港を見下ろすその丘では、年に4回、ケルトの祭の前後に魔法市が開かれる。
 特に、世間一般ではハロウィーンの名で通っているサワーンの前夜祭は、1年で最も市が賑わう日だ。
 フリーマーケットのように地面に敷物を広げただけのスペースに始まり、屋根付きのワゴンを用いた露店やトレーラーハウスを使っての移動店舗、組み立て式のシェルターやコンテナを改造した大型店まで様々な規模の店がひしめき合う中を、思い思いの仮装に身を包んだ客達が行き交う。
 市場を訪れるのは当然魔術に携わる人々で、物見遊山も兼ねてぶらぶらと散策している者もあれば、掘り出し物を求めてあれこれ品物を漁ったり、熱心に商談を交わしたりと、それぞれに市の盛況を満喫している。
 そんな喧騒からやや離れた市場の外れに、一際巨大な店舗が設営されていた。
 サーカスの興行でもするのかというような大きさのその天幕の前の広場に、小型の機械を弄るルディの姿が在る。
 身に纏った黒いケープが肩章やストームフラップ等の凝った装飾のせいでやや堅苦しい印象を与える一方、チョコレートブラウンの髪の隙間から覗くビーグル犬のような垂れ耳は可愛らしさを引き立てている。
 一見手持ち無沙汰な子供がゲームに興じているといった風のルディの背後から、これまた待ち合わせの相手を探していたといった様子のステラ達が現れた。
 「よぉ、どうだ?」
 肩越しにルディが手にしている携帯ゲーム機――のように見えるが、実際には赤外線センサーやソナー等の探査機能を備えた魔導仕込みの通信機器だったりする――を覗き込むステラの頭には小熊の愛らしい丸い耳が乗っかっている。
 ちなみに、彼の背後に控えるランはロシアンブルーを思わせるブルーグレーの猫耳、ティアラはふわふわした白金髪に似合いの真っ白いアンゴラ兎の耳を生やしていた。
 全員同じケープを着込み、動物の耳をあしらったその姿は、お揃いの仮装を楽しむ仲良しグループにでも見えるだろう。
 実は、それらは何れも騎士団から支給された立派な魔導器具である。
 魔導迷彩が施されたケープには纏う者の魔力を隠しその実力を見誤らせる仕掛けが施されており、耳型の装飾品は「人ならぬ者」の声を聴く為の術具になっているらしい。
 「…なんで獣耳…?」という至極まっとうなステラの疑問に対する答えは、「装備するのがお前等だって聞いた開発部の連中が、嬉々としてデザインしてたぞ」という年少部隊長シェルアの愉しそうなお言葉だった。
 「君達に必要とも思えないけど、せっかくのハロウィーンだし、まぁ仮装の一環だと思えばそう悪くはないのでは?」とは、副隊長キーラムの弁である。
 捻りの入った性格の先輩方に日々鍛えられているステラ達は、それ以上無駄に足掻いて時間を割く愚を犯す事はしなかった。
 …抵抗も反論も諦めての無条件降伏、とも言うが。
 「うん、間違いないね。複数の魔法生物の反応があるし、ギルドで認可してない禁呪のマーカーも出てる」
 手許に視線を落としたままのルディから返った答えを受けて、ステラは屈めていた腰を伸ばした。
 「オッケー。そんじゃ、悪者退治に出かけますか」
 それから、何やら興味深そうに天幕をじっと見つめているティアラに、こう声を掛ける。
 「ティアラは、俺等が呼ぶまで店の外で待機な」
 「うん、解った」
 兎耳を揺らして可愛らしく頷くティアラを残して、ステラとルディ、ランの3人は大きな店の中へと入って行った。

 

+ + +

 

