−エピローグ−
夏休み終了直前の金曜日、俺は溜まりに溜まった課題を片づけるべく、大学の図書館に詰めていた。
レポート作成に必要な資料に気軽にアクセス出来るってのもあるけど、やっぱり自分の部屋にいるとついつい他のコトに気を取られちゃうだろ?
何しろ夏の間中『テイル・ナーグ』にかかりっきりだったから、残ってる課題の量も半端ないわけで、此処でなら集中して取り組める筈、だったんだけど。
「人王サマにお届けモノに上がりました」
そんな台詞と共に目の前に現れた人物の顔を目にした瞬間、俺のなけなしの集中力はすっかり吹き飛んでしまった。
「…ジェスさん?」
驚きで固まったまま目をぱちくりさせてる俺に、ジェスさんは小粋なウインクなんか投げて遣す。
「どうしてココが?なんて無粋なコト訊くなよ?」
「GPSで追跡した、とか?」
ちょっぴり及び腰な気分で問い返せば、軽く笑い飛ばされる。
「そんな違法行為はしないって。この時期の学生なら、たいていレポートに追われて図書館辺りに篭ってるだろって英雄殿からのアドバイスに従っただけだよ」
そう言えば、この人もレイ先輩も、まともな大学生活なんて送ってなさそうだもんな。それで、アル先輩に訊いてみたってとこか。
そんなコトを考えてる間に、勝手に俺の向かいの席に陣取ったジェスさんが、肩から提げてたバッグから何やら小型の機械とモバイル端末を取り出して机の上に並べる。
「こいつがウチの規格に合わせた専用回線のルータ端末で、こっちがキミのマシン。専属の暗号化ソフト搭載済み。これで、イル=ダーナのメインシステムが入ってるサーバへのアクセスが可能になるから」
イル=ダーナと名づけられた『テイル・ナーグ』のプログラムは、ミトラをマスターとした上でジェスさん達のシンクタンクに委ねられる事になった。
それで、俺がC.S.S.サイドの担当に決まった途端、ジェスさんは「何処かの国の情報部がこっそりバックドア作ってるような市販の暗号化ソフトなんて信用できないでしょ」と言い放って、当然のように俺のマシンの改造に乗り出した。
その成果を、わざわざ届けに来てくれたらしい。
「言っとくけど、こいつを勝手に改造しようなんて思うと、結構愉快なコトになるからね」
「そんなコト考えません。…まぁ、ちょっとアルゴリズムの解析はしてみたい気はしますけど」
つい本音を漏らした俺を、ジェスさんは愉しそうに誘惑、もとい勧誘してくる。
「興味有るんなら、いっその事ウチに転職して来る?」
「や、それは謹んで遠慮させていただきます」
技術的なレベルも然る事ながら、先輩達のキャラクターからして俺についていけるとは思えなくてそう答えると、ジェスさんはあっさりと話題を元に戻した。
「一般回線からだと管理者権限ではイル=ダーナにアクセス出来ないし、登録されてないマシンからのアクセスは一定間隔で認証用のコードを要求される仕様なんで、当然回線速度も作業効率もガタ落ちするから。よほどの緊急事態でもない限りはこいつを使うように」
「何だか物騒な話だなぁ」
妙にスケールの大きな話に天を仰ぐ俺に追い討ちを掛けるように、ジェスさんは軽い調子で断言する。
「ウチとC.S.S.とエナのプログラムって組み合わせだもん。物騒じゃないわけないじゃん」
@@@
ゲーム『テイル・ナーグ』の中で、俺達は妖精王イル=ダーナの力を借りて隔ての魔法を発動した。
ただし、常若の国【テイル・ナーグ】に続くティア・ターンゲリの門だけは閉ざさなかった。
この先、また世界に異常が生じた時にいちいち神器を集めて廻るのは効率が悪過ぎるっていう極めて現実的な理由から、人界を代表する人王を常設とし、妖精王との関係を継続させようという事になったのだ。
だからと言って、人王を世襲制にするつもりはなかった――血筋だけで無能な王の存在なんて迷惑以外の何者でもないだろう?
