性や違法性を抱えていない事が最低条件ともなるのだろうが、米国の立場としての正当性の主張だけでは客観的な正当性を証明する事にならないのは云う迄もない。当該関係国を含む国際社会が、多数決ではなく絶対的多数を以って、米国ブッシュ政権の云う正当性を認められる事が必要最低条件ともなる。 また、当該査察に対しては「公平性」と云う観点からしても、一方に与する事等は許されず、例外のない相互査察も重要条件となるものでもあれば、完成を見ていない国際条約の現状では、ブッシュ氏の要求に正当性を付与する訳には行かない。何処迄ブッシュ政権の不条理性を国際社会が容認するかだが、有色人種国家でもある日本を含む国際社会が一様にその不条理を認識せずに受け容れれば、ブッシュ氏及びその裏で実質権力を牛耳る組織の思い描くシナリオの遂行は加速度を増すのは必至の態勢ともなる。 フセイン氏を更には金正日氏を、或いは彼らを私淑する腹黒き者を含む国家権力者群を、同時に殺害し一掃したとしても、異民族の一方的な判断に拠る粛清が許される事もなければ、また、別な腹黒き国家権力者群の血に塗れた手になる狂気のシナリオの遂行等容認される訳もない。湾岸戦争を巧妙に企て、フセイン大統領を温存させたのも米国であれば、既に用済みとの判断で今度は抹殺に向かう世論操作を為すとは、如何にCIAの独立した不条理を覆い隠す隠蔽工作ではあるにせよ、それは究極的な犯罪の何ものでもない。此処迄公然とした米国の狂気性を見せ付けられると、日本を含む国際社会の尚一層の無力さだけが際立ちもする現代社会ではある。 有色人種としての日本の立場は実に微妙だ。イラク、フセイン政権、或いは北朝鮮、金正日政権が抱える確実な不条理を、米国の持てる紙一重の不条理としての軍事力で消し去る事が一見正義の遂行にも映るが、ブッシュ氏を執刀医とする狂気的ヤブ医者の手に拠る切開手術が招く弊害は今更予想する迄もなく、後遺症を残す事はあっても健全な国家体制を当該国家にもたらす等はあり得もしない態様である。表面的には傷口を糸で縫い合わせたにしても、何れ炎症を起し、傷はびらんし、生命体に重大な危険を及ぼす事は必至ともなるからだ。 嘘が嘘を重ねる事での行き着く先が猜疑心の発症と犯罪に対する累犯加速でもあれば、英国を一、ドイツ、フランス、ロシアの、所謂祖先を同じくする国家権力者達は、米国ブッシュ政権の持つ狂気を帯びたマインドコントロールの呪縛から彼らを解き放ち、正気に戻さなければならない責任者としての義務は生じてもいる。狂人に犯罪者としての意思の存在が欠けるが故に刑罰を付与する事は出来ないとの法理念を忘れ野放しにし、ブッシュ米国政権の犯す犯罪行為がこれからも容認され続けると仮定すれば、イラクや北朝鮮のみならず、僅か四世紀たらずで創り上げた、あの強大な複合社会でもあるアメリカ合衆国の社会そのものが、悶絶する程の苦しみに襲われ荒廃した社会と化す場面さえ、容易に想像が付く事を忘れてはならない。 米国内に住まう、サウジアラビア人を含むであろうアラブ人と云うアラブ人を根こそぎ調査追跡し、米国司法省の発表として既にテロに関連した米国在住アラブ系民族550名を検挙拘留中であり、それは更に増えるであろうとの予測、またその中にはウサマ ビンラーディン氏に繋がる人々も多数含まれているとの発表を併せて聞かされれば、エスニックとしての茶系人種に対する憎悪は、特に米国白系人種から迫害としての攻撃の対象となり、排他性を一層帯びた社会態様にさえなり兼ねない事を暗示もしている。 CIAとウサマ ビンラーディン氏との繋がりが既に公になってもいれば判るのだが、過去の繋がり(現在もあるのだろう)から、情報を基にしたその程度の人員を芋づる式にしょっ引く事は、彼らにとっては朝飯前の事でもあろう。同時多発テロ犯罪に加わったかどうかは、ブッシュ政権にとっては最早重要問題ではなく、過去のCIAとの繋がりを知り得る立場のアラブ系在住者がいるかどうかに重点を置けば、必ずや非合法的手段を用いて自白を強要し、少しでも疑義ありとみれば、国会の議決を経た「軍事法廷」、所謂非公開の秘密の場の開設で、合法的に極刑判決は下される危惧は拭い去れない。 だが、600万人以上にも及ぶと云われてもいるアラブ系住民に標的を絞り、米国歴代政権が作り出した不条理の数々を棚に上げた侭監視強化を推し進め、或いは排他的に振舞えば振舞う程、米国社会に隠され消滅し掛かってもいた人種間闘争の火種に、再び油が注がれる不可避的場面の予測さえ為し得るのである。 ポストアフガン戦争はイラクにその矛先を向けようとしているブッシュ政権。これ以上の直情激昂型政治手法は執行されてもならないのだが、その異常性向阻止の鍵の一つはロシア国プーチン政権の手にも在ると云っても過言ではない。 プーチンロシア政権が、白人至上主義に肩入れし、青いこの地球上からエスニック系人種の排除を願ってもいる狂気性がともにあれば別だが、人為的にエスニック系人種を抹殺出来たにせよ、狂気性を惹起させる病理そのものがそれで解消する事はなく継続もすれば、多人種多民族が共同で住まう事で様々な変化も見られ意義さえある地上に残るのは、猜疑心に基づく狂気としての不条理だけとなり、血の濃さがもたらす狂気の世界しか地上には見られなくなる。よもやプーチン大統領迄もがLSDを飲まされた訳ではあるまい。 だが、ブッシュ大統領が不条理を現出させる張本人でもあれば、当然の事として理性者の範疇からは除外されるのだが、ロシアを含む先進諸国の権力者群が或いは中国江沢民政権が、押し並べてブッシュ米国政権の不条理性に目を瞑り若しくは押し黙る光景は実に奇妙で薄気味の悪いものである。ブッシュ政権に対する何かしらの批判は、当該国家群のマスメディアに任せ、為政者自らは勝ち馬の尻に乗る等の他力本願では、白人至上主義の理念作りに貢献は出来ても、人類に共通の知恵を働かせた理念の創造等は叶うものではない。 家の土台を食い尽くす事で駆除の対象ともなり嫌われさえするシロアリではあるが、シロアリにも存在する価値はある。倒壊した樹木を土に還す重要な役割を彼らは果たしてもいる事を忘れてはならない。木造家屋の倒壊がシロアリに拠る被害を受けてのものでもあれば、事前に防御手段を講じていれば済む事であり、シロアリの存在そのものを否定しても意味がないどころか、地上に利益をもたらす触媒的役割を担う存在を否定する事にさえ繋がる事を忘れてはならない。有色人種をシロアリと同一視されたのではたまったものではないが、有色人種にも、未だに青さの残る当該地球と共棲するのは権利以前の自然界の条理でもあるのだ。 血を濃くする白人が狂気性を帯びるのは自然の摂理でもあると仮定すれば、有色人種を抹殺するのではなく、血の交わりでそれを薄め補い、狂気性の台頭を取り除く事こそ人類として残された知恵の発露ともなり得るのであろう。 −つづく− |
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法律を侮ると云う事と実態を重んじると云う事が、双方ともに許容されるものであれば、国家社会に成文法としての法律は必要ないと云う意味にも通じる。法治国家が、法律の範囲内に基づいて為す場合は当然の作為として認められ、また制定された法律の範囲外に作為が及ばない事をも同時に律し配慮するのが、法治国家として成立する基本概念でもあるのだが、法治国家に住まう者が憲法を捻じ曲げ解釈して迄、八百長為政者に迎合する必要はないと思うのだがどうだろう。 国防を否定するものではなく、人類が存在する以上付いて回る問題が不条理の発生でもあれば、国防を蔑ろにする法律の制定は当然の事として容認されるものではないにせよ、「憲法」内において一つの国家理念として立ち上げられたものを正当に解釈し遵守する事は国家を与る為政者にとってのそれは義務でなければならない。 現状の日本国憲法が、その成立過程から、国家が本来所有すべき権利若しくは国民に対する義務としての国防行為を放棄し、防衛行為すら一切認められなかったと云う成立過程があれば、国民として即刻異議を唱え、国家が持つ義務と権利の一刻も早い原状回復を、憲法上に成文として求めるのが、意ある為政者に拠って為されねばならなかった政治的行為ではあった筈だ。 戦後60年を向かえ様としている今日、成文として改正されぬまま、実態は軍隊であり防衛能力も備わり、且つ海外にも派遣が認められる等の自衛隊さえ有する現在、成文法としての憲法における表記で、如何に軍隊を否定し様が、交戦権が否定され様が、憲法は憲法として据え置き、現状にあるが侭の体制を認めても良いではないかとの民主党の云い分は実にイカ様に過ぎる。 自民党、公明党が八百長政治を、民主がイカ様政治をでは、法治国家としての現実社会と成文法としての法律に整合性を保ち、且つ条理としての国家理念や思想或いは哲学さえ表明併記する国家憲法を求める国民は、いったい何処に目を遣りどちらを向いて日常社会生活を送れば良いのであろう。迷わぬ者は先ずいない。 現行憲法で十分その理念がカバー出来る、とでも民主党が早合点しているのでもあれば、それなりの弁明は支持者に対してと同時に国民に向かっても党首自らが為すべきであろう。また、民主党内における政治的共倒れを避ける目的で、弟を自民党に逃し、自らは資金拠出に見合うだけの野党権力を利用して遊ばせて貰う等の不埒な考えでもあれば、それは民主党支持者、特に彼らに一票を投じた都会に住む無党派層に対して失礼であると同時に、詐欺にも等しい票の確保であった事を付け加えて置かなければなるまい。 イカ様や銀流し政治は直ぐにバレ、鍍金は即剥がれもする。未だ、八百長政治を公然と行う自民党為政者の方が、グロテスクではあるがイカ様政治よりはましだろう。八百長政治は、予め決められた方向にしか向かないが、それに比べてのイカ様はその都度々々で変わりもする詐欺に等しいものでもあれば、八百長以上に性質の悪い行為でもあるのだ。 この様な体たらくでは、自民党に国家理念の表明や憲法改正に際して、先陣を切られる事になるのを避けては通れない。と云う事は、存在価値のない政党の一つともなり、禄盗人の汚名さえ冠される事にもなる。加藤周一氏や立花隆氏の門を叩き、頭を垂れて、一から教えを乞うてみる事だ。 米海兵隊員のアフガン上陸の報を受けて益々意気盛んな発言を繰り返すブッシュ大統領、その返す言葉で、テロリストを支援するものはテロリストであり、大量破壊兵器を持つ者は何人たりとも許す事はないと、吠えに吠えた。誠に勇ましい正義感に溢れた言葉の様にも聞こえ、米国民にとっては何とも頼もしい為政者発言でもあるのだろう。だが、米国自体が生物兵器を含む大量の人類破壊兵器を馬に喰わせる程持ち、要人暗殺や国家転覆を政府決定として下すテロ行為の許可を、公然と推し進めてもいる不条理を棚に上げ、他国の持つ不透明性を一方的に非難するアジの飛ばしには何等の正当性もなければ、一抹の条理でもある理性さえ彼の言葉から感じ取れる事はない。 一匹の牡セイウチが何十頭のメスを引き従えていようとも、何れそのセイウチは朽ち果てて逝く。生ある者は何れ滅びる様に、自らの為す不条理、或いは自らの持つ不条理性に一切気付かぬ侭の米国も、何れ同じ運命を辿る事は不可避ともなるのだろう。親の因果が子に報いなければ良いのだが、偶像崇拝に溺れる共和党ブッシュ政権とその裏で立ち回る裏政権CIAでもあれば、キリスト教さえ政治の道具にしか過ぎず、有色人種が受けるであろう滅亡への惨劇は、間違いなく彼らにも及ぶ事となる。因果応報は世の倣いであり、十戒を破り、主を無視し、偶像崇拝に思いを馳せる狂人達に、安らぐ居場所は何処にも見つからない。 政治の一方の翼でもある米国の民主党はこれから何処へ向かうのであろうか、自陣に対する炭疽菌の散布に恐れおののき、米国の持てる強大な権力を握った狂人の用いる不条理政治に、身も心も平伏させて仕舞う積りなのか。ジョンもロバートも殺され、エドワードも政治的に片隅に追い遣られ、院内総務に炭疽菌をばら撒かれた事で政治的に怯んで仕舞ったとでも云うのか、或いは、イカ様選挙では既に勝負ありとでも観念して仕舞ったのであろうか。そうではあるまい。 アメリカ合衆国を、国際社会に通用する理念構築の源泉国として生かすも殺すも民主党そのものの力がなければ為し得ない事を彼らは解っている筈で、ゴア前副大統領を一民主党議員は力を結束し知恵を絞って、ブッシュ政権の持つ不条理の排除に向かわなければならない政治的使命がある事を忘れてはならない。不条理の温床ともなっているCIA裏政権から、不条理を撒き散らす権力を奪い取り、まともな民主政治に米国社会を引き戻す義務は民主党にあり、また民主党でもあるあなた方にしか出来ない「業」でもある事を思い起こす時点に至っている。 アメリカ合衆国を、第二の「ハーケンクロイツ」の旗で埋める帝国にしてはならず、中東を、アフリカを、或いはアジアを第二、第三のアウシュヴッツにしてはならない。 知恵も宗教も、建設的な社会理念の後押しとして使う事が望ましく、武器弾薬を含む軍事力の所持とその数量は、自国防衛を主体に国際間で取り決め、核兵器の保持は廃絶に近い形に迄国際条約で押し下げ、国際査察機関に拠る定期査察をともに受け入れるべきである。絶対と迄は云わないが、何事も武力だけで解決可能とする時代は過去のものとしなければならないのは、国際社会における当然の作業であり、それに逆行するブッシュ政権の数々の不条理政策は諌められなければならない。 今回、アフガン問題に纏わる事件で投入した、若しくはこれからも投入されるであろう、間接的或いは直接的な軍事、民事に拘わる諸費用を、テロを醸成する可能性のある国家社会に計画的に投入してもいれば、同時多発テロ等は発生さえしていなかったのかも知れない。それが結果論であるにしても、不発生の可能性は皆無であったとは云えないだろう。謀略に基づく作為的なテロである場合は別だが、日本において、毎日の紙面のトップを、「自衛隊の参戦」を祝う記事で埋める様な、一種の八百長日刊紙の出没さえ防ぐ事は、少なくとも出来たのであろう。 何事も結果とは云うが、結果を想定するのも知恵者の役目でもあれば、あれ程大胆不敵に不条理を為した、テロ軍団とブッシュ政権、その何れか一方の不条理に気付いてさえも諌める事の出来なかった米国内知恵者、即ち民主党の責任は実に重いと云ってもいいのだろう。これからも背負い続ける不条理政治がブッシュ政治に与えられた特命でもあると、米国社会そのものがマインドコントロールでもされていれば、人類全体が悲惨さを託つ事は想定の範囲内に留まり、確実に屍の数は積み上げられても行くのだろう。 −つづく− |
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世の中には、ガンジーやキリストの様に無抵抗主義を貫く人々も少なくはない。右の頬を打たれれば左の頬を出しなさい、身ぐるみ剥がれればそれを甘受しなさい。仏の教えも、聖書の教えも、根底に流れる教えそのものは変わらないのであろう。 目には目を歯には歯をは、原理を一歩推し進め、現実社会の不条理性に合わせての苦肉の教えでもあるのだろう。とは云え、原理そのものは変わっていない筈だ。宗教を学ぶ者、或いは宗教教義を生活行動様式としての精神的基盤に置く人々が、遍く原理を認識しているかとなれば、それは勿論「否」であり、原理はおろか教えさえもしらぬ侭生活をし続ける者は多い。 宗教社会に身を置いても、或いは形だけを宗教の要求する教義に合わせ我が道を行く人々の存在は何処にでもいる。それが毒にも薬にもならなければ別段大きな問題とはならない。だが、表面を取り繕い、宗教教義で教える原理を捏造し、自らの強大な権力に利用改竄する宗教家、所謂為政者の存在は歴史上掃いて捨てる程いるのは事実でもあるし、未だにそれが絶える事もない。 過去のロシアにおける農奴制や日本の非差別者の存在、インドのカースト制度を例に持ち出す迄もなく、二十一世紀に入った今日でさえ、形は変わってもその中身として持つ不条理性は存在してもいる。存在の最大の原因は、貧困であり、貧困がもたらす無教育がそれを維持助長さえしているのであろう。貧困と無教育の社会には、不衛生は勿論だが無秩序が台頭するのは、また世の常としての倣いでもある様だ。当初は、力が無秩序を平定し新たな秩序を生み出し、秩序の中から安定としての理性が生まれ、理性の中から教育や様々な社会を構成する組織が生ずるのではあるが、妙に洗練された国家群は彼らの成長を待っては呉れない。 人が人である限りは、当該生活集団の中から秩序を生み出し、且つ組織を構成する諸条件を発生させる演繹的収斂作用をもたせなければ、民族の自覚や社会としての集団的自覚等も生まれないのだが、その無秩序状態から秩序が形成される過程を、他の集団や若しくは他国の力に任せる或いは自決権を握られると云う事は、実は隷属化の第一歩である事を覚えて置く必要はある。何れ民族が独自の国家社会の建設を自覚し、自立するにしても、それ迄の間は隷属化を強いられるであろう事を忘れてはならない。 現代社会において、貧しき者に施しを為し、持てぬ者にモノを与える行為をさも当然とする、風潮としての社会常識が一方にあるが、須らく常識と云う言葉を其処に当て嵌めてはならない。本来、それは押し付けとしての非常識である場合も往々にしてあれば、隷属化と同様に忌むべき対象とさえなり得るのを忘れてはならないのだろう。 前にも述べたが、人の手で収穫する農耕地に、援助物資と称して大量の農耕機械を提供しても、其処で働き或いは落穂拾いで細々と生計を立てる人々にとっては、機械の提供が何等の助けになるものではなく、逆に彼らの生計を絶つ悪魔の存在にすら往々にしてなる事も忘れてはならない。異文化や異文明からの押し付けが、時として当該民族自決の積極性と知恵の創出力を奪い、当該国の文化や文明を同時に否定する事に繋がる愚挙を犯してもいる事実は如何ともし難いものがある。 欧米文化が創り上げた「富と貧困」の概念は様々な常識を併せて創り上げた様に、それは欧米にとっては常識かも知れないが、或る集団及び国家にとっては迷惑この上ない非常識ともなり兼ねない事が紛れもなく存在するのを忘れてはならない。地域に根差す集団が持つ習俗や文化は最大限に尊重されて然るべきものではあるが、人を殺せると云う超排他的不条理を身に付けた国家群が惹き起こす結果は、一方的な正義としての概念の構築を生みだし、弱小民族を従属させる事で誤った正当性をもたらしさえしたのでもある。 順応性のある民族は、その異文化を糧に新たな独自文化として開花発生させ、従前とは全く異なった国家社会を営む事も侭あるのは事実だが、全てが全て順応性のある民族、或いは人々ばかりではないのだ。 欧米諸国が、独自文化若しくは文明の発展と密接な繋がりを持っていたのがまさしく政治経済ゲームの進行度合いに見て取れれば、それは知恵を絞る事に拠る「エネルギー」の確保に原点としての基礎を置いたのは間違いのない所である。異文化に入り込む事で物資を得、自国或いはそれを必要とする他国へ持ち込み売り払い、代価として別の物資を仕入れる、その繰り返しは、エネルギー源の開発と云う、所謂原動力に辿り着く事となる。 樹木から鯨肉へ、鯨肉から最終的に石化燃料へと続く欧米文化のゲーム焦点の絞込みは、異文化に自らを合わせるのではなく、異文化を押さえ込む事でエネルギーの確保をその地に求めたと云っても過言ではなかろう。石化資源はその最たるもので、他の鉱物資源、水産資源に付いてもまた同様であれば、更なる異文化の押さえ込みは、正義を大義名分に冠した「力」の投入を置いてしか開発は為し得なかったのではある。 資源を有する異国の地に自国文化を根付かせる手法は多々あるが、欧米諸国の執った手法は先ず手始めに軍事力での押さえ込みと、傀儡政権作りであった事は何人たりと云えども否定出来ない事実ではある。国境線のない場所に国境線を引き、流浪を一つの生活文化とする人々に王国を人為的に作り上げ、国王として祭上げられた権力者とその集団には放蕩三昧を覚えさせ、反対給付として自国文化への恭順を強いるなどは、その最たる表れでもあろう。 何故にこの様な事を云うかといえば、米英の執る或いは彼らが過去に執って来た様々な政策、特に軍事力行使に基づく政策の実行が、当該地域に住まう人々の社会風土や文化を破壊し、自決権さえ奪う事はあっても、隷属化の枠を越える体制をもたらした事実は未だないからでもある。日本などの様に、それで良しとする去勢された与野党為政者を作り上げ育て、表面的には自主性がある様に見える国家は一つや二つあったにしても、それ以上の国家体制を、彼らの持てる軍事力でもたらした事実は皆無なのである。 米国における同時テロの犯罪が、当初6千人以上にも上る犠牲者をもたらしたと発表された数が、三千人台に迄被害者の数が縮小する事で、犯罪そのものの凶悪を帯びた本質が変わるものではないが、このいい加減さと、微生物テロに対する徹底した恐怖心の、米国国民或いは国際社会に対する植付けと、その限定されたと云っても過言ではない広がり具合を見させられれば、実に奇妙な、腑に落ちない不自然さを、他方では感じざるを得ないのもまた事実なのである。 更に云えば、テロの事実と炭疽菌事件の現象としての両事件の事実を以って、直ぐに引き出しさえする新たな異国に対する軍事力行使の閃きとその計画は、まさに不条理を生業とする国家でもなければ為せない裏業でもある事さえ証明している。 テロを容認するものでは全くないのだが、発生病理を探りその原因さえ究明せず、対処療法としての軍事力行使の執刀手法のみに頼る米国の不条理性は、此処に至り極まれりと見ても差し支えあるまい。自らの不条理性を棚上げにした侭ヤブ医者振りを発揮する現状の米国政治には、第二次大戦後暫らく与えられもした「正義国家」の名誉等、今や何処にも垣間見る事は不可能なのである。また不条理が作り出す更なる不条理は延々と止め処なく続き、それを覆い隠す為の不正操作は米国市民自身に対しても毒牙が向けられる仕儀ともなる。 米国社会を牛耳る権力者が陥りやすい唯一の過ちは、幻想でもある人種優位性に基づく唯我独尊にあり、それはまた異人種に対する要らぬ恐怖心の台頭と、人種防衛としての不必要な迄の攻撃性にそれは表れてもいる。力で勝ち得た不条理性を強く抱える権力の座としての地位は、不条理の力で権力を守ると云った悪循環をもたらす所となり、繰り返し為す事での精神的病が講じれば何れは異人種を傷付けるばかりか、自らをさえ傷付ける自虐性としての異常癖さえ示すのは病に陥った者に特有の性向としての症状でもあるのだろう。 政治経済がゲームでもあれば相手の存在は同時に不可欠な構成要素の一つでもあるのだが、熟練度を増す事で勝ちを続け、相手に対するゲームとしての種銭を有償で貸し付け最終的には心身諸とも縛り付ける行為、若しその様な結果が自らの持つ有能性や優位性を表す事の裏返しでもあるとの錯覚がなければ、此処迄の疑心暗鬼は引出しもしなかったのではないか。疑心暗鬼の裏側には、ゲームには付き物の不正操作が、些かなりとも存在したからではあるのだろうとの推測は容易に可能だ。 不正操作はその隠蔽工作を必要とし、隠蔽工作は更なる不正操作を要求する。不条理が不条理を生む要因は、実に一つの不条理から始まりもするのである。誤った優性人種学の順位付けは何等の普遍性も持つものではなく、欲望の深さを推し量る尺度にはなり得ても、理性や感情、或いは知恵の高低を指し示す指標にはなり得ないのである。 米国における国家権力の掌握を、人為的操作を経てブッシュ氏にその座をもたらした事は、今まで隠れてもいた米国社会を蝕む不条理を一挙に台頭させ、且つ発病をみたとするのは云い過ぎかも知れない。だが、表向き政権の入れ替わり立ち代わりで崩れもする裏社会に巣食う実質権力の存在が事実あるとすれば、それを守護する為に不条理を為す事は実質的権力者にとっては必要不可欠な行為でもあり、不条理としてのトリガーを引く要素にさえなるのではあろう。 