■第5話 喪失楽園■
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ミフルの暦に倣って、五華宴の祭事は青玉祭から始まる。
真夏の空を示す青玉の名は、陽光を思わせる豪奢な黄金の髪と蒼穹の色を宿した瞳を持つ太陽神・熾輝にこそ似つかわしい。
それ故、大祭の初日に当たるこの日の祭事は、精霊への信仰とは別に熾輝に捧げられていた。
陽気で洒脱な彼の人柄を反映して、青玉祭の間メシエの街は大層な賑わいを見せる。
軽やかな鼓や笛の音と共に楽師等と巫子達を乗せた山車が目抜き通りをゆったりと進むのに合わせて、集まって来た子供達が飛び跳ねながら囃し立て、若者達は思い思いに舞い踊る。
通りの両脇には神殿所縁の土産物や菓子等を売る露店が軒を並べ、威勢の良い呼び込みの声があちこちからかかっては祭りの熱気を盛り上げた。
人々は、連れ立って熱に浮かされ華やかに飾り立てられた街を練り歩く。
そんな絢爛さも、祭典の始まりに相応しい。
だが、この日1番の見物は何といっても天象神殿の奉剣場で開かれる御前試合である。
毎年秋の収穫祭を兼ねて行われる奉納試合の参加者は神殿騎士団の団員に限られているが、五華宴の御前試合にはミフルの民であれば誰でも出場を許される。
勝者には多額の褒賞金が支払われる上に名を上げる絶好の機会という事もあって、腕に覚えの有る強者が各地から挙って参戦する大舞台だった。
一攫千金を狙う者や名を売り功を求めんとする者もあれば、純粋に他者と腕を競い己を研く事を望む者もある。
また、此処での活躍ぶり次第では各都市の警備隊への登用や隊商からの護衛任務の依頼にも繋がる事から、腕利きの傭兵達も数多く参加している。
そしてもうひとつ、この御前試合が注目される理由があった。
カランと乾いた音を立てて、主の手から弾き飛ばされた槍が石造りの床に転がる。
時を同じくして、青金石の群青も鮮やかな奉剣場の丸天井に、勝敗を告げる瑠璃玻の声が高らかに響き渡った。
「勝負有り!勝者、熾輝!」
そう。各部門の優勝者には、剣皇の異名を持つ熾輝本人と対戦する権利が与えられるのだ。
武神として名高い熾輝と直接手合わせする事が許されるのは、武の道を志す者にとってこの上ない栄誉だった。
己の背丈程もある大剣【カルサムス】を愛用する熾輝だが、那波の護り人になる前は傭兵稼業に就いていただけあってどんな武器も一通りは使いこなす事が出来る。
弓術部門の優勝者であるユタの戦士、戦斧部門を勝ち上がった神殿騎士団員、拳闘部門を勝ち抜いたジュナの武闘家ときて、今の対戦相手は槍術部門の勝者で九鬼の族長を務める女騎士だった。
鍛えられているとはいえ戦士にしてはほっそりとした頸を刎ねる寸前だった刃を退きながら、熾輝は片膝を床について肩で息をしている挑戦者に笑いかける。
「さすがに「隻眼の白鷹」と謳われるだけの事はあるな。良い腕だ、緋」
「勿体無きお言葉、光栄に存じます」
互いに知己であるのか、親しげに名を呼ばれた壮齢の女騎士もまた打ち解けた様子でそれに応えた。
九鬼の家の例に漏れず色素の薄い白金髪と紅茶色の特徴的な瞳を持つ彼女だが、二つ名が示す通り眼帯の下の右眼は額から頬にかけて走る傷に潰されている。
双子の弟を喪った戦で負ったというその傷痕は、元が貴族的に整った貌立ちをしているだけに痛ましい。
だが、敗れて尚誇り高く野生の獣にも似た凄艶な微笑を浮かべる彼女は、それさえも美しさを彩る装飾品に変えてしまう毅い女性だった。
立ち上がる緋の手を取った熾輝は、健闘を称えると共に敬意を表してその手を強く握り締める。
それから、長大な【カルサムス】をひょいと肩に担ぐと、最後の挑戦者が待つ一画に向き直った。
垂れ目がちの双眸を僅かに細めた熾輝の口許を、淡い笑みが掠める。