緑森教団に人王の役割を担ってもらうって話も出たけど、1つの組織に大きな権限を持たせると内部での権力闘争が生じて教団が腐敗しかねないからとミトラに拒否された。
結果として、人王には2つの任務が課される事になった。
ひとつは、もちろん妖精王の協力の下、人界の安寧に尽力する事。
そしてもう1つは、次代を委ねる事の出来る後継者を育成する事。
…実はこの辺りは、現実世界でのイル=ダーナに対する措置と通じるものが有ったりする。
ミトラはイル=ダーナのマスターになったけど、それはあくまで「保護者」と「監視者」しての役割を担うだけで、彼女自身がプログラムを改善したりしていくわけじゃない。
エナの後継者としてイル=ダーナを安心して任せられる研究者を選び出す事が、ミトラの重要な務めなのだ。
新しい人王は、王者として君臨するのではなく、権力を揮う事もない。
ただ託された力を人の世の為に用い、次の世代へと継承していくのみ。
ミトラは教団の祭官詩人として人王を監視する任に就くとかで、レイ先輩は「ハーフエルフが「人」王って事はないよね」と笑顔で辞退。アル先輩は、バルフィンド卿の勧めで世間の目を欺く為に今世の「英雄」として表舞台に立つ事になった。
そういった諸々の事情も有って、「道化」で魔法剣士の俺が、何故か栄えある初代新・人王に任命されてしまった。
そんなわけで、俺達の『テイル・ナーグ』での物語は終わりを迎えるのではなく、後継者探しという新たなステージに突入した。
そして、現実世界でも、イル=ダーナの共同監督者として俺の仕事は続く事になった。
@@@
「しっかし、解んないもんだよなぁ」
課題を続けるのを諦めてノートだのテキストだのを片づけ始めた俺の目の前で、ジェスさんは頬杖をつきながら感慨深げに溜め息を吐く。
「あんなに俺等のコト嫌ってたナナちゃんが、ウチと組む事になるとはねぇ」
「ミトラがジェスさん達を?」
あんまり感情の起伏を見せないミトラが積極的に誰かを嫌う場面が想像出来なくて、俺は鸚鵡返しにそう訊き返した。
「うん。ま、ちっちゃい頃の話だけどね。大好きなお兄ちゃんを俺等に盗られちゃうようでイヤだったんじゃないかなぁ」
「へぇ」
好きな相手の意外な一面に触れた面映さから、何となく頬が緩んでるのが自分でも解る。
ジェスさんは、そんな俺に苦笑しつつこう続けた。
「で、バイト君な筈のフィンがウチとの連絡係ってのもちょっと意外」
それは、俺もそう思う。
シンクタンクとの付き合いやミトラとの関係から言っても、C.S.S.サイドの責任者はてっきりレイ先輩が務めるもんだと思ってた。
でも。
「何だか、ミトラのご指名らしくって」
ちょっと浮かれ気味で事情を打ち明けると、ジェスさんはわざとらしくぽんと手を打った。
「あぁ、なるほど」
そして、意地の悪い笑みを浮かべてこんな事を言う。
「フィンだったら簡単に手懐けられそうもんね」
「酷いなぁ」
俺が軽く凹んでると、ジェス先輩はふっと真顔になって小さな呟きを零した。
「でも、ま、俺としてはこれで良かったんだろうなとは思うよ」
机の上に落とされた視線には、友人を悼む気持ちと焦燥と、微かな安堵が滲んでる。
「レイがエナの後を継ぐ事になったら、彼の遺志に囚われちゃうんじゃないかって気がしてたからさ」
たぶん、ジェスさんの危惧はミトラと同じものだ。
だからこそ、機先を制して自らイル=ダーナのマスターに名乗りを上げたんだと思う。
何となく湿っぽくなってしまった空気を払拭するように、ジェスさんは前向きな発想で明るく俺を励ましてくれる。
「まぁ良いじゃん。ナナちゃんとのホットラインが繋がったと思えば」
だけど、その言葉は、却って俺を落ち込ませた。
「どうせなら、実際に会って話とかしたいんですけど」
実は、今回の任務の間も、俺はミトラと直接顔を合わせる機会に恵まれなかった。
合宿みたいなノリだったとはいえ当然寝泊りする部屋は別々だったし、仕事の打ち合わせもネットで済んじゃうから別に不思議じゃないと言われればそれまでだけど、「漸くリアルで対面できるかも」なんていう俺の淡い期待は見事に裏切られたってワケ。
そんな訳で、俺の片恋は、未だに2次元以上3次元未満のままだったりする。
「究極のプラトニックラブだねぇ」
他人事なのを良い事にあはは〜と笑ったジェスさんは、不意に悪戯っぽい表情で声を潜めた。
「でもさ、気がついてないだけで、実は何処かで逢ってたりするかもよ?」
「…え?」
きょとんとする俺の耳に、どこからともなくくすりと笑う声が聞こえたような気がしたのは、思い込みの産物なのか、それとも…?