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韓国旅行・2006


2006年10月、Akio&Mihoは韓国に行ってきました。
韓国の首都・ソウルから急行で約30分の距離にある水原(スーウォン)に、Akioの曽祖父の墓があり、墓を守っていただいている教会の方への挨拶をするためです。

Akioの曽祖父(乘松雅休)は日本人ですが、日本最初の海外伝道師として明治末期〜大正の頃にキリスト教を伝道するために韓国・水原へ行き、現地の方より貧しい生活の中で布教を続け、没後は「骨は朝鮮に埋めてくれ」と遺言し、韓国の信徒の方々にも請われて分骨されて水原に墓が作られたそうです。日本が朝鮮半島を占領下においていたため、第二次大戦後に日本人の墓は軒並み破壊されたそうで、戦前から残っている日本人の墓は数少ないということです。


1日目

朝10時、成田空港から出発するアシアナ航空(OZ107便)で、一路、ソウルの仁川(インチョン)国際空港に向かいます。所要時間は2時間25分、日本と韓国は時差がないので、12時25分に到着しました。

HISのツアーバスで免税店を経由して約1時間半くらいでしょうか、ようやく明洞近くのREXホテルに到着。先に韓国に来ていたAkioの両親と合流し、明洞(ミョンドン)にある多島(タドン)海鮮という店で夕食をとりました。

ホテルに戻り、夜9時からMihoの絶対主義が発動して韓国エステに行き、風呂とアカスリ、マッサージ、胡瓜パックなどでくつろいで、この日はおしまい。


2日目

南大門朝6時に起き出して、ソウル市庁近くの五福亭(オボクチョン)でビビンパを食べようというMihoの野望に引きずられ、散歩がてら明洞、南大門(ナムデムン)と歩いていきました。途中、三星(サムスン)の本社とおぼしき大きなビルもあり、いよいよ五福亭に到着。

ところが………、朝6時からやっているはずの店が開いていません。ガイドを確認したら日曜日は朝9時からの営業でした。うなだれるMihoをなだめすかして、再び明洞へ入り、栄養粥の店が開いていたので入り、朝食をとりました。ちなみに、客は全員日本人でした。こんな時間から外に出ているのは旅行の日本人だけのようです(笑)。

Mihoと教え子朝食の後、前日に申し込んでおいたソウル半日観光に参加するため、ホテルロッテ新館3階のHISプラザに行きました。HISだけでなくJTBも軒を並べていたのですが、ここでびっくりの出会いがありました。
Mihoが教鞭をとっている日本語学校の卒業生が、JTBデスクに勤務していて声をかけてきてくれたのです。もちろん、こちらはそんなことはまったく知らず、Mihoもたぬきが豆鉄砲を食らったような顔をしていました。それでも、教え子が日本語を最大限に生かせる旅行会社に就職したというのは嬉しいのだそうです(これで韓国にコネができたから…?(笑))

さて、朝9時にバスで半日観光に出発。まずは、景福宮を見学しました。景福宮は、14世紀に作られた、李氏朝鮮の王が住んでいた宮殿であり、朝廷の機能を有していた場所です。約20年前にはまだ日本が建てた朝鮮総督府のビルがありましたが、既に撤去され、正門から宮殿が見えるようになっていました。
景福宮では、国王が住んでいた宮殿、政務をとっていた建物、さらには世宗の時代にハングルが作られたという建物などを見て回りました。なお、韓国では暖をとるのに「オンドル」という床暖房が用いられますが、景福宮でもオンドルがあり、壁に煙を排出する煙突が備えられていました。

興禮門 興禮門 勤政門 勤政門の屋根飾り
興禮門 興禮門(アップ) 勤政門 屋根飾り
国王の玉座 勤政殿 勤政殿の軒飾り 思政門
国王の玉座 勤政殿 勤政殿の軒飾り 思政門
思政殿 千秋殿 日時計 オンドル
思政殿 千秋殿 世宗の日時計 オンドル
オンドルの煙突 慶会楼 峨嵋山 斉寿閣
オンドルの煙突 慶会楼 峨嵋山 斉寿閤

国立民俗博物館景福宮の次に、国立民俗博物館を見学、朝鮮半島の三国時代(新羅、百済、高句麗)から高麗、李氏朝鮮の民俗史、生活が展示されています。

続いて、バスの車窓から青瓦台(大統領府)を見て、仁寺洞(インサドン)でツアーから離れ、雨がしたたる仁寺洞を歩いて地下鉄安国駅に向かい、明洞まで地下鉄で移動しました。

明洞でAkioの両親と合流、全州中央会館でビビンバを昼食にいただいた後、地下鉄で約1時間、水原に向かいました。

水原駅からタクシーで世界遺産に指定されている華虹門近くにある、Akioの曽祖父の墓を守っている教会に向かいました。昔と異なり、門から入って正面奥の丘に墓が設置されていました。

教会の方に挨拶をすませた後、華虹門から城壁に沿って散歩しました。世界遺産である城壁の風景と、そこから見える都市としての水原のギャップは不思議な感じがしました。

城壁から離れ、市場でMihoがキムチを購入、その後、「ポンスウォンカルビ」という店で夕食をとりました。水原はカルビ発祥の地として名高く、水原カルビは韓国でも著名です。当然のごとくカルビ焼肉をいただきました。味つきと味なしと量穂両方いただきましたが、味なしの方が美味しかったと思います。

タクシーで水原駅に戻り、急行列車で約30分、ソウル駅に戻り、Akioの両親と別れてロッテマーケットで土産を購入し、ホテルにもどりました 。


3日目

朝、前日は食べられなかった五福亭(オボクチョン)を再訪し、ビビンバとクッパを朝食としていただき、ホテルに戻ると集合時間、慌てて荷物をまとめてチェックアウトし、HISのバスに揺られて仁川国際空港に向かいました。搭乗時間までマッコリなどを買い物し、OZ104便で帰国しました。せっかく窓側の席をGetしたのに、朝鮮半島も日本も雲に覆われていて何も見えず、Mihoが落ち込んでいました…。


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