−プロローグ−


 あれは、7月の暑い日の事だった。
 夏休みに入って最初の土曜日の午後、俺は緊急の召集を受けてC.S.S.のオフィスを訪れていた。
 C.S.S.は警察内の電脳空間担当部署であるCyber Space Securityの略称で、名前の通りコンピューターネットワーク上の犯罪全般を扱ってる。
 正規隊員はネットを利用した巨額の詐欺や洗脳による殺人傷害、違法な裏取引やサイバーテロなんて大きな規模の事件も担当するけど、俺みたいなアルバイト隊員は大抵ネットゲーム絡みの事件の捜査や情報の収集・整理が主な任務だ。
 仕事の指示も必要なデータの遣り取りもメールで済むから、わざわざ本部に出向く機会は滅多にない。
 まして、緊急招集なんて異例中の異例だ。
 一体何事かと戦々恐々しつつオフィスの中を覗き込むと、顔馴染みの親父さんがのんびりと声をかけてきた。
 「よぉ、どうした?」
 「や、何か緊急の呼び出し受けて…」
 この人は一応俺の直属の上司でもあって、そんな彼でさえ緊急招集の理由を知らされてないのかと戸惑いながら応えると、親父さんは妙に遠い目をして呻き声を漏らす。
 「あー」
 それから、何故か憐憫を感じさせる眼差しで俺を見遣って、肩越しに隊長の執務室を指し示した。
 「隊長達がお待ちかねだ」
 隊長「達」?
 微妙な反応に加えて複数形で告げられた呼称に、俺の困惑はますます深まる。
 「失礼します」
 恐る恐るノックして執務室の扉を開けた俺は、そのままその場で凍りついた。
 「よっ」
 「久し振り、フィン」
 軽く手を上げて俺を迎え入れてくれたオレンジがかった金髪の偉丈夫がアル先輩、思わず見蕩れるくらい綺麗な若葉色の瞳を細めて柔らかく微笑みかけてくれたのがレイ先輩。
 電脳界では知らないヤツなんていない、C.S.S.のエースコンビだ。
 2人の背後からは、知的なロマンスグレーという言葉が似合う風貌の隊長が、組んだ指に顎を乗せて何やら愉しそうにこっちを眺めてる。
 先輩達だけならまだともかく、この状況で緊張するなって方が無理な話だろ。
 「あの、俺、緊急招集のメール貰って来たんですけど」
 そもそも、ある意味C.S.S.最強メンバーが俺みたいなアルバイト隊員を呼び出すなんて、本当にどうなってるんだ?
 そんな疑問が思いっきり顔に出てるであろう俺を咎めるでもなく、隊長は落ち着いた口調で用件を切り出した。
 「今朝方、C.S.S.宛に挑戦状が届けられた」
 「挑戦状?」
 隊長の言葉を意味もなく鸚鵡返しにしつつ、俺は机の上に置かれていた封筒を手に取る。
 ありきたりな緩衝材入りの封筒で、表面にはバイク便のラベル。危険物は、たぶん無し。そもそもその辺りを解析してたからこそ、召集がこんな時間になったんだろうし。
 中から出て来たのは『テイル・ナーグ』っていうゲームのディスクで、招待状と書かれたカードが添えられてる。
 名宛人はアル先輩とレイ先輩の連名だった。
 どうやら、送り主は2人にこのゲームを解けと言いたいらしい。
 「『cubic World』をクリアしたばっかりの頃は良くあったよね」
 レイ先輩が軽い調子でそう感慨を漏らすと、アル先輩もつまらなそうに肩を竦めてみせる。
 「最近は下火になってたんだけどな」
 どうやら、彼の悪名高き『cubic World』事件を解決した英雄に挑もうと考えるバカ共が大勢いたって話らしい。
 電脳系オタクは変なところでプライドっていうか自負心が強いヤツが多いから、有能な相手を見つけるとついつい競争心に燃えて挑んでみたくなっちゃうんだよなぁ。
 彼等の気持ちが解らなくもない俺は、何となく結果を予想しつつも2人に先を促してみた。
 「そういうのって、どうしてたんですか?」
 興味本位で訊いた俺に、レイ先輩は穏やかな笑顔でこう答える。
 「全部相手にしてたらきりがないからね。悪質で事件性が高いのは検挙して、あとはそこそこ名前が売れてて腕に自身がありそうなのを幾つか返り討ちにしたらだいぶ大人しくなったかな」
 …レイ先輩の事だから、それはもう2度とC.S.S.に喧嘩を売ろうなんて無謀な気が起こらないくらい徹底的に容赦なく叩き潰したんだろう。
 自業自得とは言え、再起不能なまでにやっつけられただろう連中に俺はちょっぴり同情する。
 「でも、わざわざこんな風に取り沙汰してるってコトは、今回は特別なんですね?」
 気を取り直してそう訊ねると、アル先輩は僅かに眉を顰めた。
 「あぁ、ちょっと気になる点があってな」
 レイ先輩も、口許に手を遣って小さく首を傾げる仕草で懸念を口にする。
 「『cubic World』はゲーム中のプレイヤーの行動を解析、反映して成長するAIをメインシステムに組み込んでて、それが暴走して事件化したわけだけど、どうも今回のケースにも引っ掛かるところがあるんだよね」
 「『テイル・ナーグ』でも同じシステムが使われてるんですか?」
 「ううん、全く同じものじゃないと思う。でも、開発者は同一人物、或いはその後継者である可能性が高い」
 レイ先輩の返答は、俺にはちょっと意外なものだった。
 「あの事件の関係者って捕まったんじゃないんですか?」
 「あの件は、AIの暴走っていう「事故」として処理されたからね」
 苦笑交じりに答えるレイ先輩の後を引き取って、アル先輩が事情を説明してくれる。
