古来、四辻は別世界に通じると云われている。
 2つの道が交わるその場所で、異なる世界が交錯するのだとか。
 魔法の力が高まる夜には、界を隔てる理が揺らいで異界に続く扉が現れる。
 例えば満月や新月、三日月の晩に。
 冬至や夏至や新年祭、日蝕や月蝕の日に。
 そしてもちろん、万聖夜の前夜にも…。

 

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 風に運ばれた薄雲が、14日目の月を隠す。
 雲が流れ仄かな明かりが戻るに連れて、十字路の中央に佇む1つの人影が現れた。
 緻密な刺繍に飾られた卯の花色のガウンの上から銀糸に縁取られた重厚な緋色の天鵞絨のマントを羽織ったその人物は、ゆったりとした足取りで月明かりの下へと進み出る。
 その出で立ちといい悠然とした立ち居振る舞いといい、何処かの王族を思わせる美しい青年だった。
 瞳の色とお揃いのティアドロップ型の柘榴石を額に飾る金環も王冠めいて見える。
 長く背に下ろした白く艶やかな髪は、降り積もったばかりの綿雪か雲のような柔らかさを感じさた。
 「やぁ、待ちかねたよアーク」
 「魁《カイ》」
 からかうような響きを孕んだ声の呼びかけに青年が顔を向ければ、袍と呼ばれる立て襟、右前袷の長衣を纏った整った顔立ちの青年が天蓋の青と謳われる双眸を細めて微笑んでいる。
 先の青年の視線に応えるように僅かに小首を傾げると、顎の長さで切り揃えられた彼の絹糸のような銀の髪がさらりと滑り落ちた。
 月夜の化身のようなその色彩は、藍色の濃淡に蓮の華を縫い取った衣装に良く映える。
 典雅な面差しに相応しからぬ含みの有る笑顔に小さく溜め息を吐いて、アークと呼ばれた青年は聊か古めかしい言い回しで弁解の言葉を口にした。
 「貴公等霊獣族と違って、我等幻獣族は普段は人界から遠く隔てられた界に暮らしているのだ。多少の遅参は致し方あるまい」
 「確かに、君の領域では異形の者は棲み難いからね。その点、私の処では「霊獣は人界に在って天の意思を遂行する者」だなんて思い込みが未だに生きてるおかげで随分簡単に人界と行き来できるけれど」
 アークは幻獣を統べる幻獣王、魁は霊獣を統べる霊獣王である。
 彼等の立位置の違いは、それぞれの種族が主な活動領域としている地域の社会背景にあった。
 幻獣と呼ばれる種族が渡る西方諸国では一神教が大勢を占めており、人ならぬ姿は忌避される傾向にある。
 他方、霊獣が好んで暮らす東の国々では、多神教や自然崇拝の影響で異界の生き物は畏敬の対象と見做されがちだった。
 したり顔で頷く魁の背に、しかし、冷ややかな指摘の声が投げられる。
 「霊獣王殿の場合、お気に入りの巫子の傍を離れ難いだけであろう?」
 硝子の鈴を鳴らすような澄んだ声の持ち主は、清楚にして妖艶という相反する2つの魅力を矛盾なく振りまく姫君だった。
 金糸で縁取られた乳白色のドレスは豊かな胸と華奢な腰つきを強調するようにウエストを絞り込んだデザインで、胸元には大粒のエメラルドを下げた首飾りが嵌められ、肘の辺りから広がる袖口には繊細なレースが贅沢に使われている。
 高く結い上げられた金髪は、色とりどりの小花に飾られ緩やかに波打ちつつ自然に背中に流れ落ちていた。
 薄い紗のヴェール越しにも窺える美貌の口許にうっすらと笑みを刷く彼女のほっそりとしたその肩に、背後から無粋な手が掛かる。
 「麗しの妖精王陛下は相変わらず容赦がなくていらっしゃる」
 「気安く触れるでない、虚け者」
 「冷たいなぁ、レジーナちゃんってば。久々の逢瀬だってのにつれないねぇ」
 ぺしりと掌を払いのけられた男は、軽く片眉を持ち上げて嘆きを表す。
