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2010年7月30日(金)の夜、すやすや寝ているけいたろを車に連れ込み、東京の自宅を出発。東名高速道路を西へ向かいました。豊田JCTから伊勢湾岸道に入ると夏の朝はもう夜明け。東名阪道・亀山JCTから新名阪道で鈴鹿峠越えて名神高速に入ります。
中国自動車道に入るとけいたろも起きてきて、並行して走る「大阪モノレール」を見て「なに?」を連発。行きかうモノレールを見て大興奮でした。
中国自動車道を岡山県まで走り、落合JCTから米子自動車道に入ると大分先が見えてきた感が強まります。蒜山(ひるぜん)高原SAではジャージー牛乳ソフトをけいたろがGet。顔中をべたべたにして、ぱくついています。2/3をけいたろが食べ、残り1/3(ほとんどコーンカップ…)を父親が、一口だけ母親がもらうという配分をされてしまいました。
終点の米子ICで高速を降りると、ちょうどお昼どきになったので、米子市内の中心部(市役所の裏手)にある上代(かみだい)というそば屋でお蕎麦をいただきました。全層粉使用の田舎そば、一番粉のみを使用した清流そばを頼み、つけ汁にちょっとだけつけていただくスタイルで大変おいしかったです。そばがきもあるそうですが、土曜日は混雑しているとお断りしているそうで残念ながらありつけませんでした。
旅の最高の幸先となりました。
米子を出て、国道9号を安来方面に進み、中海に面したところにある「カフェロッソ」で一服。カフェモカ、カプチーノのミルクの泡でお絵かきがされていて、けいたろもびっくりでした(うさぎの模様を見て、うさぎさんポーズでびっくりしてます)。

国道9号をさらに進み、山陰本線と合流すると安来駅。駅の手前で特急「やくも」とすれ違い。1時間に1本の特急なのに出会えるとは、けいたろのイベント体質は親譲りです。当然ながらけいたろ大興奮でした。
安来から飯梨川に沿って進み、本日の宿である「さぎの湯温泉 安来苑」に到着。目の前には横山大観の絵で有名な足立美術館があります。
まずは足立美術館に入ると、横山大観の絵についての学芸員さんの説明があるとのことで、大観の展示室に行きました。大観の「無我」などの説明を受けながら、富士山を描いた絵(エメラルドグリーンのような緑色)を見て、けいたろが「あお〜」と叫ぶとお客さん大受けでした。ちなみにこのような色を「大観の蒼」というそうで、けいたろは見事それを言い当てたということになります。
大観の絵を一通り見た後、足立美術館のもう一つの売りである庭園を見物しました。この庭園には、部屋に空いた額縁サイズや掛け軸サイズの穴から庭園があたかも絵や掛け軸のように見える、「生の額縁」や「生の掛け軸」があります。Webサイトで知ってはいたのですが実際に見てみると感動でした。また、池には鯉も泳いでいてけいたろも大喜びでした。
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| 庭園を眺む | けいたろも絵の一部 | パパ、何してるの? | 生の額縁 |
安来苑に戻り、温泉に入ってくつろぎ、初日を終えました。


安来苑を出て、再び米子を経て鳥取県の境港へ向かいました。安来ICから山陰自動車道(無料区間)に入り、米子中ICで降りて境港へと一路車を走らせます。国道431号を北上して、境港水産物直売センターへ。ここで、本日の夕食として「激トロ(まぐろのほっぺたの肉)」をGetしてまみぃ、ホクホクでした。一方、けいたろは生簀で泳いでいるおさかなに興味津々、魚屋のおばちゃんから飴をGetしてホクホクでした(笑)。