米国共和党政権の存在なしには、自らの築き上げた帝国の維持どころか、縮小はおろか国家反逆罪としての懲罰の対象として捜査され兼ねない危惧も抱えていれば、米国民主党の存在は彼らにとっては忌々しき存在となり得る、との推測も容易に成立するのである。民主党議員の中にも愛国主義者は多数存在し、ブッシュ政権の決定したアフガン攻撃を容認し、またアフガンの次に控えるであろうイラクを含む他国への軍事攻撃さえ容認する議員もまた少なくはないのだろう。 だが、大統領職が民主党政権に取って替わられては元も子もなく、その目的の為には、民主党の有力議員を米国政界から追放するか、さもなければ、J.F.Kが不条理にも受けた抹殺さえ、現実的に予測される可能性は高いとも云えよう。 当該不条理性の高い疑惑が米国社会に蠢く事を、さも当たり前の事として認知さえし兼ねない社会風潮を作り出したそもそもの原因は、大統領直轄の政府機関が、その持てる排他的権力と無尽蔵に捻出可能な資金調達力があればこその為せる業で、且つ表面的には国家防衛を全面に押し出した過度の秘密性に存在する事は今更云う迄もない。 他に類例を見ない迄に肥大化した様々な分野での米国の優位性は、殊国家防衛だけを取ってみても、正当な知恵の僅かな持ち出しで事足りるのだが、また情報収集を多少利用し分析する事で、政治経済ゲームの優位性に揺るぎのない場面も得られ、必須要件でもあるゲーム相手の存在をさえ確保も可能なのだが、平衡感覚を何処かで見失ったのでもあろう、バランスを大きく崩す迄に成長した不条理社会の台頭は、米国国民が、非ワスプ或いは非エスニック、エスニックが、修正に向かわせなければならない義務は間違いなく存在もする。 過去における米国当該政府機関に対する様々な不正疑惑が出ては消え、消えては出たが、国家利益若しくは国家安全の美名を大義名分とした秘密主義の認知が、その表面化を阻止さえしても来たのは説明する必要もなかろう。彼らにとっては常識であっても、一般国民にとっては非常識でもある行為は様々にあるが、往々にして陥り易い彼らに特有の過ちは、正当行為と不法行為の接点を裏と表とで使い分けする習慣がもたらす、不条理に対する感覚の麻痺ではあるのだろう。麻痺は麻痺を呼び、不法の継続は不正を醸成さえする権力構造は、暗黒社会の国家化にも似た政治態様を、惜しげもなく曝け出す事さえ厭わない状況さえ作り出しもするのだ。 ウサマ ビンラーディン氏の捕縛に関し、法の名の下の正義に預ける事さえ忌み嫌い、暗殺を容認発言する米国政府閣僚、間違って、生きて彼を捉えた場合においても、軍事法廷でのみ裁こうとする米国共和党政権、米国に対するテロ犯罪が彼の指示に基づくものであるのか、如何なる理由で、如何なる目的を持って実行されたのかは、軍事法廷では一切明らかにされる事はなく、半永久的にその真相は開示されぬ侭封じ込められるのであろう。同氏と米国政府機関でもある当該「CIA」との繋がりが暴露され、公表される様な結果にでもなれば、国政崩壊の危機すら米国には訪れるのであろう。だが、不条理を育てヒトラーの亡霊を米国社会に見つけるよりは未だ増しであろうか。 ワスプとしての自負を常に持つ米国内アングロサクソン民族、所謂アングロもサクソンも元を辿ればアーリアン(ゲルマン)に辿り着き、アフガニスタンの一部人種も同様にアーリアン(ゲルマン)に辿り着く人種でもあれば、ドイツ帝国ヒトラー総統の執ったジプシー民族に対する粛清としての抹殺同様に、血がもたらす自虐性の表れと看れなくもないが、言葉では表現不可能な、所謂「純粋さ」が惹き起こす狂気性の隆起でもある様だ。 白人至上主義の追及は、詰まるところ「純潔主義」に落ち着くものでもあれば、その維持と実践は血の濃さを増長させる結果に繋がり、狂気と不具合をしかもたらさない事を知るべきであろう。科学の進歩に拠り、クローン技術を応用し同一人間を再生出来ても、また、自らの精神感情の移入すら脳の移植で可能となっても、使い古しの脳は何れ安楽を願わずにはいない。 ロシアを含む欧州から中東へ、或いは米国から他の地域へと拡散した白人アーリアン血脈の生き残る道は、狂気を作り出す純血主義の放棄と、血の交流にしかそれが求められないとすれば、米国の国家利益或いは米国の国家防衛の美名の下に暗躍する政府機関としての組織、「CIA」の為す様々な不条理としての謀略の継続は、白人血脈の途絶えさえもたらしかねない逆効果現象を助長しているに等しい態様でもあるのだろう。 日本人の血の濃さも何れは狂気を惹起させもするのだが、その兆候は既に現れて来てもいると見て良い。経済に対する将来の不安のみが、独身を増やしている原因とはなっていない筈だ。勿論、当該理由が中心を占める事は大きな要因ともなっていようが、唯それだけではあるまい。血の濃さが惹き起こすであろう狂気の台頭を忌み嫌う身体的感覚が存在してもいるからであろう。仮説にしか過ぎないが、文化や文明が築き上げた裏側では、隠れた人間性の否定と、表社会に罷り通るヒエラルキー社会の形成が、権力を牛耳る者にとっては、優性を誇れる純粋化の推し進めを容易に許す培養液の役割さえ果たしているのではあろうか。 八百長為政者の持つ狂気性は鳩山民主党党首にも飛び火し、憲法改正を経ぬ侭、自衛隊員を海外に覇権可能とした同調声明の読み上げなどはまさしくその好例ではある。一方で不条理を否定し、他方でそれを認める支離滅裂振りは、鳩山兄弟の離反芝居以上に芸が細かく、民主党支持者を愚弄する事にも繋がっている。法律を侮ってならないのは基より、自らの抱え込んだ狂気性に気付くべきであろう。気付けなければ党首の座を降りるしかない。 −つづく− |
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女はブルカを脱ぎ捨て、アイシャドウさえ描く化粧を施し笑顔を振り撒く、男は床屋で伸び放題のひげをバッサリ削ぎ落とし、ともに街の解放に歓喜の雄叫びをあげる。これは云わずと知れた最近のカブール市内での一場面をTV映像で報じてもいる様子。 喜んでいる映像は事実だろうし、またその様な人々が沢山いる事を望みたい。だが、この一場面を以って、全てのアフガンを表わしているものと推量するのは己の勝手だが、庶民を正しく導く筈の大のマスメディアの執筆者が、その映像に対して諸手を上げて喜び、且つその喜びをもたらしたのが米英軍に拠る爆撃に拠って為された成果であり、米英軍の攻撃にこそ感謝しなければならないとする「論」の持って行き方、この様な三文芝居の論法が通用する訳がないだろう。 その、自然な笑みか歓喜か、或いは作られた笑みか歓喜かは解らぬが、その陰では様々のアフガンに住む罪のない沢山の人々が爆弾の攻撃に遭い、あの世へと葬り去られている事を忘れている様では、大マスメディアの品性を落とし兼ねず、沽券に拘わると云うものだ。 形振り構わぬ軍国絶賛主義を自社の読者に広めたいのでもあれば、そんな一場面を取り上げて「軍事はまさに正義なり」を振り翳しバカさ加減をひけらかすよりは、現場に行って反タリバンの身動きの取れない人々とともに、一日一日を過ごし米英軍の爆弾攻撃を身を以って体験し続けた上で、憲法改正の為の理念創りにでも打ち込み、執筆すれば宜しい。 朝、昼、晩ときっちり食事が出来、暖かい布団で6時間は眠れる。執筆活動明けには、たまにでも「酒席」に着く事さえあるのだろう。外界の悲惨さを、自社を含めたメディアがもたらす情報の上っ面から理解して、一を十とするかの如き物事の決め付けは、当該HPと同じ様に狭い分野の中で遊べば良いだけであって、対価としての金を取って迄公衆に見せる様な代物ではない。執筆者は、TV映像に流されたアフガン美人の化粧した笑顔を以って、殺戮された被害者は気の毒だが、との云い方でお茶を濁している様だが、頭の中身を徹底的に掃除する必要はありそうだ。 タリバン政権であろうとブッシュ政権であろうと本質は同質の偽善者同士である事ぐらいは、天邪鬼でなくとも頭の隅にでも入れて置くのが、言論界を引っ張る者の器量としては欲しい。「北部同盟」の力であの美人達の笑顔が引き出せたのではなく、米英軍の攻撃があったればこそのものだ、との云い方は実に品のない話の持って行き方である。それと大同小異の単純さが日本を敗戦に導き、未だに欧米は基より中国からさえ馬鹿にされ、米国不条理政権の隷属下に甘んじている結果にも繋がっている事を自覚すべきであろう。 美人の顔を見て、その国の全体が理解出来るとでも思ってもいるのであれば、ロシアやエストニア、或いはラトビアやリトアニアにでも一度行ってみては如何かな。そこら中にゴロゴロと、失礼、沢山見受けられよう。大手町界隈で美人は見られなくとも、虎ノ門界隈や溜池界隈では美人は腐る程、失礼、いらっしゃる。 戦争そのものが不条理の最たるものである事の本質を忘れてはらない。笑顔が、また歓喜が、人間にとっての最終的な場面ではない事の本質を棚上げにし、全ての善を米英の力の正義一点に集約させ、日本人としての魂までをも捧げる論の進め方が正しいとすれば、沖縄県民に心身両面全てに、60年にも及ぶ期間、与え続けている米軍の占領圧力と実態としての不条理を、本土のTVに映る「吉永小百合」の美人の笑顔を見て、これこそ米軍の占領の賜物であるとするに等しい云い方ではあろう。裏に残る悲惨さが、それで一掃されるかの論の引出しは、有識者発言としては蓋し疑問は多い。 *一つの芝居* 1.イデオロギーも条理もないアフガン国内に住む猛者達に撒かれた「ビラ」は、様々な徒党集団を形成し、命を賭して懸賞金目掛けて突き進む。或るグループはビンラーディン氏率いる軍に殲滅され、或るグループは地雷網に乗り掛かり手足を吹き飛ばされ、目的半ばにして捕獲を断念撤退する、或るグループは米英軍の爆撃下に脆くもその生命を絶たれる、悉くは猛者達の失敗に終わる。 2.ビンラーディン氏とて不死身ではない。CIAとの間に交わされた約束事が反故にされた事を今更悔やんでも始まらない。スナイパーに殺られずとも、自らの健康状態の維持には問題は大きい。さすれば、30億円を、面の割れていない後継者に託す事で、CIA若しくは米国政府に対する復讐の原資として、自らの身を不条理な「自殺」と云う形で提供する可能性はある。 3.ビンラーディン氏の屍と生首は、CIAの手元に運ばれ米国政府の最終確認を受ける。「生首付き屍」持参者に対する徹底調査と身元の調査が為され、首尾よく質問や身元照会をパスした「持参者達」。現金の受け渡し場所を手渡しとするか銀行口座の開設で為すかは、その場で決まるのだろうが、持参者達に対するCIAの監視の目は、強くこそなれ弱まる事はない。 4.持参者達、彼らに待ち受ける運命は、ショック死か事故死の何れかの道しか残されてはいない。 米国政府直轄機関、CIAとの庇護の下に育ったウサマ ビンラーディン氏と組織アルカーイダ。CIAの画策がウサマ ビンラーディン氏を屍に変え、契約を反故にしたCIAに対する復讐を後継者に託した同氏ではあったが、彼らに待ち受けていたものは眼前に聳える厚い壁と不条理な事故死の運命だけあった。懸賞金は全額米国政府直轄のCIAの金庫に戻され、次の不条理の準備及び処理の為に用いられるものと化す。時間の経過とともに国際社会の中には、当該事件に対する風化作用がもたらされ、何れは忘れられても仕舞う時は来るのだろう、まるで何事もなかったかの様に。 *芝居終了* 米国政府の表舞台に立ちアクターとして行動する、ブッシュ大統領を一とする閣僚諸氏、不条理劇を演ずる中でも、一際正直者としての身近に感じる人物を敢えて云えば、唯一、コーリン パウエル氏だけではあろうか。肌の色がアフリカンの血を引いているからとの理由だけではない、そうでもあれば大統領補佐官でもあるライス女史をも含めなければならないのだが、ライス女史は既に凍り付いてもいる。芝居にはなっていない。 不条理劇にあって自らを失わず、不条理の拡大を彼の持てる能力と知力で阻止、対峙させる様は政治活動から見れば十分に理解可能ではある。ライス女史が米国政府の不条理を覆す事は出来なくとも、コーリン パウエル氏には、不条理が米国政府に存在する事実を忘れさせては呉れないだけの、理念や信条を持ってもいるのだろう。 米国政権の閣僚の多くが、或いは政府機関の幹部の多くが、大統領に拠って任命もされ、また罷免もされる現国家体制においては、時には、意図された目的に合致する人物の選択が、強力な副作用を国家政策に現す場面だってなきにしもあらずだ。それが、政府機関の全てにも及べば、前政府に拠る国家政策と如何に180度相容れなくとも、米国市民は長期間彼らの指示に従う事となる。同じ様に「日本政府」と「日本国民」も彼らの指示に従うだけだ。 形の上では国内活動を禁じられてもいるCIAではあるが、日本の外務省のように独り歩き始めた越権行為と不条理活動を一切返上し、国家防衛の為のみの情報収集分析活動に専念する事を期待はしたいが、、、それが無理でもあれば、暗殺、国家転覆の不条理免許だけは返上するのが人の道でもある。 −つづく− |
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「力」の維持拡大は難しく、それは絶無に近いと云っても良いのだろう。生命体と同じ様に、強力な権力とは云えど何れ滅びる時はやって来る。 マクベスに追われたスコットランド民族が味わった悔しい思い、有史以来絶え間なく続く萌芽と壊滅の繰り返し、ローマ帝国も途絶え、オスマントルコ帝国も途絶え、徳川幕府も途絶えた歴史、所謂権力の維持拡大は無限ではなく、何れその終焉を向かえる時は必ずやって来る。 権力が有限であるとするならば、それ迄の期間、維持及び拡大に必要なものは一つには法律であり、一つには法律の対立軸として存在する、秩序に準じて利用可能な暴力としての武力の保持とその行使ではあるのだろう。この軟硬併せ持つ両輪が権力維持拡大に必要な基本権力要素とすれば、その裏に蠢くであろう脱法、不法、違法の不条理性は、権力を繋ぎとめる為の接着剤の役割を持つ補助剤とでもなるのか。 表裏一体としての権力構造を持つ権力者にとって、新たに芽生えるものがあるとすれば、何時終焉を向かえるかも知れない権力喪失に対する不安感とそれに付随した更なる猜疑心でもある。権力者が往々にして犯す過ちが、不安感と猜疑心の増大に基づくものである事は云うに及ばないが、その不条理に気付かず更なる不条理に傾倒して行く人間の弱さとしての性が其処には在る。権力維持の為に不条理を選択するのが歴史的必然であるとするならば、またその不条理は不条理に拠ってでしか解決を見ない事ともなる。 炭疽菌の人為的散布は権力奪取の一つでもあるとの見方は一面正しく、同時に、権力の維持拡大にも利用される場合のある事も覚えて置く必要がある。常識としての裏をかくとはそう云う事をも意味するのだ。「炭疽菌」以外にも、殺傷力の高い病原菌は微生物毒物兵器として、各国で研究され既に保存若しくは兵器に組み入れられていると見て良いのだろう。ペスト菌、サルモネラ菌、天然痘、ブルセラ菌、結核菌、ベネズエラ馬脳脊髄炎ウィルス、エイズウィルス、エボラ出血熱ウィルス、ツラレミア等、これは単体としての毒物ではあるが、科学の進歩は遺伝子組み替えをも容易にし、思わぬ所で複合的毒物の製造さえ可能としているのが現代社会ではある。 米国が、ロシアが、過去には日本でも秘密裏に研究開発されてもいた当該細菌兵器は、欧州、アジア、アフリカ、オセアニアの各国でも同時に進められ、研究開発が既に整ってもいると見て差し支えない。解毒或いは消毒効果としての薬物処理開発研究も同時に為されているのであろうが、複合毒物に関しては定かではない。 当該不安感と猜疑心がもたらす人間の性は、それを止める手立てを知らないとは実に恐ろしい限りではあるだろう。唯一の停止手段があるとすれば、人間に特有の知恵に潜む理性にあるのだろうが、欲望に限度を知らぬ人間の存在が続く限りは、知恵としての理性は常にその後塵を拝するだけではあろう。 ブッシュ大統領が、或いは米国民の総意として表わされるマスコミの紙面が、アフガンからイラク国へと移って行く、或いは意図的に移して行く様は、歴史が教えてもいる権力者が普遍的に持つ、権力維持拡大の紛れのない態様そのものを表わしてもいるのだろう。イラクの後はイラン、シリア、リビア、ヨルダンの所謂イスラム地域を支配下に治め、サウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、エジプト、トルコ、ブルネイと併せれば、イスラム圏全域に亘る支配構造は完成する。所謂、中東産油国、一部アジア産油国の米国支配構造が確立される構図にはあるのだろう。 同時に、中南米、南米、アジア、アフリカへと覇権の確立が完成すれば、歴史の倣いから云って、後は米国の崩壊を待つばかりではあるのかも知れない。いや、その時点においては、地球の終焉が米国の崩壊とともに訪れる日が来ると云う事を意味しているのかも知れない。 有史以来続く不条理は米国に拠って完成され、米国の崩壊に拠ってしか終焉を見ないとは、人間が実に愚かである事を、実践を通して具現化してもいる様だ。欲深さは猜疑心と比例し、猜疑心は不条理の増加と正比例、不条理の増加はまた人類の危機と正比例するのであろう。愚かさのブラックホールに陥った米国共和党政権は、這い上がる気力さえ萎えて仕舞った様だ。 ブッシュ氏は、共和党保守派は、CIA帝国は、いったい何に怯え、何に猜疑心を持っているのであろう。有り余る程に持てるもの全てを保有し、比類なき「力」を所持する米国が、何故に斯くも重き不条理を、敢えて背負いに行く必要があるのか。肩の力を抜き、理性が多少でも彼らにあれば、これ程苦しみうめき且つ足掻き続ける事もない。原爆投下を強硬したあのトルーマンが死ぬ間際迄苦しみ続け、アインシュタインがオッペンハイマーが、核兵器としての使用をその後に悔やんだ事を、後悔先に立たずの例えを、彼らは忘れた訳ではあるまい。 イラク国フセイン政権を転覆し抹殺したとしても、リビア国カダフィ大佐を処刑したとしても、中国江沢民主席を政治的に葬ったにしても、権力者自らが偶像崇拝を継続している限りにおいては心身ともに休まる事は先ずあるまい。ブッシュ氏が、ラムズフェルド氏が如何に大義名分を掲げ天空に向かって吠え叫んでも、自らの為す不条理を一切認識出来ず、「主」の教えに違背する偶像崇拝が、幸福を惹き出す安全を米国にもたらす事はなく、「主」でもある神に対する冒涜の継続はそれだけで十分に過ぎる背信行為でもあれば、神のご加護等受けられるものではない。聖書に手を置き、主に誓ったとされる大統領としての意思の確認表明は、虚偽の誓約であったと懺悔しなければまっとうな人生は、組織ともども歩む事は困難となる。 自らが育てた不条理で被害を被る図式は、まさに主の逆鱗に触れたその表れと見れなくもない。ウサマ ビンラーディン!、アルカーイダ!、タリバン!と叫び、今度はサダム フセイン!、カダフィ!、金正日!と叫ぶ姿の想像は、彼の有名なマッカーシーの「赤狩り」を彷彿とさせ、同時に、アナクロニズムの邪教的魔女狩り活動を思い起こさせる。スケープゴートが、「共産主義者」から「ローグ(ならず者)」へと表向きに替わっただけで中身が変わらないとすれば、米国が抱え込んだ様々な不条理は、これからも雪達磨式に膨れ上がっても行くのであろう。 独占及び寡占の産み出す弊害は国際社会においては、一つの経済常識用語として広く知れ渡ってもいるが、現在の米国の政治経済ゲームにおける態様が、独占若しくは寡占の状況に至っているのは紛れのない事実でもあれば、国際社会上げて、米国そのものの持つ政治経済の分断化を推し進めるのも一つの案ではなかろうか。 ロシアとは異なり、有り余る肥沃且つ広大な土地に二億人弱の人間しか住まない大陸でもあれば、イスラエル若しくはパレスチナにテキサス州、或いはコロラド州の半分程度の土地を提供し、残りの48州は欧州圏、中東アジア圏、アフリカ圏に三分割し、何れ時間を置いて、既存のアメリカ合衆国そのものを、フリーゾーン フォー ヒューマンビィーングとして、人類生き残りの為の試行場所としては如何であろう。 如何に、白人至上主義思想が米国ワスプ、ユダヤ社会を覆い尽くし、米国として貫徹可能と見做す狂気的多数の人々が偶像崇拝を頼みに実践を押し通し進めても、50億人にも上る有色人種を、この地上から抹殺する等は叶わぬ異常性を帯びた願い事でしかない。一方に偏した思想には、その対立軸に位置する偏向した異なる思想の存在もある事を、ブッシュ氏を一とする偶像崇拝者達は忘れてはならない。 同盟国英国のブレイアー首相と云えど、其処までの狂気性は持ち合わせてはいなかったのだろうし、その様に理解したい。確かに彼は、政治、軍事ともに米国と行動をともにしているが、「第二次大戦時において米国に助けられた、その借りが英国にはある」との、但し書き条件が付いていた事を思い起こすが良い。ブッシュ氏の国際観を全てに亘り理解し、その上での合意における共同軍事行動ではなかった筈だ。また、同時多発テロに対する認識としてのタリバン政権攻撃でもなかった筈だ。 テロを憎み、犯罪者の捕縛と裁判を経ての適切な刑罰の付与は認識していても、如何に不条理の先駆者英国とは云え、無差別爆撃で、有色人種としてのアフガン人を虫けら同然に殺戮する大義名分等、何処にも見出せなかったと考えたい。両者の質の違いは其処にも見て取れよう。 第二次大戦後に、日本を足下に平伏させた事に味をしめ、アジア各国、中東、資源を有するアフリカ諸国へとその裾野を広げた覇権としての野望は、ベトナム戦争の敗戦を以って終息させて置かなければならなかった米国ではあったのだろう。また、ベトナム戦争の敗戦を契機に米国社会は、新たな国際社会に普遍性を持った理念を構築し、提供すべきでもあったのだろう。 限られた人種にのみ通用するグローバルスタンダードの押し付けではなく、中国にも、イラクにも、シェラレオーネにも、パレスチナにも、イタリアにも、ロシアにも、イスラエルにも、英国にも、勿論当の米国複合社会にも通じる、普遍的「理念」の創造を立ち上げる勇気と賢明さが欲しかった所ではある。 自らの仕掛けた不条理な戦争で、二万人の犠牲者を米国は出し、数十万規模のベトナム人に犠牲を強いた「ベトナム戦争」。だが、戦後のベトナム政権が執った道は覇権ではなく、防衛と自力更生であり、其処には米国に対するヒステリックな戦後補償要求も、声高に叫ばれる事は終ぞベトナム政府から聞こえては来なかった。 黄色人種も虫けらであれば、茶色も黒色も赤色も、須らく虫けらと見做しもし、政治経済ゲームに熱中し続ける米国不条理社会でもあれば聞く耳さえ持たないのだろうが、日本国政府の従順さに溜飲を下げるよりは寧ろ、ベトナムの、過去の不条理を追及しない寛大さの源が何処にあるのか位の分析は為して然るべきであろう。ワスプ、非ワスプ、非エスニックが優性学的に見て、有色人種をも凌ぐとの見方が偏向にしか過ぎず、或る面では劣りさえしている事に、それで気付く筈だ。 気付かぬ或いは気付けぬが故の横暴が、大義名分を持ち正義の刃を振り翳せる等の愚行が罷り通り、世界にもそれが通用すると自己満足する社会米国は、歴史上類のない不条理国家になる可能性さえ持つのであろうし、既に準備はし尽くしてもいる。だが、米国は、いや米国社会は、普遍的な人類の手本ともなる国家として構築されなければならなかったし、その可能性は多分に在ったと見て良いのだろう。 とは云え、一部の優れた?人種に拠る国家権力の掌握は、長けたゲームの展開で蓄積した富を、国家防衛と云う美名の下に欲望を露わにし、ルール変更はおろか、「主」の存在さえ放棄する事に何等の懸念さえ感じる事なく、持てる富を、更なる覇権に回し利用すると云った悪循環をさえ平然と見逃す麻痺感覚だけは、残念乍ら育って行ったのではあろう。 可能性の在る米国に、魅力を感じた過去の幻影は今消滅し掛かろうとしている。新大陸に渡った、不遇を囲った先祖のしがらみを忘れ、不遇を与える側に位置しようとは、祖国を追われ新生大陸に渡った先祖達も考えてはいなかったのであろう。 −つづく− |
