
夢解き夢占夢違え、夢見合わせに夢詣で。
凡そ夢に纏わる万象に於いて右に出る者はないと評判の店、夢商いの御伽屋「綴」。
板塀に囲まれた広大な敷地に建つ木造平屋建ての古風な佇まいのその屋敷は、とかく珍事には事欠かぬ迷宮都市カイロの魔法街キリエにあって1、2を争う風変わりさを誇る謎の館として知られていた。
※※※
「夢で良いから逢いたいと、願った事はござりませぬか?」
先に立って檜張りの渡殿を進む綴《ツヅリ》が、肩越しにそう問いかける。
蝋燭の揺らめく炎が、白小袖に緋袴の巫女装束でそぞろ歩く彼女の白面に幽眇たる陰影をつける。
ひっそりと笑む彼女の手に揺れる、一輪の芥子の花。
その花の鮮烈な赤が、知らず視線と心を奪う。
「今宵は、異界の門が開く夜。夢もまた異界のひとつなれば、願いを賭けてみるも一興かと」
謎めいた言葉の意味を質す間もなく、一つ目の扉が開かれた。
※※※
…いちじく、にんじん、さんしょにしいたけ、ごぼうに、むかごに、ななくさ、はつたけ、きゅうりにとうがらし。
幼い声の唄う数え歌に合わせて、錦の手毬がてんてんと弾む。
桃花褐の衣の上に茜の被風を纏った童女が毬つきに興じる様を眺めていた老爺が、ぱちぱちと手を叩いた。
「上手い、上手い。七星《ナナツホシ》は毬つきが上手じゃ」
老爺は、毬をつく手を止めた童女の頭をぽんぽんと撫ぜてやりながらこう尋ねる。
「爺の土産の毬は気に入ったかの?」
童女がこくりと頷くと、老爺は嬉しそうに相好を崩した。
「そうかそうか、それは良かった」
童女は、再び毬をつき始める。
いちじく、にんじん、さんしょにしいたけ、ごぼうに、むかごに、ななくさ、はつたけ、きゅうりにとうがらし。
柔和な笑みを湛えて見守る老爺の姿は次第に光の粒子に包まれ、空に融けるように消えていった。
※※※
「あぁ、やっぱり胡蝶《コチョウ》には赤が良く似合うわね」
薄紅の匂の五つ衣の上から紅の地に金糸銀糸で椿の花と蝶を描いた浮織物の小袿を着せ掛けてやりながら、その女性は子供のように浮き立つ声で少女に話しかけた。
「母様の見立て通りだわ」
だが、美しく着飾った娘の艶姿を見つめるうちに、一転してぽろぽろと涙を流し出す。
「一度で良いから、おまえにこんな風に姫らしい暮らしをさせてあげたかった」
女性は、亡国の王妃だった。
少女に着せた小袿の端を握る指先は、育ちに似合わぬ暮らしぶりにすっかり荒れてあちこち傷だらけになっている。
褪せた椿襲の衣の胸元を染める緋色は、彼女の流した血の色だろうか。
「良いのよ」
紅涙を絞る母親を慈しみ愛しむ眼差しで見遣って、少女は静かに語りかける。
「もう、良いの。だからそんなに嘆かないで…今は、安らかに眠っていて」
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水干に狩袴の白拍子姿の少女が、清澄な笛の音に合わせて舞い踊る。
凛とした佇まいは男装の所為ばかりでない厳粛さを漂わせ、見る者の胸に畏敬の念を抱かせる。
やがて楽の音が止み、笛を奏でていた男が親しく舞姫に声をかけた。
「相変わらず清冽な舞を舞う」
舞姫は、地に膝をついて頭を垂れ、最敬礼を表す。
男は、懐を探ると、薫り高い白檀で作られた打扇を舞姫に差し出した。
「空蝉《ウツセミ》、これを貴方に」
しかし、舞姫はそれを受け取ろうとはしなかった。
「神楽女を下りた身で、猊下より扇を賜るわけには参りませぬ」
頑ななまでに畏まる舞姫に、男は寂しげに問いかける。
「私の代わりと思って傍に置いてはもらえぬだろうか?」
共に在る事すら許されずとも、貴方を想う心に変わりはない。この扇は、私の想いの証だ、と。
そう告げる男の眼差しの真摯さに毅い眸を伏せて、舞姫は禁じられた抱擁を受けた。
※※※
「あれ?これって、俺の夢、だよね?」
青年は、思いがけぬ幸運に戸惑うように目の前の少女に手を伸ばした。
銀の髪の少女の姿は酷く儚げに映るけれど、確かに其処に存在する。
「君も、俺に逢いたいって思ってくれてるのかな」
そうだとしたら、凄く嬉しいんだけど。そう言って頬を緩めた青年は、「そうだ」と呟くとポケットから繊細な細工の施された懐刀を取り出した。
「今度逢った時に渡そうと思ってたんだけど丁度良いや。これ、うちに代々伝わるお守りなんだ。蜻蛉《カゲロウ》は、時々無茶をするだろ?」
「本当は、傍にいて俺が護りたいんだけど」と続ける青年の瞳がほんの少し哀しげに見えて、少女は黙って差し出された懐刀を受け取った。
青年は、安堵したのか嬉しそうに微笑む。
その守り刀が代々青年の家の妃に贈られてきた品だという事は、彼だけの秘密だ。
「あぁ、夢が醒めるみたいだ」
ふわふわとした現実味のない浮遊感に、青年は目覚めの時が近い事を知る。
少女の額に口づけ、「またね」と囁いて、青年は幸せな夢を後にした。
※※※
「魔法の夜の夢は、多くの願いを叶えるもの」
最後の扉を閉ざしつつ、綴が秘めやかに誘いかける。
死の間際に愛しい縁者を訪う者、死して尚想いを遺す者。
現し世で許されぬ逢瀬を望む者、一途な恋を遂げる者。
そうして、一夜が明けて残ったものは、錦の手毬に椿の小袿、香木の扇と守り刀。
「貴方様も、おひとつ夢を如何です?」
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