駅前の繁華街から、ニューススタンド脇の路地を抜けて裏通りへ。
 石畳の小道に出れば、そこは知る人ぞ知るアンティーク街だ。
 間口の狭い店先のショーウインドーに並ぶのは、年代物のカメラに古式ゆかしき筆記具、真鍮製の望遠鏡に古時計。
 土曜日の昼下がりともなれば好事家達で賑わうこの通りでは、夕刻にはほとんどの店舗が店仕舞いしてしまう所為もあって夜が早い。
 人通りも絶え、しんと静まり返った舗道に高い靴音を響かせて歩く人影がひとつ。
 ラメの入った黒いニットワンピースに編み上げのブーツ、褐色の肌を持つほっそりとした腕にはしゃらしゃらと音を立てる三連の金のブレスレッド。艶やかに波打つ黒髪と夜目にも鮮やかな赤いコートの裾が、機嫌の良い足取りに合わせてひらりひらりと翻る。
 くねくねと曲がりくねった道を進み、突き当りにある半ば地下に潜った高架下のトンネルを抜ければ、目的地はすぐそこだ。
 風に乗って運ばれて来る香ばしい匂いに鼻を擽られて、ジニィは形の良い唇を笑みの形につり上げた。

 

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 緩やかなスロープを登って薄暗い隘路を抜けると、そこはちょっとした広場になっていた。
 敷地に囲みがあるでもなく、遊具の類も見当たらないが、街路樹というには自然なままの形をした木々の下にはベンチが置かれ、ご丁寧に寝転がって寛
げるような芝生のスペースまであれば、公園と呼んでも差し支えはないだろう。
 背の高い建物の間に不意に現れた隠れ家のようなその広場では、ハロウィンの宵祭りが開催されていた。
 街並みの雰囲気を壊さないようにと1世紀以上前の瓦斯灯を模した街灯に加えて、今宵の祭りに相応しくオレンジ色の南瓜をくりぬいたランタンに照ら
し出された広場には、幾つもの屋台が店を出している。
 定番のホットドックにフィッシュアンドチップス、フォカッチャやキッシュ、ケバブや魚介のグリルにサラダ、珍しいところではカレーや点心も食べら
れる。
 子供向けにはアイスクリームや綿菓子のスタンド、キャンディショップやジュースバーもあるし、地ビールやウイスキーの飲み比べが出来る店もあって
、家族連れから、お祭り好きの学生達、酒飲み仲間から恋人同士まで、多くの人間が訪れては、顔馴染み同士気軽に挨拶を交わす光景が此処彼処で見受け
られる。
 年に一度ここで開かれるこの祭りを、ジニィは気に入っていた。
 世界各地の美味しい料理、年代も日常も違う様々な人々が違和感なく集い、和やかな時間を愉しむ一夜の宴。
 それに……、とホットワインを片手にほろ酔い気分で思考を遊ばせていたジニィは、コートの裾を引かれるまで、その気配に気づかなかった。
 「トリックオアトリート!」
 ハロウィンの決まり文句に振り返れば、癖の強い赤毛に緑色の眼をした子供が、きらきらと双眸を輝かせてこちらを見上げている。
 物怖じしない勝気な顔に見覚えはないし、そもそも小学校にも上がっていないような子供の知り合いはいない。
 両親に連れられて遊びに来た人懐こい子供がじゃれてきたのだろうと周りを見回してみたものの、辺りに保護者らしい大人の姿は見当たらなかった。
 「坊や、お家の人は?」
 何とはなしに悪い予感を覚えつつ、見下ろす視線のままに問えば、一瞬の逡巡の後に空惚けた答えが返る。
 「んーと、ママは迷子になっちゃった」
 迷子は自分の方だろう。
 至極まっとうな指摘を軽い頭痛と共に堪えていると、子供の口から更なる衝撃が齎される。
 「お姉さんの尻尾、本物みたい!」
 「……っ!」
 耳もぴくぴく動くんだ!凄いなぁ!ちょっと触らせて!
 目を瞠って息をのむこちらの驚愕も意に介さず、無邪気にそう言い募ってくる子供に、ジニィは本格的に頭を抱えたくなった。
 子供が見抜いた通り、ジニィの耳も尾も本物だ。
 何しろ、ジニィは獣人族……彼女のテリトリーでは人の子からは精霊【ジン】と呼ばれる種族で、普段は黒豹の姿をとっていることが多い。
 勿論、本来の姿の名残は誰にでも見えるようなものではないけれど、見つかったところでハロウィンの最中ならば仮装だとごまかせば良い訳で、それ自
体は然程問題ではない。
 問題は、それを見抜いてしまえるこの子供の方だ。
 この広場の宵祭りには、ジニィ以外にも人ならぬ身の上の者が幾人もひっそりと紛れ込んでいる。
 それこそが、彼女がここを気に入っている所以でもあるのだが、今夜ばかりはそれが徒となりかねない。
 精霊の魔法を見抜く眼を持つ子供だなんて、魔物や妖精族からすれば格好の獲物ではないか。
 そんな事を思ったそばから、昔馴染みの人外が気安く声をかけてきた。
 「やぁ、ジニィ。美味しそうな子を連れてるね」
 狼男の仮装、ではなく本物の人狼の青年は、子供好きの気の良い大人を装って「食べちゃうぞ!」などと子供にふざけかかってみせる。
 それが本気の台詞だなんて、一体誰が考えるだろう。
 ジニィは、大きく溜め息をついて天を仰ぐと、子供を庇うようにすいと半歩前に進み出た。
 「悪いね、この子はあたしの連れだ」
 男だけに見えるように凄艶な笑みを浮かべて見せれば、相手はすごすごと引き下がる。
 獣の本能に近い生き方をする獣人だからこそ、格の違いには敏感だ。闇に潜んで生きるしがない人狼風情が半神に近い精霊【ジン】に敵う筈もない。
 自身の身に迫っていた危機も知らず、子供は懲りずに
 「ねぇねぇ、耳に触っちゃダメ?」
 再度溜め息を吐きつつコートのポケットに手を突っ込むと、かさりと乾いた手触りがあった。
 そういえば、ここについてすぐ、通りすがりの屋台で売り子をしていた知り合いが、何やら貰いものをしたのを思い出す。
 「ほら、これをあげるからイタズラはなし」
 そう言ってジニィが差し出したのは、オレンジ色の星をちりばめた紫のセロファンに包まれたチョコレート菓子だった。
 わくわくと頬を紅潮させて包みを解いた子供の表情が、甘い菓子を頬張ると満面の笑みに変わる。
 つられて幸せな気分を味わいつつさてどうしたものかと思案していると、人の波の向こうから「ステラ!」と呼ばわる若い女性の声が近づいて来た。
 「あ、ママ!」
 自分の名を呼ぶ母親の声を耳聡く聞きつけた子供は、ぱっと顔を上げると人込みに向かって駆けて行く。
 何だかんだ言ってもやはり心細い気持ちだったのだろうと走り去る背中を眺めていると、視線に気づいたかのように、一瞬子供が振り返った。
 片手にチョコレートの入っていた包みを握り締めた子供は、もう片方の手をちぎれんばかりに振って声を張り上げる。
 「またね、ジニィ!」
 「はいはい」
 ひらひらとおざなりに手を振り返したジニィは、その時は思ってもみなかった。
 軽い気持ちであげたお菓子と、子供を守るための方便、そして名前を呼ばれての約束とも言えないような言葉の遣り取りが、いつかふたりを縛る契約に繋がるなどとは。


 

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 それは、とある魔法使いの少年と、彼を守護する精霊の、出逢いのお話。



 

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