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不条理性を多く抱える国家米国を救える同盟国があるとするならば、欧州、それも英国若しくはドイツ、フランス、ロシア、の当該四ヶ国しか、現実問題として存在はしないのだろう。現状の隷属国家日本に理性的に立ち回れるだけの器量を持った為政者はいない。 米国社会そのものを実質的に支配する位置に迄達しつつあったユダヤ系の突出振りは、ワスプ系守旧派に一層の危機感をもたらし、特に裏権力の主体者でもある「CIA帝国」迄もモサドの支配下に置かれ兼ねない状況下と、庇を貸して母屋をとられる体制を見せ付けられれば、如何な情報組織活動の先駆者英国ワスプとは云えど、権力基盤の再構築と整備を米国において早急に謀らねばならなかった必然性はあったのだろう。米国を国家と見做す事で見失いもする政治経済ゲーム遂行組織の実態は、人種に焦点を当てる事でその謎解きが可能ともなるのを忘れてはならないのだろう。 民主党ダシュル上院議員に対する純度の高い炭疽菌の送り付け、同日日付の受付印で他の民主党議員にも発送されてもいた事が判明したとの事実を重ね併せて考えれば、米国国内に蠢く人種的政治的陰謀の存在を一切排除出来ない事をも改めて証明したに等しいものと云えよう。 暗殺されたJ.F.ケネディー時代からの、或いはその後に続くR.ケネディー氏の暗殺を以って、「CIA帝国」とは決定的な亀裂を生む事になったと見るのが自然だが、二兄弟の暗殺は末弟の上院議員エドワード氏の暗殺計画を、愛人との偽装事故死を以って完成させる手筈ではあったが失敗、辛うじて大統領出馬の断念を勝ち取っただけに終わる。 これは飽く迄も推測の域を出るものではないが、ケネディー三兄弟との確執に止まるものではなく、民主党に対するCIAの決定的な挑戦がそれを契機に始まったと見れなくもないのである。故ケネディー大統領は生前にワシントン大学での講演で、「われわれは自由な国家として、敵対国とテロルや暗殺、二枚舌、演出された暴徒、見せかけの危機といった戦術で戦うべきではない」(CIA/新庄哲夫訳)と述べたとされている。 当時から様々な陰謀は米国社会に蠢いてもいたが、非ワスプでもあるケネディーの登場と彼の王道を歩む政治信条は、守旧派でもあるワスプ系人種及びその守護者ともなり始めたCIAを牛耳る権力者群にとっては、極めて厄介な彼の存在ではあったのだろう。ケネディー暗殺後、ジョンソン大統領から共和党のニクソン大統領へと引き継がれる米国国政ではあったが、ニクソン時代にCIAの確固とした裏基盤が編成されたと見るのが筋で、裏権力の執行者はまさに「CIA帝国」の完成を見たのである。 故ニクソン主導でのウォーターゲート事件はその最たる政治的陰謀でもあれば、米国では夙に知られてもいる事実だが、民主党に対するCIA機関の盗聴工作は決定的な同党との修復不可能な迄の亀裂さえ生じさせたと云っても過言ではあるまい。 フォード氏の一時代を置いて、カーター、クリントンへと続く民主党政権の連続性に危機感を抱いた守旧派と、予算の削減は基より肥大化した裏権力の削減すら懸念したCIA帝国が、今年為された共和党ブッシュ氏の大統領選挙当選を画策したとしても別に驚くには値しない。パンチ式読み取り機械の意図的且つ姑息な導入手法にしても、連邦最高裁長官に拠る手動での再計算の停止命令宣言工作にしても、ワスプ、非ワスプ間のヘゲモニー争いでもあれば推して知るべしで、ユダヤ系との間に二人三脚政策を執る民主党政治に恐怖感さえ抱いたとしても不思議ではないのである。 確かに、ニクソン時代にはキッシンジャーと云う、現在も国際政治を動かし続けるユダヤ系米国人も閣僚には入っていたが、彼自体は非ユダヤと云うよりも反ユダヤを前面に押し出した稀有な為政者でもある事を忘れてはならない。日本の自民党や民主党は大方、当該米国為政者の影響下にある事も事実ではあるのだろう。少なくとも田中真紀子外務大臣は別だが。 同時多発テロと炭疽菌散布犯罪との因果関係は未だ証明されていないのだが、双方に関連性があるとすればそれは、米国の裏権力を構成する当該組織としてのCIA帝国を通してしか、全貌を解明する為の、或いはまた推理や理解の基ともなる断定資料が出て来ないのは確かな様だ。 今回のアフガンに対する報復攻撃を契機に、米国政権はアフガニスタン国の政権基盤作りを、英国及びロシアとの間に任せるかの如くに映るが、蓋しその選択は当然ではあるのだろう。如何に不条理を託つ米国社会であるからとは云え、ワスプの敵は漢人、所謂中国大陸でもある事を認識しているからに他ならないのだ。 市場規模にも魅力を感じるのではあろうが、米国ブッシュ氏の云うならず者(ローグ)国家群に中国の名前が一切入っていないとは信じ難いのだが、最大の脅威を感じ、或いは実質的な脅威ともなる相手国の筆頭に在る事だけは否定出来まい。イラクやイラン、リビアやシリア、或いは北朝鮮を名指しで非難は出来ても、「中国」だけは、名指しでの批判は避けているのが実態ではあるのだろう。 あの米国民主党政権でさえ、中国政府の持つ不条理性を何かに付けて批判はして来たものだが、保守共和党とそれを裏で支える「CIA帝国」が握る現米国政権は、それ以上の恐怖感をさえ持っていると見て然るべきである。日本の頭越しに米中外交にパイプを通したのは共和党であるとの自負心もまた働いているのかも知れないが、敢えて表面化を避けているかの如くに、それは映るのでもある。 まさしくその意味する裏には、「核兵器」の存在と所有がそれを教えて呉れてもいる。イラク、イラン、リビアやシリアにも既に核兵器の二つや三つ、或いは殺傷力の高い微生物菌があると見るのは自然な理解ではあろうが、中国の所有する核兵器と大陸間弾道にも利用可能なミサイルシステムの開発力、また、着実にその増産体制に入ってもいる事実との比較においての脅威は、中国の比ではない。 米国ブッシュ政権やCIAが中国の核戦略の進展に、口を閉ざせば閉ざす程、或いは無視すればする程、彼らに与えてもいる恐怖感がのっぴきならなく大きい事を、反対効果として教えても呉れる。それは日本にとっても極めて忌々しき問題ではある。 米国の核の傘下に入っている事で安心との、極めて貧相にも等しい幻想観念と、自主独立を断念さえした八百長為政者群が、或いは米国裏政権の軍門に既に下ってもいる権力者群が執行する似非独立日本国家でもあれば、恐怖心どころか危惧さえ抱かず、精々が、日本国産業の空洞化を推し進める政策を実行し、資本移動を奨励する奴隷としての間接的国家戦略を、米国の指示通りに実行しているだけなのであろう。哀しいかな、これが日本の現実的政治の姿でもあるのだ。 ポストタリバン政権の運営を英、露の両国に任せ、運営資金は日本に調達させる等は米国の規定路線であり、米国自らは「大恐怖心」に向かって新たな戦略策定に直ぐにでも取り掛かる必要があり、その意味する所は、ワスプの生存どころか非ワスプ、非エスニックの存在さえ危うくなるのを、彼らは既に分析し、判断を下しているからでもあろう。 彼らにとっての世界戦略上不都合となるのは、リベラルと云う化け物政治の台頭を強く推し進め、それを支援する「民主党」にその根源としての排除を求めるものでもあれば、またその民主党の米国政権奪還に拠り、「CIA帝国」との確執が再度表面化し、予算の合法的削減のみならず、共和党純粋保守層との共同謀議で推し進めても来た不法行為の数々の追及さえ、議会の俎上に載せられ兼ねない不安乃至は切迫感を持たせられれば、共和党ブッシュ政権の戦術として、様々な形での不条理政策を執るのは必然的謀略の結果ともなる。 先ず手始めに、イスラエル、パレスチナ問題から米国は仲介役としての立場を放棄し、イスラエルユダヤ人の恣意に任せ、カオス状況の再現と再生の確認をした上で、CIAが或いはそのエージェントが手塩に掛けて育てても来たアラブ人過激派分子を動かし、米国に蔓延したリベラルの芽を摘み取る。その手段としての結果が、あの「同時多発テロ」と炭疽菌の散布事件でもあったのではないかとする見方が、米国民主党内に疑問として持ち上がったとしても不思議ではないのである。 中国が持つ核兵器の存在と際限のない拡大化が、米国保守としての共和党及びその裏で支えるCIA帝国にもたらしてもいる恐怖の反対効果は極めて強く、新たな不条理さえ提案し実現する事になったとしても驚くには値しないのであろう。ブッシュ政権とそれを支える組織にとっては、実はこれからが本番であるのかも知れないのだ。恐怖心に育てられたモンスターは自らの影にさえ怯え、更なる不条理を構成させて行くのではあろう。 不条理社会米国が懸念せずとも、軍事的覇権色を益々強める中国の存在は、既に侮れない存在である事だけは確かだろう。日本社会に秩序破壊の犯罪者としてのプロ集団を、万人単位で相当数を送り込み、北から南迄、彼らの犯罪としての毒牙に掛からなかった地域を見つけるのは最早困難な現状の日本社会にはあるし、これからも益々その度合いを強めても行く筈だ。 利己的功利主義者に操られた日本の為政者は、見て見ぬ振りを決め込み、嫌々ながらも時折り捜査官を動員し、彼らが堂々と経営する風俗関連施設に踏み込ませ、裸にされた日本人の愚か者と併せて臨時的にする中国人の逮捕措置劇は、単なるトカゲの尻尾切りでしかない。米国の核の傘下で独りほくそ笑み、よだれを垂れ流しながら札束を数える人間がいるとすれば、それは政官財学を根城に、国家権力を動かしながら国家を全く考えぬ八百長リーダー群ではあるのだろう。 その様なリーダー達が治める日本でもあれば、中国の核に対する米国共和党保守層の異常とも云える恐怖心の存在を理解したり、自らの国家に当て嵌めての危険性の増大を認識したりの、正常とも云える心的活動さえ停止させても仕舞うのは必然的成り行きではあろうか。精神的操作さえ受け続け、去勢された日本国民に残された自活の道は唯一つ、覚醒にしかないのだが、それさえ風前の灯火でもあれば、遺された僅かな灯火を消さないのが意ある者としての務めでもあろう。 米国がポストタリバン政権の運営を睨んで、ロシアにその役割を担って貰う事の意味は上述もしたが、ロシアの守旧派が過去の幻影でもある「米帝国」の陰に隠れて、中国の本質を見失ってもいる現状からの脱皮を、米国が大いに危惧したからでもあろう。 勿論、欧州に政治的軸足を置いてもいるプーチン大統領ではあるが、名実ともに民主的大国としての道程を、新生ロシア国家として極めたものではなく、未だに利己的守旧派も根強く残る議会を持つロシア国家でもあれば、昔の貧しい友としての共産主義同胞を現在の中国に当て嵌めたとしても別に驚くには値しない。ロシアにとっては、国際社会との関係及び立脚してもいる自国の位置の認識が、漸く始まったばかりでもあれば、米国の画策としてのアフガン譲渡は、未だ遅くはないのだろう。 中国そのものの狙いがロシアとの友好関係の再構築にあるのではなく、政治経済ゲームへの没頭が惹起させもする石油資源のルート拡大と強化拡大策にあるのは知られた事実ではある。ロシアは単なる固定的ルートとしての供給パイプの一つと見做され、中東産油国へのルート開拓が最終的な彼らの目論見でもあれば、ロシアと合流するのは中国にとっての確かな一つの戦略として見て置かなければならない。 極東ロシアには、日本へのと同様の工作員を多数送り込み、暗黒社会から支配者としてのスタートを切る態様はまさに中国的でもあり、米国を模倣したレジメそのものではある。血の交配を潜り抜ける強かさを兼ね備えた漢人でもあれば、白系ロシア人を極東の地から追い払い、遅くとも数世紀後には、間違いなくシベリア以東は漢人に拠る支配地域として地球儀上に線引きされ、その日は遠からずやって来るのであろう。プーチン大統領が見逃せばの仮定形付きではあるのだが。ロシアの中国に対する現状の見方は実に甘いものがある事を、ここでは指摘して置くに止めたい。 錯綜した国際情勢を適確に分析し、見極め、国際社会に通用する普遍的理念を構築するだけの能力を有する日本人ではあるのだが、「米国=正義」と云う或る種のマインドコントロールの呪縛から解き放たれる日は何時、権力を志向する日本人に訪れるのであろうか。現状の侭では望むべくもないのは事実だが、将来の権力者の卵達に期待するよりは先ず、為政者同士が国会議事堂内における自らの八百長政治、或いは慣れ合いとしての政治手法を自己批判し、其処からの決別を図るのが先決問題ではあろう。 財政構造改革を掲げ、国営企業の民営化を標榜したとて、八百長為政者の蔓延る現状の政財界においては、常識の名の下に潰されるのが落ち、利権を持たない為政者を見つけるのが難しいのと同様に、国家理念としての思想を持つ為政者を探すのもまた困難を極める。 野党でもある自由党がその非に気付いたかどうかは定かではないが、政治的思惑ではあるにせよ、社民党若しくは共産党との間に、従来のしがらみを乗り越えて話し合いの場を持つ仕儀は、閉塞感を打開する意味においては評価の対象ともなるのだろう。また、自民党や民主党議員の中にも、米国の鼻薬を効かされてもいない為政者は多少なりとも残ってもいれば、憂国の志士として結集し、国家理念の構築に与するのも彼らに与えられた為政者としての義務でもあり役割でもあるのだろう。 −つづく− |
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人間の本質に潜むおぞましい一面のみを引き出せば、米国同時多発テロに対する報復攻撃としての大義名分を以って、アフガン社会を無教育且つ野卑で非文明的色彩を強く持つ貧しい有色人種の集団とさえ見做し、彼らの集う村落に大量の殺戮用弾薬を投下。結果として例え百人、千人の単位でリンチとしての処刑執行を為したにせよ、或いは隠れてもいた有象無象の同種の連中を誘き寄せ、「カオス状況」を当地にもたらす事で同士討ちの場の設定が出来たにせよ、それは米英の行為であるが故に許されるものであるとの自己満足は、白人国家群、特にワスプ、非ワスプが権力を握る国家にとっては実に優越感に浸る事の出来る快感としての時間帯ではあるのだろうが、単純に容認されるものではない。 大義名分は揃ってもいる、国際社会の同意も得ている、同盟国からの軍事的若しくは資金的後押しさえ受けてもいる、これら全ての条件を満たしてもいる「リンチ(私刑)」の執行、これ程までに究極的快感を伴う破壊行為は他にはあるまい。「竹槍と近代兵器」にも見られる双方感情の表れとしての戦いでもあれば、結果は推して知るべしで、竹槍を如何に銃器に持ち替えたとしても、勝負は既に戦前から付いてもいるのだろう。 名もなく貧しい茶褐色の肌色を持つ人々の息の根を瞬時に止め、足をもぎ取り、腕を落とし、目をくり抜く、脳味噌を散乱させ、土や石に真紅の血を吸わせる、泣き叫び、放心状態に陥れ、埋葬もされない侭に飛び散った屍の肉片には無情にもハエや虫がたかり、さも当然かの如くに養分を吸い尽くす。逃げ惑う力さえ尽きた人々に与えられた地獄の絵巻物は、米英が満足を勝ち取るまで果てしなく続きもする。隠れてもいたハイエナ、ハゲ鷹、狼などの群れは何処からともなく現われ、無防備な行き場を失った人々を虎視眈々と睥睨し彼らの様子を窺う、次の場面に備えてだ。 彼らに安泰は来ないのか。因果応報の表れが、狂人どもの足下に踏みしだかれる虫けら同然での扱いでもあれば、過去に為した彼らの咎とはいったい何だったのであろうか。米国に対する同時テロとしての犯罪行為を、彼らが実行したとでも云うのであろうか、或いは願ったとでも云うのか。さもなくば、自らを統治させていた権力者の不条理を見過ごしにしたからとでも云うのであろうか。そうではあるまい。死に向かう一市民にそれ程の力はあるまい。 現状の貧困を嘆いても、自らの不遇の限りを如何にアッラーに訴えたとしても、奇跡が起きるとは誰しも考えはしない。アッラーを通しての祈りが主の御許に届き、その結果が、虫けら同然に受ける現状の殺戮や破壊にあるとするならば、敢えて与えられた不条理を甘受し、時世の流れに任せるしか残された術はない。死は生を受けた時から既に始まってもいる宿命でもあれば、時と場合に拠っては時間の長短に余り意味は持たない。だが、生を受けた時と場所で不条理が決められ、或いは認められても良い事にはならない。誰がそれに気付くのか。 肉体は滅びても魂は存在するとは仏教で用いられる云われ方でもあるが、ヒトラーが、ムッソリーニが、スターリンが、或いはトルーマンが、ケネディーが、ニクソンが、生前彼らに宿していたとされるその魂は、仏教通りになれば、虫けら同然に殺戮されて行くアフガン人の肉体に宿ってでもいると云うのであろうか。或いは牛馬や豚、ニワトリに移り棲み、既に屠殺の処分を受けたとでも云うのであろうか。そうではあるまい。不条理は人間が作り出す不滅の性でもあれば、その不条理としての性を好んで引き出し弄ぶ人間には、生前において報いが与えられてこそ道理に叶うと云うものだ。宗教的手法で、現状の不条理を納得するには余りにも非情に過ぎる。 ブッシュ氏の持つ、或いは米国の叫ぶ正義が全て理に適うものではない事ぐらい既に明らかでもあれば、誰がその不条理を証明するのであろうか。不条理を知る、或いは不条理の証拠を握る者は口封じとしての処刑を受け、精神破壊さえ為されても仕舞う不条理を誰が押し止める事が出来ると云うのか。誰も居はしない。強大な武力と云う「偶像崇拝」が国際社会に蔓延ってもしまった現状においては、如何に因果応報や輪廻を説いたにしても、子供騙しの戯言とでも称されて仕舞うのが落ちである。 力と数を増しつつあるアラブ人の勢力を白人との均衡を保つ上において、当該戦争行為は一つの自然の摂理である等の偏向した云われ方もまた適切な言葉ではない。如何に現状の国際世界が、白人社会が青図化した文化や文明に取って替わられ、結果として白人社会の人口の減少が現実問題となって表れ始めたにしても、それは白人社会が選択した結果でもあれば、人口減少を阻止出来る対応策などは何処にも見出せる由もない。 また同時に、膨らんだ数も縮小に引き戻される事が条理でもあるとするならば米英軍の軍事行動さえ正当化され、対立軸に位置するテロさえ正当化されるのではあろう。だが、その様な論理の展開は在るべき姿の人間社会には一切馴染むものではなく、好ましからざる思考でもあれば、おぞましい考えの詰まった棺に封印しなければならない。人間にはそれに耐え得るだけの知恵がある筈だ。 「文明の対立」構図を必死に否定し続ける有識者達ではあるが、現象としての事実はまさしく文明の対立ではあるのだろう。知識や知恵の有る無しに拘わらず、それの取り込みと忌避はまさに歴然としてはいるのだが、その穴埋めが強大な力に拠る弱小な者への押し付けと強要を強いる現状は、種の絶滅しか残されていない幻想としての桃源郷に、異文化にある彼らを走らせる原理ともなっている事は否定し様もない。 砂漠の奥深く或いは海底の奥深くに眠る資源に目を付け、陸地に眠る鉱物資源に目を付ける人間の一方に持つ浅知恵は、邪魔な存在を一網打尽にする工夫と発明、発見を促し、更なる知恵としての心理学や数学の発展とその操作手法を生み出す。数字が創り出す魔性としての表れは「富」と云う名に置き換えられ、それは政治経済ゲームにおける目的に据え置かれても仕舞うのである。 目的の為には手段を選ばずは、好むと好まざるとに拘わらず一人歩きさえする政治経済ゲームの流れでもあれば、条理よりは不条理が、秩序よりは無秩序の方が多く存在するのは、人間に巣食う浅知恵の所為にもある。武器を作れない者が武器を用い、麻薬を使用した事のない者が麻薬を作る、戦いをした事のない者が戦いを称賛し、白を黒と云い包める等はその極みとしての表れでもあるのだろう。 ウサマ ビンラーディン氏及び彼の一派とされるアルカーイダに武器弾薬を渡したのは誰なのか、その武器弾薬は何処で作られたのか。アフガンに敷設されていると云われている地雷は旧ソビエトに拠って敷設されたとも云われているが、新たに彼らが埋めたとされる地雷は、誰がもたらし、何処で何時製造されたものなのか。転々と戦地を渡り歩くウサマ ビンラーディン氏及びアルカーイダには、製造可能な工場などある訳がない。 ある時はロシア製であったり、米国製でもあったり、フランス製、ベルギー製、スイス製、英国製、オランダ製、或いは中国製、北朝鮮製と見られなくもない。南ア製かも知れなければ、ドイツ製であるのかも知れない。その何れもが、彼らとは直接的な繋がりがあるとは考え難く、生産者側と有色人でもある彼らを繋ぐ、死の商人としての介在者の存在は間違いなくある。 ウサマ ビンラーディン氏及び組織としてのアルカーイダを育て成長させたのは、過去には、アメリカ合衆国の大統領直轄機関でもあるCIAであり、パキスタン国ムシャラフ現政権でもあり、またサウジアラビアでもあった事実を考えれば、彼らこそ政治経済ゲームの「犠牲者」でもあったし、今では唯一無二のスケープゴートとして生贄にされているのでもあろう。 米国での同時多発テロが、仮に彼若しくは彼らの意図的作為に基づくものでもあれば、当然それは重大犯罪であり許されるものではないにせよ、それを以って米国の執って来た過去の様々な犯罪行為が、将来にも亘って無罪放免に許し、且つ拡大保証するものであってはならないのは云う迄もない。 見事なまでに正義の使者役を演じ切り、英国を表舞台に引き出し、国際審判の風向きと同情を独り占めするかを策するブッシュ政権ではあるが、既に蒔かれた不条理の種は、何時か自らの側に揺れ戻しがある事を決して忘れてはならないのだろう。音を立てて崩壊し始めたワスプ主導型政治経済ゲームの遂行は、無力な有色人種の反乱に遭わなくとも、何れその力は削がれ、非ワスプ或いは非エスニックの台頭に取って替わられる時代は、反動として必ずやって来る。 今回の事件に拘わる有色人種の人間的反抗の芽を摘み取る迄は呉越同舟としてのスクランブル活動は可能であっても、人種の違いを乗り越えた権力巻き返しとしてのヘゲモニー争いを押さえる事など到底不可能でもあるのだ。何時までも非エスニックがエスニック同様に、ワスプ、非ワスプの隷属に甘んじる事は、彼らの文明の成り立ちからして考えられないのである。 テロ事件の発生以来、アメリカ社会におけるエスニックに対する排他的活動は日増しにその強さを増している。特に、知識階層の卵としてのアジア、アラブ系留学生に対する監視強化は並大抵のものではない。各種情報を埋め込んだIDカードの所持義務付け等はその典型的なものと云っても良いのだろう。敵愾心は敵愾心を産み、憎悪は憎悪を引き出す。アメリカ合衆国が過去の歴史から学んだ事があるとすれば唯一つ、「力は正義」だけであろう。余り誉められた国家思想とは云えない。 政治経済ゲームに一人勝ちを治め、富の蓄積を成し遂げ、軍事力で防御と被不可侵戦略を如何に図っても、ルールの改竄と捏造で蓄えもした一極集中での富の集積は、更なる改竄を加えなければ、勝ち誇り可能なゲームの遂行は不可能でもある事を、アメリカ合衆国の権力を握る者は熟知してもいる。自らの軌跡に不条理が介在し、不条理活動なしに歩く事の出来ない国家態様は、国際社会にとっても実に悲劇ではあるのだろう。残念ながら、薬物中毒にも似た症状さえ呈してもいる病んだ社会、それが米国である。 −つづく− |