続いて、境港駅に向かいました。駅でだでぃとけいたろは降りて、JR境線の列車見物です。なんと、本日より「猫娘列車」がリニューアル。10時20分着でほどなく駅に入線してきました。けいたろは、踏切が鳴るや「かんかん」と騒ぎ立て、猫娘列車の到着を待ちました。
猫娘列車に「ばいばい」とお手々を振って、「水木しげるロード」を「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる妖怪たちを見ながらぽてぽてと歩きました。水木しげるロードは「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげるさんが境港出身という縁で観光スポットとして整備されたもので、あちこちに妖怪たちのブロンズ像があります。けいたろ、妖怪たちをひとつひとつチェックし、何か琴線に触れたもののみ触ってました。
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| あかなめ | すねこすり | ||
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| ねこ娘 | ぬりかべ | 海坊主 | 木の葉天狗 |
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| 目玉おやじ | 油すまし | 土ころび | 鬼太郎とお父さん |
境港の街を出発し、今度は境水道大橋という、鳥取県境港市と島根県美保関町を結ぶ海の上にかかる長さ709m、高さ40mの橋を越えて、美保関灯台に行きました。
美保関灯台は、山陰地方最古の灯台で明治31年(1898年)に設置、世界灯台100選、灯台初の登録有形文化財にも選定されているそうです。
美保関灯台に続いて、美保神社に参拝しました。美保神社は、事代主命(えびす様)の総本宮にあたる神社です。なんと8世紀編纂の出雲国風土記にも記載されていて、その造りも「美保造り」と言われる独特なものだそうです。

美保神社から少し横に外れる路地は「青石畳通り」と言われ、天然の石を石畳として敷き詰めてあります。晴れていたのでよくわかりませんが、雨に濡れると石の色が青く見えるためそう呼ばれているそうです。路地の両側の建屋も昔ながらのもので、Mihoは「住み着きたい」と駄々をこねてました。
美保神社を出て、島根半島を横断し、七類港にある「メテオプラザ」に行きました。1992年に民家を直撃した約6kgの隕石(美保関隕石)が飾られています。この美保関隕石ですが、目撃記録としては世界最古と言われ、861年に落下してきた直方隕石と、同じ天体であったと考えられるものだそうです。1100年の刻を経て同じ天体の隕石が狭い日本に落ちてくる偶然に感動しました。なにせ、宇宙空間で同じ天体から分裂した石が地球に落ちること自体が偶然と言えるのに、さらに日本、ひいては福岡県と島根県なのですから。
これで島根半島に別れを告げて、いったん境港に戻って昼食。その後、江島、大根島と渡って、松江に入りました。松江に来た目的は、地酒とメンチカツです。特に、「ミートショップきたがき」の島根和牛を使ったメンチカツは絶品です。口コミサイトでも評判が高いので立ち寄って購入し、夕食にいただきましたが「なるほど」とうなるほど美味しかったです。

続いて、松江城のお堀(堀川)を和船で巡る「堀川めぐり」を楽しみました。松江城の大手前乗船場から乗り込み、堀川をぐるっと一周コースです。

この堀川めぐりの特徴ですが、いくつかの橋をくぐる際に高さが足りないことから屋根が下がるということです。どんな風になるのかなと思い、船に乗り込みました。
船が出発してすぐ、堀川の岸でご夫婦が帽子が風に飛ばされてしまって難儀していましたが、船頭さんが棹で帽子を引っかけて拾い上げ、ご夫婦に返すというアクシデントがありました。船頭さんの技に客全員拍手喝采でした。
いよいよ、橋くぐり。「皆さん、頭を下げてください」の船頭さんのアナウンスとともに、屋根が下がり始めます。大人はほぼ寝そべるくらい、けいたろも頭をかがめつつ、通常では手がとどかない屋根にさわっておもしろそうでした。
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堀川めぐりを終えて下船し、車に戻って玉造温泉の日帰り入浴施設に立ち寄り、本日の宿である「松江市宍道ふるさと森林公園に向かいました。国道9号を走っていると並行して走る山陰本線の線路に電車の影が…、なんと1日に1本しか走らない「サンライズ出雲(東京行)」でした。助手席で遊んでいたけいたろも思わず窓にしがみつき、目を輝かせて「ばいばい」と見送っていました。さらに、進行方向右手に見える宍道湖の上を低空飛行するJALの飛行機が見え、出雲空港の滑走路に着陸していく光景も見えました。鉄道や飛行機の好きなけいたろにとっては大満足、親はけいたろのイベント体質にびっくりの夕暮れでした。
宍道ふるさと森林公園に着くともう夜、宿であるログハウスに入り、ミートショップきたがきのメンチカツや、境港で買った激トロを肴に夕食をすませて寝ました。

