■第3話 陽炎の町■
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喜見城と呼ばれた男は、些か剣呑で近寄り難い雰囲気を纏って其処に在った。
こけた頬に尖った榛色の眼。鞣した革の如き膚の剽悍な顔立ちは、細い顎に生やした顎鬚の所為かどこか荒んだ印象を与える。
固く引き結ばれた唇の端に刻まれた微かな皺や歳月を経た者だけが得うる落ち着きからすると50代も半ば過ぎといった年代に見えるが、限界まで無駄を削ぎ落とした痩身の強靭さや敏捷さはせいぜいが30歳そこそこの若者のそれだった。
身形は一般的なユタの民に近いが、短く刈り込んだ灰色の強い髪を長い布で巻くのではなく大きなスカーフで覆い、結んだ端を長く風に靡かせているのが一風変わっている。
右手に順手で彎刀を、左手にはやや小振りながら同じように三日月を思わせる彎曲した刃を持つ短刀を逆手に握る構えも、他では見かけない独特の型だった。
その二振りの刀剣の鞘に施された繊細な七宝細工といい絹の錦で飾られた革製の剣帯といい、本来の彼がそういった品々に相応しい高貴な出自である事を物語っている。
だが、元々は高級な生地を用いているのだろう仕立ての良い衣服はあちこち傷んで薄汚れていて、現在の彼の暮らしぶりが自然と伝わってきた。
熾輝のように豪勢な偉丈夫でもなければ、優美でしなやか物腰の煌とも違う。抜き身の剣の如き危うさを孕んだ、戦いの日々に身を置く無骨な剣士――それが、喜見城という男だった。
「良いところに現れたな」
おかげで無駄に騒ぎを大きくしないで済んだ。
そう言いながらフードを脱いで素顔を顕にした瑠璃玻に、喜見城は愛想のない応えを返す。
「…御雷に呼ばれたのです」
だが、短刀を持った手の甲で肩に止まった御雷の頭を撫でる一瞬、峻厳な彼の眼差しが僅かなりとも和らいだのを綾は見逃さなかった。
「こいつは、瑠璃玻様の事を大層好いておりますから」
長く厳しい冬の野で思いがけず雪の中に咲く花を見つけた時のような小さな驚きと共に、綾は喜見城への警戒を解く。
もとより彼を良く知る瑠璃玻や煌は、最初から構える様子もない。
彼等の関心は、足元に転がった不埒者の方に向けられていた。
「どうやら組織立った盗賊の類ではなさそうですね」
「そうだな。ちょっとばかり腕が立つと勘違いして力に任せて無法を働くただの愚か者共だろう」
冷静な煌の分析に、瑠璃玻が容赦なく辛辣な評言を付け加える。
つられて血塗れの男達に視線を落とした綾は、ふと言い様のない違和感を覚えた。
彼等が負った傷はほとんどが刀傷と思しき裂傷だったが、中には剣の刃より更に鋭敏な何かによって切り刻まれたとしか思えないものがある。
そして、移り香のように微かな気配――自身も魔法を学んでいるからこそ感じ取る事の出来たそれは、風の精霊が動いた名残だった。
その意味に気づいた彼女が何か言いかけるより早く、喜見城が淡々と口を開く。
「検分もよろしいですが、そろそろ場所を変えては如何か?」
肩の上の御雷に一言二言語りかけた喜見城は、翼持つ相棒が高く飛び立つのを見送った後、剣を鞘に収めながら瑠璃玻達を振り返った。
「このような血生臭い現場に長居は無用かと思われますが?」
「…喜見城の言う通りですね」
喜見城の提案を受けて周囲を一瞥した煌が、整った貌に微苦笑を浮かべて同意する。
漂う血臭とただならぬ雰囲気を嗅ぎつけたのだろう。大きな通りを外れた場所にも関わらず、彼等の周りには遠巻きに人だかりが出来つつあった。
瑠璃玻達の立場を考えれば、下手に注目を浴びて面倒事になるのは得策ではない。
「これはどうする?」
「御雷を遣いに出しました。直に自警団の連中が来ます」