 「いらっしゃいませ、ルイス幻獣商会へようこそ」
 天幕の中に一歩足を踏み入れると、赤い長靴を履いた黒猫のケットシーが優雅な一礼をもって客人を出迎える。
 ハロウィーンに相応しく照明代わりにJack-o'lanternがふよふよと飛び回る店内には、幻獣商会の名に違わず様々な魔法生物が展示されていた。
 ピクシーやピグミー達は、種族毎に分けられたケージの中で小さな身体を寄せ合っている。
 大き目の檻の中にはユニコーンや月兎が閉じ込められている他、鎖に繋がれたセイレーンやラミアがスポットライトを浴びている一画もある。
 珍しいところでは、天井から吊り下げられた鳥籠の中で、少女の半身に鳥の翼と足を持つ迦陵頻伽が哀切な声で歌う姿も見られた。
 看板娘ならぬ看板猫を仰せつかっているケットシーの首輪に刻まれた文様を見咎めたランが、僅かに眉を顰める。
 だが、彼が口を開くより早く、店の奥から小柄で小太りの中年男が顔を覗かせた。
 「おや、これはまたカワイイお客様だ」
 どうやら、この男が店の主らしい。
 にこやかで愛想の良い笑顔の影で値踏みするようにステラ達を眺めつつ、男は早速商売を始める。
 「召喚獣を使うのは初めてかな?それなら、ブラウニーあたりがお勧めだよ。人間の役に立つのが好きな働き者でとても従順な性質をしてるからね。それとも、綺麗なニンフが良いかな?海のオケアニデスに山のオレイアデス、森のニンフのアルセイデスもいるよ」
 両手を擦り合わせんばかりの勢いで饒舌に「商品」を勧めてくる店主の相手をステラ1人に押しつけて、ルディとランは殊更にのんびりとした様子で店内を見て回る事にした。
 大半の幻獣達はどこか虚ろな表情で大人しくしていたが、中には酷く怯えた様子でケージの隅に蹲っているものもいる。
 高い知性を持つそれらの生き物は、真摯な瞳で何かを訴えようとしているように見えた。
 ランは、時折足を止めては、彼等の声ならぬ声に応えるかのように視線を拾っていく。
 やがて、一通り店の中を見終わったルディが、手近な場所に置いてあるピクシーのケージを指差して小首を傾げた。
 「これ、封緘の呪札だよね?しかも、黒と白、両方貼ってある」
 封緘の呪札は文字通り結界を閉ざす呪符で、黒は闇の眷属を、白は光の眷属を封じる力を持つ。
 かなり強力な効力を有する為、普通は魔道汚染された空間の隔離や、鬼神魔神の類を奉じるといった用途で使われる。
 こんな風に、契約済みの召喚獣を閉じ込めておくだけの為に用いられるのは一般的ではなかった。
 「若いのに目が利くね」
 心なしか顔色を変えた店主は、媚びるような調子で取り繕おうと試みる。
 「何しろ、相手は異界の生き物だ。暴れられたりすると危険だからねぇ」
 「小妖精が危険?」
 だが、ステラは店主の言い分を鼻で笑い飛ばした。
 「獰猛な魔獣系を無理矢理従えるってんならともかく、この手の大人しい種族なら魔導契約だけで充分だろ。首輪や鎖にも隷属魔法掛けてるみたいだし、幻獣の斡旋っていうより、態の良い奴隷商人って感じだよな」
 「な、何を言い出すんだね?」
 あからさまに取り乱す店主とは対照的な冷静さで、ステラは容赦なく問題点を暴き立てる。
 「召喚獣を扱うなら、最低限四大元素に対応した種を揃えるのが常識だって聞いてるぜ。あとは力仕事が得意だったり、特殊な魔法を使えたり、とにかく術士の役に立つようなタイプ。でも、此処にいるのは見た目が綺麗な愛玩向けの生き物か、宝の守護者って呼ばれるような金儲けに使えそうな能力持ってるヤツばっかりじゃん」
 「その上、きちんとした契約じゃなくて、兇悪な術具で縛りつけて屈従させてるみたいだし?」
 「だよな」
 おっとりとしたルディの指摘にしたり顔で頷いて、ステラは判決を下した。
 「そんなわけで、有罪確定だな」
 それと同時に、1歩下がった場所に立つランへと頷いてみせる。
 次の瞬間、幻獣達を拘束していた呪縛魔法が一瞬にして解除された。
 「なっ!」
 纏っていたケープを脱ぎ捨てて本来の力を解放したステラは、驚愕のあまり絶句する店主に向かって高らかに宣言する。
 「魔導騎士団LUX CRUX年少部隊所属、プリンセス・ガードだ。魔法生物の不当な扱い、及び非合法な取引により、当店舗の差し押さえを執行する」

 

+ + +

 

 今回、プリンセス・ガードに課された任務は悪徳幻獣斡旋業者の摘発だった。
 「っていうか、幻獣斡旋業って?」
 指令を受けたステラは、任務の内容以前に聞き慣れない単語に首を捻った。
 「召喚士と召喚獣を仲介する斡旋所みたいなものだよ。例えば、火炎属性の召喚獣の力を借りたいけど生憎手頃な幻獣が近くにいない、なんて時に、登録された幻獣を紹介してくれるんだ。もちろん誰にでもって訳じゃなくてちゃんとした審査を通った術士に限られるから、幻獣側にも変な相手に引っ掛からずに済むっていうメリットがある。もちろん、契約内容に見合った報酬も約束されるしね」
 いつも通りの穏やか且つ解り易いキーラムの解説に続いて、シェルアが苦々しげな口調で本題を切り出す。
 「ただ、中には性質の悪い輩もいてな」
 騙し討ちのような契約で幻獣を罠に掛け、悪質な隷属魔法で意に沿わぬ相手に強制的に従属させる闇業者が横行しているのだという。
 「一部の非道な連中の所業とはいえ、このまま放置すれば幻獣と人間との信用問題に発展しかねない。まっとうな召喚士にとってはいい迷惑だ。それで、魔法生物の活動が活発化するハロウィーンに合わせて、召喚士ギルドが一斉摘発を敢行する事にしたという訳だ」
 召喚魔法を専門とする【金星】の魔法使いを抱える
LUX CRUXも、率先してギルドへの協力を申し出たのだそうだ。
 「でも、何でそんな仕事が僕達に廻って来るんですか?」
 プリンセス・ガードで【金星】に属しているのはティアラ独り。それも、かなり特殊な事情に因るところが大きい。
 訝しそうに質問したルディに、シェルアは意味ありげな表情で逆にこう問い返した。
 「わざわざそれを訊くか?」
 彼女の視線の先では、当のティアラがほわほわとしたとらえどころのない笑みを浮かべている。
 「解放した幻獣を元の世界に戻すところまでが依頼の内容だ。お前達にうってつけの任務だろう?」

