Interlude 3
賢者の懸念


 来客を告げるチャイムの音に、ナナは視線だけで部屋の入り口を振り返る。
 返事を待たずに開いたドアの向こうには、両手にカップを手にしたジェスの姿があった。
 「コーヒーと紅茶、どっちが良い?」
 悪戯っぽい笑顔でそう尋ねるジェスを一瞥したナナは、無言で視線をコンピューターの画面に戻す。
 ジェスは、そんなナナの素気無い態度に気を悪くするでもなく、室内に足を踏み入れた。
 制止の声がかからないのを良い事に、すたすたと部屋を横切ってナナの背後に歩み寄る。
 「これ、全部『テイル・ナーグ』のプレイログ?」
 ロイヤルミルクティーの入ったカップを置くついでにディスプレイを覗き込んだジェスは、そこに映し出された情報量の多さに軽く目を丸くした。
 「『テイル・ナーグ』ライブラリー」と銘打たれた画面上には無数のアイコンが表示されており、そのひとつひとつに各プレイヤーのハンドルネームと所属パーティー、シナリオの進捗状況が付記されている。
 任意のアイコンをクリックすれば、その人物のプレイログを閲覧できる、文字通りのライブラリーだ。
 更に、イベントやアイテム名から検索して複数のログから関連するデータを抜き出したり、特定のステージの攻略結果について比較表示する機能も備えられているし、意見や情報を交換する掲示板も設置されている。
 「何処の誰だか知らないけど、マメなヤツもいるもんだ」
 呆れ半分で感心するジェスに、ナナは小さく溜め息を吐く。
 冷たくあしらわれてもめげる様子のないジェスに、諦めが生じたのだろう。
 「『テイル・ナーグ』はそれほどメジャーなタイトルじゃないから世間的な認知度は高くないけど、ゲームマニアの間ではその特異性から早くから注目されていたの」
 相変わらず目線はディスプレイに向けたまま、ナナは熱の篭らない声でジェスに問いかけた。
 「『テイル・ナーグ』のシナリオは閉じているでしょう?」
 ネット上に公開されているゲームでは、ひとつの世界にたくさんのプレイヤーが同時に参加する事で協力して弱点を補ったり、互いの持つアイテムや情報を交換してその後の展開を有利に進めたりといった工夫も醍醐味の1つとなっている。
 だが、たとえば攻略に必要なアイテムの入手が難しい場合や数に限りのある希少価値の高いアイテムが登場する場合などには、プレイヤー同士で奪い合いになる懼れもあった。
 そういう事態そのものを売りにしているゲームもあるが、ストーリー重視のRPGの場合、通常はパーティーメンバー以外のプレイヤーの干渉を排した独立したシナリオシステムを採用している。
 そうした「閉じた」シナリオなら、世界に1つきりという設定のキーアイテムでもそれぞれのパーティーが不自然なく入手できるというわけだ。
 ジェスにもナナの言いたい事は理解できたらしく、コーヒーを啜りながら尤もらしく頷き返してくる。
 「そうだね、じゃなきゃ今頃神器の争奪戦だ。オープンイベントもいろいろ用意されてるみたいだけど、メインシナリオはクローズドだ」
 「普通、クローズドシナリオなら多少の自由度はあっても大筋では同じ展開を辿る事になる。だから、後から参加するプレイヤーはログを参照すれば無駄のないプレイが出来る筈でしょう?」
 集めるべきアイテム、必要とされるスキル、進むべき道筋――それらが最初から解っていれば、適切な準備の下で冒険に挑める。
 ゲームとしての面白みに欠けるとして邪道視するマニアがいる一方で、純粋にシステムなりシナリオなりを気軽に楽しめるという利点もある為、攻略情報の需要は多い。
 よほど悪質な手法が取られているのでもない限りメーカー側も黙認する形を採っていて、情報の公開もその利用も、あくまで個人の裁量に委ねられているというのが現状だった。
 「でも、このゲームは違ってた?」
 疑問形で先を促すジェスに頷いて、ナナはキーボードに指を走らせつつこう続ける。