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曲りなりにも平静さと云う「国家秩序」が保たれていたアフガニスタン。欧米先進国の文明の物差しで計れば実に理不尽極まりない国家として映ってもいたのだろう。 女性を、出産専用の動物と見做し、教育の場から外し、一人での外出は禁ずる、屋外においての肌の露出は一切認めずベール(ブルカと云うらしい)の着用を義務付ける、一方、男に対しては、髭を含む毛髪の断髪を禁ずる等の、全く自由を持たせない、イスラム教原理主義と称しての教義に対する強制と遵守を強いた。これは紛れもない事実ではあろう。歴史遺産でもある遺跡を、反宗教的構造物と称して破壊し尽くす等の行為も、欧米先進国の目からみれば、実に野蛮で野卑で見るに耐えない社会体制ではあったのだろう。 だが、理不尽にも見える当該生活態様と権力者が執る蛮行にも映るあらゆる行為そのものが、主体的に捉えれば民族自身が選択決定したのが紛う事のない事実でもあれば、外部がとやかく云うべきものではあるまい。其処に住まう民族自身が決定すればそれで済む事であって、多民族乃至は他国に直接的大きな影響を及ぼさない限りにおいては、自決権がアフガン内にあった中での独自の決定手法で、政府擁立に至った設立結果は、如何に内紛を経てであろうと理不尽な権力奪取に拠るものであろうと、当然尊重して然るべきものなのであろう。 成立過程と現状の断片を見て、改善に向けて動く知恵や努力が、斯かる民族には全く見られないとの判断は、先進諸国の思い上がりであり一方的な決め付けにも等しいものである。不衛生が、或いは無教育に拠る蛮行が周辺諸国に悪影響を及ぼし、且つ世界中に蔓延し兼ねないが故に手を差し延べ、悪行の元を取り除かなければならないとの尤もらしい政治的介入理由は、言い訳でしかないのだろう。 旧ソビエト政権の傀儡化を拒み、旧体制秩序を否定した学徒教義への傾斜がアフガン国民の大勢となり、且つ旧秩序を排除し、国民の受け容れた政権がそのタリバン政権でもあれば、当該政権を基盤に試行錯誤を繰り返しながら国家社会を形成して行くのは、当然アフガニスタン国民の手にならなければなるまい。安泰を伴う秩序が維持されるにはそれ相応の時間と軋轢も必要であれば、またそれが不可避でもあれば、五年や十年の短期間で一国家が、先進国に伍して行動出来るなどの過大評価をしてはならず、無理である事さえ知るべきである。 テロ集団と認定されたアルカーイダとその首領でもあるウサマ ビンラーディン氏を、捕縛する目的で為した米英両国軍に拠るアフガニスタンへの報復攻撃は、彼らを匿った共同正犯として、タリバン政権をもならず者集団と見做す事で軍事攻撃の大義名分をもぎ取り、未成熟なアフガン政府を壊滅させる結果にも繋がったのだが、米英を主役とし、日本を一とする米英両国に対する脇役としての軍事支援国家群は、大きな過ちさえ犯してもいる事に気付かなければならない。 一つには、国連から国家として認められてはいないタリバン政権ではあるが、広い領土に亘って秩序の維持が曲りなりにも保たれていた現状を、アフガン国民の手ではなく外国軍の手に拠って崩壊させて仕舞った事。一つには、ひ弱な政権に対して先進諸国挙げて強力な武器弾薬を大量に投下し、逃げる事さえ出来ない人間を虫けら同然に殺し傷付けてしまった事。一つには、無秩序な国家としてアフガンを逆流させてしまった事であるのだろう。 報復攻撃としての戦争でもあれば、犠牲者の発生は付き物であるとのしたり顔での論理は通らない。強者の論理としては通用出来ても、人間須らくに適合する論理等ではない。テロの不条理性と同時に戦争の不条理性を人間は忘れてはいない。殺らなければ殺られる場面においては、正当防衛も認められるが、相手はウサマ ビンラーディン氏とその一派でもあれば国家を曲りなりにも統治するタリバン政権に向けてではなかった筈だ。共同正犯としての、後日の論理への移行は我田引水にも等しく、西洋文化理解の押し付けに似たものがある。 強力な軍事力を保有する米英の報復攻撃で、引き出した結果はと云えば、タリバン政権に白旗を揚げ逃げ隠れさえしていた有象無象の権力志向集団をアフガンの地に誘き寄せ、おびただしく広がるであろう内乱の原因さえ提供しただけであると云っても過言ではあるまい。米英が何れに肩入れしようとも、内乱で傷つくのはアフガニスタン人であるのを忘れてはならない。 如何に貧しかろうが、無教育であろうが、二十一世紀の文化に馴染まない社会体制を執ろうが、僅か五年の荒削り国家、それも内戦を経ての国家が何時崩れるかは判らないにせよ、少なくとも平静さと云う秩序を保つ方が、殺戮し合うよりどれ程好ましいかを知らなければならない。理想だけで云っているのではなく、またテロを擁護して云っているのでもない。米英主導に拠る、裏に見え隠れする白人至上主義の偏向思想を非難しているだけである。 タリバン政権が如何に独裁的で人為的偏向教義を国民に押し付けた政府ではあっても、何れ内部からの軌道修正は国際社会との関係の上においては避けて通れるものではなく、それはまた時間の問題でもあったのだろう。甘い考えと云うには当たらない。米国同時多発テロ事件に対する犯罪者の特定が、先進諸国群との共同断定に拠り、報復攻撃として進める政府破壊としての処罰に正当性を持たせるのでもあれば、アメリカ合衆国などは既に、何十回となく当該処罰としての報復攻撃を受けなければならなかった筈だ。 だが、決してその様な「厳罰」としての報復攻撃をアメリカ合衆国は受ける事はなかった。強大な軍事力の保持と威嚇としての行使は、不条理さえ「正義」と見做して来たのが偽らざる覇権国家、所謂列強の実態ではあったのだろう。二十一世紀を向かえた今も当該不条理としての論理は生き続けているのである。迎合するのは実に簡単だが、不条理を不条理であるとして云えぬ国際社会そのものが不条理であると云わざるを得ない。 ケネディー氏は暗殺されたが、ブッシュ氏が暗殺される事はあるまい。サダト氏が暗殺され、故田中角栄氏が政界から抹殺の対象になろうとも、故ニクソン氏が或いはフォード元大統領が暗殺される事はなかった。フジモリ元ペルー大統領が国会に張り巡らされた陰謀の罠に嵌ろうとも、決してブッシュ大統領が非難される事は一度たりともなかった。表面的には、これらの繋がりには何等の因果関係も存在しない様に見える時間的経過ではあるのだが、その裏側に位置し、仕掛けを為し、糸を引く事の出来る組織があるとすれば、唯一つの可能な機関、それは「CIA」だけでしかないのだろう。日本の政官財学に網羅されているであろうエージェントが誰であるかぐらいの検討は、左程難しいものではない。直接、間接的に日本国民の過半が、彼らの支配下に既に治められているとの見方は、蓋し大袈裟ではあるまい。 田中外相がイラン国外相に云ったとされる、ラマダン月における米英両軍のアフガンへの攻撃中止要請は、残念にも田中外相の否定発言で一件落着した様だ。日米安保卒業論と云い、今回の発言と云い、或いは北方四島一括返還発言と云い、この外相が発言したとされる問題の何れもが、国家政策を左右し兼ねない極めて重大な問題を含んでもいる事を知らずに、思い付く侭に云ったのであるとすれば、ノータリンの阿保大臣として後世に名を残す事となるのは間違いのない所である。云った、云わないではなく、再度自らの信念としての政治姿勢を開示して貰う必要はどうもありそうだ。 最後の手段としての逃げで、常に小泉首相に下駄を預ける仕儀は、彼女を支援する国民に対して失礼であると同時に、自主独立に向けて再建しなければならない日本国にとっても、忌々しき邪魔な存在になり兼ねない危険性をさえ孕んでもいる。その場を取り繕う事で自らの言動を隠し、否定し続けるのでもあれば、周辺にぞろぞろいる夥しい数の八百長為政者と全く変わりがないではないか。慌てふためく事の意味が何処にあると云うのか知りたい所ではある。 言葉尻を捉えられ、突っ込まれる事に嫌気をさし、その場を取り繕う事に汲々としている態様は、基本的為政者の姿勢として恥ずべき事ぐらいは自覚して欲しいものである。信頼を醸成するのは難しいが、崩れるのはとても速い。政治的可能性に賭けて支援する国民の支持率は外相個人が持つ可能性に対する上限の表れであり、一つ一つの欠陥の露呈は当然の事として支持率の低下に表れても来る。 支持率の低下だけであれば良いが、チェインアンカー(理念や哲学)を装備しない国家と云う本船の、見張り台に就くべき役割を持つ人間が、あっちへフラフラこっちへフラフラで、最後には船長に任せてあるでは全く職務自体の体を為さないし、また、自らの存在価値さえ否定したに等しい姿勢である。弁解せよと迄は云わないが、断り書きを付けてでも政治理念や信条を、当該問題と併せて表明しなければ収まりが付く訳がない。 元来が、中身のないこわもての政治屋でしかなかった事が判明すれば、支持に回った多くの国民に詫びを入れるだけでは済まないのだろう。徳俵に親指一本で残っている状態でしかない。さあどうする。理念の表明以外に閣僚として生き残れる道は総て絶たれた。 −つづく− |
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NYも東京もモスクワも、人口密度の高い大都会は「稼ぎの場」であって、住まう生活の場としては相応しい場所とは思えない、とは独り善がり的に過ぎるかも知れないが、未だにその思いは変わらない。 東京の佇まいも40〜50年前のものに比べれば大きく変わり、木造一戸建ては影を潜め、コンクリートを主たる材料とする高層ビル群へと取って代わられている。当時の道には土の剥き出し部分も適り残されており、春先の学校帰りには道の端々にタンポポ等の花々も見られ摘み取られもしたが、今では道路も完全に舗装され、土の部分さえ見つけるのは難しく、自然がもたらしても呉れる季節の植物観賞も侭ならない時代でさえあるのだろう。 自然を未だ多く残す地方に故郷を持つ人々が、家族とともに五月の連休や夏休み、或いは正月に掛けて、混雑をものともせず一目散に都会を離れる心情には、無意識的ではあるにせよ、人間が本来必要とする自然との接触願望も、多分に含まれているのだろう。帰る故郷を持つ人々や、金銭的に或いは時間的に余裕のある人々は、一時の自然との接触或いは閉塞感からの離脱を求めて旅立つ事は出来るが、時間も、また金もない人々は日がな一日をコンクリートの器の中で暮らす事になる。 その様な感傷に未だに浸れる日本は実に平和で、秩序も保たれているかの如くに映るが、精神構造の崩壊の陰はひたひたと迫り来る足音さえ背後から聞こえる様だ。精神的余裕の取り上げは人々から均衡感覚を失わせ、オドオドさと対人不信を押し付け、疑心暗鬼の渦に巻き込む事になる。 金がなければ間違いなく「敗者、失格者」の烙印を押される社会、消費者金融とユニクロ及び外国人犯罪者のみがこの世の春を謳歌し続ける日本、異常を通り越し奈落の底への転落は時間との戦いでもあるかに思えてならない。 一日当たり83名もの人々が自らの生命を絶った昨年、今年もそれと同じか或いはそれ以上の人々が新たな不条理の選択を為すのではあろう。交通事故での死者と合算すれば既に四万人の犠牲者を数える日本となり、不謹慎の謗りは免れないが、米国での同時多発テロを8回受けたと同様の数字がそれに表わされていると見て良い。また、政治経済ゲームにおける一種の戦争の犠牲者の数字と見做しても良いのだろう。 未だ四万人と見るか、既に四万人と見るかは、人それぞれの生活環境と現在置かれた立場で意見が異なり、判断も分かれるのではあろうが、東京ドームを埋め尽くした観客が僅か一年で、不条理にもこの世から消えて仕舞う事と数的に同じではあるのだ。老衰や病死とは異なる、それは不条理の死の一つである事を忘れてはならない。 現象としての不条理の増加が、社会に巣食う病理との相関関係にある事は夙に知られてもいる所であれば、その部分にメスを入れ切開手術を施すのもまた為政者に課せられた課題としての義務でもあるのだが、不条理の犠牲者を単なる「敗者、失格者」と葬り去り、金持ち善玉論を徹底的に展開する、理念なき且つ思想なき八百長為政者が、その不条理の存在にさえ気付く由もない。期待しても無駄か、今日も各地で電車の下敷きになったとの知らせももたらされた。 戦争、これも違う事なき不条理の一つではある。 アフガン、タリバン政権を追い詰め首都カブールを終に制圧した「北部同盟」。訓練された監視兵が街角に立ち秩序の維持を見張ってはいるが、人種間或いは民族間に横たわる根深い対立の傷跡は消せず、今また北部同盟の権力の奪取とともに過去の怨念がその鎌首を擡げ、生命ある人間をいたぶり、傷付け、死に至らしめる非人道的行為は其処彼処で続けられてもいる。まさに白人の代理としての戦争が、有色人同士での前衛戦争の場ともなっている傾いは拭いされるものではない。 朝鮮戦争も、あのベトナム戦争も、南米でもアフリカでもそうであった様に、有色人同士と云う意味においての戦いである事は、紛う事なき現象として其処には見られる。紛争や戦争に至る端緒はそれぞれに異なっていても、死傷者の数からする実態を見れば、有色人種の死に場所としての常なる戦争である事に疑問を差し挟む余地はない。 白人至上主義者からすれば、知能も体形も格段に劣る有色人種であれば、型通りに戦わせる事で、あわよくば地上から彼らを根こそぎ抹殺出来るとでも考えているのではあろう。金がなければ教育も行き届かない、教育がなければ秩序も保てない、秩序が保てなければ社会的な発展もない、社会的な発展もなければ思想の構築も叶わない、思想の構築がなければ不条理は蔓延る、は当然の成り行きではある。 朝鮮戦争は、ソビエト、中国が進める共産主義思想の食い止めを意図した米国の戦争ではあったが、米ソの代理戦争として朝鮮人同士が前衛に立ち殺戮を繰り返した結果、38度線を国境とし、現在は南北の二国として固定化されているが、数十万人にも及ぶ死傷者を出したのである。ベトナム戦争も同様に、米ソの代理戦争と見做して良いのだが、ベトナム人同士を前衛に押し立てて戦わせ、結果はご存知の通りの米国の敗退で幕を閉じた訳だ。 朝鮮戦争、或いはベトナム戦争ともに、米ソの主義主張の大義名分を挙げての戦争ではあったが、前衛に立って相争い殺戮を繰り広げ合った有色人種の犠牲者の数は、代理戦争の名の通り膨大な数にも上っている。ベトナム戦争での米国の敗退は、有色人種でもある東洋人を劣性人種と見做し、米国の優秀な頭脳と図抜けた体格の兵士を投入すれば、痩せ細ったベトコンに白旗を揚げさせるのは左程困難ではないとの、自信過剰が其処彼処にあったのだろう。痩せても小さくとも、肌の色は付いていても、能力に遜色などある筈もない。 CIAが或いは米国防総省が、当地において様々な形でスパイ活動を繰り広げ、優位に戦術を組んだと我田引水的に考える傲慢さがあったとしても不思議ではないが、相手でもあるベトナム人にも、同様の工作活動の存在があるだろうとの想定さえ無視して仕舞う白人優位の姿勢に、そもそもの敗北に帰する落とし穴があった事は動かし難い事実ではあろう。ベトナム人に拠る工作活動が優秀であったが故に、米国を敗退に追い遣った事は後日明らかにされてもいる。 アフガニスタンを巡る、旧ソビエトと今回の米英両国の手になる戦争が、如何なる結果を関係国家間にもたらすかは未だ判然としていないが、旧ソビエト政権が尻尾を巻いて敗退した事だけは事実として残されている。今回の米英両国に拠る、「宣戦布告」のない戦争が、現タリバン政権を倒したとしても、また、ウサマ ビンラーディン氏や宗教指導者としてのオマル氏を捕らえ、米国同時多発テロの首謀者として彼らを「処刑」に至らしめても、アフガニスタン人或いは周辺国の有色人同士を交えての戦いがこれからも続く事は避けて通れないのだろう。 当初の米英の目的が、テロ首謀者と断定したビンラーディン氏とその一派の捕縛、若しくは彼らの処刑にあるとすれば、その成果としての捕縛が見られれば、米英ともに武力攻撃を即時に停止し、アフガンから撤退若しくは不干渉を貫くかは、彼らにとってもアフガン国民にとっても、それは不可能な相談ではあるのだろう。テロ首謀者を捕縛する為に、貧しい国家を更に貧しくし、死なずとも良い多数の人々を死に至らしめた償い無しに不干渉を貫く事は人道的にも容認されない。今度ばかりは米国も、アフガンからは政治的にも撤退出来まい。CIAの存在価値はそれに比例して高まりもする。 だが、アフガニスタンを強権発動に拠る米英両国の押え付けで表向きの平定が為され、一定の秩序が保たれたにしても、人種或いは民族間に根付く不信感が取り払われ妥協的国家建設の合意が、彼らの中で揉みに揉まれ為される迄は、有色人同士の殺戮がなくなる事は先ずない。イスラム社会そのものが、米英若しくはロシア、所謂白人社会の一見合理主義に追随するとは到底考えられないのと同様に、同一宗教を以ってしても、残念ではあるが人種間の壁を打ち破る事の困難性は教えて呉れる筈である。 しゃしゃり出て日本が行く必要は毛頭にないが、白人至上主義では解決不可能なポストタリバン政権でもあれば、有色人種の種を絶やさない為にも、日本国家の出番は何れ回って来るのだろう。 田中外務大臣が来日中のイラン政府高官に対して、ラマダン月の米英軍の攻撃は厳に慎むべきであり、米国に対してはラマダン期間中の空爆停止を申し入れるとの発言を巡り、政府閣内或いは自民党、若しくはマスメディアからさえ批判の合唱は凄まじいものがあるが、日本の将来を考えれば外務大臣発言は為されて当然のものとしなければならない。確かに、閣議決定での米英追随政策で、ラマダン月の攻撃も米英の判断次第では認めるとあるが、これ程、政治的主体性のない決定は他に例を見ぬ愚策そのものであり、傀儡性を認めたにも等しいものである事を国民に教えてもいる。 田中外相発言は、イランとの友好関係の継続、及び今後為される予定となっているイラン国内油田開発への参加と、正常な貿易の発展と展開促進を考えれば、イラクともその方向性に何れは持って行かなければならないのだが、一人の異端児発言とは、云え極めて重要な国益に叶う政府閣僚の発言としての価値が、其処に見出せなくてはならない。これを理解せずに論うマスメディアの存在や、為政者の存在が多数意見を占める日本社会の現状こそ、実に忌々しき問題であると云わざるを得ない様だ。 全ての閣僚が或いは為政者やマスコミが、米英に追随する形で政治を動かせば、経済も必然的に追随型になるのは当然の事、折角自主独立を押してイラン国との間に「油田開発」の契約を締結したにせよ、米英両国に拠る当該「実行」に対する横槍と横取りは必ず為される。サウジとの再契約で、或いはクウェートでの再契約で何度も苦渋をなめさせられた日本。政治経済の不可分を忘れた結果が、その苦渋としての再契約の断念にもたらされた事を認識しない方が、まさしく異常なのである。 米英を慮るにしても、閣僚が押し並べて賛意を示す事の方こそ八百長にも近い事を、マスメディアも含めて自覚し反省しなければなるまい。それ程迄に現在の日本国家には、思想や理念の欠落が見て取れるのである。米英両国の政策を批判し、ロシアを肯定する為政者がいても良い。ロシアを忌み嫌い、中国に肩入れする為政者がいても良いではないか。 普遍的な国家理念や思想が形成されてもいれば、如何なる為政者が発言し政治経済路線を踏襲しようとも、日本国家の進むべき方向性は変わらず、また、その批判が相手国の条理を引き出し、両国の在るべき政治経済の理に叶うものでもあれば、その方こそ重要な発言であり表明でもある事を知るべきであろう。 −つづく− |
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北部同盟を支援する形で進められた米英軍に拠るアフガン攻撃が効を奏したかどうかの結果は未だ出ないが、軍事的成果だけを観れば確かに効果はあったのだろう。北部同盟は南下し、アフガンの首都カブールを陥れ陣地を奪還したとされるのがその効果とするならばだが。タリバン政権側は応戦する事なく、カブールの死守を諦め、他の陣地へと引き返したとされている。シナリオ通りとする見方も一方にはある。 米国の当初の目的であった「ならず者達」とその首謀者の、生死に拘わらぬ捕縛があったのかないのか解らぬ侭、引き続きの空爆が為される中で、奪還の発表に小躍りして喜ぶ日本の一マスメディアがあるとは実に信じられない、不愉快な光景ではある。米英軍を正義の使者として全く疑いを容れぬ思考の表明は滑稽にさえ見える。 沖縄県が、佐世保が、横須賀が、横田が、日本の治外法権下に置かれてもいる事実を諸手を挙げて賛成したり、日本国家が守られてもいるとの錯覚にさえ気付かぬ、或いは守って貰うのをさも当然視さえするが如き隷従思想とその他力本願さは、オウム真理教に傾倒した者達と本質的に変わるものではない自己放棄に等しい態様である。 戦後の米国が、対外関係を専門とするOSSからCIGへ、更にはCIAへと発展させても来た情報工作関係機関。紆余曲折はあったが、トルーマンに拠って設立し直されたCIAは今、米国の実質的権力構造の中心機関として米国内外の政治的権力者をさえ動かしてもいる事実は少なくとも知って置かななければならない。微生物細菌の研究開発とその試行、国内外におけるフロント企業の膨大なネットワークの所有は、ブッシュ大統領と謂えども到底把握し切れるものとはなっていないのは事実だろう。CIAは情報機関を核とする一大コングロマリットの世界的事業体でもあるのだ。 一つの企業を見れば解るのだが、例えば三菱グループとは云えど、新たな子会社の設立を見れば、時間の経過とともに当該企業は成長し、若しくは衰退を続け、成長の場合においては独自の企業主体者としての判断で、初期設立目的とは全く懸け離れたベクトルを持つ事は往々にしてある場面を忘れてはならない。成長に拠る巨大化が進めば進む程、当該企業を管理運営する経営者自身のの発言権は増し、彼らに引き摺られる形で、中核企業の経営理念の改定さえ迫られる事は往々にしてあるのだ。 所謂、一人歩きと云う言葉にそれは表わされるのではあるが、十人集まれば十人十色、百人居れば百人百様の態様を持つ人間界でもあれば、基本としての理念とそれに基づくルール、並びにジャッジメントの確立がなければ、大勢としての上昇気流に逆らう事など到底不可能ではあるのだ。企業であるから一人歩きが見られて、国家組織であるからそれが見られないとするのは思い違いであり、人間が組織するもの全てにそれは当て嵌まる態様でもあるのだ。 第二次大戦後の米国が、ソビエト共産主義思想の国際社会への蔓延、所謂ドミノ理論を懸念し、対外活動に政治力を注いだ事は事実で、その尖端的役割を担う目的で再編成されたのがCIAでもあれば、国家安全を策する初期目的としては、実に理に適った組織体制の整備ではあったのだろう。 情報の収集、分析、其処から引き出される想定場面の、一連の結果報告を主たる任務目的とする同機関でもあれば、国防総省や国務省の業務範囲とも部分的に重なるものであると見ても間違いはないのだが、大統領の手足となる直轄機関としての設立目的でもあれば、対外的情報収集機関の専任部門として、現職大統領所謂国民の総意に沿う、対外的国家安全政策を立案し決定付けさえする機関に成り得る要素は設立主旨からして当初から在ったと見做さなければなるまい。 勿論、指揮命令を下し管理監督する執行権者としての責任が現職大統領に在る事は当然であるとして、永い年月の積み重ねとその膨張化としての同機関の成長が、一個人でもある大統領の管理掌握すべき能力の範囲からは既に引き離されて仕舞ったと見ても差し支えないのであろう。 国家予算執行権をも併せ持つ大統領であれば、陰に陽にCIAを指揮命令し影響を行使する事は当然の義務でもあるのだが、巨大化した組織全体に目配りし指揮命令を徹底させるなどは到底叶わぬ事ともなる。場合に拠っては、権力維持の為に同機関を私的に働かせる等の裏取引さえ無しとしない場面がある事は、大企業が子会社を通じて裏金を作るとか、責任を被せる等の不条理の仕儀を見れば、容易に理解はされる。 