7時に朝食を済ませて出発。最初に荒神谷遺跡に向かいました。ここは、1984年にそれまでの国内総出土数を超える358本の銅剣や銅矛・銅鐸が出土したことで知られる場所です(ちなみにMihoは1988年の大学受験でこの荒神谷遺跡に関する問題が出て悔しい思いをした記憶があるそうです)。
荒神谷史跡公園に入ると、銅剣発見の地まで一面の古代ハスが広がっています。この古代ハスはここに自生していたというわけではなく、千葉県で見つかった2000年以上前のハスの種から復活させた古代ハスの種を植えたものだそうです。もう盛りの時期は過ぎていましたが、いくつかの花が咲いていて、また根本にはアカガエルなどカエルがぴょんぴょん飛び回っていて、けいたろは恐れおののいていました。

荒神谷遺跡を出発し、出雲大社を横目に通過して県道大社日御碕線を走り抜けて日御碕灯台に向かいました。
日御碕灯台は、美保関とは反対側、島根半島の西端に位置し日本海に面しています。1903年に建造され、日本で最も高い灯塔を持っていることで知られます。島根半島の東端を照らす美保関灯台とともに世界灯台100選の1つです。
この日本一の灯塔の上の方にある展望台まで登ることができます。とはいっても狭く急な螺旋階段を約200段登って行かなければなりません。けいたろもチャレンジし、最後まで階段を一人で登り切りました。展望台に登ると、先に登っていた人たちがスタンディングオベーション(座る場所がないので当たり前ですが)で迎えてくれました。
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| 日御碕灯台 | ||
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| えっちらおっちら | 登ったよ | 展望台からの風景 |
続いて、日御碕神社(出雲大社の祖神様)に詣でました。すっかり階段登りが好きになったけいたろ、まみぃの手をとって階段を上っていきました。
日御碕から再び出雲大社に向かいます。日本海沿いに県道大社日御碕線を逆戻りし、稲佐の浜に到着。稲佐の浜は神在月に八百万の神様が出雲国に入る際に上陸する場所だそうです。ここで、けいたろも水遊びをして神様気分を味わいました。
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稲佐の浜から神様気分で出雲大社へ、と行きたいところですがちょうどお昼。暑さもあいまってまずは昼食です。出雲大社の一の鳥居のすぐ近くにある「田中屋」で出雲そばをいただきました。Akioが七段(うち一段はけいたろのお腹におさまりました)、Mihoが五段の割子そばを頼み、デザートとして縁結びそばぜんざいをいただきました。
腹ごしらえも完了し、いよいよ出雲大社へ参拝です。参道は白い玉砂利が敷かれ、どんどん先に進むまみぃ、石拾いにいそしむけいたろ、それを写真に撮るだでぃと3人それぞれに歩きました。
せっかくの参拝なので、まずは神棚に祀る御神札を求め、続いてけいたろの健やかな成長のために祈祷を受けました。もっともけいたろは、祈祷よりも並べてあった椅子をくっつけて「ど〜ん」と楽しげでしたが…
続いて、島根県立古代出雲歴史博物館に行きました。ここには、荒神谷遺跡から実際に出土した銅剣が展示されています。説明によれば、本来は武器である銅剣ですが、荒神谷遺跡など日本の遺跡から出土する銅剣は、柄の長さが短いとか刃が研がれていないとか、武器として使えるつくりにはなっておらず、祭器として導入されたことがわかるのだそうです。他の遺跡から出土した銅鐸も多数あって感動でした。なお、けいたろはレンタルベビーカーでぐぅぐぅ寝てました。
出雲大社参拝の後は、まみぃが真名井の清水をGetし、けいたろとだでぃは二人旅。出雲大社前駅から一畑電車で揺られていきました(まみぃは車)。一畑電車は、今年の映画「RAILWAYS」の舞台となったローカル線です。駅に着いた時点で「早く乗ろう」と勢いづくけいたろをおさえつつ、ホームに入っていき先頭車両に乗り込みました。隣には、映画にも使われた古いデハニ50形という車両が展示されており、こちらもけいたろが「ダイダイ電車、乗る〜」と騒ぎ、乗るのはこっちとおさえるのに苦労しました。

