■第3話 陽炎の町■

(3)

 砂原という言葉から想像するほど、砂漠という場所は砂に埋め尽くされた世界ではない。
 むしろ、大半は岩が剥き出しになった大地と岩屑とに覆われた石礫砂漠だ。
 ユタの町は、そんな不毛な光景が広がるウルカ砂原の周縁部にあって、人と品物の行き交う要所としての役を担う旅の中継地だった。
 日干し煉瓦と土壁からなる質素な建物が軒を連ねる通りには、草臥れた天幕の下に毛織の布を広げ、そこに乱雑に商品を並べた露天商が溢れかえっている。
 看板を掲げて店を構えているのは食堂に酒場、宿屋くらいのもので、ほとんどの商人は路上で商いに精を出していた。
 もともと補給の為に立ち寄った隊商と狩猟と遊牧を生業とするウルカの民とが互いに持ち寄った品を交換する目的で自然発生した市場だけに、良くも悪くも無秩序で混沌とした熱気に包まれている。
 都市計画に基づいて整備されたミフルの街並みやナイキの賑々しさと較べるとどこか猥雑な印象が強いのは、町全体に宿る根源的な生命力の為だろう。
 洗練とは程遠い、けれどだからこそ一種原始的ともいえる活気に満ちた町を物見高そうに歩いていた綾は、角を曲がって人通りの少ない路地に入った所で、折からの気温の高さに加わった人いきれに耐えかねて目深に被っていた外套のフードを引き下ろした。
 「あっつ〜い、もうダメ」
 「迂闊にフードを下ろすなと言ったろう」
 自身も頭からヴェールのように麻布を纏った瑠璃玻が、前を行く足を止めて彼女を咎める。
 綾は、両手でパタパタと風を起こしながら火照った頬を膨らませた。
 「だって、こんな炎天下にこんなカッコしてたら暑苦しくてしょうがないじゃない!」
 「炎天下だからこそだ。これだけ強い陽射しを浴び続ければ熱に頭をやられるし、膚も灼かれるぞ」
 瑠璃玻の言う事は正しいのだろう。
 物慣れた地元の人間や商人達は、老若男女を問わず全身をすっぽりと布で包んで極力肌の露出を避けている。
 だが、同じ暑さの厳しい土地でも樹海に近く木陰の多いジュナで生まれ育った綾は、真夏に厚着する感覚にいまいち馴染めなかった。
 まだ何か言いたげな綾を宥めるように、煌が穏やかに口を挿む。
 「それに、綾や瑠璃玻はあまり顔を晒さない方が良いですしね」
 綾は、最初煌の言っている意味が理解できなかった。
 きょとんとする綾に、瑠璃玻が含みのある表情でこう言い添える。
 「まぁ、お上品な町とは言えないからな」
 言われて、綾は改めて自分の出で立ちを見下ろした。
 ユタに向かうにあたって瑠璃玻達が用意したのは、襟のところを組紐で止めるだけの、一見何の飾り気もないように見えるシンプルなフード付きの外套だった。
 実際には同色の麻糸で繊細な模様を透かし織りにした上等な布を用いているのだが、とにかくぱっと見は至って地味な代物だ。
 なるほど、これなら周囲から浮く事もなく、巧く人波に溶け込む事が出来るだろう。
 ただし、何しろ存在感だけで充分人目を惹く彼等の事だ。素顔を晒せばその効果も半減どころか、却って余計な詮索を呼びかねないが。
 そう綾が思い至ったところに、絶妙のタイミングで柄の悪い男達が現れた。
 各々黄金の首飾りや宝石をふんだんに鏤めた腕輪など見るからに高価そうな装身具で身を飾っているものの、持ち主の方がそれらの宝飾品に完璧に格負けしている。
 有態に言ってしまえば品性の欠片も感じられないような、所謂ごろつきと呼ばれる類の輩だった。
 「噂をすれば、だな」
 「物凄ーく解り易いわね」
 唇の端を歪めて吐き捨てるように呟く瑠璃玻に、綾もうんざりと頷く。
 幸い、にやにやと下卑た笑みを浮かべる男達の耳に2人の会話は聞こえなかったようだった。
 聞こえよがしに冷やかしたり口笛を吹いたりしながら、既に顔を見せている綾を中心に獲物と見定めた3人連れを値踏みするように眺め回してくる。
 「なかなか上玉じゃねぇか」
 「連れの方も期待できるんじゃねぇか?」
 「なぁ、姐ちゃん。お仲間の顔も拝ませろや」
 ごろつきの1人が、華奢な瑠璃玻を与し易しと見て面を隠す布に手を掛ける。
 その腕を、それまで黙って成り行きを見守っていた煌がぴしりと払い除けた。
 自分達よりも細身の煌を勝手に侮っていた男達は、彼の紅茶色の瞳に灯った冷徹な怒りの焔にも気づかず口々に喚き立てる。
 「何だてめぇ!」
 「大人しくしてねぇと痛い目見るぞ!」
 だが、彼等が対峙しているのは、生憎その程度の恫喝に怯えるような相手ではなかった。
 「口をついて出る台詞までありきたりだな」
 つまらなそうに瑠璃玻がそう言い放てば、煌もやんわりと皮肉を口にする。
 「もうちょっと個性的な反応は出来ないものですかね」
 「んだとぉ!?あぁ!?」
 綾は、あっさりと挑発に乗っていきり立つ男達を内心でほんのちょっぴり哀れんだ。
 極力目立たない方が良いんじゃないか?とかこっちから煽ってどうする、とか思わないでもないが、瑠璃玻に手を出そうとした――そうして煌を怒らせた時点で、穏便な解決という選択肢は抹消されたに等しい。
 抜け目なく瑠璃玻を庇う位置に立つ煌を横目にしつつ、綾は武器になりそうな物を求めて辺りに視線を走らせた。
 魔法で戦う事はできない。
 今回の旅への同行が決まった時に、朱華から「火の魔法は使うな」ときつく申し渡されている。
 魔法の苦手な綾が唯一まともに操れるのが火炎系の呪文で、だから今の彼女には術による戦闘手段はないと言って良い。
 何故火炎魔法が禁じられたのか未だに腑に落ちないものの、まずは目の前の連中を何とかする方が先決だ。
 手っ取り早く相手から得物を奪うのはどうだろうと視線を戻しかけた綾は、真上から地面に落ちる影に気づいた。
 同時に空を振り仰いだ瑠璃玻が、肩の力を抜いて煌の背中に声をかける。
 「退け、煌」
 次の瞬間、目の前を旋風が駆け抜けた。
 少なくとも、綾の目にはその一瞬の出来事がそう映った。
 路地を挟む建物の屋根から降り立った何者かが、砂塵を巻き上げて男達の中を走り抜ける。
 彼等は、何が起きているのか理解する間もなく、次々と地面に倒れていった。
 その間、ものの数十秒。
 朦々と煙っていた土埃が晴れるに従って、その場に乱入した人物の姿が露わになっていく。
 「お見苦しいところをお見せして申し訳ない」
 語りかけてくる声は低く、その言葉は素っ気無く抑揚が少ない。
 「…喜見城」
 呼びかける瑠璃玻が見守る中、砂に塗れ裾の擦り切れたマントを翻して立つその男の肩に大きな鷲が降り立った。