同機関が持つ行動能力の範囲は、大統領のみならずCIA長官でさえ把握し切れてはいないのだろう。職員数が二万人近くにも上ると云われ、年次予算が優に百億ドルを超すであろうと云われてもいる同機関ではあるが、日本を含め世界各国に散らばって配置されてもいるAgentとしてのパートナーを含めれば、その数が五倍にも十倍にも膨れ上るのは推定可能であり、同機関が持つ多国籍フロント企業の利益としての上がりをも活動費として見做せば、莫大な運営費を以って行動さえしていると見るのは自然でもある。 膨大な人員と莫大な活動費を持つ同機関が、国家安全の大義名分を抱え、理性ある行政権力者の下で理性ある情報活動と分析を、入り口出口の双方に目を向け、国家戦略の組み立てと戦術の行使を以って為せば良いのだが、ソビエトが或いは中国がそうであった様に、主義主張を一方向に向けて他方(国民)を置き去りの侭にした結果、初期目的とは全く懸け離れる失敗に終わったのと同様の道さえ、CIAが歩んでいないとは云えないのだ。 不条理に対する慣れは更なる不条理を産み、その取り繕いが独自の排他的組織とさえして仕舞う事は、歴史上ではよく見受けられる事実でもある。ソビエトが、兵器としての化学薬品或いは微生物菌の開発を進めているとの情報があれば、負けじと開発を進め或いは防御としての滅却方法を研究する等は良しとしても、その開発結果としての効能を、地下鉄を使い航空機を利用して、内部職員を含めた米国民をモルモット代わりに利用し、多数の死者さえ出した事のある不条理な実験さえ行った同機関でもあれば、国家安全とは既に懸け離れた、独自の「CIA帝国」作りは当時から始まってもいたのだろう。 これは1950年代の出来事である。無罪放免として内部処理された同問題は、ローズベルト時代からその発芽としての種が蒔かれ、トルーマン時代に開花さえした観はあるが、米国が現状の米国である間は、「CIA帝国」は揺るぎのない実質権力者として米国を支配し、君臨し続けるのではあろう。ブッシュ氏の云う「見えない相手」とは、実は、足元に存在したなどと云って貰っては困るのだ。 モルモットとしての実験は、その様に米国市民にも試されたが、米国の国家的規模で為した不条理としての殺戮実験は、対外的にはトルーマンの日本に対する原爆投下に止めを指すのであろう。その他にも、ベトナムでの枯葉剤爆弾やマスタードガス爆弾の多大な試用、湾岸戦争時における劣化ウラン弾の試用、アフガンにおけるFAT爆弾やその他弾薬の試用等は公的にも知られている所だが、その裏に隠されてもいるであろう新兵器としての武器弾薬の存在もまた否定出来なければ、不条理を業とする米国の裏表の政権を担う権力者群に従来以上にスポットライトを当てるのが、米英を問わず、理性ある残されたマスメディアが取るべき道ではある筈だ。 種を根絶やしにする化学薬品の研究開発は途絶える事なく進んでいると見て間違いはなく、また、それが完成されたものとして頭に叩き込んで置かなければ、国家防衛どころか日本人の種の維持さえ困難と見なければならないのは、為政者の常識であり日本人の一般常識として頭に入れて置く必要がある。 昨日のNHK番組の「プロジェクトX」でも放映していたが、仮に遺伝子組み替え食品に不妊遺伝子さえ組み込めば、人間でさえ根絶やしに出来る時代ではあるのだ。家畜用飼料としての間接的摂取ですら、種の根絶やしが可能な時代に突入した現代社会でもあれば、米国が現に持つ不条理性と狂気性に対する麻痺を除去せぬ限り、有色人種の、後での絶滅等考えられる事もない。クローン人間をさえ作り出し可能な社会が意味するものは、白人至上主義を押し進める思想の狂気性とも繋がっている事だけは絶対に忘れてはならない。 タリバン政権、或いはウサマ ビンラーディン氏一派の、所謂「ならず者達」の資金源を絶つ目的で世界各国に在る金融機関の口座に目を光らせ、協力に難色を示す国家があれば村八分にするとのブッシュ発言があった事は記憶に新しいのだが、彼らの資金捻出手法は、ダイヤモンドや麻薬の裏取引から始まり、証券取引、為替取引に至るあらゆる分野に及んでいる事は知られてもいれば、何れ全体的解明は為される筈である。 それは同時に米国国家機関CIAに拠るプライベートバンク、或いは其処を通じてのマネーロンダリングの実態さえ含まれる事をも意味するのだが、日米欧の国家機関に拠って同時に実態が把握されたにせよ、それだけは開示される事はない。ブッシュ大統領個人に知らされる情報は表面的なものでしかなく、米国国家機関の為す不条理な取り引きの実態は、全て焼却処分の対象となり、白日下に晒される事はない。ブッシュ氏は大統領役を演じさえすれば完璧であり、国際戦略や政策立案に関与する必要は更々にないのだ。 手の込んだ様々なシナリオに従って演技するブッシュ氏でもあるが、北部同盟のカブール制圧とプーチン大統領との会談日程を併せて考えれば、北部同盟のカブール侵攻をポストタリバン政権が確立する迄は望まないと云った当初の発言が虚言で、シナリオに基づく演技であった事を理解させても呉れる。 ビンラーディン氏やオマル氏の捕縛の結果が死を以って実現したにしても、多民族国家に特有の権力構造としてのヒエラルキーが組み込まれた社会米国が必然的に持つ、不条理のエキスを糧に育ち、御し不能な迄に巨大化した裏政権「CIA帝国」。今まさに一人歩きさえしているそのモンスターと、それに引き摺られるかの如くにも見える表向き米国家権力に対する統治能力の不安を、国際社会から取り除く事は不可能ではある。 −つづく− |
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信頼出来る複数の米国マスメディア情報に拠れば、今年為された「米国大統領選挙」のフロリダでの投票集計を、機械ではなく手作業に拠って集計し直せば、民主党議員のゴア候補支持票が共和党ブッシュ氏の得票総数を上回り、現大統領の座もブッシュ氏ではなくゴア大統領の座として入れ替わっていたであろう、との発表が為された。当該発表に対するブッシュ氏のコメントは掲載されてはいなかったが、法の美名の下に敗者とされたゴア氏の発言として、「今はテロに対する危機下にある米国でもあれば、大統領であるブッシュ氏を惜しみなく支援する」とのコメントを載せている。 何故に今頃大統領選挙における機械集計のごたごたを明らかにする必要があるのかの疑問もあるが、一つには米国が抱える選挙制度と各州まちまちの投票方法から生ずる問題、特に「大統領選挙」における作為的不法性の有無に対する疑念もあれば、一つにはブッシュ氏登壇に拠るテロ事件発生との因果関係の有無、一つにはテロ発生としての結果に対する民主党ゴア候補の意見の引き出しが、当該マスメディア調査と発表に表れていると観るのが、正しいものの見方ではある様だ。正当な大統領としての資格のあるゴア氏は、現状をどう観ているのかにもマスメディアとして興味があったのだろう。 時間の経過に拠り、様々に米国にもたらされ流れ来る事件の数々と、摩訶不思議な微生物テロの発生、それがゴア氏の所属する民主党内ダシュル院内総務に対する殺傷力の高い炭疽菌と、それ以外の殺傷力の低い菌の市民へのバラ撒きとの不整合性、ロシアやインドでの炭疽菌発見との偽情報の流布経路、アフガン攻撃でのウサマ ビンラーディン氏或いはオマル氏の未発見と不逮捕状況、これらの現況を見させ続けられれば、如何に主義主張を固定的に持っているマスメディアとしても、ブッシュ政権に疑念を抱くのは必然の結果で当然の事でもある。 米国における過去から続く不条理の乱発は、社会観察者でもあるマスメディアがその改善に向けて国民をバランス良く指導して行かなければならない筈なのだが、また其処には常に体制に対する批判精神や好奇心に基づく天邪鬼精神もあって然るべき筈なのだが、それにも拘わらずマスメディアそのものが独善に陥ってもいる有様を一切気付く事なく、且つ国民の上に自らの意識を置いた侭、国家弁護に走った結果が、不条理と云う病原菌を培養する事に繋がったのを忘れてはなるまい。明らかな不条理にさえ目を瞑り、世界の正義の源、その発信元との自己過信が、当該米国社会の不条理を育てる一因ともなった事を自覚自省して貰わなければならない。 ワスプ系、或いは非ワスプ系社会が作り出し織り成す政治経済だけに主眼点を置けば、それ以外の人種の増加と台頭に拠り、何れ「八百長」政治経済を余儀なくされるのは権力者としては必然の利己的功利主義への傾倒でもあり、それを見過ごしにして来たマスメディアの米国社会に対する責任は、その意味で重大であったと云わざるを得ない。人種の坩堝でもある米国社会を、新たな普遍的理念に基づく国家として成立させなければならない義務は、米国の権力者同様にマスメディアにも課された義務ではあった筈だ。「自由、平等」の基本理念をいつの間にか、ワスプ、非ワスプが占める上位ヒエラルキーの守護に回っても仕舞った体制への摺り寄りは、実は「自由、平等」の破壊にしか繋がらなかった事に気付くべきではあったのだろう。 機械を用いての投票用紙(パンチ式)が、候補者氏名の配列そのものに有利にさえ読み取る小細工さえ暴けなかったマスメディアの責任は重いと云って良いのだろう。当該方式を企画し採用した某女史から、不法行為と知りながら手作業に拠る再集計を法的に停止させた連邦最高裁々判長に至る迄、策略と陰謀の渦巻く米国権力社会構造に楔を打てるのはマスメディアでしかない事を、かなり以前から自覚すべきではあったのだろう。 米国に対する国内、国外から引き起こされる陰謀の阻止は、それぞれFBI、CIAが担う正義遂行としての役割分担になければならないのだが、今では陰謀をさえ自発的に作り出しもする当該組織は極めて忌々しき存在ではあるのだろう。 毒にも薬にもなる両面性質を兼備した当該組織は理性的に運用されなければならないのだが、権力者の手足となるだけでは満足せず、存在価値を植え付ける為にも、組織自らが計画立案実行さえして仕舞う不法行為を、権力者自らがが停止させる事が出来ないとすれば実に悲惨な結果に終わるのは当然の成り行きでもある。裏権力者とは、彼らを含む、決して表社会に出る事のない合法的組織活動者を指すのは勿論である。国家が認めれば、非合法さえ合法ともなる。 民主党ゴア氏の大統領支援発言は、政治家としても次の大統領の椅子を狙う者としてもそれは当然の表向き発言でもあれば、理性的?政治家として評価すべきではあろう。内心忸怩たる思いが如何にあろうとも、感情の明からさまな表現は国家を指導する者として相応しくない事ぐらいは、その他大勢の為政者とは異なり自覚さえしてもいる。 三年半後には必ず、暗殺されずに生きていればとの条件付きだが、米国の大統領として正式に選ばれるであろうし、また、選ばれなければならない人物ではある。その時点でも未だ五十歳代、米国不条理社会を率いる賢明な大統領にはなれる能力や気力は萎えていない筈だ。米国が瓦解さえしない限り慌てることはない。 複数のマスメディアが今回発表したその裏側で云わんとしているものの一つに、ブッシュ氏の大統領への就任が、米国への同時多発テロ、アフガニスタン攻撃への軍事力の振り向け、炭疽菌テロの発生等を促したのではないかとする見方をさえ含んでいるのは事実だろう。因果関係が全くないとも云えないし、仮にゴア氏が就任していたにせよ、当該テロがなかったとも云えないのは当たり前ではある。仮定で推し量っても無駄である。 唯云える事は、ブッシュ大統領の登場で、彼に知恵を授けるべき組織的ブレインが、裏帝国を操る組織の維持を拙速に謀った結果として、急激な米国政策の転換を推し進めたと見られてもいる現状では、当該犯罪を惹き起こした一つの要因にもなった事だけは確かだろう。自然発生的なテロ犯罪であったのか、或いは意図的な組織犯罪であったのかは解る由もないが、また解りたくもないが、新大統領の登場に拠る因果関係が全く皆無と云う事は先ずない様だ。 米国と云う独立国家を一国家として見て来ると、この国家の持つ不条理性を永久に認めて仕舞う事に繋がるのかも知れない。国家である事に変わりはないのではあろうが、世界各国からの人々が様々に散らばり集う社会体制下にもあれば、共同体として米国を見做し、国家を動かす人々(人種)の動向を的確に掴む事こそ、国際社会に与えられた不条理解消の政治的早業ではあるのだろう。 米国に人材を多数移住させているイギリス人からアイルランド人に至るワスプと非ワスプ、或いはドイツ、フランス、イタリア、ロシア、ポーランドを一、ユダヤ系を含む非エスニックとしての欧州勢、その他にもアフリカ系、アジア系と、ヒエラルキーとしての第三、第四段階を構成する数を増す現状を考えれば、米国の在り方そのものを決定付ける理念の再構築を、当該故国を含めた賢人としての指導者を交えて、改めて見直す時期にも至っているのだろう。 人種の坩堝としての米国社会を国際社会全体で見直す事の意味は、現状の米国を動かす不可視的不条理権力社会から発信され且つ押し付けられるアメリカンスタンダードを修更正させる点でも意義深く、不条理の演繹的派生を押し止める意味においてもまた重要な問題ともなる事は火を見るより明らかだ。城郭としての米国を、様々な故国の理性者達に拠って改革された「普遍的理念」に明渡す事で、受け容れるとは思えない。しかし、米国の権力者が常に持つ強迫観念が都度変わりもする政治的態様を知れば、絶対的に不可能とは断定出来ないのも事実であれば、正常思想に転換する事さえ可能ではある。 過去においては、覇権主義を内包した「共産主義」を教条的に忌み嫌う事で不条理を正当化した米国。ソビエト崩壊後の現状においては、「ならずもの達」に標準を合わせる等の政治目標の質的低下は、徒に不条理を発生させるだけで、スタンダードにも何もなるものではない。偶然に、或いは必然的にか、テロ事件の発生で「危機」に快哉する米国裏政権ではあるが、この侭の状態で推移すれば、間違いなく米国自体が立ち上がる事の不可能な狂人、或いは廃人国家とさえなり得る危険性は実に大きいのである。 不条理政治の胴元でもある英国を中心とする国際社会で、勿論其処には米国の陰の主役でもあるユダヤ系人種が帰属するイスラエル国を含むのだが、当該主要国家間の賢人達が集って討議される事が、第一義的には望ましいのではあろう。国連挙げての世界体制で検討するのが望ましいのは事実だが、二百ヶ国にも上る会議では言葉が踊るだけで、遅々として理念の構築等進むものではない。 勿論、それはG-8にイスラエルを含めてのグループを指すのだが、キッシンジャー博士が泣いて喜ぶ様な米国主導型の世界統一構想などではなく、普遍的な国際社会理念の立ち上げに拠る不条理国家、アメリカ合衆国の連れ戻しに、発想としての土台がなければならない。胴元の英国でさえ、此処迄米国が明から様な不条理を貫くとは思いも拠らなかった筈だ。 完璧な迄の聖人君子を国政を与る為政者に期待するのは無謀だが、少なくとも不条理を不条理と認識出来る最低限の為政者が、アメリカと云わず欲しい処ではある。最小限の普遍的ルールぐらいの立ち上げは可能だろう。 昨日米国で起きた旅客機の墜落事故は、またもやテロ事件の発生かとも思われもしたが、確たる発表は為されていない。260名もの犠牲者が一度に出る航空機事故でもあれば、空爆に拠る五人、十人の犠牲者の出現に、本来驚き嘆かなければならない不条理に対する憤りの感情さえ麻痺させても仕舞うのは、人間の内部に潜む残忍性でもありまた慣習性ともなったおぞましさであるとは思うが、それに伴う怒りの感情が一切こみ上げて来ないのは甚だ残念でもある。 身近なところ迄迫って来なければ感じ取れない不条理に対する麻痺の積み重ねが、職業に拠って異なるのは否定出来ず、死体を見ても驚かないのが医者、解剖医、火事を見ても驚かないのが消防士でもあれば、その最大の人々は軍事を指揮する為政者ではあろうが、実は映像を通して見続ける私たちであるのかも知れない。逆説的に云えば、冷酷性、残忍性、非情性をも併せ持たなければ人間として務まらないと云う事にもなろうか。 日本の為政者や行政官が、経済事犯で虚言を並べ立てたり、理の通らない弁解を押し通したりする程度の範疇にある間は我慢出来ても、不条理行為としての殺戮に断を下す迄に拡大されれば、国民としては考え直さなければならない。 憲法を明らかに無視する犯罪を犯しながら、一方では武器の種類とか後方支援とかの枝葉末節を論じ合うなどは可愛い政治態様の部類にでも属するのであろう。右派を自認する中曽根氏や石原都知事が幾ら拡大解釈を喜んでも、基本法を含む基礎としての理念の確立が日本国家にない以上、無意味である事を先ず知ってから喜んで欲しいものである。八百長政治に「慣れ」親しんだ為政者でもあれば諭しても無駄か。 外国人に拠る犯罪の多さは呆れる程に多い事は前々か指摘している通りだが、最近のマスメディアの論調には「XX人」と云う確定的発言はおろか、「XX語」を話していたとの事実さえ消し去っても仕舞った様だ。外国人と云う確証が得られてもいる事実があるのであれば、また、犯罪者の肌色が白か黄色か黒か、或いは茶色か程度ぐらいは発表しても良さそうだが、何に遠慮しているのかは容易に想像は付く。 数万人規模の或いは既にそれ以上の規模の極め付きの犯罪者集団を日本に送り込んでもいるのは、一ヶ国しかないのは既に明らかでもある。日本の社会秩序をこれ以上乱されたくなければ、マスメディアは従来同様、犯罪者の国籍は明らかにすべきではある。 米国の不条理と中国が為す上記の不条理、ともに忌々しき現代に息衝く魔界の両極でもある。WTOへの加盟を契機に、漢人の理念もここらで変えて貰う必要はありそうだ。 −つづく− |
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ウサマ ビンラーディン氏が、米国における同時多発テロ事件を認めたとされる発言が事実でもあるならば、微生物テロとしての炭疽菌散布事件に付いても認めても良さそうな状況下にはあるのだが、それには一切触れていない?事を併せて考えると実に奇妙でさえある。更に、核或いは生物、化学兵器を米国に持ち込んだとされる見方に関しても、云われる型通りの言葉を鵜呑みにしても良いのかどうかに疑問は残される。情報合戦、所謂デマゴーグの飛び交う何でも有りの国際社会でもあれば、まともに受け容れる事など出来る訳もない。 天邪鬼的に捉えれば、ブッシュ氏を操作する米国不条理裏政権とウサマ ビンラーディン氏率いる組織(アルカーイダだけとは限らない)の地下水脈での結合が、未だに続いているのではないかとの懸念は一掃されてもいないのだ。様々な状況証拠は今までにも述べたので割愛させて貰うとして、それ程単純な対立構造などではあるまい。踊らされてもいるブッシュ氏本人は知らずとも、彼を動かす米国の裏政権がシナリオを書き、脚色構成し、両者に演技としての実技指導を為している者が必ずいるとの見方を一切捨て切れるものではない。 国連事務総長が述べた、「核兵器をテロ集団に渡してはならない」とするコメントの発表は如何にも理性的な尤もらしい発言にも聞こえるが、思い違いの甚だしさを含んでいる事実に国際社会は気付かなければならないのだろう。名も知れぬテロ集団の持つ「核兵器」も、米国の持つ「核兵器」も本質的に何等変わるものではなく、一個人若しくは一集団の狂気的決定に拠ってはいつ何時使用されても不思議でない事を知れば、アナン事務総長の発言は実に空虚で、一方に偏した発言であるかを思い知らされるだけである。 米国だから核兵器を持って良し、ロシアであれば駄目、英国でもあれば良くて中国が持つ分には疑義ありとの論法にも似たものがあり、到底容認出来る様な発言ではなかろう。如何に自分のワイフが白人であるからとは云え、其処まで大国に阿る必要は更々になかろう。実に不愉快である。 夢想として云うのであれば、何処の大国も持つ核兵器そのものの不条理性を指摘すべきではあったのだろう。過去から現在に至る歴史の中で、米国や他の列強の手で惹き起こされた不条理の数々をまさか忘れた訳ではあるまい。この様な状況下にある国連であるが故に、タリバン政権からさえ、「国連は米国の云うなりである」との揶揄を受けて仕舞う事となる。 タリバン政権が崩壊し新たな政権の樹立をみても、米国の不条理性が相殺されるものでもなく、また、米国裏政権の存在が掻き消される訳でもない。物事がぶつかり合う必然は、条理、不条理の振り子が極端に振れるからでもあり、対極に揺れた振り子は常に引き戻されべき道を辿る必然性が存在するからでもあれば、米国の行き過ぎた不条理性が解消に向かわない限り、相対する不条理の発生を食い止める事など叶う由もなかろう。大国であるが故に許される不条理など在る訳がない。 ウサマ ビンラーディン氏と米国裏政権の大本山でもあるCIA若しくはそのエージェントとの間に脈々と流れる黒い提携が継続し且つ存在するとの見方は、穿った下衆の勘繰りであり、皆無に近いものである事は世間の常識ではあろうが、全く否定されても仕舞う絵空事の想像ではない事を強調して置かなければなるまい。様々な断片的事実を繋ぎ合せれば、疑問の噴出をどうしても押し止める事は出来ないのである。 ウサマ ビンラービン氏が実はCIAのAgent若しくは間接的な工作員であるとの論拠を立証するには、彼の告白と同時に明らかな証拠が提示されなければならないのだが、その様な確証の入手など出来る訳もなく、望む方が無理と云うものだ。愚にも付かない想像とは思いつつも、米国社会が人種に拠る権力闘争のヘゲモニー争いの場であるとの前提条件が受け容れられれば、当該疑念さえ尤もらしい形を整えるのである。 地球温暖化防止を企図した「京都議定書」は、修正を重ねられた上で参加各国の合意が為され、各国に持ち帰っての「批准」待ちともなった。ここで意味する二つの問題は実に興味深いものが見て取れる。先ず第一には、地球温暖化の原因とも云われる二酸化炭素削減に関して米国の同意が未だに得られていない事実と、その米国を国際社会の当該枠組みに如何に取り込むかを策さなければならない課題をも同時に抱えて仕舞ったと云う事ではあるのだろう。 地球が抱える二酸化炭素総排出量の約40%近くを占める米国社会、その米国を抜きにした国際社会での当該決議が、全く無意味とは云えないにせよ骨抜きにも等しいものである事は否定しようもなく、大きな欠陥である事は事実である。 アフガニスタン、タリバン政権に対する報復攻撃を国際世論を味方に付ける形で大々的に爆弾投下を実施している米国が、一方では、京都議定書からの離脱表明すら行った過去の経緯を白紙に戻し、反省して国際社会の合意の場に戻るかとなれば、強ちそうなる事はあるまい。それはそれ、あれはあれで済ませる積りなのであろう。国際決議が、当該場面を最大限に活用した訳でもないのは事実だろうが、米国社会、特にブッシュ政権の傲慢さと今後の米国政治経済の動向を推し量る意味では、実にリトマス試験紙的役割さえ果たすものとなると見るのは穿った見方ではあるまい。 二つ目の重要な意味として、合意条項に対する罰則規定が拒否削除され、緩やかなものに変わった事が挙げられるのだろう。西欧文化に根付いてもいる契約、条約、合意には、つまり、目標設定が条件とさえなる取り決めに関しては、常に罰則規定が併せて存在すると云う事実を確認して置く必要がある。目標数値を条約規定として設定し、クリアー出来ない場合の罰則を如何に設けるかが、予めの決め事に対する構成要件でもあれば、西洋流に従えば必然的な仕組みとしての流れとなる。 だが、罰則規定を強化せず、緩やかな解決の仕組みに移行さえした観のある今回の「国際議決」は、人間が本来為さねばならない或いは持たなければならない普遍的理念の一つであるとするならば、「罰則規定」が不要となるのは蓋し当然の事であろう。