駅を出発し、ガタゴトゆられて川跡駅へ、ここで踏切を渡って隣のホームにいる電鉄出雲市行き(ラムサール号)というに乗り換え、まみぃの待つ駅に到着します。降りてからもけいたろは、「ばいば〜い」と手を振り、最後の一人になるまで別れを惜しんでいました。
出雲市駅を出発し、本日の宿泊先である温泉津(ゆのつ)温泉に向かいました。赤い石州瓦の屋根の街並みを見ながら、薬師湯さんに伺いました。薬師湯は日帰り入浴施設ですが、「温泉津庵」という街の一角にある古民家を使った宿泊施設を持っておられ、1日1グループのみ宿泊可能です。こちらに宿泊しました。
夕方遅くに着いたため、薬師湯で紹介いただいたレストラン「Laut」に向かいました。山陰本線で温泉津の隣にある石見福光駅の近くにあります。最初は何も情報がなくあまり期待していませんでしたが、入ってビックリ。雰囲気もサーブされるイタリア料理も素晴らしいものでした。
さらに応対していただいたスタッフの方は、東京出身でよくよく聞いたらPonpoko Houseのすぐ近くの高校に通っていたことが判明!盛り上がった夕食になりました。
夕食のあとは、温泉津温泉に戻り、薬師湯に入って、温泉津庵に戻っておやすみなさい…。

今日の目的地は石見銀山です。温泉津温泉の薬師湯でひとっ風呂浴びて、別れを惜しんでMihoが元湯長命館の湯の花を買い求めたら出発です。
まずは国道9号を戻り、鳴き砂で有名な琴が浜海水浴場に立ち寄って遊びました。
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続いて、国道9号から分かれて石見銀山への道を登っていきます。石見銀山はマイカー禁止なので、石見銀山世界遺産センターの駐車場に止めて、バスで入っていきます。ただし、土日祝日は本数が多い(15分おき)なのですが、平日は間引き運転で30分おきです。12時ちょうどに着いたのですが、ちょうど出てしまったところで、12時半のバスまで待たされました。あらかじめバスの時刻表を確認して計画的に行動すべきだと思いました。
時間的な都合や、けいたろ連れということを考えて、石見銀山の見学のみとし、街並み見物は省略しました。路線バスで大森バス停まで行き、銀山公園からベロタクシー(自転車のタクシー)に乗って、銀山の坑道である龍源寺間歩に行きました。
銀山公園から龍源寺間歩までは、かなりの登り坂です。大森バス停から徒歩約40分…、徒歩は現実的ではありません。レンタル自転車かベロタクシーの利用が妥当です。真夏のまっ昼間ということもあって、ものすごく暑く、ベロタクシーも電動アシスト付きでも3人乗せたらぎりぎりで、途中でモーターを冷却しながら登っていきます。運転手のお兄さんも汗だくでした。そんな中、最初ははしゃいでいたけいたろ、いつの間にかお昼寝に入ってしまいました。
龍源寺間歩に着き、ベロタクシーには待っていていただいて、中に入りました。龍源寺間歩は江戸時代中期に作られた坑道で、全長約600m、そのうち273mが唯一一般公開されている坑道です。
中に入れるのは他に石見銀山でも最大級の大久保間歩(徳川幕府の銀山奉行に任命された大久保長安が馬で入ったくらい大きいという言い伝えから「大久保」の名がついたらしい)がありますが、こちらは落盤防止が完全ではないので、全長900mのうち落盤の恐れのない150mに限定して、金・土・日・祝日限定かつガイド付きツアーの予約によって入れるそうです。
龍源寺間歩は手掘りの坑道なので、坑道の壁には鑿の後が見られます。よくもまあこんな大きな穴を掘ったなと感嘆しきりでした。メインの坑道からは人が1人入れるかどうか程度の小さな坑道もいくつか延びており、銀を求める努力と人の力のすごさにびっくりしました。
龍源寺間歩を出て、ベロタクシーに乗り込むと帰りは下り坂。ほとんどこがずに進みます。途中で雨が落ちてきたと思ったらあっという間にスコールになってしまい、本当は銀山公園までのところを、ご厚意により大森バス停まで送っていただきました。
大森バス停からバスで世界遺産センターに戻っても大雨。なんとか車に戻り、これで今回の出雲旅行の観光は終幕。あとは帰路につき、浜田に抜けて浜田自動車道→広島自動車道→山陽道→中国道→名神高速と抜け、琵琶湖畔の大津SAで仮眠をとり、新名神→東名阪→伊勢湾岸→東名と走り抜けて家に帰りました。