夢商い 御伽屋 綴


 夢解き夢占夢違え、夢見合わせに夢詣で。
 凡そ夢に纏わる万象に於いて右に出る者はないと評判の店、夢商いの御伽屋「綴」。
 板塀に囲まれた広大な敷地に建つ木造平屋建ての古風な佇まいのその屋敷は、とかく珍事には事欠かぬ迷宮都市カイロの魔法街キリエにあって1、2を争う風変わりさを誇る謎の館として名の知れた存在である。
 夢商いなどという商売柄か日頃はどこか侵し難い静けさに包まれている御伽屋だが、その日は少々趣を異にしているようだった。
 

※※※


 「いらせられマセ」
 「七星?」
 常とは違う舌足らずな童女の声に出迎えられて、ラズは入り口の引き戸に手を掛けたまま軽く目を瞠って動きを止めた。
 見れば、店内の一画に設けられた護符売り場に年若い乙女達が群がっている。
 白小袖に緋袴の巫女装束に身を包んだ店主の綴はラズを一瞥して僅かにそれと解るほどの苦笑を口許に閃かせたものの、客の応対に追われて挨拶どころではないらしい。
 普段は他の客と鉢合わせる事も稀な「綴」の意外な賑わいぶりに目を丸くしたラズは、店先で接客係をしている七星と目線を合わせるように腰を屈めてこう問いかける。
 「随分繁盛してるなぁ。何かあったの?」
 だが、七星が応えるより先に、苛立ちと疲労を滲ませた声が彼の背後から割って入った。
 「どうしたもこうしたもないわよ」
 入り口付近で屈みこんでいるラズを冷ややかに見下ろして、札や呪符の詰まった朱塗りの文箱を手にした胡蝶が嘆息混じりに事情を説明する。
 「このところやたらと夢合わせの札や夢訪ないの呪符を欲しがるお客が多いのよ。馴染みの取引先からも急遽注文が入るし、一体どうなってるんだか…」
 夢詣では胡蝶の十八番である。当然、夢合わせや夢訪いの護符も彼女の手になるものだ。
 個々に依頼を受けて作成する本格的な術具程ではないにしても、呪符である以上製作にはそれ相応の魔力を消耗する。
 予定外の売れ行きに量産を強いられた胡蝶が愚痴の1つも零したくなるのも無理はない。
 一方、ラズは胡蝶の言葉に何やら思い当たる節があったらしい。
 「あぁ、そっか。もうすぐ星祭なんだ」
 1人得心している様子のラズが漏らした呟きに、七星が可愛らしく首を傾げる。
 「星祭?」
 「東の国の伝承だよ」
 この間旅芸人の一座の芝居がかかってたんだ、と言って、ラズは市中で仕入れて来た噂話を語り始めた。
 「7月7日は天の川の両岸に引き離された牽牛と織女が年に1度の逢瀬を許された夜なんだって。それに肖って、せめて夢の中ででも遠く離れて暮らす家族や恋人に逢えますように、なんて星に願いを掛けるのが流行ってるらしいよ」
 あの子達も、たぶん流行りのお呪いくらいのつもりなんじゃない?
 そう締め括ったラズに、胡蝶はあからさまに胡乱気な眼差しを向ける。
 「で、貴方も御多分に漏れず護符を買いに来たわけ?」
 「俺は直接蜻蛉と逢う約束してるから良いんだ」
 ラズは、甘い面差しの頬を締まりなく緩めて臆面もなくそう言ってのけた。
 それから、ふと視線を天に泳がせると、にんまりと口角を上げて性質の悪い笑みを浮かべる。
 「あ、でもやっぱり貰っとこうかな。七星、夢訪ないの符を2枚くれる?」
 「ドウゾ」
 「ありがとう」
 七星の差し出した護符を受け取って対価を払ったラズは、にこやかに礼を告げて腰を上げた。
 そして、その場でくるりと半回転すると、たった今買ったばかりの呪符のうちの1枚を胡蝶に手渡す。
 「はい」
 「…は?」
 一瞬の沈黙の後に怪訝そうな声を上げた胡蝶に、ラズは悪戯っぽい顔でこんな風に誘い水を向けた。
 「ノスリって言ったっけ?あの芙瑶の国の近衛隊長。たまには会いに行ってやったら?」
 更に、なんとも曰く言い難い複雑な表情で黙り込む胡蝶に追い討ちを掛けるように、軽い口調でこう言い添える。
 「もうひとつは空蝉に。鷹の人によろしくって伝えといて」
 「貴方…」
 険しい顔つきで口を開きかけた胡蝶だったが、目の前に翳されたラズの掌がその先を遮った。
 「言っとくけど、俺は何も知らないよ。知ってるのは、蜻蛉が心を痛めてるってコトだけ」
 取り込んでるみたいだから、また後で来るね。
 七星の頭を撫でながらそう言って、ラズはひらひらと手を振りつつ店を出る。
 取り残された胡蝶は、掌の中の見慣れた呪符を当惑した面持ちで見遣った。

※※※


 そうして迎えた7月7日の夜。
 ラズの贈った夢訪ないの符が実際に使われたのか否か、当人以外には真相を知る由はない。
 ただ、翌朝胡蝶の髪を飾っていた赤い花と空蝉の纏う幽かな梅の花の馨りが、夢の名残を留めていたとかいないとか。