倒れた男達を物扱いされても動じずに答える喜見城に、瑠璃玻は得心して頷く。
「なるほど。後始末は彼等に任せるか」
「積もる話もありましょうが、詳しくは旅籠にて」
そう短く告げて背を向けた喜見城を残して、瑠璃玻達はその場を後にした。
※ ※ ※
「相変わらずこの辺りの治安には問題があるな」
街外れの一画にひっそりと建つ古旅籠の2階の窓から遠く雑踏を眺めていた瑠璃玻が、思わしげに溜息を落とす。
誰に聞かせるでもないその呟きに、意外な場所から返事があった。
「面目ない」
見れば、騒ぎの後始末を終えて瑠璃玻達を訪ねて来た喜見城が、部屋の入り口で悄然と頭を垂れている。
厳しい面持ちで生真面目に詫びる喜見城に、瑠璃玻は鷹揚に笑ってみせた。
「喜見城が謝る事でもあるまい。通商の要衝となれば、堅気とは言えない商売に手を出す輩も集う。そんな土地柄ではやむを得ない面もあるだろう。自分を責め過ぎるなと以前にも言った筈だぞ」
その隣で、1人状況が飲み込めずにいる綾の為に、煌が説明を加える。
「喜見城は、ウルカ砂原一帯の治安の維持を熾輝より委ねられているんです。ユタの自警団も彼の指揮下にあります」
「あぁ、そうか。顔合わせがまだだったな」
瑠璃玻は、ようやくその事に思い至ったといった態で目を瞬かせた。
それから、改めて喜見城に向き直ると、彼に綾を紹介する。
「彼女は綾…華焔と呼んだ方が通りが良いか?表向きは、新たに朱華により「星神の舞姫」に任ぜられた芸妓という事になる」
言外に綾が表沙汰には出来ない任に就いている事を匂わせる瑠璃玻の言にも、喜見城は顔色ひとつ変えなかった。
少なくとも外見上は親子程も年の離れた綾の目を真っ直ぐに見つめて、飾りのない言葉で敬意を表する。
「ユタに立ち寄る商人達から噂は伺っております。「星神の舞姫」の神楽舞は商いの手を休めても一見の価値がある。それは見事なものだ、と」
彼の直截な――それ故真実を語る物言いに柄にもなくはにかむ綾を笑みを湛えた瞳で見つめて、瑠璃玻はこう続けた。
「喜見城の仕事のひとつは、今煌が話した通りだ。メシエやナイキのような大都市と違い、こういう町では規律や規範に行動を制約される騎士団よりも、自発的な意志を持ち遊撃的に動ける自警団のような組織の方が即戦力として役に立つ。ただし、武力に驕り民を虐げる武装集団に成り下がる事がないよう自制する事の出来る統率者の存在が不可欠だがな」
その役を担うのが喜見城という事なのだろう。見るからに禁欲的で強い意志の力を感じさせる彼には相応しい役目だ。
それに――。
「それで、その剣を下賜されたの?」
綾は、先刻から気になっていた件を尋ねる機会を逃さず口を挿んだ。
「それ、風の魔法がかかってるわよね?」
喜見城は、一瞬何とも形容し難い複雑な表情で綾を見つめ返す。
それから、腰に下げた彎刀に視線を落とすと、数多の感情を噛み締めるかのような深長な声音で愛刀の謂れを語って聞かせた。
「この刀は、二振りで対となる。名は【シルフィード】。我が一族に伝わる秘刀です」
何となくそれ以上は訊き辛い雰囲気で、綾は疑問を抱えたまま口を噤む。
代わりに口を開いた瑠璃玻が、話題を本来の用件へと移した。
「で?私を呼んだのは、もうひとつの務め絡みだろう?」
問われた喜見城も、即座に謹直な武人の顔に戻ってそれに応える。
「は。わざわざ瑠璃玻様にご足労いただいたのは、先にお知らせした通り、天空三神より観察を委ねられた地の根の柱に生じた異状の故」
「やはり、1度この目で異状とやらを確かめる必要があるのだろうな…」
そう呟いて、瑠璃玻は深い憂色に翳った双眸を町並みの向こうに広がる砂原へと転じた。
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