■恋人達の憂鬱■

 「1年の内で一晩しか一緒にいられないなんてナンセンスだわ」
 ロマンチックな天上の恋人達の物語に准えて、君は僕の甲斐性のなさを責め立てる。
 「天帝の言いつけだか何だか知らないけど、ほんとに逢いたいなら天の川の1つや2つ渡っちゃえば良いのよ」
 まるで当たり前の事みたいに、君はそう言うけれど。
 現実の僕らの間には大海原が横たわり、時計さえ違う時を刻んでる。
 逢いに行こうと思ったら、飛行機代だけで軽く6桁は飛ぶんだよ?
 休暇だって、そうそう取れるわけじゃないんだし。
 …そりゃ、僕だって、君に触れたいと思うけどさ。
 せめて、何時間か後に君も眺める筈の星空を見上げて、僕はそっと溜息を落とした。

■星に願いを■

 夕風にさやさやとそよぐ笹の葉の音に惹かれてふと足を止める。
 見ると、昼間子供達が色とりどりのくす玉や紙輪や吹流しを飾りつけた青竹の前に、ひとりの少女が佇んでいた。
 ひたむきな視線は、風に揺れる一枚の短冊に注がれている。
 少女にとっては精一杯背伸びをしても届かないそれも、大人の視界には難なく収まる。
 そこには、やや拙い筆跡で「世界が平和になりますように」と書かれていた。
 「ねぇ、先生?どうして戦争はなくならないのかな?」
 世界中のあちこちで、多くの人が争いのない日々を願っている筈なのに。
 空を仰ぐ視線はそのままに素朴な疑問を口にする少女の肩に手を置いて、そっと呟く。
 「大丈夫」
 世界の何処かで、この子と同じ祈りを捧げる人がいる限り、私達はまだ大丈夫。
 そう、自分に言い聞かせるように。

■白鳥という名の架け橋■

 家の近所に、白鳥という渾名を持つ橋がある。
 と言っても、別に特別優美なデザインなわけでも、純白に塗られてるわけでもない。
 何処にでもあるような、ちょっと古びた歩道橋だ。
 で、それが何でそんなご大層な名前で呼ばれてるかって?
 それは、この景色を見たら解るんじゃないかな。
 目の前を行き交う車の列、列、列!
 横断歩道で歩行者が待ってようが、お構いなし。みんな教習所で何習ったのさ?
 おかげで、何度約束の時間に遅れそうになった事か。
 まぁ、夜なんかは流れるヘッドライトが天の川みたいでそれなりに綺麗だったりするけどね。
 とにかく、ここを渡らない事には駅にも商店街にも出られない地元の人間には、この歩道橋は銀河に架かる白鳥の翼みたいなもんなんだ。
 特に、道の向こうとこっちに別れ住む恋人達にとっては、ね。

■恋人達の憂鬱・2■

 ねぇ、知ってるかしら?七夕の夜、織姫は彦星より先に空に上り始めるのよ。
 …まるで、私達みたい。
 殊、恋愛に関しては、女の子の方が積極的ってコトかしら?
 そりゃあね、声が聞きたけりゃ電話すれば良いんだし、動いてる姿が見たけりゃビデオメールって手もある。
 機材さえ揃えば、ネットでTV通話だって出来る世の中だわ。文明の利器様々よね。
 でも、でもね。
 スピーカーやディスプレイ越しじゃ、キスもハグも出来ないじゃない!
 そう思ったら、なんだか無性に逢いたくなって、気がついたら飛行機のチケットを握り締めてたわ。
 しょうがないわね、おとなしく王子様のお迎えを待つお姫様なんて性に合わないもの。
 窓の外は、灰色と藍色の雲の海。今頃、織姫は意地悪な雨雲にも邪魔されずに彦星とのデートを愉しんでるのね。
 待ってなさい。私も、もうすぐあなたに逢いに行くから。

■天上の宝石■

 夏の夜の結婚式。
 南十字星ならぬ北十字星の下で、今宵一組の夫婦が新たな誓いを交わす。
 たとえ天に引き裂かれようと、変わる事のない永遠の愛を。
 新郎の燕尾服の胸元を飾るのは金色の小花。
 新婦のドレスは至高の空を映す鮮やかな青。
 ほんの少し星に詳しい者なら、それがアルビレオの輝きを模したものだと気づくだろう。
 「ほら、ご覧。此処に天上の宝石がある」
 祝福に訪れた人々の間で、そんな囁きが交わされる。
 幸せそうに寄り添う2人の頭上で、トパーズとサファイアのふたつ星がきらりきらりと瞬いた。

■逢瀬■

 昔、星の降る丘で彼と待ち合わせをした。
 以来、年に1度の約束を欠かす事無く、私達は逢瀬を繰り返している。
 「あなたは、変わらないわねぇ」
 ゆっくりとした口調で語りかける私に、彼は少年の日のままのはにかんだ笑みを浮かべる。
 あの夜、彼は此処に来る途中、交通事故で命を落とした。
 だから、それ以来彼の時間は止まったままで、私ひとりがこうして年を取ってきた。
 おかげで、今ではすっかりよぼよぼのお婆ちゃんだ。
 でも、それも今年で終わる。
 彼の差し出す瑞々しい掌に、痩せ細って血管の浮き出た手をそっと乗せる。
 腕の皮膚が張りを取り戻し、白く濁っていた爪が桜色に染まるのを眺めているうちに、身体がどんどん軽くなっていくのが感じられた。
 彼に手を曳かれるままに、私は満天の星空へと足を踏み出す。
 天鵞絨にビーズを鏤めたような夜の衣が、私達をそっと包み込んでいった。

■夜が明けるまで■

 「このまま、君を攫ってしまえたら良いのに」
 ぽつりとそう呟いたら、思いっきり吹き出されてしまった。
 酷いな。本当に思った事を口にしただけなのに。
 ちょっとむくれてみせるけど、続く君の言葉にあっさりと撃沈する。
 「そういう台詞は、自分から逢いに来てから言うものよ」
 …はい、仰る通りです。すみません。
 くすくすと笑い続ける君の声が、人気のない空港のロビーに響く。
 もうすぐ空が明るくなって、君は朝1番の飛行機でこの国を発つ。
 また、しばらくは逢えない日々が続くから、こうして君と笑い合える時間がとても貴重に思えるよ。
 だって、眠りに就く前に思い出すなら笑顔の方が良いだろう?
 「今度は、僕が君に逢いに行くよ」
 「期待しないで待ってるわ」
 他愛のない会話を交わす僕達は、夜が明けるまで繋いだ手を離さなかった。


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