■番外編 永遠の恋■

(5)

 金属の打ち鳴らされる物音と悲鳴とを頼りに早足で町を駆け抜けた熾輝は、裏通りに入ったところで襲撃の現場に出くわした。
 立派な城郭を持つ聖都メシエや比較的豊かで治安の良いナイキのような大きな都市と違って、辺境の地では街道沿いや町中でも安全とは言い難い。
 ユタの町があるウルカ砂原近辺では、砂賊による強奪行為が横行している。
 今、熾輝の目の前で襲われているのは、精霊祭殿の旗印を掲げた巡礼の一行だった。
 背中に天幕つきの1人用の輿を乗せた馬が1頭と、荷馬が1頭。2頭の馬を中央に、形ばかり武装した神官が背中合わせになって砂賊と向き合っている。
 熾輝は、自分の勘が正しかった事を悟った。
 輿の中には貴人――おそらくは斎主自身が乗っている筈だ。
 しかし、その割りには随分と警備が甘いものだと熾輝は冷静に分析する。
 神官達の手にした武器は儀式用の剣や錫杖でとても殺傷力があるとは思えない。しかも、その体勢ときたら今にもひっくり返らんばかりの及び腰というお粗末さだ。
 見たところ、健気にも斎主を護る最後の砦たろうと悲壮な表情で懐刀を構えている侍女と思しき少女が1番まともな戦力と言えそうだった。
 「神官はともかく、女子供を襲うのは感心しないな」
 飄々とした調子で思ったままを口にした熾輝を、砂賊の男達が振り返る。
 「あぁ?何だ、てめぇは!?」
 「余所者は引っ込んでな!」
 「そうだぜ兄ちゃん。痛い目見るぜ」
 強面に威嚇の表情を浮かべた男達の恫喝を、熾輝はつまらなそうに聞き流した。
 そうして、狂犬の群れに一頻り吼えさせた上で、粋がる彼等を鼻で笑い飛ばす。
 「はん、月並みな脅し文句だな。もうちょっと気の利いた台詞は出て来ないもんかね?って、言っても、そんなお頭(おつむ)はねぇか」
 【カルサムス】を肩に担いだまま斜に構えた熾輝の挑発は、即座に効果を発揮した。
 殺気立った男達は、それこそが敵の狙いだとも知らず、獲物を放り出して一斉に熾輝に襲い掛かる。
 大剣を携えているとはいえ相手は1人と侮った彼等の失策だった。
 手に手に斧や鎌、彎刀を構えて斬りかかる男達を、熾輝は一刀の下に軽々と倒していく。
 自らの周囲に敵を呼び寄せる事で移動の手間を省き、最小限の動きと最短の時間で数に勝る相手を駆逐する。彼我の実力差に相当の自信があるからこそ採れる大胆不敵な戦法だった。
 四肢や首を斬り落とされた砂賊が次々と斃れていく中で、熾輝は返り血1つ浴びずに巨大な剣を振るい続ける。
 滑らかなその動きからは、剣の重さは全く感じられない。
 本来なら酸鼻を極める殺戮の光景が、赤い霧に彩られた戦いの舞いに見えてくる。
 それほどまでに、彼の戦いぶりは美しく研ぎ澄まされていた。
 「何だよ、試し斬りにもならないな」
 最後の1人の胸に剣の切先を衝き立てた熾輝は、軽く肩を竦めると刀身についた血と脂を拭いつつ巡礼の一行に声をかける。
 「終わったぜ」
 神官達が立ち竦む中、彼の言葉に応えるように馬上の輿に掛けられた帳が開いて那波その人が姿を現した。
 「またお逢いしましたね」
 ふわりと微笑んだ那波は、途端に渋い顔をする神官達に構わず真っ直ぐ熾輝の許へと歩み寄る。
 そして、稚い少女のような眼差しで熾輝を見上げて問いかけた。
 「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
 その純真さは、柄にもなく熾輝をたじろがせる。
 「…熾輝だ」
 「熾輝様」
 短い沈黙の後に告げられた彼の名を噛み締めるように大事そうに呟いて、それから、那波は優雅な仕草で腰を折った。
 「窮地よりお救い戴き、ありがとうございました。私は那波と申します。精霊祭殿で巫子を務める者です」
 人に傅かれる立場にあるであろう斎主が、一介の傭兵を丁重に遇して礼を述べる――そんな彼女の誠意に、熾輝は好感を抱く。
 その好意故に、熾輝はやや垂れ目がちの甘い顔に男臭い苦笑を湛えて忠言を発した。
 「そんな如何にも高価な身なりで護衛もつけずにこの辺りを旅するなんざ、襲ってくれと言ってるようなもんだぜ」
 だが、軽佻な響きの彼の発言は神官達の反発を招く。
 そもそも傭兵などという野蛮な仕事に就く人間は下賤の者だと見下してかかっていた彼等は、助けられた恩も忘れて彼を叱責した。
 「無礼な!那波様は斎主となられる御方。尊き斎主様が相応の装いをするは当然の事であろう。それを襲うような輩は精霊王の怒りに触れましょうぞ!」
 一方の熾輝は、神官達の傲慢な思い上がりをあっさりといなしてのける。
 「今日の食い扶持もない有様の貧しい民は生き抜く為に罪を犯すしかない。己の欲望の為に他人を襲うような輩は精霊王を畏れない。どっちにしろ、あんた達の言い分はあまり現実的じゃないな」
 険悪になりかけたその場の空気を収めたのは、おっとりとした那波の一声だった。
 「彼の意見の方が的を得ているようですね」
 いきり立っていた神官達は、彼女の穏やかな指摘の前に黙り込む。
 その上で、改めて熾輝に向き直った那波は、ひたと彼を見つめて口を開いた。
 「熾輝様、私共の護衛を引き受けていただけませんか?」
 唐突な申し出に今度は慌てふためく神官達を横目に見遣りつつ、熾輝は揶揄い半分で問い返す。
 「報酬は?」
 それに対して、那波は何の気負いもなくこう答えた。
 「貴方様のお望みのものを」
 思いがけない反応に、熾輝は一瞬虚を衝かれた態で目を瞬かせる。
 ややあって、彼の口許に不敵な笑みが閃いた。
 「これも何かの縁ってか?」
 過去は己が築いたもの。未来は自分で勝ち取るもの。剣と身一つで生きてきた熾輝には、運命などという言葉に甘えるつもりは毛頭ない。
 でも、たまには巡り合わせとやらを信じてみるのも面白いかもしれない。
 らしくもない思いつきに、熾輝は心の底から愉しそうに破顔する。
 「良いぜ、斎主様。あんたを護ってやるよ」