 

+ + +

 

 ランによって自由にされた幻獣達の歓喜の声とステラの宣告に漸く自分の置かれた状況を理解したルイス幻獣商会の店主は、そこで大人しく捕縛されるほど殊勝な人物ではなかった。
 「くそ!」
 懐に忍ばせていた呼子笛を取り出すと、怒りのあまり真っ赤になった顔で思いっきり強く吹き鳴らす。
 人間の可聴音域を越える音を聞きつけて飛び込んで来たのは、火炎の息を吐く巨大な黒犬と長く鋭い牙を持つ大虎だった。
 「へぇ、ヘルハウンドにサーベルタイガーか。一応マトモな召喚も出来るんだ?」
 ステラは、慌てる様子もなく唇の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべてみせる。
 「でも、この程度じゃ問題外だぜ」
 挑発の効果は覿面に表れた。
 主人の命令を待つまでもなく、2頭の魔獣がステラ達に襲い掛かる。
 だが、ステラの「問題外」発言は伊達ではなかった。
 ランに飛び掛かったヘルハウンドは氷の壁に激突して弾き飛ばされ、ステラに牙を剥いたサーベルタイガーは雷を帯びた鞭に打たれて跳び退る。
 もんどりうって床に落ちた2頭は、ルディが作った即席の檻にあっさりと閉じ込められてしまった。
 この間、僅か数秒。
 更に、追い討ちを掛けるように、ランが「秘密兵器」を呼び出す。
 「ティアラ」
 「はいはーい」
 切り札だった魔獣を容易く倒された上に、場違いに明るい返事と共に兎耳も愛くるしいティアラが現れた事で、店主の頭は混乱をきたしていた。
 そんな彼の心に止めを刺すように、信じ難い光景が繰り広げられる。
 ティアラの姿を目にした2頭の魔獣は、たちまち戦意を喪失した。
 揃って仰向けに寝そべり、腹を見せて恭順の意を示す。
 「幻獣使いでティアラに敵うヤツなんていないよな」
 呆然と崩れ落ちる悪徳店主を見下ろして、ステラは苦笑混じりにそう呟いた。

 

+ + +


 市場の建つ丘に程近い人気のない浜辺で、ステラ達は異界へと続く扉を開こうとしていた。
 ルディが地脈を読んで「場」を整え、ティアラが予め召喚士ギルドから伝えられていた口上を読み上げる。
 「我等、契約に基づき門を叩く者なり。我が声を聞き留めし者、疾く応えて扉を開き給え」
 甘やかながらも澄んだその声に応えて、海上が薄っすらと霞がかっていく。
 ややあって、立ち込めた霧の中から、1組の人馬が姿を現した。
 「我が名はマナナン・マク・リーア。門を開きしは貴殿等か?」
 凛とした声音の主は、古めかしい言葉遣いでそう名乗りを上げる。
 白銀の髪の上から燃える兜を被り、精霊銀の鎧に夜の海の色をしたマントを翻すその姿は、この国の神話で馴染みのものだった。
 「大洋の神マナナン!?」
 思わぬ大物の出現に目を瞠るステラ達に、海の息子の名を持つ妖精族の騎士は微苦笑で応える。
 「その様な大層な名で呼んでくれるな。今宵の私はただの門番に過ぎぬ。たまたまこの地が我が領域に近く、また妖精族の者が多く係わっている様子だった故、召請に応じて出向いたまでの事」
 それに、と何か言いかけた騎士は、ちらとティアラを見遣って僅かに目を細めた。
 それから、改めて一同に正対すると、誠心誠意を持って誓約の言葉を口にする。
 「同胞を窮地より救い出してくれた事、心より感謝する。貴殿等の危難の際には、我等一族、全身全霊を持って助力しよう」
 彼等の「全身全霊」の意味とティアラの異才に想いを馳せたステラは、微妙に頬を引き攣らせつつ「お手柔らかに」とだけ述べるに留めた。
 その意が通じたものか、マナナン・マク・リーアは颯爽と身を翻して傍に控えていた駿馬に跨る。
 「もちろん、他界の者も同じ心持ちであろう。彼等は私が責任を持ってそれぞれの種族の王の下へ送り届けるゆえ、安んじられよ」
 
朗らかにそう言い置いて、妖精族の騎士は異界の門の向こうへと去って行った。


 

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