■番外編 永遠の恋■
(4)
熾輝と那波の再会は、思いの外早く果たされる事になった。
その日、熾輝は昔からの知人に呼び出されてユタの町を訪れていた。
「末黒《スグロ》爺さん?」
この町では有り触れた日干し煉瓦の質素な建物、その入り口に掛けられた粗布の帳に手を掛けて、熾輝は薄暗い部屋の中を覗き込む。
彼の声に応えるように暗がりで何者かが身じろぐ気配がして、室内に蒼い灯が点った。
「おぉ、熾輝、来おったか」
襤褸布を身に纏った老爺が、熾輝を振り返って相好を崩す。
一見しただけで、かなりの高齢と知れる人物だった。
背は曲がり、髪は総白髪、細められた目は深い皺に埋もれている。
「わざわざ呼び立ててすまんの」
名を末黒というらしいその老爺は、意外にしっかりした足取りで壁際へと歩み寄ると、剣架に掛けられていた一振りの剣を手に取った。
「以前からおまえさんが欲しがっとった剣が完成したでな」
それは、痩せ細って血管の浮き出た老人の腕では持ち上げるのさえ苦労しそうな、やたらと長大な諸刃の両手剣だった。
「ほれ」
差し出されたそれを受け取った熾輝は、刀身に触れた瞬間僅かに目を瞠って息を呑む。
「氷煉鋼の業物か!」
氷のように蒼い焔によってのみ鍛えられるという幻の金属、氷煉鋼。
この世で最強と詠われる鋼は、武具の素材としてこれ以上はない、希少価値の高い金属だった。
静かな、だが熱の篭った呟きを零してほうっと嘆息する熾輝に、末黒は満足げに微笑む。
「ただでかいだけの鈍らとはワケが違うぞ。銘を【カルサムス】と言う」
大柄な熾輝の身の丈ほどもあるにも拘らず、【カルサムス】は非常に軽く扱い易く作られていた。
刃は鋭利に研ぎ澄まされ、冷たい白銀の輝きを宿している。
この手の大剣の場合重さと勢いで叩き切る戦い方に特化しているものがほとんどだが、これなら斬撃はおろか相手を掠め斬る事さえ出来るだろう。
両手で握る為に長めに作られた柄は掌に丁度良く馴染む太さで、繊細な型押しの施された手触りの良い革が巻かれている。
見た目の優美さはもちろんの事、しっかりと重心が計算され尽くしていて構えた時のバランスも申し分ない、とても美しい剣だった。
「気に入ったかの?」
にこにこと問いかける末黒に、一頻り剣を振るった熾輝は子供のように瞳を輝かせて頷いてみせる。
「もちろん!さすが末黒の爺さんだぜ」
飾りのない賞賛の言葉を、末黒は満更でもなさそうに受け止めた。
「こんな剣を使いたがるのはおまえさんくらいのもんだがの」
矯めつ眇めつ【カルサムス】を眺め回していた熾輝は、嬉しそうな末黒の声で我に返る。
そうして、決まり悪さを隠そうとでもいうのか、徐に全く関連性のない話題を切り出した。
「しかし勿体無い話だよな。「氷の如く蒼き焔」を操れるほどの魔力を持ちながら、魔導を極めるでもなく刀鍛冶なんぞに精を出してるんだから」
真っ赤に燃え盛る炎よりも高温の蒼白い焔を作り出す事が出来るのは、高度の火炎魔法の使い手に限られる。
末黒の魔力は、それだけ強力なものだった。
若い頃から魔導士として修行を積んでいれば、おそらく相当な手練となっていた筈だ。
だが、当の末黒は彼の才能を惜しむ熾輝の述懐を一笑に付す。
「ほっほっほ、どうせ一度限りの人生じゃ。好きなように生きても文句はなかろうよ」
「まぁな」
自身も彼と意見を同じくする熾輝の方でも、それ以上一般的な価値観に拘るつもりはない。
肩を竦めた熾輝と呵々と笑う末黒は、愉しげに視線を交わし合う。
束の間の和やかさは、しかし、突然の悲鳴と怒号に破られた。
「何事だ?」
町外れから風に運ばれて来た剣呑な物音に、熾輝は眉を顰める。
大方の事情を察した末黒は、疎ましげに顔を曇らせた。
「おそらく、無頼の輩が旅人を襲っとるんじゃろう。最近は、この辺りも治安が悪化しとるでな」
その言葉に、熾輝は何やら心が騒ぐのを感じた。
外の様子が気になるらしく目に見えて落ち着きをなくした熾輝を見かねた末黒が、揶揄い混じりにこう問いかける。
「助けに行くか?依頼人でもないのに?」
「襲われてるのが金持ちの商人なら、たんまり礼を貰えるかもしれないだろ」
逸る想いを見透かされた熾輝は、わざと色悪な態度を装ってそう答えた。
そんなはったりも、古い付き合いの末黒には効き目がない。
「おまえさんは変わらんの」
報酬次第でどんな仕事でも請け負うやくざな傭兵稼業に身を置きながらどこかで正義感を捨てきれない熾輝の甘さを、末黒は好ましく思っていた。
喩えるならそれは、奔放な我が子が見せる思いがけない素直さや不器用な優しさを愛しいと感じる親の心情に近い。
熾輝は、愛情の篭った眼差しに照れ臭さを覚えて軽い憎まれ口を叩く。
「爺さんだって人の事は言えねぇだろ。その気になりゃ幾らでも贅沢できる身の上だろうに、こんな処で貧乏生活なんて物好きな事してさ」
魔導の腕と、刀剣職人としての業、どちらをとっても一国の領主に厚遇されるに足る実力を末黒は持っている。
住み心地が良いとはお世辞にも言い難い辺境の町の片隅で慎ましやかな暮らしを続ける彼は、他者から見れば変わり者以外の何者でもなかった。
だが、それが本人の望む道でなければ富も栄誉も幸福を齎しはしない事を、彼等は良く知っている。
「また来るわ。剣、ありがとな」
「おう、またの」
無造作に再会を約するだけの素っ気無い挨拶は、互いへの信頼の証でもあった。
【カルサムス】を肩に担ぎ、ひらひらと手を振って、熾輝は末黒の住処を後にする。
その後姿は飄々としていたが、通りに出ると彼の足は自然と早まった。
襲われているのは、おそらく斎主の一行だ。
熾輝の胸には、何故だかその予感があった。
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