罰則の有無で、その優劣の結果判断の是非が問われなければならないとする従来型手法から一転して、二酸化炭素削減目標数値の達成を各国の理性と理念の追求にその比重を置こうとする試みは、可能不可能は別として、高く評価される国際的な取り組み手法の実践ではある。 自動車に因る排気ガス規制が、米国マスキー議員に拠って議会に提案され、各種委員会或いは公聴会の開催を経て、米自動車業界の反対をも押し切る形で「マスキー法」として成立したのは既に数十年も前の事、更なる数値の低減もその後に見たが、本田技研を筆頭に、日本の自動車製造メーカーが悉くクリアーして来た事実を知れば、人間の持てる知恵が、苦境に身を置いてこそ開花する事さえ知らしめたと云っても過言ではあるまい。 川口大臣を擁して臨んだ当該国際会議での京都議定書に基づく修正決議の合意は、日本国が国際社会のマジョリティーとしての従来型西欧流儀に、新たな理念の一つをも提起したとする見方は誤りではあるまい。 マスキー法案への反対を表明し、敵わぬと見れば発効期限の延長を執拗に画策した米国自動車業界、米国製造業全体をも網羅する今回の数値規制は、余程統率力を持つ優れたリーダーの出現を見なければ、批准どころか同一円卓の席に着く事さえ拒否するのは、不条理要素を多分に抱え込む米国社会の自然の成り行きではあろう。追い詰められた事もなく、また、勝ち続けるとの思い込みの強い独善的集団に拠って執行される、国家が抱えるそれは最大の欠陥でもあるのだろう。 テロ、アフガン攻撃、地球温暖化防止、経済再生、金融不安及びその梃入れ、援助、借款と、この何れもが問題を含むものであるにせよ、単独的に且つ単一国家で解決出来る様な生易しいものではない事を現代社会は教えても呉れている。あらゆるものが深く、或いは微妙且つ縦横に絡み合ってのものでもあれば、一つの問題解決には総合的な問題を把握出来ないと解決の道が閉ざされる結果をさえ引き出しても仕舞う場面は多々ある。 地球温暖化防止は、とりもなおさず経済体系の見直しであり、また政治的理念の変更にも繋がる重大な要素を抱えてもいれば、究極的には、援助や借款等の主旨目的にすら、従来以上に強烈な手枷足枷を嵌めなければならない場面さえ生じるのでもあろう。米国の様に知恵を働かせない現状の侭の政治が進めば、何れ中国は同様の批判の矢面に立たせられ、場面に拠っては内部バランスの崩壊から、内紛さえ予期させるには十分の波乱要素を抱えてもいる。 中国共産主義社会も米国自由資本主義社会も、共通項として持っているのが軍事力第一主義でもあれば、双方ともに未完成の主義主張ではあるのだろう。共産主義とは名ばかりの利潤の吸い上げと人権の抑圧、自由資本主義とは名ばかりのルールの改竄とその押し付けは、名称こそ異なりはすれど本質的なものは不変で双方ともに未成熟の思想ではある様だ。 WTO加盟が許可され、一ヵ月後の発効を以って名実ともに国際的政治経済のルールを歩む事となる中国と台湾ではあるが、暫らく中国の一人勝ちが続きさえするのは、「資本の論理」が教えてもいるところである。日本の三十分の一以下とさえ発表される労働者所得、その安さとの格差を求めて各国の資本が集まるのは自然の成り行きでさえある。 逆に云えば、日本の高コスト体質は給与所得が高過ぎるからでもあるとの非難の大合唱は一方に偏した断定の仕方でもある。企業収益を圧迫して迄高まった所得ではなく、政治経済の枠組みの中で得られたバランスとしての結果でもあれば、所得悪玉論は的を射ていないのである。居住費が所得の30%を超し、且つ教育費が同様に30%を超えてもいる国内経済社会の不可避的とも云える仕組みの中で、所得が須らく高いとする因縁の付け方は一方的で、場違いでさえある。 現状の侭では「中国産」に勝てないのは、日本の給与所得が高いからではなく、中国の労働賃金が安過ぎ、且つ低賃金政策を国家掛りで執行しているからでもある事を見過ごしてはならない。中国政府の所得政策が先進諸国の労働コストを睨みながら執行されもする人為的政策でも在れば、彼らの労働賃金が三十倍になる等は有り得もしない態様ではあろう。逆に、日本人の労働所得が現状の三十分の一に迄下がるのを待つかを考えてみれば判るのだが、出来るものではあるまい。 所得も下がり、物価も下がる結果行き着く先は、政治経済の放棄と国家の瓦解でもあれば、過去に積み重ねて来た政治経済政策の全否定に繋がる訳で、中国政府の執る政策を全て肯定するとの矛盾をも抱え込む事となるのだろう。 日本が過去に歩んで来た道に、国家労働政策と云う添木を当てて走り続ける中国である、と称し必然視する似非経済識者は多いが、この中身のないいい加減な理解の仕方と一種の礼讃手法は、政官財の特権階級に張り付く者特有の、利己的功利主義と同質の態様をまざまざと見せ付けるにも等しいもので、国家理念を放棄したにも匹敵する奴隷賢人を自慢する様なものである。 此処まで米国の模倣をせずとも良さそうなものだが、つまり、米国社会には二重国籍的故国を持つ特権階級、所謂米国を隠蓑に米国そのものを食い尽くす人種は沢山いるが、日本人の似非特権階級達には、帰る場所と云えば日本国でしかない事の認識さえ出来ない輩が実に多い。資産を形成し、日本の税率が高いからと云って米国や他国に住所を移動する、或いは国籍を変更する作曲家や高所得者も多いが、米国社会に住まう彼らの本質とは決定的に異なりもする事に気付くのが、死ぬ間際でしかないとは、余りにも情けない人生ではあるのだろう。 飛ぶ鳥を落とす勢いの中国政府と、同経済に携わる人々の自信満々の言動には、日本を経済の競争相手から外し無視さえする明から様な発言が為されるのみならず、中華思想の崇高さを併せて吹聴もする灰汁の強さも同時に垣間見せてもいる事実は、如何な日本の八百長政官財学とは云え、そろそろ気付かなければ、日本の純粋な国粋主義者からしっぺ返しとしての批判を甘んじて受ける日もそう遠くはないのだろう。 WTOに未加盟の巨人が未だ一人残されている。慌てる事はない。また、成金主義の傲慢さに憧れる必要もない。自らの失敗の歴史を、他の不条理ルールに取って変わる愚策も選択すべきではない。独、仏のEU勢、及び日、英、伊、蘭の各国とともに知恵を絞り、普遍的世界理念の確立に向けて、政治経済の在るべき道を創造してからでも遅くはない。その後に、縁戚でもある米国を誘導すれば良い。米国は全てに通じる共同国家として運営されるのが望ましい姿ではあるのだろう。英国も話せば判る。そう、残された大国、それはロシアでもある。 −つづく− |
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廻り巡って自らに降り掛かる因果応報が世の習いとすれば、全く気付かぬ人々にとっては不幸の始まりでもあれば、気付く人々にとっては新たな幸福が訪れる場面も出て来ないとは限らない。これは、ユダヤ、キリスト、イスラムの原典が教えている事でも、仏教や儒教、或いはヒンドゥーやバラモンが教えてもいる宗教原理を云うのではなく、条理、不条理を持つ人間の歴史を概括し、仏教用語で表わしただけの現象用語ではある。 中国からの輸入農産品でもあるネギ、シイタケ、畳表の三品目に対する、緊急輸入制限措置、所謂セーフガードの停止期限90日が切れた。常に中国を槍玉に挙げる様で実に気が重いのだが、それは偏に日本の政官財を含む国民の、生活姿勢そのものに問題があるとするのは当然の帰結なのであろう。 江沢民の覇権戦略や軍事独裁を容認するものではないが、中国の貧しい農民を迄、ブッシュ氏の言葉を借りる訳ではないが、「ならず者」と断定する積りは毛頭になく、そんな言葉を発すれば罰が当たろうと云うものだ。逆に中国のお百姓さんに対しては、毎日々々汗水垂らして生活消費物資を生産し、日本に供給して頂いて有り難い、とでも云いたいくらいである。 経済は、高き所から低きに流れるとは云い古されてもいる言葉だが、それは日常生活における簡単な思想や信条を共有し、価値体系においても左程上下変動のない者が集う社会においてのみ通じもする言葉であって、尚且つ共有しよう或いはともに集おうとする中での意思疎通が適ってもいれば未だしも、当該基礎としての大前提条件を満足させる事さえなく、思想信条のルールさえ踏みにじって低き所にパイプを通す輩の存在そのものが、実は問題でもある事を覚えておいて損はない。 ルール無視を、政治家ばかりか、官、財に至るまで、万遍なく執り行なうのに一切の疑念すら持たない日本社会でもあれば、民にした所で、同じ轍を踏んで何が悪いのかと開き直る、程度の低い社会でしかないのだろう。問題が起これば、反対!のプラカードを掲げ、国会や議員会館に押し掛け、関係為政者と膝詰談判。結果はその場凌ぎの対応でセーフガードの発令や、官僚を呼び寄せ、「何とかならないか!」で助成金をもぎ取る。久しく続いてもいる日本政治の、旧態依然とした態様ではあるのだろう。 要求を為す当該国民にしても、他の流れには一切無頓着の有様は箸にも棒にも掛からない同一態様を見せている実態を、家に持ち帰り前後左右から考え、見直す必要はどうもありそうだ。それらの断片を補い、正常な形を模索し、国民に示すのが為政者の務めでもあるのだが、ミクロを知る事のない為政者にマクロ経済と、それに沿った政治政策を打ち出すのを望むのは現状では無理がある。 中国を直接間接的に経済支援する事で、日本の安全保障が堅固なものになるとの、それこそ政治的判断で資本の移動を奨励し、或いは放任姿勢を戦略的に執るのでもあれば、国民にとっても許される場面すらあるのだろう。だが、政治経済は不可分の両輪関係にある事ぐらいは、中国を例に出さずとも解る仕儀でもあれば、与野党を問わず八百長為政者には、その正当性としての理由になる確たる根拠を示して貰わなければなるまい。勿論、国家理念さえ持てぬ彼らに、現状の政治経済に整合性を持たせた明確且つ納得可能な説明を期待出来る等とは思ってもいないのだが。 過去には、友好国でもある韓国や台湾、シンガポール、或いはタイやマレーシア、インドネシア、フィリピン等々へ、多寡はあるが各種資本の移動は為されもした。その何れの国家においても需給バランスの底上げは経済学原論にも見られる通り、労働者に対する賃金の上昇としてもたらされるのが通常で、需要と正比例する形でそれは表れても来るのだが、中国の場合はその間に「国家戦略」が介入し、労働者に対する還元が全く為される事のない人為的政策を用いてもいる事を忘れてはならないのだろう。 労働者にも還元されるべき当該利潤が、国庫の中に順調に収められ、それが武器弾薬に変わりもする政治の在り方に、日本政府は目を瞑り、内政不干渉と称して、中国国家に覇権のアドバンテージを与え続ける日本の政官財、それを間接的に後押しする国民、奇妙の連続である事に真っ先に気付かなければならないのは、自らの首を絞める事になる日本国民そのものではある筈だ。 政官財は八百長政治で生活を凌ぐ手立てを持っているが、彼らの八百長を認識出来ず、純朴にも、彼らの政策を受け容れる国民には残念乍ら何等の防御手段も持てない事ぐらいは理解して貰わなければなるまい。中国国家を覇権国家として肥え太らす片棒を担いでいるのが、実は日本国民自身でもある事に気付かなければ、因果応報はまた巡り来るのだろう。自分さえ良ければが長続きするものではないのだが。 国連総会への出席と、G8外相会議への出席を、国会議員多数で拒まれた田中外務大臣、国民の声援と国会議員多数からの無視、このギャップの意味する所は極めて異常で、国民と議員との意識の差を如実に示してもいる。国民が声援を送り続ける中には、外務省高官に拠る不正の露見と疑惑の噴出、或いは外相個人の孤軍奮闘?に対するそれは「判官贔屓」として表れてもいる。 田中外相に如何に理があろうとも、既に多勢に無勢、孤立無援にも近い現状でもあれば、政治的にはまさに勝負あり、退陣は時間の問題ではある様だ。当該政争の敗因は云わずもがな、外相本人の戦略のなさとその拙速さに尽きるのだろう。巣窟全体の把握以前に、感情の赴く侭に発言、或いは戦術を開示して仕舞う有様は、為政者としても、例え企業経営者ではあっても、失敗を引き起こす最大の原因になる事ぐらい気付かなければ、非常識としての謗りを免れる事もないのは当然である。 戦術を開示すると云う事は即ち、敵と見做す相手に対して防御手法と対策手立ての時間的余裕を与える事に繋がり、逃げ道のみならず反撃の機会さえ与える事になるのを忘れた訳ではあるまい。過去から続く怨念が在るのかないかは別として、一気呵成にやって良い場合と拙い場合のある事ぐらいは、外相と云えども理解出来ない訳ではなかろうに。 如何に政官が腐り切った八百長体制下にあるとは云え、枯れても民主主義社会体制を標榜する日本、多数と云う化け物が率いる権力を一人でひっくり返す、或いは小泉首相の厚い信望があるからとの理由だけで、不正分子を排除可能とでも考えたのであれば、策のない為政者と称されるだけでもあるのだ。いつ迄もこの様なぶざまな政治行動を感情の為すが侭に続ければ、如何な寛容性に富んだ国民支援者とは云え、そうそう見逃しては呉れそうにもない事を肝に銘ずるべきであろう。少しは、緒方女史の立ち居振舞いを見習っても損はありませんぞ。 女史のさり気なく発する言葉の端々には、日本を含めた先進国の為す不条理にさえ、釘を刺す内容も含まれている事を決して忘れてはならない。明け透けに云うのも解り易くて実に小気味良いのだが、オブラートに包んで言外に匂わせる手練手管も、時と場合に拠っては意味を持ち、必要となる場合すらある。国民須らくが愚鈍ではなく、一を聞いて十を知る人間さえ少なくはない事を忘れてはならない。 ロシア、プーチン政権がブッシュ大統領の真意を測りかねている様だ。勿論、ポストタリバン政権を見越しての事ではあろうが、タリバン政権に対峙する「北部同盟」の兵士の陣容を見ると、アラブ人の様相とは到底似付かない顔立ちの人々が多数いるのが判る。イスラム教徒ではあろうが、アジア系、所謂モンゴロイド系の顔立ちが多数その中には目立つのだ。アフガニスタンが中央アジアの一角でもあれば「そうかな」とさえ表向きには納得するのだが、列を組んだ陣容からは、傭兵ではないかとの疑問さえ捨てきれない。 日本人の祖先とも云われるブリヤート系民族もアフガンの北に居住する事実と、モンゴル系を東北東に置くシルクロードの道でもあれば、似通った人種が「北部同盟」にいても不思議はないのだが、何故か腑に落ちないのである。また、チンギス ハーンを皮切りに、ハーン国家を多数形づくった中世の同地以西でもあれば、「なるほど」の思いも抱くのだが、要らぬ疑問さえ彼らの顔形から想像させても呉れる。 民族蜂起の荒波高い歴史を有する地域性を考えれば、プーチン大統領ならずとも、下手な手出しをすれば再度大やけどを被るのに等しく、高見の見物と洒落こみたい所ではあろうが、そうも行くまいか。国内に同様の問題を抱えている現状では何かしらの対策を講じなければならないのだが、だからと云って、米国の不条理を真似する必要は何処にもない。 同時多発テロに対する報復攻撃を大義名分に掲げる米国ではあるが、過去の米国の不条理政策を無視して迄賛成する必要は何処にもないのだ。勿論、ロシアにも様々な不条理はあったし現に有りもすれば同罪と見做せなくもないが、過去から引き摺る不条理でもあれば、解決に向けての理性の創出は基より、不条理の上塗りだけは避けて通るべきであろう。 未だ不条理の手垢に塗れてもいないプーチン大統領でもあれば、条理を貫く国家ロシアとして、少なくとも先進諸国に手本を見せるべきであろう。好き好んで、政治経済ゲームのイカ様博打に加担する必要はない。アメリカ合衆国ヒエラルキー社会の三段目、非エスニックに位置するロシア系米国人もいれば、合衆国内部から不条理の排除を糾して行くのが近道ではある。 国際社会から不条理が途絶える事で最も被害を被るのが、米国の裏の政権を担う「CIA」でもあれば、ソビエト崩壊と同時に対共産主義壊滅の大目標を失った彼らの存在価値は薄らぎ、縮小の対象となっても良かった筈だが、組織が拡大されこそすれど縮小される気配は更々にない。さもあろう、新たな不条理の火種を撒き散らす事、つまりマッチポンプで、「裏政権」の維持を計れば済み、国家権力の正義の名の下に不条理を弄ぶゲームがそれで可能ともなるのだ。人間の本性に巣食う残虐非道性を如何なく発揮出来るのはそれを置いて他に存在する由もないのだ。核兵器を含む軍事力は、彼らにとってはまさに「主」でもある事がそれで理解されよう。 同時多発テロや炭疽菌テロ犯罪が直接彼らの手に為るものではなくとも、間接的に絡んでいると見るのが自然なものの見方でもあれば、益々米国の裏社会から目を離す訳には行かないのであろう。理念の変更が、米国でも必要とされる所以は此処にある。東南アジアへの持ち越しは願い下げにして欲しいものだ。 −つづく− |
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第二次世界大戦を契機として、政治的世界地図が大きく塗り変わった事は今更云う迄もあるまい。大戦以前の欧米列強に拠る世界の分割支配の勢力図が、大戦後を境として再編成される事にもなるのだが、アジア、中東、南米、或いはアフリカ、太洋州に対するアメリカ合衆国の勢力範囲は、他の列強を遥かに凌ぐ支配権の確立をも成功させたと観て良いのだろう。 旧列強としてのドイツ、或いは旧列強に対抗する形で存在もした日本の敗戦、それは当該両国の支配地若しくは支配を目論んだ地域の悉くがアメリカ合衆国の支配下に治まるか、若しくは他の列強に返還される事ともなった。 国際社会の支配構造が欧米列強の秩序の下に成立さえした、或いは現在も尚成立し続けている状態は否めない事実だが、当該支配構造の維持運営が、経済活動の活発化に伴う情報手段の発達と伝達速度の光速化通信網に拠って、今まさに困難若しくは危機に直面している事実は皮肉な現象と云ってもいいのだろう。 欧米列強が創り出した当該政治経済の秩序は、日本の八百長為政者が発案した様な「政経分離論」が無意味で且つ空論に過ぎない事をも教えて呉れているのだが、その維持と運営を計るに及び、武力以外に拠っては些かも成立し得ない事を証明しているのが、現在に至る様々な紛争や戦争に対する欧米列強に広く見られる軍事介入ではあるのだろう。 アジアを、属国でもある日本と韓国に任せ、軽視さえした観のあるアメリカは、当該属国に軍事駐留する事で安心したのではあろう。その持てる力を中東の油田地帯、或いはロシアとの国境線上を相当に意識した軍事力の配備構想を以って、政治経済に覇権を打ち立てる事を目論んだのは疑いのない事実であろう。旧ソビエト政権が推し進めもした南下政策乃至は自国イスラム圏への覇権逆流を防ぐべく画策したアフガニスタン征服計画は、米国に拠るアフガニスタンゲリラ支援策に拠って脆くも挫折をみたのは広く知られてもいるところである。 アメリカ合衆国政府及びその下部機関でもあるCIAの力も完全無欠の万能ではなく、国益に応じた防諜力の配分でもあれば、アジアを軽視さえした事は政治経済情勢の成り行きから見て至極当然の采配ではあったのだろう。米国会議員の中には、「中国」を警戒しなければならないとする根強い意見もあったし今でもあるのは確かだが、戦略変更を促す程の大勢を占める迄には至っておらず、中東や南米に対する「国益」としての重要性から比較すれば、未だ低い位置に中国はあると見るのが米国為政者の現状認識ではある様だ。 十三億人もの巨大な人口を擁し、靴や衣服を作る国家が米国にとって、直接脅威になる事は先ず有り得ない、精々相手になるとしても百年後か二百年後にでも、その脅威を考えればそれで済む、その程度の現状認識が、米国政治経済を操るワスプや非ワスプ或いはユダヤ系権力者群が広く持つ、「中国」に対する理解ではあるのだろう。 優性学の観点から白系人種を頂点として位置付け、有色人種を下位と学ぶ彼らでもあれば、中国を軽視したとしても別に不思議な事でもなく、極自然の態様ではあるのだろう。靴や衣服を売る事で利益を得たにしても、米国が持つ比類なき軍事力に対峙するのは、遠い将来の夢物語でもあるとする見方は、潜在的に彼らが持ち続ける人種偏見の優性思想から生まれた、それは幻想に過ぎないのだ。米国権力者が比較的に陥りやすい罠は、実は潜在的白系の優位性と、それを崩してはならないとする強迫観念がもたらしてもいる点に気付かない事ではあろう。 米英が持つ軍事力の質と量が、如何に他国を圧倒し追随を許さぬ程の体制を保持しようとも、それが無意味に近いものである事の本質を彼らは忘れてもいる。地上に住む人間を、何十回にも亘って絶滅させるだけの質量を持つ核兵器を保有し、それを誇示したとて何等の意味も為さぬ事ぐらいは、子供でさえ理解出来る数字のトリックでしかないのだ。中国は既に、米英やEUに対峙可能な軍事力を保持し、何時でも使用可能な核兵器を含む軍備体制が整ってもいる事を、日本を一とする欧米諸国は認識し直すべきではあろう。 靴や衣料の生産から、今では電子技術、情報技術を生産の核とする迄に経済の範囲を広げた中国は、政治経済の表面的且つ条理に適った成長とともに、防諜、諜報、覇権、国家転覆に繋がる、まさに米国が有する秩序破壊等を任務とする工作員さえ幅広く整え不条理網を完成させ、日本を一とするアジア諸国のみならず、ロシア、中東、欧州、勿論アメリカ合衆国にさえ派遣組織化する実態は、その実践部隊がもたらす効果として、CIA、MI6、モサド、旧KGBをも凌ぐ組織的規模に迄拡大している事を、欧米及びその属国でもある日本並びに韓国は気付く気配さえ見せていないとは、実に不思議な国家群ではあろう。 少なくとも日本政府は、その実態に気付いていても敢えて隠している節さえ見られなくもない。隠し続ける事に如何なる理由が、日本の権力を握る為政者に在るかは解らぬが、戦前からの犬猿の仲、或いは戦後の故田中角栄首相の手になる国交回復時の条件提示の中に、その答えが隠されていると見るのは下衆の勘繰りなのか。 そうでも考えなければ、これ程無防備に且つ無制限に、日本社会の秩序を破壊する大量の工作員を受け入れ日本社会を混乱の中に引き落とし、経済に関して云えば、自国を疲弊させる程に敵に塩を贈り続ける現状の如き政治的対応を執る事はあるまい。様々な犯罪、殺人から空き巣、日本の闇社会を支配する事からコンビニ強盗、銀行強盗と犯罪デパートの日本での店開きは、あの秘密機関でさえ真似の敵わぬ統制の取れた国家を挙げての組織犯罪であろう。 漢民族の持つ凶暴性と粘着気質は、淡白で瞬間湯沸し気質を持つ日本の、八百長政官財を取り仕切る連中を脅し、懐柔する事ぐらいは朝飯前の一仕事程度のものなのかも知れない。自国領海を、継続的に侵犯されたとて、威嚇射撃の一つも出来ない海上保安庁や海上自衛隊、如何にシビリアンコントロールが効いているからとは云え、独立国家としての態様を為すものではない。 中国には核兵器があるからとの理由だけで怯み、正当性としての防衛を放棄しているとは思えないが、当該事例においてのみ「憲法」を尊重し無抵抗主義を貫き、米国の後ろを歩むに際しては平然と「憲法」を蹂躪するでは、覇権国家の思う壺でもあるのだろう。為政者の八百長はこの様な場面でも窺えるのだ。(全国紙の一社でもある某新聞社が自らの思想信条に国粋主義を掲げ国民を誘導するのも良いが、また米国一辺倒をさも当然の日本人の義務として説くのも構わないが、不条理国家中国とそれを放任する日本の八百長政治の不条理を詰るのも同時に併説しなければ片手落ちにも過ぎる。) 米国の執る戦略の一環としての、中国に対する日本の引渡しでもあれば理解出来なくもないが、欧米政府或いは欧米の諜報機関が認識し、軽視して仕舞う程、「中国」政府が放つ諜報機関は軟弱なものではない。