■第3話 陽炎の町■
(6)
翌日、一行は夜明けを待って再び馬上の人となった。
慣れない道行きの疲れから昨夜は早々に眠りに就いたから、各々休息はしっかりと取れている。
砂漠の夜は平地よりずっと冷え込みが厳しい為、暑さで寝苦しいといった事もなかった。
だが、そうして体調を整えていてさえ、その日の行程は過酷なものだった。
目的地である地の根の柱は、ウルカ砂原の中心部に位置する。
当然彼等の辿る道筋も、周辺の石礫砂漠から本格的な砂の海へと移っていた。
真夏の昼の砂原は灼熱の地と化す。
頭上の陽射しと大地からの照り返しで大気は煮え滾り、延々と続く砂丘とゆらゆらと踊る陽炎が方向感覚や距離感を狂わせる。
それ故、砂漠を行く旅人達の中には昼の間は砂丘の影に入って休み、専ら日が沈んでから行動を開始する者も多かった。
その方が体力の著しい消耗を防ぐ事が出来る上、天を仰げば星々が道を知らせてくれる、というのが彼等の持論である。
ただし、気温が下がれば昼間は眠っている夜行性の動物達が動き出すし、暗闇に紛れて流砂を見落とす懼れもあって、安全な旅とは言い難い。
喜見城は、この地に不慣れな瑠璃玻達の為に、せめて大地が熱を帯びる前に距離を稼ごうと早朝から移動する事を択んだという訳だ。
そうして砂地を行く事半日余り。太陽が中天に差し掛かる頃、一行の前に変化が訪れた。
「何かしら?」
最初にそれについて言及したのは綾だった。
鼻から下を覆う布越しにくぐもった声を発しつつ、目を眇めて前方を眺め遣る。
彼等の向かう先、砂原の中央部で、地平近くの空が黄金色に染まっていた。
近づくに連れて、細かい砂の粒が陽光を反射しているのだと見て取れるようになる。
だが、その規模は時折吹く風に砂が舞い上げられている等という生易しいものではなかった。
「ねぇ、ちょっとやばいんじゃない?」
綾の動揺が伝わったのか、彼女を乗せた馬が不安そうに鼻を鳴らす。
煌も、怯える馬の首筋を宥めるように撫でてやりつつ窺うような視線を瑠璃玻に向けた。
そうしている間にも、金色の嵐は着実にこちらへと近づいて来る
と、一行を先導していた喜見城が唐突に馬の背から下りた。
高々と上げた二の腕に御雷が舞い降りるのを待って、迫り来る風砂の壁へと足を踏み出す。
「ちょっと!!どうするの!?」
慌てて後を追おうと飛び降りた綾は、着慣れないユタの裾の長い衣装と砂に足を取られて数歩も進まない内にしゃがみ込んでしまった。
彼女の隣に、瑠璃玻がゆっくりと歩み寄る。
「案ずるな」
そう言って喜見城の背中を見つめる瑠璃玻の横顔に、焦りや動揺は見られなかった。
「この砂嵐は、サエナの民が聖地を鎮護する為に生み出した結界だ」
一方で、煌は騎乗したまま事態の趨勢を見守っている。
危険が迫れば、有無を言わさず瑠璃玻を連れ去る心積もりなのだろう。
喜見城は、一行の面前に立ち塞がる吹き荒れる風と砂塵の結界の前に立つと、徐に【シルフィード】を抜き放った。
長短二振りの剣を捧げ持つ彼の背に、一対の翼が広がる。
付け根から羽先に向かって徐々に色の濃くなる褐色の翼は、雄々しく猛々しい猛禽類のそれに近い。
まるで、肩に止まった御雷の両翼が彼の身に宿ったかのようだ。
敵意を持って吹きつける強風にも屈せず、喜見城は前方をじっと凝視したまま呪文の詠唱を開始した。
低い声が唱える不明瞭な呪言は、荒れ狂う風の音に遮られて瑠璃玻達の耳には届かない。
だが、風と砂の障壁が次第に静まりゆく様は、何より彼の言葉にそれだけの力がある事を表していた。
やがて、嵐の余韻も去り、砂の幕に遮られていた視界が徐々に開けていく。
明晰な空の向こうに一行が見い出したのは、砂丘でも砂の海でもなかった。
白茶けた大地に大小様々な白い岩塊が転がり、幾重にも連なる岩壁が行く手を阻む。
厳しい自然環境と侵入者を拒む魔法とに護られたその地は、滅びたサエナの民が聖地と崇めるに相応しい秘境だった。
一面の砂原の中に突如として出現した岩山は、一種異様なまでの荘厳さでもって見る者を圧倒する。
しばし呆然と目の前の光景に見惚れていた綾は、一際高く聳え立つ巖の麓に穿たれた洞穴に気づいた。
洞穴といってもその入り口には柱や梁を象った彫刻が施され、周囲の壁面そのものも建物を模した装飾になっているなど、明らかに自然のものとは異なっている。
どことなく霊廟や祠といった物を思わせるその岩窟を指して、綾は幻の翼を消した喜見城に問いかけた。
「あれが地の根の柱?」
確かにその眺めは綾がそう思うのも無理はないだけの威容を誇っていたが、喜見城の口からは「いや」という短い否定が返る。
それから、空を切るように払った剣を腰に戻しつつ、喜見城はこう言い足した。
「あれは根の道の入り口に過ぎない。地の根の柱は、根の道の先に在る」
「根の道…?」
「地底深くへと続く長い道だ」
榛色の瞳は、眼光鋭く切り立った岩山を見据えている。
その先に何が待つのか、一行の中でそれを知るのは、他ならぬ喜見城自身だけだった。
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