眠らないと謳われる夜の都会も、目抜き通りから一歩入ればその様相を変える。
 華々しいイルミネーションの光が届かない裏通りは、影と静寂と秘密とが幅を利かせる危険な世界への入り口だ。
 そんな人通りのない路地裏の一画、申し訳程度に灯された街灯の下に行儀悪く座り込んでいた赤毛の少年が、鮮やかなジャスパーグリーンの瞳をちらっと腕時計に向けると、ポケットから徐に小さな機械を取り出した。
 掌サイズに二つ折りにされたそれは、携帯電話だか玩具のトランシーバーだかを思い起こさせる代物だった。
 実際、それはある種の通信機器ではある――但し、その動力源は通常の電池ではなく、通信手段も所謂無線電波とは異なるのだが。
 フラップを開くのと同時にスリープ状態が解除され、ディスプレイに光が灯る。
 少年は、慣れた仕草でスイッチを入れると、離れた場所にいる仲間に呼びかけた。
 「チャンネルオープン。ハロー、こちらステラ。全員配置についたか?」
 「こちら、ラン。目標を確認」
 夜の帳に溶け込むようにひっそりと佇む黒髪の少年が、闇を見透かすように蒼翠色の瞳を凝らせて端的にそう告げた。
 「こちら、ルディ。作戦準備完了」
 両腕に抱え込んだ長い柄に身体を預けて、チョコレートブラウンの髪をした少年がにっこりと甘やかな笑みを浮かべる。
 「こちら、ティアラ。こっちはいつでもOK」
 肩に止まった鳥がふわふわのプラチナブロンドに潜り込むのに擽ったそうに首を竦めて、少女が愉しげに応えた。
 「了解」
 全員の返答を待って、ステラと名乗った最初の少年はぱたりと機械を折り畳むと身軽に立ち上がる。
 「よっし、そんじゃ、いきますか」
 真夏の夜の街の裏側で、1つのミッションが始動した。
 