国家体制が「共産主義社会体制」ではあっても、伝統に裏付けされた戦闘集団でもある事は見ての通りであり、戦略や戦術、時をも超越した深謀遠慮の数々の実践は、合理主義若しくは功利主義に拠って仕組まれてもいる欧米の諜報機関とは、明らかに異なる態様である事を忘れてはならない。 如何にCIAが無尽蔵の資金と、与えられた不条理許可証を用いて、要人を暗殺し、国家転覆を謀り成果を治めたにしても、当該中国の場合においては、トカゲの尻尾を切った程度の、何等痛痒を感じる事のない不成功として、それは処理されるだけであろう。 ブッシュ政権が弱小タリバン政権相手に、猫が息の途絶え掛かった鼠を弄ぶ様に、爆弾投下を楽しみ戦争ゲームに熱中し自己満足しても、一度対極に振れた振り子が逆戻りもする必然を忘れてはならない。対極に上り詰め不条理を極めた米国が受けるであろう怨念と仕事師からの業が、イスラム原理主義を唱える過激派集団にのみありと早合点する拙速さは避けた方が賢明である。 眠れる獅子を目覚めさせたのは日米欧、とりわけ日本の資本と技術の付与でもあれば、あのエシュロンにも引けを取らぬ高度な情報収集能力を保持形成し、無尽の人海戦術を誇れる中国が畏怖する世界は何処にも存在しない。 パキスタンにおける駐在武官が、インド、イラン等の同国駐在武官を招き情報収集、日本における情報工作員が全国各地に散らばり電波傍受での情報収集と政官財への工作、ロシアで欧米で、はたまた紛争地の中東でと、穏健を装う華僑基盤を隠蓑に収集される膨大な量の情報は、最先端の暗号技術を以って中央に収められ分析もされれば、覇権戦略策定の重要な決定要素として利用されるのは至極当然の流れではある。 中国が狙いを付けるのは、覇権に欠かせない自国経済の発展でもあれば、国内生産では到底賄い切れないエネルギー源の確保であり、それを持つロシアと中東に、アジアにおいてはベトナム領海と南端に位置する未開発の日本領海にある事は、軍事行動の範囲とそのパターンを追跡すれば容易に理解されるのであろう。 ポストアフガニスタンのタリバン政権が、彼の同盟国でもあるパキスタン政府やロシア若しくはCIS共同体の勢力下に置かれる場合は、中国にとっても中東への突破口も叶う最適条件ともなろうが、米英の支配下に彼の国が置かれる場合は、エネルギー取得の道が一つ断たれるだけではなく、異民族を自治区に留め置く従来の政策にも異変を来たし、米国を一とする欧米に拠る「中国市場」の割譲の悪夢さえ現実的な最悪条件として展開する場面さえ中国にとっては危惧されるのだ。 ポストタリバン政権に目を転じれば、当該不条理国家同士の確執が表面化する惧れさえあるのだが、方や東洋の策士、方や西洋の寝業師でもあれば、妥協の産物でもある政治的握手、所謂呉越同舟、同床異夢の、暫らくは裏方だけに拠る戦いは凄惨を極める事ともなろう。 ウサマ ビンラーディン氏が生存しているとの確率は五分五分、炭疽菌のばら撒きテロがイスラム過激派に拠るものとの見方も五分五分、特に後者に付いての米国政府の歯切れの悪さは尋常ではない。部分的に収まりはした様だが、ロシアでの炭疽菌発見の情報を知れば、世界を網羅するG−Men組織の手の込んだ不条理な芝居と見るのが、筋道の通ったものの見方と云えなくもない。 故J.F.KがCIA幹部に伝えたとされる、「諜報機関の成功は表に出る事は決してないが、失敗は公表しなければならない」の云い伝えが、当該理性的民主主義に基づく最低限のモラルとして生きているのでもあれば、何れ公にされる場面もあるのだろうが、共和党政権下の、それも純粋なワスプ政権を引き継ぐブッシュ大統領でもあれば、仮に不条理が其処にあったとしてもそれは闇から闇へと葬り去られるのではあろう。 −つづく− |
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昨日も通勤の途上で二件の電車飛び込み自殺があった様だ。日常化さえしている不条理を押し止められない状態を、人間の弱さと表現するのは易しいが、それは今まさに社会においてのサバイバルゲームそのものを表わす現象結果であるのかも知れない。見聞に慣れる事の人間を襲う<おぞましさ>は今更云う迄もないのだが、最終的な言葉として人々から発せられるものは、「邪魔、迷惑」の表現に表わされるのでもあろうか。実に嘆かわしく、おぞましい言葉ではある。 確かに、車内に閉じ込められ先を急ぐ、或いは時間に制約された中で動かなければならない人々にとっては、当該行為は邪魔であり迷惑でもあるのだろう。また、本人の当該不条理行為で残された遺族にとっても、ある面ではそれ以上の思いさえ持つのかも知れない。だが、邪魔だとか迷惑だとか云う前に、何故にこれ程多数の人々がそれも一日として途切れる事なく、自らの命を葬り去らなければならいのかの事由を考える材料を提供してもいる事に、気付くのが先決事項ではあるまいか。 或る者は病気を苦に、或る者は対人関係を苦に、或る者は経済の破綻を苦にと、それぞれの不条理に至る原因は様々にあったのだろう。社会に身を置く事での閉塞感、生きながらえる事での絶望感、それらの原因を社会の責めに被せる事は実に易しい。 だが、結果としての不条理を選択するのも、条理を求めて閉塞感や絶望感と戦うのも本人が持つ選択肢でもあれば、不条理としての自殺を選択する者は、病苦以外は押し並べて、精神の病みに自らを突き落とす「敗者」の名を自らに冠しなければならない筈だ。それでも良しとする選択の結果がその不条理でもあれば、まさに救い様はない。 日本社会に限らず、まさに文明の発達とともに広がりを見せてもいる、それは紛れもない不条理としての一面ではあるのだろう。対人関係、経済破綻、脅迫、暴力等、多岐に亘る原因があっても、それに対峙する「場」の模索さえ放棄する精神力の崩壊には抗する術もない。対峙する「場」は必ずや存在もする事を先ず心理の原点に据えないと、社会の動きどころか自らの存在すら認識出来なくなるのは必至ともなるのだ。 もの心が付き始める幼少時から、「対の存在」を潜在意識として植付け且つ教え込むのは親の義務と責任でもあるのだが、その親自身が社会の右肩上がりの潮流に身を任せ育てられて来た世代でもあれば、その場に臨んでの判断に唯狼狽し対処不能に陥るのは当たり前の事ともなる。 「対の存在」等は殊更に難しいものではない。平たく云えば、善と悪、罪と罰、因と果、応と報等を、日常の生活を通して教え続ける事なのである。難しくも何ともないだろう。「嘘をつけば閻魔様に舌を抜かれる」、「悪い事をすれば地獄に落ちる」、「親切は何時か自分に返って来る」、「ご飯つぶを一つでも残すと罰があたる」等々がそれで、別に難しくも何ともないのだ。 魑魅魍魎どもが形作る社会の偏向態様、つまり政治経済ゲームにおける社会ルールの都度の改竄を、さも当然の如くに取り成す八百長社会の有様に、自らを浸し続ける事の愚かさに気付くか、或いは気付かぬ侭常態として受け容れて仕舞うかの相違が、様々な不条理を取捨選択する開閉弁を取り扱う重要なバルブともなっている事を忘れてはならないのだ。真贋を見分け心眼を育てると云う事は、人間、生を受けた時から既に始められていなければならないのである。 或る者はそれを道徳と云うのであろうが、道徳以前の普遍的摂理ではあるのだ。道徳は社会を律する規範にはなっても、遍く人間に共通する規範である等とは一切断定出来ず、それは権力者にとって都合の良いマインドコントロールでもあれば、人間の行動を律する規範とは云い難いのである。騙されてはなるまい。 不条理を選択する意思があれば、対峙する側の不条理でそれを打破する意思の引き出しは不可能ではない事を、先ず以って人間として知るべきではあろう。自殺の選択は逃げの選択ではなく無知がもたらす諦めでもあれば、無知を知恵に変える引き戻しの条件反射は幼少時から、間断なく植付けられ育まれて来なければならなかった、それこそ理性を生み出すマインドコントロールなのでもある。死に急ぐ事はない。人間存在の目的は生きる事にもあるのだから。 米英軍のアフガン攻撃に業を煮やして、タリバン政権の外務大臣は実に面白い発言をしている。米英軍を統轄するブッシュ大統領とブレイアー首相はタリバン政権の指導者でもあるオマル氏と、テキサスの荒野でカラシニコフ銃を使い決闘をしようではないかとの発言内容がそれだ。 テキサス出身の純粋ワスプでもあるブッシュ氏と、彼の故国でもある英国のブレイアー首相に対する挑発の形での提案発言は、タリバン政権に未だ余裕のある所を見せたいのであろうが、平定に関してだけ云えば、既に勝負ありの段階に差し掛かっている事さえ教えても呉れる茶化し発言と、理解して差し支えない。 旧ソビエト時代の機関銃を使い、荒野の決闘に臨み、何れに勇気があるのかを試そうではないかの発言は、「宗教対立懸念」、「南北間に横たわる貧富の格差是正」、「差別の根絶」を、真剣に考え憂いている第三者からすれば、肩透かしを喰らう程の、実に中身のない感情の吐露ではあるのだろう。宗教の御旗を立てての反抗は既にまやかしであった事をも意味し、単なる権力闘争、所謂政治闘争の手段でしかなかった事を表明したにも等しい内容とも云えるのだろう。ブレイアー首相に対するものは別として、当該発言がブッシュ大統領に与えた政治的アドバンテージは、それで確たるものとさえなったと云っても過言ではなかろう。 揶揄が引き出す功罪は、罪は認められても功の存在は先ず皆無である事を、権力者たるもの知らなければなるまい。ブッシュ大統領にもあった「二十一世紀の十字軍」発言を、揶揄とみるかどうかは議論の分かれる所ではあるが、イスラム社会に対する揶揄との見方も一部で為されていた事実は否定し難く、さすれば、当該非難を受けて正気の世界に一歩でも戻らなければならなかった筈のブッシュ政権にとっては、タリバン側の政府高官発言で相殺される事は間違いがなく、正気の世界に戻るどころか、狂気の世界に逆戻りさえさせる論拠さえ与えて仕舞ったと見做す事さえ可能ともなるのだ。 権力のヘゲモニー争いで犠牲となるのは、常に権力とは無縁の市民と奴隷でもあり、戦争ゲームを進める当事者でもある権力者にはない事を第三者は特に知る必要がある。結果において、権力者が五人や十人抹殺されても、市民や奴隷が五万、十万と命を落とす不条理をあがなう事など出来る由もない。 江沢民が天安門事件を総括して、一億や二億の民を失ったとしても、中国国家に異常を来たすものではない、と迄云ったとされる発言に見られる狂気性を帯びた信念が、権力者に備わった揺るぎない普遍的価値観でもあるとするならば、ヒトラーもスターリンもトルーマンも、ブッシュもフセインも江沢民も、同一線上に並ぶ不条理実践者としての帰結さえ引き出すのであろう。理念なき国際社会が継続しもする所以ではある様だ。 ポストタリバン政権は、またもや国際権力者群の鳩首協議にて決定、線引きもされるのであろう。芥子畑を擁する地域を何処の権力を持つ国家が押さえるか、或いは石油の利権に絡み、イランとの国境線上を監視する国家が何処になるかが水面下での争点ともなろうが、その中心が米国と云うよりは寧ろ、米国を後ろで操作する人種の帰属する国家との関係で、政治的影響度合いが決定するとみるのは、強ち無謀な判断基準ではあるまい。 鳩首協議に至る迄の間、アフガン空爆は続行され屍は積み重ねられもする。国際世論の視線をアフガンに釘付けする一方で、イスラエル、パレスチナ戦争は熾烈を極め、何れパレスチナがイスラエルの軍門に下る日もそう遠くはない。 ブッシュ大統領がいみじくも口走った「二十一世紀における十字軍」発言は、まさに計画通りの既定路線としての戦略の遂行ではある様だ。如何に否定しようがしまいが、アフガニスタン、中東を結ぶアラブ包囲網の完成と去勢手術の成功は一つ二つとその実績を積み重ね、それは何れ、ワスプと非ワスプ連合、ユダヤ単体、独仏を中核としたEU連合とロシアCIS共同体の、少なくとも三極体制に拠る覇権争いの熾烈なヘゲモニー争いに発展さえする場面も少なくはない。 アラブを含む有色人種が、奴隷の道を選択し歩むのか、或いはまた抹殺の対象ともなる抗争の道を選択するのかは解る由もないが、勝つ事が対立軸にある負けを引き出す事も天の摂理であれば、エスニックに拠る揺れ戻しは必ずあるのだろう。 その中核としてのイニシアティブを執るのが、人口の数に優る中国でもなければインドでもなく、エジプトでもなければイラクでもない事だけは確かな様だ。さて、それが何処の国であるのかは、何れ明らかになる時期は嫌が上にもやって来るそれは時間との戦いであると観て差し支えないのだろう。 −つづく− |
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冬到来を告げる今年のラマダン月を前にアフガニスタンでの空爆は拡大の一途を示し、人々は逃げ惑い、或る者は無力にも抵抗姿勢を崩さずその場に佇んだ侭逃げようとさえしない。逃げても無駄と思っているのか、逃げるだけの気力さえ萎えて仕舞っているのかは解らないが、この様な光景を引き出すであろう事は、空爆を受ける以前から想定はされている。 この意味からすればテロも戦争も不条理である事に変わりはない。大義名分があるかないかの違いだけだが、人を殺すと云う事自体の本質は全く同じである。大義名分を振り翳し実力行使に移る者、大義名分はあってもその実行に拠る結果としての不条理性に気付き、権利を留保した侭、実力行使を先延ばしに延ばす者、の何れが賢いのか或いは理性的なのかは、第三者にのみ与えられた唯一の判定材料ではあるのだろう。日本を含めた国際社会の大勢が、如何に米英軍の報復攻撃を支持しようとも、犠牲者の堆積し続ける有様を許容する事は、一個人としては一切受け容れ不能である。 ブッシュ氏がいみじくも感情の赴く侭に口走ってもしまった、二十一世紀の十字軍発言を取り上げてみれば容易に謎解きが出来る様に、弱者と見た相手が非白人でもあれば、振り上げた手は一も二もなく振り下ろし、感情の赴く侭武力行使に移るであろう事ぐらいは、高校生程度の歴史的知識があれば容易に理解は出来る。「十字軍」発言は咄嗟に出た言葉ではあろうが、また同時に、彼のシナリオライターからは諌められもしたのだろうが、彼の信念に白人、特にワスプ優性思想が入っていなければ出て来る言葉などではない。 逃げ惑うアフガン人の住まいに、或いは建物と云う建物に爆弾を投下し、何処ともなく立ち去る米英軍、彼らにとっては実に気分のいい爆弾のばら撒きではあるのだろう。「テロは許せない」を合言葉に、五人、十人と死傷者を積み重ね、アフガン人の無垢な屍に対する哀悼の意を示す事なく、自らの正当性に忙しく同意を求めながら更なる殺戮を繰り返す態様は、異常を通り越し狂気にも似たおぞましい本性が見え隠れもする。 アフガン人として生まれ育ち、或いは有色人種として生まれて来た事で、虫けら同様の扱いをされ、殺戮の対象ともされる不条理を、ノーベル平和賞を貰った黒人事務総長を筆頭に国際社会が受け容れもするこの狂気性は、如何なる説明で納得出来る答えが用意されると云うのか。狂気に対する、或いは殺戮ゲームに対する国際社会に蔓延する感覚の麻痺は、さながらTV時代に育てられた人間に特有の、慣れがもたらす映像と現実との極端な乖離が惹き起こす因でもあれば、一過性のそれは悲劇としての場面でしかないのかも知れない。 情報としての映像を通じて観戦する第三者は、常に痛みを与える側の視点に立つ事に慣れ、痛みを受ける側の恐怖感覚はまるでゼロの心理状態は、均衡感覚の欠如を道連れにした勧善懲悪の不条理版ではあるのだろう。相手の立場に立つ事さえ出来ず、自らの正当性にのみ固執する意思の貫徹は「餓鬼道」の実践そのものではあるのだ。 更に云えば、その正当性の主張に一点の曇りも、或いは如何なる落ち度も若しくは疑念さえなければ未だしも、過去から現在に至る迄、遣りたい放題の不条理を極め、要人暗殺はもとより国家転覆をも厭わず、それすら国策であると公言して憚らない国家が、反対給付として受けるべくして受けた「テロル」を、巨大な国家に対する新しい形の戦争であると称し、同盟国から配下の奴隷国家までをも引き連れ、消費しなければ困る有り余る武器弾薬を、食材も暖も満足に無く今日明日を生き延びるのに精一杯のアフガン人の「棲家」に、容赦なく落とし炸裂させ殺戮を伴う愚弄ゲームを諌める者が皆無とすれば、やはりその押し止めを神である「主」にしか頼めないとは、実に情けのない狂気の世界に等しいものである。 宗教を、正当性を持つ究極の武器として利用したいタリバン政権と、そうはさせじとする米英軍の権力争奪戦は、タリバン政権の崩壊で表面的には沈静化をもたらすのではあろうが、根に巣食う人種間の争い、所謂「被差別意識」のマグマが凝固するものでもなければ、宗教の御旗を武器に更なる不条理としてのテロや戦争はこれからも尽きる事はない。 対外的には比類なき武力所持を背景に、縦横無尽に振舞える米国ではあるが、過去に米国が撒いて来た不条理の火種は何れその地で発火する事もあれば、テロを契機として、国内的にも人種間に根差す紛争の、新たな発芽も見る事になるのだろう。 米国にとって必要なものは、日本同様に、理念の創出である事は疑いを容れない。単一民族にも近い日本が、理念の形成すら出来ないのは、「奴隷根性」が抜け切らない八百長政官財のリーダー群が権力を握るからであって、そのマインドコントロールさえ解ければさしたる困難性は持たない。某法制局長が述懐した如く、何事にも未成熟な政官財に拠る国家運営ほど危険極まりないものはないとのニュアンスを含んだ発言は、実に的を射た指摘ではある。 だが、米国に新たな普遍性を以った理念の導入を現時点で要求するともなれば、それは日本の比ではなく、極めて困難且つ厳しい状態に陥る事は確かな様だ。普遍的理念の創造を打ち出す事は出来ても、現存する法制度から社会制度迄をも否定する権力者は皆無と云って良く、居心地の良さを放棄して迄、普遍的理念の立ち上げに賛意を示す者等いる由もないからだ。 四世紀弱の間に作り上げた米国社会の、ワスプ系を頂点とする折角のヒエラルキー社会をむざむざと捨て去る程、彼らは甘くはない。「自由、平等」は、ワスプ、非ワスプ、或いは精々が非エスニック迄の範疇にある人種に与えられた理念であると思われてもいる様に、それ以外の有色人種に普遍的に与えられた理念である訳がないとの、彼らの心理の奥深くに潜む本音に仕舞われている事を見逃してはならないのだろう。 アフリカ系のパウエル氏やライス女史の官僚への登用等は、彼らの才能も去る事ながら、ワスプ政治にとっては危害も少なく、有色人種の絶対多数を占めるアフリカンに対する「ガス抜き効果」も同時に引き出せると見たが故の登用であって、それ以外に意味は持たない。何故ならば、数的にマイナーではあっても優秀な人材は掃いて捨てる程、ユダヤ系には存在するからでもある。 然しながら、二十一世紀に入ってすら旧態依然とした独善的正義を貫き、古色蒼然ともなっている米権力執行の態様をその侭活かし続ける事の不条理は、国際社会の進まなければならない道とは相反するものである事を、有色人種社会は声を大にして叫び続けなければならない。 −つづく− |
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外務省の構造的涜職発覚及び疑惑の噴出に憤り、孤軍奮闘で切開手術を為そうとする田中外相。一旦手術を許せば、頭のてっぺんから爪先に至る主要な組織器官は全て、切除しなければならぬであろう事態を最も畏怖する外務省高官とのつばぜり合いは、実に凄まじいの一語に尽きるが、所詮日本国政府の公僕に仕える一省庁の身でありながら、心神ともに米国の裏権力者の後ろ盾とマインドコントロールを受け、官憲さえ立ち入れぬ治外法権の根城と化した「外務城」でもあれば、如何に国民多数の支援を背に田中外相が正論を吐き不道徳を嘆こうとも、道理としての一般常識が通じる相手ではない。 過去にも、大蔵省、建設省、通産省、厚生省、農林水産省等でも不正疑惑事件は発覚さえしたのだが、いつの間にか知りきれトンボで捜査は片付けられている。官民の涜職に対する意識の乖離はそれ程に温度差がある事を外相自体知っている筈だが。 構造的涜職(不正行為)等は一日にしてなるものではなく、永年に亘って積み重ねられた悪習に因る、不正に対する感覚麻痺と組織全体への常態的伝染でもあれば、外務省を根城とする日本人の仮面を被った仕事師達が、陰に陽に日本国家を食い物としそのエキスを吸い続ける事で為政者の仮面を被ったもう一方の特権階級としての政府高官ともども、これからも図太く生き延びるのではあろう。 まともな、それも正論に基づいて糾弾を推し進めても、特権階級としての同種族でもある政府高官の持てる権力を利用且つ動かし、マスメディアを引き連れて包囲網が敷かれ一斉攻撃を受けたのでは、外相ならずとも一溜まりもない。 田中外相の父でもある故角栄氏が、何故に最高行政権力者の座を追われ且つ政界及び自派閥の、雑巾掛け迄させて可愛がり、派閥の番頭として育てたあの故竹下氏や故金丸氏らから後ろ足で砂を掛けられ、黙殺されたかの理由を傍で見ていて熟知している筈の外相が、その根源との戦いを挑むのでもあれば別だが、彼らの手先でもある官僚と「喧嘩」をしている様では勝負は開始早々から着いてはいたのだろう。 外相就任早々に、「日米安保卒業論」を唱えた時は流石に外相、奴隷制度の病理に対する宣戦布告と見たのだがそれも束の間、日本人の仮面を被った先兵隊でもある外務省高官が放つ鉄砲玉との戦いに引き込まれるに及んでは既に勝負ありで、これ以上の戦いは「蟻地獄」へ自らを追い詰めるにも等しい行為である事を自覚しなければなるまい。 G8外相会議や国連総会への出席さえ阻まれ、その仕掛け人の一人ともなった民主党の菅直人氏や代表でもある鳩山氏の政治行動の裏に何が潜んでいるのかを手繰って行けば、田中外相ならずとも、その広大さと深さの存在には愕然とする場面さえ出て来ないとも限らない。日本の政財官界を覆う米国裏権力者が敷設する蜘蛛の糸はそれ程迄に凄まじい広がりの態様にあるのだが、それを認識せずに、唯国民の感情的声援の後押しを受け、一匹狼として咆哮したにせよ多勢に無勢、勝てるどころか逆に政治的に抹殺されるのが落ちでもあれば、父角栄氏同様の道さえ歩まないとは限らないのである。 米国が条理に適う国家でもあれば未だしも、過去も現在も、或いは恐らく将来においてもそうなるであろうと推定は可能だが、不条理戦術をエキスに現在の強大且つ堅固な城郭を築いたのでもあれば、条理を原点とする国家理念の創造を米国に求める等は無謀な相談でもあるのだろう。 米国は国際社会から見て確かに一つの国家には相違ない。だが、別の角度から米国を眺めれば、国家と云う概念さえ飛び越えたに等しいものがあり、換言すれば国家名を直ぐにでも外せる状態下に在る「捉えどころのない国」とでも称せられるのではあろう。一独立国家でもありながら、国家としての米国を動かす権力者群の「身元」抜きでそれを理解する事は先ず無謀に等しく、また、理解不可能であると云っても過言ではあるまい。 多民族、多人種、多宗教を同時に抱え込む「米国」。テロ事件を契機に合衆国旗の下にアイデンティティーとしての集合力を高め様としている米国でもあるがそう単純には推移しまい。政治経済における権力構造としてのヒエラルキーは堅固な迄に構築され、微動だにしないかの如くにも映っていた米国社会、過去形でそれを云い表わす事の意味は、当該ヒエラルキーとしての政治経済権力構造に、何等かの亀裂やひびが入ったと見て取れなくもないからである。ワスプ、非ワスプ、非エスニック、エスニックの既存ヒエラルキーとしての社会構造が、エスニックを除く上位三段階で、それもエスニックの人口増加を背景に、微妙に動き始めたと見れるからでもある。 