 「体験版のストーリーは本編に先立つ時間軸が舞台の、「四種の神器を集めてテイル・ナーグの扉を開く」っていう目的に辿り着くまでの物語だったけど、そこに至る過程はプレイヤーによってまちまちだった」
 「選択でシナリオが分岐って、ある意味オーソドックスなRPGだと思うけど?」
 画面に表示された一連のログを目で追いかけつつ比較的真っ当な疑問を口にするジェスに、ナナははっきりと首を横に振った。
 「分岐の幅が広過ぎるの。事前に登録したキャラクターの性格によって選択肢も結果も違ってくるのよ。それに、シナリオの柔軟性なんて言葉じゃ説明がつかない事象も報告されてた。先にクリアしたプレイヤーのログを参考に準備をして挑んでも、必ずそれだけで対処できない状況が用意されていて、プレイヤーは独自の工夫を求められるって」
 通り一遍な攻略方法は『テイル・ナーグ』には通用しない。だからこそ、面白そうだ。
 ナナが最初にレビューサイトで見た時には、既にそうした評価がマニア達の間で確立されていた。
 現在、ナナが閲覧しているこのサイトには、世界中の有志が自分達の為に書き下ろされた「物語」を順次投稿して来ている。
 そうして得られた情報を元に、彼等は各自が最善の道を模索するなり、物語のヴァリエーションを分析するなりといった二次的な楽しみ方を見出しているのだ。
 「…それが、『cubic world』の「自己学習するAI」の仕業だって?」
 声を低めて問いかけるジェスに答える代わりに、ナナは淡々と自論を述べる。
 「『テイル・ナーグ』は世界のリアルさを謳ってるわけじゃないから、『cubic world』と結びつけて考える動きは出てないと思う。でも、プレイヤーの行動を解析してそれをゲームに反映させるっていう仕組みに変わりはない。リアリティを追求するのか物語の多様性を極めるのかの違いでしかないわ」
 「なるほどね」
 ふうと大きく息を吐いて、ジェスは唐突に態度を改めた。
 「でも、それだけの理由でわざわざナナちゃんがこれだけのログをチェックしてるとは思えないんだけど?」
 「…ここまでの流れが都合が良過ぎる気がするの」
 それまで通りの軽い口調には不釣合いな鋭く探るようなジェスの眼差しから逃れるように頑なにディスプレイを見つめたまま、ナナは呟くように言葉を重ねていく。
 「エルフの森にしてもセーンの島にしても、私達の選んだクラスや能力に合わせるようにストーリーが展開した感がある。まるでこちらの出方を窺って、クリアへの最短ルートに誘導してるみたいに」
 「そりゃ、わざわざレイ達を名指しで招待してるくらいだから、簡単にリタイアされちゃ困るとでも思ったんじゃないの?」
 「そうかしら?あの人達の実力を知ってるなら、そんな風に手加減したりしないと思うけど。私には、レイにこのゲームを解いてもらいたがっているように思える」
 「そんなもんかねぇ」
 元々全くゲームに興味を持っていないジェスには、その辺りの感覚は理解できないのだろう。
 だが、ナナは確信にも似た懸念を抱いていた。
 これだけのプログラムを組めて、彼等に――おそらくはレイに異常な執着を持ってる人物がいるとしたら、それはかつて彼の近い場所にいた存在なのではないか?
 そんな彼女の疑念を感じ取ったかのようなタイミングで、ジェスが再び軽口を叩く。
 「それなら、きっと「電脳の賢者」サマのアドバイスのおかげだって事でどう?」
 「…そうね」
 その明るく茶目っ気の溢れる調子につられて、ナナはふっと表情を緩めた。
 ジェス達の属する組織の理念は解っているし、此処の設備が厳重に管理されてるのも識っている。
 だからこれは杞憂に過ぎないのだと、半ば祈るような気持ちで自分に言い聞かせるナナの横顔を、ジェスは複雑な面持ちで見つめていた。


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