平日真夜中、郊外に向かう最終の地下鉄は人影も疎らだ。
 改札から遠い最前列の車両ともなると、今日みたいに貸切状態なんて事も珍しくない。
 窓の外に現れては消える小さな光を見るともなく眺めていると、一瞬車内の灯りが落ちた。
 これもよくある事だ。何しろ、世界最古と謳われる路線だけあって設備もあちこちガタがきてる。
 トンネルを吹き抜ける風の低い唸り声と、駅名を告げる抑揚のないアナウンスを聞きながら何度目かの欠伸を噛み殺す。
 ここで寝ちゃったら、多分絶対乗り過ごす。解っていても、疲れた身体に馴染んだ振動が心地良い。
 重い瞼の向こうで、また電灯が瞬いた。






      ◆◇◆真夜中の特別列車◆◇◆






 「お客さん、終点ですよ」
 穏やかな、だけどどこか苦笑の滲む声に、意識が急速に浮上する。
 慌てて跳ね起きると、車掌の後姿が扉の向こうに消えるところだった。
 …あー、やっちゃった。
 終着駅から自宅の最寄り駅までは歩いて小1時間。天気の良い日の昼間ならともかく、疲労困憊した仕事帰りの身では遠慮したい道程だ。
 近くに深夜営業のファーストフードの店かなんかが在ったかなぁなんてぼんやりと考えながら、荷物を持って席を立つ。
 重たい足を引き摺ってホームに降り立ったところで、最初の違和感を覚えた。
 この駅、こんなだっけ?
 「うっかり居眠りから終点コース」はたまにやらかすから、それほど見慣れない場所ってわけじゃないんだけど、今夜はどうも様子が違って見える。
 何だかやたらと視界がちかちかするようなって思ったところで、思い出した。
 そういえば、今夜はハロウィンだ。
 家の近所は世帯持ち向けの住宅地じゃないからそんなに子供もいないし、お祭り好きが集まってるわけでもないからほとんど意識してなかった。
 この辺りは、行事に熱心な土地柄らしい。
 ホームのあちこちにカボチャのランタンが飾ってあるし、壁には黒猫や蝙蝠のシルエットが投影されてる。
 随分マメな駅員がいるんだなぁなんて感心しつつ階段を上って改札を抜ける。
 通りに一歩踏み出すと、そこは異世界だった。
 少なくとも、そう錯覚するくらい意外な光景が目の前に広がってたんだ。
 御伽噺にでも出て来そうな中世風の町並みにガス燈。道路の脇にはビンテージカー。
 家々の庭先にはジャックランタンやら古い箒やら、カボチャ頭の案山子やらが所狭しと並べなれてる。
 ここの住人は、よっぽどイベント好きなんだろう。それとも、町興しの一環とか?
 記憶にある景色とはまるで別物に見える眺めに半ば感心しつつ困惑してると、ついとコートの裾を引っ張られた。
 見下ろすと、そこには黒い鴉の羽を背負った女の子がひとり。
 「ハッピーハロウィン!」
 元気なご挨拶と共に差し出されたりんご飴を勢いに押されて受け取ると、少女はにっこり笑って駆けて行った。
 どっちかって言うとお菓子を強請られるのがハロウィンの定番だったような気がするけど、籠一杯に飴を持ってるところを見ると、歓迎係を仰せつかってるのかもしれない。
 さてどうしたものかとフィルムとリボンで可愛らしくラッピングされたりんご飴をしげしげと見つめてたら、今度は背後から声を掛けられた。
 「迂闊にここの食べ物を口にすると、帰れなくなってしまうよ」
 同時に、肩越しに伸びた白い手袋をした手がりんご飴を奪い去る。
 文句を言おうと振り返ったら、黒いマントにオレンジ色のカボチャを被ったパンプキンヘッドが、子供を叱るような調子で畳み掛けてきた。
 「プロセルフィナの物語を知らないのかい?アヌのパンやヨモツヘグヒは?」
 えーっと、プロセルフィナってのはギリシャ神話のペルセフォネのコト?冥府の女王様の?
 アヌやらヨモツヘグヒやらは聞いた事もないけど、要は異世界の食べ物を食べちゃうと元の世界に戻れなくなるってアレだろ?
 そんな子供騙しのネタを振られても困るんだけど。
 「まあ良いや。今年の迷子は君1人みたいだし」
 どうもマイペース気味なパンプキンヘッドは、こっちの都合なんてお構い無しで、「僕から離れないで」と言い置いて踵を返す。
 ついて来るのが当然って顔で、いや、表情は解んないけど、さっさと歩き出す横暴さに呆れてはみたものの、特に当てが有るわけでもないから、とりあえず彼を追って夜の町に繰り出す事にした。
 町中には、真夜中だってのに思い思いの仮装をした子供が溢れかえってる。
 定番の魔女や悪魔に始まって、猫や狼のアニマル系に天使や妖精や鎧兜の騎士サマ、吸血鬼にマミーにフランケンシュタイン、テレビや映画のヒーローからアニメやゲームのキャラクターまで、いるわいるわ。
 それぞれにかなり本気で趣向を凝らしてて、なかなか壮観っていうか、見てて飽きない。
 …連れのパンプキンヘッド以外大人の姿が見当たらないのが、ちょっと不自然な気もするけど。
