Interlude 4
魔術師の洞察
入室を告げるチャイムを押して、10カウント。部屋の主からの応答を待たずに、ジェスは室内に足を踏み入れる。
「ほら、晩飯持って来たぞ」
予想通りの光景に溜め息混じりでそう告げれば、右目にモノクルタイプの画像投影装置を嵌めたままのレイがキーボードを叩く手を止めて振り返った。
「技術主任サマが、いつからルームサービスまで始めたんだ?」
からかうような声でそんな事を訊いてくる彼の手許にはキーボードとタッチパネル2つの入力デバイスが待機している上、電子モノクルにも当然のように音声認識用のマイクが付属している。
その姿にもう1度あからさまな溜め息を落として、ジェスはわざとらしく肩を竦めてみせた。
「どっかの誰かさんが放っとくと寝食忘れるからだろ」
全く世話が焼けるとごちつつ、手にしていたトレイをソファの前のローテーブルに下ろす。
ジェスがてきぱきと配膳を済ませる間に、レイも作業を中止して機材を片づけた。
そうして、食事の準備の整ったテーブルにレイが着くのを待って、ジェスは襟元からペンダントの鎖を引っ張り出す。
「こっちが頼まれてたウチのOBのデータ。もちろん部外不公表」
ロケット状のペンダントトップから取り出したマイクロディスクを外部のネットワークに接続していないスタンドアローンのマシンに挿入したジェスは、慣れた手つきでキーパッドに指を滑らせた。
書庫を展開していくと、画面上にシンクタンク在籍時の研究分野、保有資格とスキル、脱退時の転向先と現在の所属といった情報を整然とデータ化したファイルが現れる。
「政府系の機関だとか情報部だとかに就職してる人間も多いから完璧に追っかけてるわけじゃないし、現在の所在は不明ってヤツも多いけどね」
それでも、離脱後の元メンバーの動向を一応把握できているのは、身元を保障する代わりに引き取り先の素性を厳格に審査するという組織の方針あっての事だった。
一通りディスクを走査しながら、ジェスはレイの方を見ずに口を開く。
「ナナちゃんもウチの関与を疑ってるっぽかったぞ」
それに対して、レイはうっすらと微笑んでこう応えた。
「それはそうだろうね。あの子は聡明だし勘も良い。おまけにココの事もある程度は知ってる。疑いたくなる気持ちは解るよ」
兄馬鹿な発言と、その前のゲーム中に彼が取った行動に対する呆れから、問い返すジェスの声音が若干の尖りを帯びる。
「それで、わざわざ「レイ」を危険に晒して試した結果が「クロ」だったって事か?」
本来なら聖職者であるミトラにこそ相応しい【ディアンセット】の所有者を敢えてレイにしたのは、ゲーム上のストーリーを撹乱する目的の他に、システム、或いはその運用者の反応を窺う実験的な意図があっての事だ。
事実、メディールは天敵ともいうべき緑森教団の祭司詩人ではなくその従者に過ぎないレイに狙いを定め、その結果命を落とすかに思われたレイはゲームマスターが伏線として拾ったシナリオによって生き長らえた。
【クーメイル】の時のアルや、【ベルテーン】のフィン、【リアファイル】のミトラもそれぞれに苦境に立たされはしたものの、それらは何れも彼等自身の力で乗り越える事を求められた試練だった。
エルフの加護などという特例を発動してまで『テイル・ナーグ』の創造主がレイを救った時点で、彼の疑念は確信に変わっている。
『テイル・ナーグ』のゲームマスターは、レイ個人に何らかの思い入れがある人物だ。
『cubic world』の時は――あくまで同一人物と仮定したとして――偶然だったのかもしれない。
だが、今回は明らかにレイに何かを求めている。それが、レイとジェス、そしてミトラの出した結論だった。
「現役のメンバーは有り得ない。その辺りの管理は徹底されてるし、そもそも自分達の仕事に熱中してる彼等がこんなお遊びに手を出すとは思えないからね」
例えば広く世間全般を対象とした何らかの実験だったとしても、ジェス達の組織が関わっている場合、社会規範や倫理に背く事がないよう、更に後々騙し討ちだとかデータの改竄だとかいう不当な批判を浴びる事がないよう、計画段階から実行後のデータ解析とその応用まで一貫して幹部が管理・記録を行う。まして『cubic
world』のように一般人を巻き込む事態など考えられない。
冷静にそう語るレイに、ジェスは窺うような視線を向ける。
「でも、組織を離れた人間なら解らない?」
その問いに直接答える代わりに、レイは食事の手を休めずにこんな指示を出して遣した。
「ソフトもハードもある程度弄れて、先進的な基本技術開発専属じゃなく複数分野を統合できる応用型。心理分析やマーケティングにも通じてて、AIの研究に熱心だった者。その上で、現在の所属が所謂機密部門じゃない人間をクロス検索してみてくれ」
「そう来ると思って、予めフィルタリングしといた」
ジェスは、ふっと肩の力を抜いて気持ちを切り替えると、前もってチェックしておいたデータを拾い出す。
「で、興味深いのを見つけたよ。従来型のプログラムとしてのALじゃなくて、自らの意思を持って思考し、与えられた問題を解くのではなく問題そのものを提起しうる知能を備えた、より人間に近い人工生命の可能性を追い求めてた夢見る理想家。ハード面では物理面、仮想フィールド双方のネットワークの構成を得意としてて、ソフト面は当然AIの創造と育成が専門。その研究の過程で、心理学方面の造詣も深めてる」
『cubic world』の自己学習するAI、『テイル・ナーグ』で数多の物語を紡ぎ出すストーリーテラー。
目の前の状況に加え、プレイヤーの性格まで考慮して世界を構築しシナリオを展開させていくその能力は、確かにその人物の思い描いた理想に近い。
「ウチを抜けた理由は他所からの引き抜きとかこの分野からの引退とかじゃなくて、病気療養ってなってる。…ついでに、俺等も良く知ってるヤツだよ」
最後の一言を意味有りげに口にして、ジェスはディスプレイに該当者のデータを表示させた。
それを目にしたレイの表情が、僅かにそれと解る程度に曇る。
「尤も、もし本当にそいつだとしたら、『cubic world』のAIのプロファイルとかなり食い違う気がするけどね」
彼の隣でディスプレイを眺めるジェスもまた、少々複雑な面持ちだった。
「どっちにしても、次のステージが勝負だろ?そっちの坊やと一緒に追尾系のトラップしかけといたから、正体は何れはっきりするだろうけど…」
曖昧に語尾を濁すジェスの言葉に黙って耳を傾けていたレイが、ただ一言その人物の名を呟く。
「…エナ…」