プロテスタント系イギリス人、また、ユダヤ教からプロテスタントやカトリックに改宗したユダヤ人が、米国政治経済を担う主たる権力構造としての図式ではあったのだが、アイルランド系カトリック移民の台頭やドイツ、フランス、ロシアを一とする欧州からの、所謂非ワスプ或いは非エスニック移民の権力分野への進出もその一因になったとみるのは間違いのない所ではあるのだろう。 第二次世界大戦後既に60年を目前に向かえ様としている今日、米国社会における非エスニックでもあるドイツ系民族、無事戦争としての賠償問題を不条理と条理に分別して見事に解決、その彼らの台頭もまた米国の政治経済に微妙に影響を及ぼし初めている事も否定出来ない。 同時に、大きく分けての当該二大人種(ワスプ系、ユダヤ系)が、アメリカ合衆国の政治経済を、主従としての立場で拡大強化し運営維持さえして来たのだが、数的にはマイナリティーでもあったユダヤ系民族がその抜きん出た優秀性を持つが故に、実質的に米国社会の政治経済を現実支配する事になったのも、米国社会を我が物と見做してもいたワスプ側に、動揺と亀裂を生じさせる一因にもなっていると見て取れなくもない。 合衆国元大統領故ニクソン氏(共和党)とキッシンジャー元大統領補佐官の、政治の両輪とも云えるアメリカ合衆国の牽引はその始まりと見て良いのであろうし、ユダヤ系人種の具体的政権内ロビー活動への参加とその台頭は、ユダヤ系人種の不動の政商としての地位から脱皮し、アメリカ合衆国を動かす権力者としての地位をも併せ持ったと見て取る事が出来よう。 だが、数的にはマイナリティーを託つ彼らが、政治経済両輪の権力を担い且つ維持し続けるには、それ相応の障害が眼前に立ち塞がってもいる事実を乗り越えなければならずの態様でもあれば、ワスプ同様に、様々な不条理を以ってしてでもエントラップメントを各所に合法的に仕掛けて置かなければ、国際社会の頂点を極め或いはそれを維持するのが困難と見るのは、彼らにとっての論理であり唯一無二のエントラップメントは、彼らにとってはまさしく正義の実践でもあるのだろう。国際社会に広く受け容れられるかどうかは、また別問題ではある。 一つの不条理の実践が異なる不条理を引き出す事は不可避でもあり、国家或いは強大な権力を背景に為される不条理の実践でもあれば、それを押し止める者が国際社会に皆無の今日、その終焉を神の手に委ねなければならないとは、実に奇怪な現象ではある。勿論、その奇怪さは一つに止まる事もなく、様々なエントラップメントの敷設が引き出す反作用はそれを押し止める為に更なる上塗りとしての敷設を必要とするのだが、彼らは新たな不条理をさえ忌避する理性は持たない。 理性ある者からすれば、彼らとそれに連なる組織或いは他の支援国家群は、不条理としての朱に染まった組織若しくは国家とでも称すべき体制と、同一視し見做しても致し方あるまい。 米国と云う一つの国家を、国家として見る事で陥り易い過ちは以上述べた通りだが、国家の仮面を剥げば、他の国家群に連なる国家間のヘゲモニー争いである事は明白ともなる。また、不条理の発生原因が宗教教義の潜在的対立要因に在るに止まらず、それ以前に人種問題が不可避的に存在する事実を忘れては、国家間に根差す正義の意味そのものの乖離さえ縮め、政治的妥協と云う人間に与えられた最後の道具さえ使用不能ともなるのだろう。 白、黒、赤、茶、或いは黄色の肌を持つ人々が現実に国際社会に存在し、言語、習慣、風俗、若しくは価値観を明らかに異にする人種や民族は何万と、この地球上には存在もするのだろう。文明や文化の或いは科学や化学の目覚しい発達と進歩が、民族の優位性に置き換えられもした価値観の普遍的見方は、換言すれば、最終的には武力の強弱のみで判断されるその不条理に取って変わり、少なくともそれは今もなお続いている強者に拠る中核的な論理となってもいる様だ。 強者の論理でもあるその究極的目的の中に「共存」ではなく、「生存」と云う言葉がより強くその鎌首を擡げて来れば、弱者の排除若しくは異人の根絶或いは縮小と云う、絶対にあってはならぬ不条理さえ強者の正論の主翼を占有する事になるのは当然で、権力を持つ者にとっての違わぬ強迫観念でもあれば、人種淘汰さえ是とする白人至上主義を実践しようとする狂人が出現したとしても驚くには値しない。 偏執的にも過ぎる白人至上主義或いは人種至上主義が、よしんば実現出来たにせよ、バランスを欠如さえした狂人としての思考でもあれば、更なる人種淘汰の強迫観念は続き、地球上にワスプが残るか非ワスプが残るかが延々と模索され、須らくが抹殺の対象となり、ひいては一個人が生存競争で生き残ったにせよ満足を得る事もなく、勝利者でもある彼自身が、終には不条理としての自殺をさえ選択する嵌めに陥るのではあろう。 報復としての戦争決定を為すのもテロを選択するのも本質的に何等変わりのない不条理でもあれば、また、決定に至るその狂人性が人間誰にも潜んでいる殺生としての性でもあれば、理性が抑えられ或いは排除されたが故に発症する不条理の表れと見て取れ、その愚行には愚行を以ってしか解決の糸口さえ見出せないとの、更なる不条理としての結論を求める事に繋がるのであろう。考えたくもないが、六道転生が途切れる事を現存する社会に求めるのは無理なのだろう。 米国と云う、「主」を崇め奉る三大宗教とは全く無縁の、核兵器を偶像崇拝の対象とさえする政治経済の実態は、如何なる人種が操縦するかに拠って異なるであろう事に、少しの疑問さえ差し挟む余地はない。現状のワスプ系、ユダヤ系二大人種の権力独占を畏怖しているのが、ドイツ、フランス、ロシア及びその他欧州の非ワスプ系人種でもあれば、彼らが米国社会に厳然たる地位を築く迄、彼らが持つ理念の構築を待つか、或いは彼らの故国でもある当該国家群から現状の不条理を詰るかでもしない限りは、一心不乱に二大人種が為す不条理行為を押し止める事は先ず出来ないし、不可能ではある。 日本、有色人種の一つでもありながら、また、白人至上主義には、全身に白粉を塗っても絶対に属せない身でありながら、それを諌めるどころか敢えて彼らの不条理の片棒を担ぐ事の是非は、今更論ずる迄もなかろう。金融を含む大企業はユダヤ系資本家の軍門に降り、唯一の「食」の繋ぎでもあった製造業は、彼らの次のターゲットでもある「中国」に、大義名分を持たされて送り込まれ、後は日本人の蓄積した財産を根こそぎ吸われるだけを待つなどの国家態様は、余りにも悲惨に過ぎはしまいか。 あまつさえ、無制限且つ無定見に、後方支援と称して不条理にも有色人種の抹殺に加担する行為は、思慮熟慮を尽くした結果の行為とはとても思えぬ「奴隷」の態様でもあれば、属国日本前衛論を真面目に企図するユダヤ系権力者にとっては実に与し易い国家ではあるのだろう。 政財界の特権階級に在る者達は、それで生き延びられるとでも考えていれば、実に甘いものの見方であると云っても差し支えあるまい。自国民を騙し続ける事の愚かさは、何れ自国民に拠る揺れ戻しが為される事を忘れてはならないのだろう。後で気が付く寝小便であってはならないのだ。 外務省高官がいみじくも教えて呉れる国家非属性の本質と態様は、まさに与野党に万遍なく根差す為政者と同一のものでもあれば、米国風に準えてみれば直ぐにでも解るのだろう。だが、如何に模倣をしたからとは云え、ワスプ系やユダヤ系人種になれる筈もなく、精々が自国民を睥睨し顎で指示命令を下し、八百長政策を押し付ける程度のものでもあれば、時代劇「水戸黄門」に出て来る、件の悪徳代官の域を出る事は先ずない様だ。 サントリーの代表者でもあった故佐治敬三氏からは誤って「熊襲」呼ばわりされ蔑まれた東北人、今では沖縄県民を捨石としているが如き、政財界に巣食う特権階級の有り様は実に時代錯誤の最たるものであるのだが、自らは奴隷的態様とは一切無縁であるとの幻想を永遠に持たせて呉れる程、彼らはお人好しではない事を何れ知る時が来るのではあろう。 小泉氏が上記米国が抱え込む不条理性を熟知し、且つ戦略として、皮を切らせて骨を切る政治態様を選択しているのでもあれば、未だ大目に見ても良いのだが、属性のはっきりしない現状からは、純粋な日本人としての為政者か或いはイルミナティーの一員かどうかさえ判然とはしていない。 俗っぽい云い方をすれば、戦国時代の到来を米国社会に見出す事で、日米主従関係の一発逆転を狙う深謀遠慮さえ携え、小泉氏及び彼のブレインと背後の組織に、らしき計画が存在するのでもあれば、止めた方が賢明だろう。国家理念の立ち上げさえ逡巡している理由が其処にあるとすれば、理念無き計画の達成など無謀にも近いのだ。 日本は正攻法で国家観を立ち上げ、或いは国際社会のあるべき姿を形成するかの如き王道を歩くのが道である。米国に見られる覇道の実践は人種間の権力争奪に基づく不可分の政治態様でもあれば、何れその実践の繰り返しと権力の維持には不条理が付き纏い、常態的不信感と虚偽の上塗りは更なる不条理を引き出すだけで、「狂気」に辿り着くだけでしかない事を認識すべきではあるのだろう。 理性のない思考から生まれる由もないのだが、米国の政治的方向転換だけに付いて云えば、政治経済の実権を持つ二大人種の故国でもある英国とイスラエル、並びにその二段目ヒエラルキーに位置する、ロシアを含む欧州各国が善後策を模索し合うのが先決問題ではあるのだろう。 中東問題を解決し、宗教問題に悪影響を及ぼす前に白人至上主義社会の根強く残る不条理慣習を廃絶し、尚且つ米国社会を秘密結社の巣窟に押し遣る事なく、国際社会に頭を垂れるぐらいの理性を持つ、限度のない欲の広がりに封印をさせるぐらいの理念の創造と立ち上げを、故国を与る為政者群は鳩首並べて知恵を絞るべきである。 米国が独立した強大な組織を持つ国家である事は確かだが、実態は「国連」同様の形態を持つ集合体と見做す事さえ可能でもあれば、故国の為政者に介入が出来ない訳がない。問題は、数的にはマイナーなユダヤ系米国人の持つその圧倒的に強大な政治経済力を、如何に削ぎ落とすかが重大課題ではあるのだが、困難ではあるにせよ、其処には司法の正義が確立される事が前提条件となるのは云う迄もない。 残念ながら、現状の米国司法に法律はあっても、普遍的な「Justice」が存在するとは考え難いのである。如何なる国家においても、体制側に甘い司法の存在を否定はしないが、米国社会におけるそれは実に深刻で一方に偏向している事を教えてもいる。独禁法の解釈にせよ、不逮捕特権の乱発にせよ、政治的陰謀の覆い隠しにせよ、枚挙に暇がないのだが、その最たるものは、今年為された「大統領選挙」の不正選挙にも似た結果に対する、連邦最高裁の司法判断に集約されてもいると観るのは、強ち正鵠を外したものではあるまい。 −つづく− |
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完全失業率が5.3%、約370万人にも上る職を持たない人々が日本に出現したと公表された。単純明快な原因は、政府にも企業にも国家理念が欠片もないからである。儲けている企業が未だまだあるのも事実だが、例えばホンダやユニクロ等は史上最高益を出してもいる様に好不況の両極端が日本経済に顕われて既に久しいのだが、ホンダは世界を股に架けた国際企業、ユニクロのF.R社は仕入れを中国で、販売は日本でのワンウェイ チケットの収益構造でもあれば、本質的にその両社の存在意義は全く異なる。意義を価値と読み替えても良い。 猫も杓子も企業存続の為と称し、低コストを求めて「中国」へとなびく様は、既に熱病に唸なされた産業態様ではあるのだろう。資本が利益を求めて彷徨うのは勝手と云われれば勝手ではあるが、資本を持つ資本家自身の居所さえ危うくする場面を通り越しての資本の移動に何の価値が見出せると云うのであろうか。最早製造業などは、日本では商売として成立しないとの利己主義者達の捨てゼリフを真に受け、許可印を軽々しく押す事など出来る筈もないのだが、戦略のない政官財は、形式さえ整ってもいれば何にでも判子を捺す。 製造業はおろか、今では知的集約産業に至る迄中国になびく有様は異常としか云い様がなく、国家財政の破綻を速める事はあっても、健全?国家の建設に寄与する事など叶うものではない。国家繁栄及びその維持は、健全な国家財政と密接不可分である事を彼らは忘れて仕舞ってもいるとしか考えられない。 社会全体的な企業収益力の低下を見せ付けられるに及び、隠れてもいた八百長為政者群がまたぞろその見苦しいカマ頭をもたげ、赤字国債をもっと垂れ流せの大合唱のオンパレード、この程度の悪知恵しか思い浮ばない日本の政治構造は最悪の状態でさえある。もっとやるべき事が、組織内に山積となって沢山あるのだろうに。 国家体制を維持したいのであれば、稚拙なサル知恵を働かせ唯一無二の政策として振り翳すよりは、バランスの取れない資本の移動には罰則としての反対給付を課せば宜しい。自由やグローバル化を唱える前に、国家の維持を為す方策を推し進める事が為政者に課せられた任務でもあろう。行政、資本、労働の三者に、これだけバランスが欠けていたのでは国家など成立する由もないぐらいは、如何に八百長を得意技とする政官財を取り仕切る連中ではあっても理解ぐらいは出来るだろう。 行政の拙さは最低の域に達しており、それは外務省のみに止まらず各省庁全体における倫理の欠落風潮、居直りの常態的噴出、傷の舐め合い等にそれがよく表れており、その手本を示しているのが八百長為政者である事を、まともな為政者は確認して置くべきであろう。不条理に常時接する為政者でもあれば、清濁合わせ呑むのを全く否定するものではないが、行政の官吏ともども濁のみに染まり、国家や国民に対する背任行為を常態とし、それをさも当然とするかの如き腐り切った体制は、最早限界の極みにも達している事を覚えて置くべきであろう。戦後教育を受けて来た者達に拠る教育の実践結果が此の体たらくでもあれば、当該教育指針を作り上げた戦前生まれの者達の責任はそれ以上に重いと云わざるを得ない。 農政も視角が狭量に過ぎて駄目、医療行政にも躓きが見られ駄目、社会保障政策も見通しが効かず信用ガタ落ちで駄目、金融行政も付け焼刃的で駄目、中小企業資金対策も狡猾な詐欺集団にあって財源をむしり取られる体たらく、完全無比な行政等有り得ないにせよ、ひずみやゆがみは目を覆いたくもなる。 その一方で、八百長為政者群に目を向ければ、肌が艶びかりし、贅肉をたっぷり蓄えた身体を高級背広で身を包み、国会審議ではあくびを繰り返し、夜更けともなれば活き活きとした顔付きに一変、料亭に繰り出し一献も二献も杯を傾け、高級官僚を呼び寄せ、そっくり返って八百長談合をやられたのでは、国民はたまったものではない。 決め手ともなる政策が杯を重ねるが故に浮ばないと云う積もりは毛頭にない。だが、建て前と取り繕いを、その持てる権力の内容に併せて推し進めるだけの酒席にあっては、数の取り纏めは可能であっても妙案等一切浮ぶ由もない。 日本政府は、次から次へと蓄える利益で軍備を拡大し、覇権を押し進め莫大な額の対外援助さえ同時に為す実力を備えた「中国」に、これ以上の無償の借款や援助は無用で、その継続は何処から見ても利敵行為そのものである。 また、本邦の資本を無秩序に当該低賃金を主たる政策とする国家に移動し、且つ国内での雇用並びに国家戦略の面で不均衡をもたらす本邦企業に対しては須らく、人件費を一とするコストを、本邦の平均賃金並びにコストに合わせ比較考量、極端に差が見られる場合は、その差を製品コストに加味した「見做し価格」に変更し、修正させた上で、関税、消費税を賦課する等の、勿論当該国家が特恵の対象国でもあれば其処から外すぐらいの、気構えを見せないと、資本の本邦からの流出は止まらず、失業者は溢れ、国家体制そのものの維持さえ困難となる。 国際政治経済の基本的ルールからすれば、当該手法など認められる筈もないが、自らが住まう国家の存続を憂慮し、収益は上がらずとも一人でも多くの人々に労働の機会と場を与えてもいる憂国の「企業群」に、その全ての負担を掛けてならないのは今更云う迄もない事である。 有能な無尽の人材を武器に当該低賃金戦略を練り、日本を一とする先進資本主義国家群から多種多様な資本を招き入れ、結果として国勢を高める事に寄与した、登小平氏、江沢民政権へと続く中国は誉められこそすれど、非難を受けたり或いは責任を追求される謂れ等あるものでないのは当然で、それは逆に云えば、日本の政官財の自称リーダー群に、国家理念があまねく欠落している事を押し上げる証明にもなるもので、バランス感覚さえ失ってもいる現実に平然として居られる愚かさと、またそれを指摘する賢人の存在が誰一人として見られないとの、裏返しになるのであろう。 80%の国民もまた同罪であると見做さなければならないが、迫り来る危機を前にして国民の選択肢は、生活の防衛或いは維持の為には一円でも安い中国製産品に手が伸びるのは、至極当然の消費者行動でもあるのたろう。だが、その行為の繰り返しには、何れ自らの首を絞める結果が潜んでもいるのは確かで、それはまた、時間の問題だけである事を肝に銘じておかなければならないのだ。 職を失うと云う事の危機感、また、既に職場を失っても仕舞った三百万人以上もの人々が持つ国家社会に対する不信感を直視しないと、低下し始めた秩序に更に拍車が掛かる事を与野党為政者ともどもに認識する必要がある。秩序の低下は社会不安をもたらし、社会不安は更なる秩序の低下をもたらす。この悪循環としての相乗作用が止め処なく続きもすれば、現実に問題となっている自殺者の増大や凶悪犯罪の増加は止まず、それに加えて、精神に異常を来たす人々の増加を抑える事すら不可能とさえなる。 それは社会現象として発症する病理であるなどと、警句を弄する先生方の評論に唯頷いているだけでは改善に繋がらないのは云う迄もなければ、少なくとも、国民に広く安心感を与える一つや二つの基本政策を示すのが、為政者に与えられた義務であると同時に課題でもある。一億三千万人もいる中で、二千万や三千万人の人間が居なくなったからと云って別段問題ではない、等の論法は乱暴にも過ぎる。 見えざる手に動かされる国家は為すが侭に任せるか、或いは赤字国債の発行だけで全てを良しとする八百長為政者の言に乗るのでもあれば、国民を代表する七百名もの為政者の存在価値はない。此処は、バランス感覚を失ったボーダーレス財界首脳を集め、脅しすかし、或いは自らが土下座をしてでも、産業の空洞化、つまりは雇用の場の確保を彼らに要請するぐらいは出来る筈だ。その様な簡単な依頼事さえ、自由資本主義の名の下に職域確保を放棄して仕舞うのでもあれば、為政者の看板は下ろすが良かろう。 また、頼み事を受けた名誉ある資本家は、自らが生まれ育った国家が今まさに病みうろたえてもいる、その国家があったが故に、苦い思いも去る事ながら良い思いさえ出来た現在を考えれば、如何に国家社会同様の苦しみを現に抱え、瀕死の状況に陥ろうとも、蓄積されてもいる利潤を引っ張れるだけ引っ張り、恩返しの決断を示す事こそ道も開ける。それでも駄目であれば畳めば良いではないか。少しでも延命を策する為には半数の首を切ってでも中国に向かう等の、一方に偏向した固定観念だけは捨てた方が宜しい。何れ時期が到来すれば、人間ならずとも生あるものは死ぬ時が来る事を忘れてはならない。 ユニクロ経営者同様の、日本国家或いは日本の行政からビタ一文の施しも受けた事もなければ借りもない、現在在るのは苦労に苦労を重ね知恵を絞り合法的に金を儲けたからであって、そのどこに問題があるのか、税金も並み以上に支払っているではないかとの開き直りを、間髪を入れずに弁解する新旧入り乱れての資本家は少なくないのだろう。だが、その様な論理の展開は、日本国家が健全に維持運営されてもいる場面にのみ通じるものであって、八百長為政者同様の当該利己的行為が、現状の破綻をもたらした原因ともなった事を、先ず自覚するのが先決である。 確かに知恵を駆使した工夫には相違ないが、賢者の知恵などと呼ぶには程遠いそれは愚者の悪態でもあるのだ。ダイエーの創始者でもある中内功氏、財界の寵児ともて囃されたのも今は昔、愚者の悪態の後始末は日本国家、つまりは国民が尻拭いさせられる事を肝に銘じなければならない。捨てゼリフを吐く前に、思考そのものの均衡感覚を育てるのが、彼らには必要な前提条件ともなる様だ。一滴の流れの合流が大河になる事を忘れてはならない。 米国同時多発テロ、或いは微生物散布テロ犯罪に絡み、CIAに対する潜在的疑惑が、米国内或いは欧州の一部においてさえ浮上して来た事実は、今後、論争を活発化させそうな状況を窺わせるには十分の態様だ。ウサマ ビンラーディン氏が今年の七月に、内臓疾患の医療処置を目的としてドバイの病院を訪れた際、CIAの現地担当者が同氏と逢っていたとのニュースには驚かされもする。 真偽の程は不明だが事実とすれば、米国と云う国家が持つ権力構造には、実際には二面性を抱えてもいる事を、それは証明している様なものであろうか。一方ではウサマ ビンラーディン氏を指名手配しながら、他方においてはその指名手配犯と面談を為す等は、通常ではとても考えらるものではあるまい。 或る謀略としての計画を実行する目的で彼を泳がしていたのか、或いはその策を共に練っていたのかは定かではないが、逢っていたとの暴露記事が事実でもあれば、極めて忌々しき問題に発展する可能性を持つのは間違いのない所である。 米国政府機関でもあるCIAがイラクに対して、クウェート侵攻を企て、それを促したともされる米国内における一方の見方があるのと同様に、同時多発テロで多数の犠牲者を伴って崩壊したツインタワーやペンタゴンの部分崩壊、或いはその後に続く微生物兵器のばら撒きが、CIA若しくはそのエージェントの謀略計画に拠るものとの、まさに穿ったその様な見方に、蓋を被せた侭にして置く事はこれで困難ともなるのかも知れない。様々な過去の歴史が示す米国が持つ不条理性を、米国一カ国に絞る事で見誤るクロスワードは、世界へ押し広げる事でその謎解きが容易にさえなる事もあるのだ。 イルミナティーを論じているのではないが、また否定出来るものでもない。国際間の政治経済をゲームとして考え、国際間の権力争奪戦を、人種間のヘゲモニー争いと捉える事が可能であれば、米国での同時多発テロ犯行が、表面上の単なる米国に対する恨みとしての犯行ではなく、その奥にあるものを、例えて云えば、60億にも達する世界の人口を三分の一以下に迄減らし、白人のみの構成に成る地球を打ち立てようとするかの如き、病的信念を抱える秘密結社の存在を、私たちはオカルト的病理性として放置する事なく、現実的問題として捉え除去に向かって走らなければならない場面さえ当然あるのだろう。 あのオウム真理教でさえ有能な若者の頭脳を多数擁し、薬物を採り入れたマインドコントロールを以って、奇々怪々な殺人ゲームを断行、数多くの犠牲者を出した事を忘れてはならず、単なるオカルトと侮ってはならない事を証明したのは紛れもない事実だ。世の中に様々な不条理はあれど、巨大国家機関に拠って為される不条理としての犯罪及びその執行を停止させる事が出来るのは、残念ながら今現在は何処にも見当たらない。唯一あるとすれば、目には目をの、神が求める理性の否定でしかないのだろうか。そうではあるまい。 ウサマ ビンラーディン氏がTV画面を通じてアジテートした、「米国人は全て抹殺の対象になり、それはイスラムの教えにも叶うジハードだ」としたその裏側に、湾岸戦争を契機にサウジ駐留を成し遂げた米国に対する恨みが隠されてもいるとのコメントは、不条理な情報操作としてのゴミ箱に入る場面すら出て来ないとも限らない。 つい先日にも、カタールのTV局でウサマ氏のサイン入り声明文が読み上げられてもいた様だが、役目を終えた彼は、既にこの世から消えているのかも知れない。国家機関がオカルト機関ではない事を願わずにはいられない。 −つづく− |
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