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「さぁ、出来たわ」
あれは、僕が7歳の時の事だった。 ◆ ◇ ◆ 夜が明ける頃、僕はたくさんのお土産を抱えて、丘の上のお屋敷を後にした。 彼女が用意してくれたご馳走は凄く美味しかったし、ちょっと変わった仲間達とも友達になれてご機嫌だった僕は、小走りで家に帰りつくと、意気揚々と玄関の扉を開いた。 「ただいま!」 ところが、僕を待っていたのは真っ赤な目をした母さんの本気の怒り顔だった。 「何処行ってたの!?」 開口一番そう怒鳴りつけるなり思いっきり僕を抱き締めた母さんの後ろから、こちらも目の下に隈を作った父さんが疲れた様子で声を掛けてくる。 「何時まで経っても帰って来ないから、みんな心配してたんだぞ」 それだけで2人がどれだけ僕の事を心配してくれてたかが伝わって来て、僕は正直に昨夜の体験を話そうとした。 「ごめんなさい。丘の上のお屋敷でご馳走になってたら、遅くなっちゃって…」 それなのに、母さんは僕の言う事を全然信じてくれなかった。 「何言ってるの!あの丘にお屋敷なんてないでしょう?」 「え、でも…」 頭ごなしに叱る母さんと戸惑いながらも反論しかけた僕と、両方を宥めるように父さんが口を挿む。 「まぁまぁ、良いじゃないか。こうして無事に戻って来たんだし。大方友達の家にでも上がり込んで、そのまま眠ってしまって夢でも見たんだろう」 違うよ、あれは夢なんかじゃないよ。だってほら、こんなにいっぱいお土産だって貰って来たのに。 そう言い返したかったけど、次の日にこっそり桜の木の丘に行ってみると、母さんの言ったとおり其処にあのお屋敷はなかった。 僕は哀しくなって、家に駆け戻るとおばあちゃんに泣きついた。 おばあちゃんは、泣きじゃくる僕の頭を撫でながらこう言って慰めてくれた。 「もしかしたら、おまえは妖精の輪を通り抜けてしまったのかもしれないねぇ」 ◆ ◇ ◆ それから、僕は毎年ハロウィーンの晩になる度に、古木の丘に通い続けた。 其処には、いつもあのお屋敷が在って、僕が訪れるのを待っててくれた。 蝙蝠の形の敲き金に手を伸ばして、ノックを3回。 「Trick or Treat?」の問いかけに約束通り「Treat」と応えれば、彼女の優しい笑顔と料理の匂いと、ちょっと風変わりな友人達が僕を迎え入れてくれる。 そのお屋敷がハロウィーンの夜にしか存在しない事も、僕には気にならなかった。 むしろ、だからこそ貴重な時間を逃したくなかった。 最初の何年かはそれでもご近所を回ってから丘に寄ってたんだけど、そのうちまっすぐ彼女の家に向かうようになって。 僕が高校に入る頃には、他の客人達はディナーを終えると早めに席を立つようになった。 今にして思えば、あれは彼等なりに気を遣ってくれてたんじゃないかな。 僕と彼女が2人っきりの時間を過ごせるようにって。 そうして、21歳の秋。 いつものように美味しい料理をご馳走になって、他愛のない会話を楽しんで、その帰り道。 玄関まで見送ってくれた彼女を振り返って、僕は一世一代の大勝負に打って出た。 「Trick or Treat?」 その言葉と共に差し出した右手には、彼女のお気に入りの店で買って来たトリュフチョコ。 そして、左手に乗せたベルベットの小箱には、まぁるいムーンストーンをあしらった銀のリング。 そう。僕なりに考えた末のプロポーズってわけ。 緊張に強張る頬で精一杯微笑んでみせる僕を見つめて、彼女はぱちくりと瞬きを繰り返した。 驚きに彩られた表情が、やがて、ゆっくりと綻んでいく。 それを隠すように俯いて、彼女は小さく溜め息を落とした。 「…私の負けね」 ほんの少し呆れたような、でも、嬉しそうな笑みを孕んだ声で呟いて、彼女は僕に向かって手を伸ばす。 そして、熱を帯びた僕の耳元で、彼女は「Trick」と囁いた。 ◆ ◇ ◆ 「何にやけてるの」 子供達を送り出した彼女が、腰に両手を当てて僕の方に向き直る。 「いや、懐かしいなぁと思って」 我ながら、たぶんかなり締まりのない顔をしてたんだろう。 それが解るから、僕は下手に言い繕ったりしないで素直に思ったままを口にした。 「妖精の丘のお伽噺。おばあちゃんから散々聞かされたなぁって」 だけど、僕達の結婚を誰より祝福してくれたのもおばあちゃんだった。 遠い日の思い出に想いを馳せる僕の肩にそっと手を乗せて、僅かに首を傾げた彼女が僕の瞳を覗き込む。 「後悔してる?」 「まさか!」 あの夜、彼女に出逢えた事。その奇跡と魔法に感謝しこそすれ、後悔するなんてあり得ない。 …ただ、時々不安にはなるけど。 「君こそ、僕と来た事を悔やんでない?」 「いいえ」 上目遣いに尋ねる僕に首を振って、彼女は笑みを含んだ視線を窓の外へと投げかける。 「だって、ほら、友達なら逢いに来てくれるもの」 つられるように何やらざわざわとした気配がする方に目をやれば、カーテン越しに見えるのは異形のシルエット。 噂をすれば、というヤツだ。 僕は彼女に目配せして、忍び足で玄関に向かう。 ノックは3回。声をかけるのは家の主から。 「Trick or Treat?」 お決まりの挨拶ととびっきりの笑顔で、僕は懐かしい友人達を出迎えた。 |