 「もちろん会社側の責任は問われたけど、事故そのものは予期し得ない自体だったと判断されたし充分な賠償も行われてる。最初から意図したものならともかく、システムの事故で開発に携わったプログラマー全員逮捕するわけにはいかないだろ」
 うーん、まぁそう言われればそうかもしれないけど。
 何となく納得のいかない気分で首を捻る俺を他所に、隊長はこほんとひとつ咳払いをすると横に逸れた話題を引き戻した。
 「『テイル・ナーグ』では、プレイヤーの活動のログを基に物語を書き下ろして配布している」
 「へぇ」
 隊長の説明に、俺は熱の篭らない相槌を打つ。
 一昔前でも、ゲームの参加者がブログでプレイ日記を公開したり、それを発展させて小説やコミックの形で発表してたりなんて事が普通に行われてたもんだ。
 中には、プロの作家を雇って、メディアミックスとして関連商品を売り出してたケースも有る。
 そんな俺の頭の中を読んだみたいに、レイ先輩はくすりと笑みを零してこう続けた。
 「それ自体はそんなに珍しい事じゃないんだけど、出来上がった作品のクオリティがちょっと異常なレベルなんだ」
 「普通、この手のストーリ化ってのは実際にログを全部追ってるわけじゃなくて、ゲーム内の幾つかの分岐点をチェックして予め用意されたパターンを組み合わせていく手法を取るだろ。でも、『テイル・ナーグ』では同じシナリオでもプレイヤー1人1人の行動や視点を反映して微妙に変化してるらしい。下手すると、一緒にパーティーを組んでるメンバーでも全く別物に仕上がってるくらいだ」
 そう言いながら、アル先輩はゲームレビューサイトに上がっていた感想やネット上に公開されてた作品群をまとめた資料を投げて遣す。
 「これだけ自由度の高いゲームでそこまでのストーリー化を機械的にこなすのは無理がある。だからって、専属のライターを使うにしたってせいぜい1人で5、6人分が限度だろうってレベルだからどれだけ雇ってるんだって話になってくるだろ?」
 先輩の話を聞きながら資料にざっと目を通した俺は、その異常さを理解する。
 …なるほど、確かにこれはそこらのAIに出来るワザじゃない。
 ひとつひとつの行動を細やかに追ってるって点もさる事ながら、そこに至る心理状態まで描き出されてるってのは尋常じゃない。
 「このストーリー化の作業を担当してるのが『cubic World』のAIと同じ作者のプログラムってワケですね?」
 「その可能性は否定できない」
 不謹慎にもちょっとばかりわくわくしながら確認する俺に、隊長は小難しい表情で重々しく頷いた。
 「自己学習するという『cubic World』のAI、その機能を応用すれば、臨機応変に物語を作り出す事も不可能ではないだろう。わざわざアルとレイを名指しして来ているのも気に掛かる」
 「でも、それと俺とどんな関係が有るんですか?」
 この時点で、俺はまだ事態がいまいち飲み込めてなかった。
 ついでに、隊長の狸親父っぷりも。
 隊長は、つい今しがたの深刻そうな顔が嘘のような爽やかな笑顔でこう応える。
 「そこの2人直々のご指名だ」
 「…は?」
 更に、思いっきり間抜け面を晒す俺に追い討ちを掛けるように、レイ先輩とアル先輩が見事な連係プレーを繰り出してきた。
 「『テイル・ナーグ』は最大4人までパーティーを組んでプレイ出来る。ってコトは、出来れば最初から4人で参加した方が後々面倒な事にならずに済みそうだろう?」
 「フィンはRPG得意だろ?」
 「それに、プログラミングの腕も確かだしね」
 本当はもうちょっと疑問を抱くとか自己主張するとかする場面なのかもしれないけど、尊敬する先輩2人に腕を認められて俺はちょっとかなり感動する。
 「もう1人は外部の協力者を手配済みだ。上層部の煩方は面白く思わんだろうが、この件については貴重な情報提供者でもある人物だ。文句は言わせん」
 穏やかな物腰とは裏腹に結構強気な台詞を吐いた隊長は、好戦的な笑みを収めると再び謹直な顔つきで任務の説明に戻った。
 「ゲームの主催者そのものは問題のない企業だと確認が取れている。ただ、個々のプログラマーまでは監視の目が行き届いていないのも事実だ」
 まぁ、この規模のゲームのプログラミングだと大抵完全分業で、プログラマーなんて開発中に臨時で雇い入れたり、途中で辞めたり、外注だって珍しくないくらいだから全部を把握しろって方に無理があるよな。
 「現在のところ表立った被害は報告されていないが、相手が攻撃に転じる可能性も考慮して安全に関しては最大限の配慮を払う。それでも、前例を踏まえると全く危険がないわけではない。任務を受諾する場合その旨を了承してもらう必要があるが、どうするかね?」
 どうするって?そんなの決まってる。
 C.S.S.が誇るエースコンビと一緒に仕事する機会を逃すなんて有り得ないよ。
 「受けます!」
 詳しい任務の内容も聞かないまま、俺はそう即答した。
 

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 そんなわけで、俺はその夏、アル先輩達と一緒に『テイル・ナーグ』の世界を旅して回った。
 これから公開するのは、その時のログから作ったストーリーだ。
 せっかく優秀なプログラムが俺の為に書き下ろしてくれたんだし、活用しないと勿体無いだろ?
 もちろん、当時の内情が解るように手を加えてはあるけどね。
 とりあえず、Let's Press Start Button!


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