彼の視線の先には、太陽神の神器・相生の剣【プロクシェーム】を手に佇立する煌の姿が在った。
「剣術部門はやっぱり今回も煌が残ったか」
男臭い表情で唇の端を持ち上げてみせる熾輝に、煌は如才なく微笑みを返す。
「瑠璃玻の護り人として、日々鍛錬に努めてますから」
言外に剣技に於いて他に遅れを取るつもりはないと匂わせる煌の静かな自信に、熾輝の目が軽く瞠られる。
少しばかりの驚きは、すぐに悪戯を思いついた子供のような性質のよろしくない含み笑いに取って代わられた。
「良いぜ。せっかくの祭りだ、派手にやろう」
ぶんと勢い良く【カルサムス】を振り下ろした熾輝は、芝居がかった所作で斜に構えると愉しげに煌を挑発する。
すっとこちらは音もなく【プロクシェーム】を正眼に構えて、煌はその誘いを受け入れた。
視線を交錯させた2人が、同じタイミングで唇に薄く笑みを刷く。
それが、開始の合図だった。
【カルサムス】と【プロクシェーム】、ミフルの誇る最強の二振りが音高く撃ち合わされる。
先に攻撃を仕掛けたのは熾輝だ。
充分に力の乗った重い斬撃を刃元で受けた煌は、撥ね退ける動きから流れるように切っ先を返して袈裟懸けに斬りかかった。
軽く後ろに飛び退る事で初撃を躱した熾輝を追って、煌は膝下まで下がった剣を肩まで斜めに振り抜き、続けて上段から素早い斬撃を繰り出す。
一合。二合。
三合目ががっちりと鍔で受け止められたところで、危険を察した煌は素早く剣を退いた。
力技に長けた熾輝が操る【カルサムス】とまともにぶつかり合えば、細身の【プロクシェーム】に勝ち目はない。
彼の勘の良さを認めてにやりとした熾輝が反撃に転じる。
煌の攻撃を止めた剣を勢い良く振り下ろしたかと思うと横様に払い、そのまま腰を捻って更なる強撃を加える。
煌も、軽やかな身ごなしでそれらを躱しつつ、要所要所で【プロクシェーム】を閃かせて熾輝を攻め立てた。
高い丸天井に響く剣戟の音。光刃の煌めき。
迅さに勝る煌はもとより、熾輝の振るう【カルサムス】でさえ、常人の目には残像としか映らない。
流儀の違う2人が目まぐるしく攻守を入れ替える戦いぶりに、観衆は声を上げるのも忘れて魅入られた。
それほどまでに見事な彼等の剣技は、もはや戦いと言うよりは息の合った舞い手による演武に近い。
実のところ、熾輝も煌も意識して派手な立ち回りを演じている節があった。
武術としては美しく洗練されていても実戦では隙が大きくなり過ぎて使う機会のない華やかな技を、次々と披露していく。
観衆が固唾を呑んで見守る中、息詰まる熱戦はいつまでも続くかに思われた。
だが、どれほど腕利きの剣士にも体力の限界はある。
此処に来て決勝までの連戦の疲れが出たのか、しなやかに攻撃を受け流していた煌の動きが僅かに鈍る。
その一瞬の間隙をついて、熾輝がここぞとばかりに勝負に出た。
予備動作もなく振り上げられた【カルサムス】が、煌の首筋めがけて振り下ろされる。
観衆の多くが息を呑み、或いは短い悲鳴を上げかけたまさにその瞬間、主賓席に座る瑠璃玻から制止の声がかかった。
「そこまで!」
まるで時機を計っていたかのように、熾輝と煌双方の動きがぴたりと止まる。
その姿勢のまま、ふっと肩の力を抜いた熾輝は苦笑を浮かべてこう呟いた。
「逸ったか」
彼が手にした【カルサムス】は、確かに煌の頸部を捕らえている。
だが、咄嗟に身を沈めた煌の【プロクシェーム】の剣先は、熾輝の左胸にぴたりと突きつけられていた。
わざと隙を見せる事で拙速な攻撃を誘い、自身も深手を負う覚悟で一撃必殺を狙う煌の策に熾輝がはまった形の結末に、瑠璃玻の審判が下る。
「この勝負、相打ちにより引き分けとする」
どっと歓声が上がり、人々は剣皇と聖剣士の名勝負に万雷の拍手を送った。
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