 そのパンプキンヘッド氏は、道行く子供達に「Trick or Treat?」ってお約束の挨拶を投げかけられる度に、どこからともなくキャンディやチョコレートを取り出しては分け与えている。
 本業は手品師か何かなのかな?このお祭りの為に誰かに雇われてるのかも。
 子供達の旺盛な好奇心は、当然見知らぬ大人にも向けられる。
 「アラン、その人だぁれ?」
 「新しいお友達?」
 アランと呼ばれたパンプキンヘッドは、子供達の質問の数だけ同じ答えを繰り返す。
 「この人は、お客様だよ」
 「お客サマ?」
 「そう。今晩だけの特別なお客様」
 そう言えばお互い名乗ってすらいなかったけど、今更だからいいか。
 ぞろぞろと集まって来た子供達を引き連れて歩き続けてるうちに、いつの間にか町外れに来てたらしい。
 辺りは小高い丘になってて、丁度天辺に生えた大きな樫の木を囲むように、子供達が輪になって踊っている。
 そのうち、こっちに気づいた何人かが、転げるように丘を駆け下りて来た。
 「ねぇ、来て来て!」
 「一緒に踊ろう!」
 物怖じしない子供達に思いの外強い力で両手を曳かれて戸惑ってると、パンプキンヘッドが助け舟を出してくれた。
 「それより、それで何か弾いてもらえないかな?」
 彼の視線は、肩に掛けたままだった黒いケースに向けられてる。
 「それ、フィドルだろう?」
 まぁ、見たままの形だから中身は丸解りなんだろうけど、それにしてもフィドルとはね。
 期待に満ちた子供達の眼差しに負けて、ヴァイオリンを引っ張り出しながら、内心ちょっと苦笑する。
 一応、普段はクラシック専門なんだけどなぁ。
 「リクエストはございますか?」
 半分やけっぱちで芝居がかった調子で尋ねれば、子供達から一斉に声が上がる。
 「もちろん、陽気な曲!」
 それからの騒ぎは、ちょっとした見物だった。
 次から次へと思いつく限り弾く曲に合わせて、人でないモノに扮した子供達がくるくると輪を描いて踊り続ける。
 息を弾ませて、それでもきゃっきゃと声を上げてはしゃぐ彼等を眺めてると、何だか愉しくなってきて、疲れなんて吹き飛んじゃう気がした。
 勢い曲のテンポが上がって、それがまた子供達を面白がらせて。
 こんな気分はいつ以来だろう。頭を空っぽにして、ただ感じるままに弓を滑らせるのがこんなに楽しいなんて。
 気がつけば、東の空がうっすらと白み始めてた。
 最後に、ちょっと趣向を変えて、お気に入りのセレナーデを奏でる。
 遊び疲れた子供達は、樫の根元に寄りかかるようにして眠りに落ちた。
 漸くヴァイオリンを下ろすと、パンプキンヘッドのアランがゆっくりとした足取りで丘を登って来た。
 「ありがとう。君のおかげで楽しい夜になったよ」
 相変わらず素顔は見えないけど、その言葉にはちゃんと心がこもってたから、ちょっと照れくさいような嬉しい気分になる。
 彼は、これまたやっぱりどこからかカボチャのランタンを取り出すと、ヴァイオリンのケースを担いだのとは逆の手に有無を言わさず押し付けてきた。
 「これを持って行くと良い。道に迷うといけないからね」
 そろそろ夜明けが来るのに今更灯りなんていらないんじゃ?と思ったのも束の間、突然辺りに濃い霧が漂い始めた。
 慌ててランタンを翳してみても、見る見るうちに視界が奪われて、すぐ傍にいる筈のパンプキンヘッドさえ見えなくなる。
 でも、世界が完全に灰色に包まれる直前、奇妙なモノを見てしまった。
 丘の上、大きな木の枝の下で夢を見てる筈の子供達の代わりに、地面に横たわる年恰好も身形もばらばらな男女。
 身動ぎひとつしないその寝姿は、眠っているというよりもむしろ――!?
 明らかに不自然な濃霧の向こうから、パンプキンヘッドの悪戯っぽい声が聞こえてくる。
 「帰りの列車を間違えないようにね」
 その時になって、漸く気がついた。
 この声、あの時の車掌じゃないか!
 「待って!」
 …って、あれ?
 自分の声で我に返ると、そこは昨夜降り立った終着駅のホームだった。
 ただし、昨日思わず感心しちゃった飾りつけはいつの間にか全部なくなってて、ただ数人の通勤客が訝しげな顔でこっちを遠巻きに窺ってる。
 何が何だか解らないまま冷たいベンチで頭を抱えていると、目の前を鉄道会社の制服が通りかかった。
 「もうすぐ始発が出ますよ」
 聞き覚えの有る声に顔を上げると、昨夜電車の中で見かけたのと同じ車掌の後姿。
 それじゃ、昨夜はここで寝ちゃったのかな?アレは全部夢だった?
 ともかく電車に乗ろうと立ち上がると、灯の消えたカボチャのランタンがころんと転がり落ちる。
 はっとして追いかけた視線の先で、車内に乗り込む車掌の上着のポケットから、可愛らしい包装のりんご飴が顔を覗かせていた。



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