 だが、悪戯っぽく煌めく金睛眼には、軽佻な言動には似合わぬ強い輝きが宿っていた。
 ぴったりとしたラインの黒いレザーのロングコートは、男の鍛え上げられた肉体美を際立たせる。
 半ば逆立てるように後ろに撫でつけた亜麻色の短髪や顎鬚は浮ついた言動と相俟って無頼な印象を与えるが、一方で両肩に掛けた豪奢な毛皮に見劣りせぬだけの風格を漂わせてもいる。
 アークや魁の醸し出す優雅さが王者のそれであれば、男はまさしく覇道の王であろう。
 周囲を圧倒する覇気にも気圧された風もなく、妖精王レジーナは男を振り仰ぐと素気無くこう言い捨てた。
 「そもそも、ジルチよ、お主はこのような所で油を売っている場合ではあるまい。獣人の族は魔法に中てられ易い。いらぬ騒ぎを起こす前に配下の者を律するのも王たる者の務めであろう」
 「一応下の連中には釘刺して来たぜ?あんまり馬鹿な事しでかすと、今後一切の界渡りを禁じるってな」
 刹那、獣人王の名に相応しい獰猛な笑みを閃かせたジルチは、すぐに悪童の顔に戻るとふざけ半分で話を混ぜ返す。
 「だいたい、レジーナちゃんのところの連中だって今夜あたりは相当なはしゃぎぶりだろ?悪戯の度が過ぎないように見張ってた方が良いんじゃねぇの?」
 「まぁまぁ、四獣界の者なら誰でも多少なりとも人界の魔法には惹かれるんだ。多少羽目を外すのはお互い様じゃないか」
 険悪になりかけた2人の仲を取り成すように魁が口を挿み、アークもしみじみと感慨を漏らす。
 「本当に、人界とは不思議な処だ。異世に界は数多あれど、これほどまでに異なる理に統べられし界の住人を魅了して止まぬのだから」
 「その上、何だかんだ言って人間ってヤツは異界の生き物に寛容だ。迫害するにしろ崇め立てるにしろ、ともかく自分等とは異なる命の存在を容易く受け入れちまう。まぁ、只単に何にでも貪欲だってだけかもしれんがね」
 「そうよの」
 ジルチが褒めているのか貶しているのか解らない口ぶりで感心すれば、レジーナもまた深々と頷く事で同意を示した。
 挨拶代わりの口論にけりがついた頃合を見計らって、アークが全員の顔を見渡して口を開く。
 「で、今宵は如何する?」
 「幾つか所縁の有る地を訪ねねばならぬ」
 穏やかな問いかけにレジーナの怜悧な答えが返り、ジルチも面倒臭そうに肩を竦めつつ後に続く。
 「俺も挨拶回りしないとなぁ。普段からうちの連中が世話になってる筋には義理を通しとかないと」
 「私も藍のところに顔を出しておきたいし、アークも一緒に来るだろう?愛娘の姿を間近に眺める数少ない機会だ」
 「別に、あの娘が我が血族と決まったわけでは…」
 にこやかに誘う魁に往生際の悪く反論したものの、結局アークは同行を断る事はなかった。
 一通り予定が出揃ったところで、レジーナが一行を代表して提案する。
 「それでは、いつもの店で待ち合わせで良いな?」
 「そうだな。今宵は我等の形もそう目立たぬだろうし」
 そう言って、アークはやや離れたところに開けた町外れの公園へと視線を転じた。
 常であれば日暮れ過ぎにはうら寂しい雰囲気に包まれる筈のその広場には、オレンジ色の南瓜のランタンを手に思い思いの仮装に身を包んで集う人間達の姿が在る。
 ハロウィンは、数ある魔法の夜の中でも特別な一夜だ。
 大人も子供も人ならぬ身も、変わらぬ姿で祭りの熱に浮かされ、共に饗宴に興じる。
 今夜ばかりは、多少時代がかった彼等の出で立ちも然程目を惹く事はないだろう。
 尤も、身に纏う王者の気品や風格といったものは誤魔化しようがないのだが。
 「では、また後程」
 軽く手を挙げ再会を約して、四獣王はそれぞれに万聖節前夜の街へと消えて行く。
 現世と異世を繋ぐ魔法の夜は、未だ始まったばかり…。


 

Trick or Treat?