+ + +


 石畳の舗道に黒々と伸びた影がゆらりと揺らぐ。
 影の主は、高価そうなスーツに身を固めたエリート然とした若い男だった。
 男の瞳の中に、昏い炎が点っている。
 ちろちろと揺れる炎に照らされた神経質そうな横顔は、精神に潜む狂気のままに歪んで見える。
 その男の背後から、不意に赤毛の少年――ステラが声をかけた。
 「この暑いのに焚き火かい?」
 軽い挨拶のような調子の声にも関わらず、男はぎくりと動きを止める。
 次いで、慌ててステラを振り返った男の表情は、時と場所に相応しからぬローティーンの少年の出現に驚いている、だけにしては些か大袈裟な驚愕に彩られていた。
 「どうして俺が此処にいるのかって?人避けの結界を張った筈なのに?」
 口を開きかけた男の台詞を先回りして、ステラはからかい混じりにそう問いかける。
 悪戯っぽい笑みを含んだ彼の視線の先には、小振りのレイピアを手にして立つランの姿があった。
 「僅かばかり魔導をかじった程度で碌に知識も経験もない素人が魔術書に載っている図象をそのまま書き写したところで、所詮は真似事。この程度の魔法陣を解くくらい造作もない」
 「…だってさ」
 たった今結界を切り裂いたばかりの剣を鞘に収めながら淡々と告げるランの言葉を受けて、ステラは男への同情の意を込めて肩を竦めてみせる。
 ランは、おどけるステラには構わず静かに男に歩み寄ると、冷たい一瞥を投げかけた。
 「火炎呪符を使った連続放火事件か」
 その一言と同時に、男の手の中で炎を上げていた呪符がぴしりと音を立てて凍りつく。
 更に、別の場所から飛来した風の刃が、効力を失った紙切れを粉々に打ち砕いた。
 「困るんだよなぁ、こーゆー悪さされると。ただでさえ、魔法使いの類への世間の風当たりって強いんだからさぁ」
 相変わらず飄々とした口調を崩さないステラだが、常に笑みを湛えているような垂れ目がちの瞳には剣呑な光が宿っている。
 男は、ちっと短く舌を打つと、袖に隠し持っていた呪符を至近距離にいたランに向かって投げつけた。
 「ガキが!黒焦げになるが良い!」
 空中で発火した呪符が、身動きひとつしないランへと襲い掛かる。
 だが、それらは僅かなりともランの身を害する事はなかった。
 「効かないね!」
 いつの間にか取り出した鞭ですべての呪符を叩き落したステラが、挑発的にそう言い放つ。
 呆気に取られていた男は、はっと我に返るとぎりぎりと歯を軋ませた。
 「くそっ、ならばこの場ごと灰燼に帰してくれる!」
 鬼相を浮かべて叫ぶ男の身体から、灼熱の炎が放たれる。
 文字通り激しい憎悪に身を焦がす勢いで、男は辺りを灼き尽くそうとしていた。
 そこへ、緊迫感のないおっとりとした呟き声が聞こえてくる。
 「ふぅん、やっぱりただの符術士じゃないんだ」
 「あぁ、発火能力者(パイロキネシス)だろうって読み通り結界張っといてもらって助かったぜ」
 「でしょう?」
 驚く風もなく応じるステラに、自分の身長を超える長さのウィングドスピアーを抱えて暗がりから現れたルディは誇らしげに微笑んだ。
 彼等の会話を不審に思った男は、己の放った業火が目に見えない壁に阻まれて外界に焼け焦げひとつ残していない事を知って愕然とする。
 ステラは、追い討ちをかけるように男の無能を揶揄した。
 「さすがはルディ。結界って言うからには、やっぱりこれくらいじゃないと」
 そんなステラを憎々しげに睨みつけていた男が、突然居丈高に居直る。
 「だが、これで貴様等も逃げ場を失ったぞ?みんな此処で燃え尽きるんだ!あーっははははっ!」
 狂ったように哄笑する男の意のままに、炎は結界の内側へと矛先を変えて激しく燃え広がった。
 だが、子供達は恐れも焦りもしない。
 「逃げる必要なんてないよね」
 「そーだよな。別に逃げなくったって良いよな」
 ことりと小首を傾げるルディと、うんうんと頷くステラ。
 ランは、夜空に向かって短く呼びかける。
 「ティアラ」
 「はぁい」
 男への断罪が嘘のように甘い響きの呼びかけに応えて、路地を見下ろすビルの屋上から場違いに明るい少女の声が返った。
 そこへ、ばさっという大きな羽音が被さる。
 ステラ達を囲む炎をめがけて、煌々と輝く光を纏った猛禽類が優雅に舞い降りて来たのだ。
 「火喰い鳥(ファイア・イーター)っ!?」
 弾かれたように顔を上げた男は、その名の通り炎を喰らう幻獣を前に絶句する。
 火炎呪文を武器とする男にとって、轟々と燃え盛る炎の中を嬉々として飛び回る火喰い鳥は天敵以外の何者でもなかった。
 結界の中の炎をあらかた食い尽くした火喰い鳥が主であるティアラの許へと戻るのを待って、ステラが力なく膝をついた男を振り返る。
 「さぁ、いい加減観念してもらおうか」
 男は、のろのろと視線を上げると虚ろな目をして彼に問いかけた。
 「貴様等、一体…」
 ステラは、ふふんと胸をそらして堂々と名乗りを上げる。
 「魔導騎士団
LUX CRUX年少部隊所属、プリンセス・ガード」
 「ま、相手が悪かったと思って諦めな」と言ってのけるステラに、男はがっくりと項垂れた。
 

+ + +


 終電を待つ駅の構内で、ランは魔導仕込みの携帯端末を開いていた。
 隣に腰掛けたティアラは、彼の肩を枕代わりに既に夢の国へと旅立っている。
 ステラはティアラの幸せそうな寝顔を前に鼻の下を伸ばしていて、ルディは呆れ半分の優しい眼差しでそんな光景を愉しんでいた。
 携帯端末のキーボードを、ランの指が滑らかに叩く。
 ――魔導騎士団
LUX CRUX年少部隊所属、コードネーム:プリンセス・ガード。
 ――メンバー:ステラ=ミラ、ラン=ユエル、ルディ=ソラリス、ティアイエル=フュー。
 ――放火犯の発火能力者を確保。
 そこまで入力したところで、本日の最終電車がホームに滑り込んで来た。
 ランは、最後の一文を打ち終えると、送信ボタンを押して端末機のキーボードをスライドさせる。
 ――ミッション完了。
 時計の針は、午前1時を回ろうとしていた。



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