■第2話 暁紅の星■

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 客間を抜け出した綾は、まず手始めに星供達が寝泊りしている宿舎を訪れた。
 普通、星供達は先方の嗜好に基づいて宛がわれた参拝客の相手をする。
 だが、常連客の中には、特定の星供を指名する者もあった。
 希望が通るかどうかは諸々の要因――主に星辰神殿との取引関係と喜捨の多寡による――で決まってくるわけだが、そういった参拝客のランク付けと連動して星供達の間にも格の違いが生じてくる。
 人気のある、つまり格上の星供は、瑠璃玻達が到着した時に見たように神殿入り口のホールに面した個室を与えられ、客寄せの真似事をさせられていた。
 では、他の星供達は仕事以外の時間は何をしているのかといえば、星辰神殿の全面的な支援の下、自己研鑽に励んでいるのだ。
 読み書きを習う者もいれば、裁縫や料理といったたしなみ事に精を出す者、歌舞音曲の技を磨く者、神官になるべく修行を積む者もいる。中には、剣術や体術を学ぶ者もある。
 星辰神殿の参拝客には各国の要人や貴人も多い。
 彼等がジュナを訪れる理由は様々で、純粋に物見遊山の場合もあれば何らかの政治的な事情が絡む場合もある。
 星供達は、日向の指示で夜伽の相手と見せかけてそういった訳有りの客人の身辺警護の役を務める事があった。
 表向き性質の悪い客から自身の身を護る為という理由で武術を身につけてはいるものの、実際には幼い頃から訓練を積んだ彼等は星辰神殿の私兵のようなものだ。
 綾が向かった先は、そういった子供達が集う鍛錬所だった。
 元々身体を動かしているのが好きな子供だった綾は、同世代の少女達よりも少年達との方が気が合う節がある。
 それは神殿を出てからも変わらず、特に年下の男の子からは敬愛の念を込めて「綾姐」と呼ばれ、慕われていた。
 「あ!綾姐!」
 「うわ、ほんとだ!綾姐だ!」
 今も、たまたま出入り口近くで休憩中だった少年が綾に気づくと、他の子供達も綾の許に駆け寄って来る。
 綾は、集まった面々の顔を一通り眺め遣ってにこやかに口を開いた。
 「久し振り。みんな、元気そうね」
 子供達は口々に「うん!」とか「もちろん!」とか元気に返事をする。
 それから、彼等は純粋な賞賛の眼差しを綾に向けて、耳にしたばかりの話を嬉しそうにきりだした。
 「それより、聞いたよ!華焔が「星神の舞姫」になるって!」
 「さすが綾姐だよね」
 「凄いじゃん、綾!」
 まるで我が事の様に誇らしげな子供達を前に、綾は噂の広まる早さに舌を巻くと同時に内心頭を抱える。
 これでは、実は内偵の為の偽情報でした、なんて恥ずかしくて言えたものではないではないか。
 ――こうなったら、本気で朱華に認められるように頑張るしかないわ!
 至極前向きにそう決意を固めていた綾は、子供達の1人が漏らした呟きに我に返った。
 「それで最近、天象神殿の神官様がいらしてたんだ」
 「天象神殿の神官様が?」
 ちょっと意外そうな振りをして訊き返すと、少年は素直に知っている情報を話してくれる。
 「うん。一応参拝客として来てたみたいだけど、日向様と極秘で会見をなさったって。きっと綾姐の事でいろいろ相談する事があったんだよ」
 「ふぅん、そうなの」
 何気ない相槌を打ちながら、綾はなるほど、とほくそ笑んだ。
 どうやら、【クラヴィウス】がこの星辰神殿にあるのは間違いないと見て良さそうだ。
 問題は、何処に隠されているかだが…。
 その後、しばらく子供達相手に歓談して、綾は鍛錬所を後にした。
 

※  ※  ※


 次に綾が足を運んだのは、同じく星供達の宿舎にある厨房である。
 ここで働いている調理人は大らかで恰幅の良い小母さんで、神殿に引き取られてきた子供達にとって母親代わりのような人物だった。
 綾も随分と世話になった人で、此処に来たのも情報収集の為というよりは純粋に彼女に会いたいという理由からだったりする。
 何の先触れもなく扉をくぐった綾を、彼女は以前と変わらない温かな笑顔で迎え入れてくれた。
 「おや、綾じゃないか!おっと、「星神の舞姫」様と呼んだほうが良いのかねぇ」
 「やぁね、そんな風に呼ばないでよ」
 半分開き直りながらも苦笑する綾の躊躇いを、彼女は豪快に笑い飛ばす。
 「何言ってるんだい、照れるようなタマじゃないだろ?」
 そうしておいて、ふっと目を細めると感慨深げに綾を見つめて微笑んだ。
 「でも、ま、元気そうで何よりだよ」
 「うん。おばさんも」
 応える綾の表情も柔らかい。
 と、そこに無粋な声が割って入って来た。
 「おーい、何か腹の足しになりそうなもんあるか?」
 現れたのは、無骨な形をした大柄な兵士である。
 厨房を覗き込んだ彼は、綾の姿を見つけると大きく破願した。
 「おっ、綾か!しばらく見ないうちに色っぽくなったなぁ」
 「先生はちょっと老けたんじゃない?」
 少々色悪に笑ってみせるかつての武術の師に、綾も軽い調子で応戦する。
 男は、衛兵として神殿に勤める傍ら星供達に武芸の手解きをしている変わり者だった。
 弟子の中では数少ない女の子で、しかもなかなか筋の良い綾を、彼は随分と可愛がってくれた。
 「で、腹減ったんだけどなぁ」
 「はいはい。まぁったく、仕様のない衛兵サマだよ」
 子供じみた様子で空腹を訴える兵士に、厨房の主は肩を竦めつつ慣れた様子で軽食を作り始めた。
 食事が出来上がるまでの間、綾と兵士は世間話に興じる。
 星供を引退した仲間の消息や芸妓として旅先で見聞きした出来事を互いに語り合い、華焔の天象神殿への着任の話が出たところで、ふと男が威儀を改めた。
 「で、今回はジュナへの里帰りだって?あちこち見納めにしときたいのは解るが、霊廟には近づくなよ」
 「愛と死の女神」と謳われる朱華を擁する星辰神殿には、必ず死者を祀る霊廟が置かれている。
 「霊廟がどうかしたの?」
 ミル樹海の中に建てられた白壁の建物を思い浮かべつつそう訊き返した綾に、調理人の小母さんが身をそっと乗り出してきた。
 「それが、最近妙な噂が飛び交ってるんだよ。夜中に不審な物音がしたとか、亡霊が出たとか」
 男も、いかつい容貌に似合わぬ不安げな面持ちで声を潜める。
 「原因を突き止めようと霊廟の付近を探索していた兵士が瘴気に中てられて倒れたりもしててな。とりあえず、日向様の許可が下りるまでは誰も近づくなとの事だ」
 「うわぁ、何だか物騒ね。解った。気をつけるわ」
 2人に合わせて大袈裟に怖がって見せながら、綾は思わぬところで手に入った情報をしっかり頭に叩き込んだ。