■第2話 暁紅の星■
(5)
「一体何考えてんのよっ!」
瑠璃玻達共々奥宮にある客間に通された綾は、星辰神殿に滞在する間身の回りの世話を務めるという星供の少年が退出するのを待って開口一番瑠璃玻に噛みついた。
「「星神の舞姫」なんて話聞いてないわ!」
「そうだな、言ってないな」
すっかり寛いだ様子で長椅子に寝そべった瑠璃玻は、両手を腰にあてて小柄な身体いっぱいで怒りを表す綾を見上げてあっさりと認める。
その上で、形の良い唇に笑みを刻んでこう続けた。
「だが、口実として利用するとは言っておいたろう?」
「それはっ…」
反論しかけて言葉に詰まる綾を執り成すように、少しだけ申し訳なさそうな表情の煌が口を挿む。
「【クラヴィウス】の名に日向殿がどう反応するか見極めておきたかったんです。それにはできるだけ彼女の意表を衝いて、尚且つ不自然にならない理由が必要だった。それで一芝居打つ事にしたわけです」
そうですね?と視線で同意を求める煌に押し切られる形で、瑠璃玻はいかにも仕方ないといった口調で説明を加えた。
「星の神器として朱華に帰属するとされる【クラヴィウス】は、以前「星の護り手」と呼ばれた剣士に一時的に下賜されていた事がある。私一人の権限でどうこう出来る代物ではないが、朱華の認めた舞姫に貸与する分には神殿のお偉方も文句は言えまい。装飾品としても美しい物だから舞姫が身につけていても不思議はないしな」
確かに日向の動揺を誘うのには成功したけれど、それならそれで事前に言っておいてくれても良さそうなものだと――絶対、瑠璃玻と煌は打ち合わせ済みだったに違いない――やや不貞腐れた気分のまま、綾は疑問を口にする。
「だからって、お披露目に【クラヴィウス】を使うなんて言っちゃってどうするのよ!?ちゃんと取り戻せるかどうかも解らないのに――っと!」
敵地の只中での失言に気づいて慌てて口を覆った綾に、瑠璃玻は軽くこめかみを押さえて溜息をついた。
「おまえはもう少し慎重な振る舞いを身につけるべきだな」
だが、それ以上彼女を責める事はせず、瑠璃玻は話題を本来の目的へと移す。
「手許に隠し持っている【クラヴィウス】を公の場で用いると聞いてあの女がどう動くか…」
「仮にも斎主の瑠璃玻の発言でしょ。自分のところに在るのが贋物かもしれないって疑ったりはしないかしら?」
綾は軽く首を捻ってそう尋ねたが、瑠璃玻は小さく肩を竦めてみせた。
「それはないだろうな」
「そうですね。魔力の低い者なら欺かれるかもしれませんが、さすがに神官長クラスの人間が相克の環の真贋を見極められないようではかえって忌々しき事態として憂えざるを得ないでしょう」
にこやかな笑顔でさりげなく酷い事を言う煌に、瑠璃玻も何やら愉しげに同意する。
「まぁ、私達が【クラヴィウス】を取り戻すつもりでいる事は伝わったろうからな。場所を移すなり守りを固めるなり、何らかの行動には出るだろう」
「…要するに挑発したかっただけなのね?」
「売られた喧嘩は値切らず買うのが礼儀だろう?」
胡乱な視線を向けた綾に返されたのは、物騒で綺麗な微笑と言語道断な主義主張だった。
瑠璃玻は、半ば呆れた様子の綾に頓着するでもなく、再度話を戻す。
「そんな訳で、おまえの仕事だが」
「解ってる。【クラヴィウス】の隠し場所を探るんでしょ」
気を取り直した綾は、瑠璃玻の言葉を先回りしてそう応えた。
先刻煌が日向に「綾に縁者への挨拶をさせる為にジュナを訪れた」と告げた真意が自分が自由に動きやすいようにという配慮にある事くらい、綾にもきちんと解る。
「で、そっちはどうするの?」
「一応、魔力に引っ掛かる所を捜してみます」
「あとは、なるべく日向の気をおまえから逸らすようにしておく。向こうはできるだけおまえの行動を制約しようとするだろう。「華焔」の舞いが見たいだのと言い出されると面倒だしな。せいぜい苛立たせてやるさ」
「…食事に毒盛られても知らないわよ」
瑠璃玻が口にした性悪な台詞に、綾は今度こそ心底呆れ返った。
しかし、瑠璃玻は彼女の一見突き放すような気遣いを鼻で笑う。
「幾らあの女でも、そこまでバカではないだろう。此処で私が倒れれば真っ先に自分が疑われる事くらい承知してる筈だ」
「あぁ、そう」
上流階級独特の腹黒い権力闘争だのに興味もなければわざわざ首を突っ込むような趣味も持ち合わせていない綾は、どっと疲れを感じて肩を落とした。
これ以上この場に留まっても精神的な疲労が増すだけだと判断した彼女は、さっさと自分の仕事に就く事にする。
そのまま部屋を出ようと扉に手を掛けた綾を、ふと瑠璃玻が呼び止めた。
「綾」
振り返ると、珍しく揶揄する感じのない真面目な顔つきで瑠璃玻が釘を刺してくる。
「おそらく相手は周到な罠を張ってくる。【クラヴィウス】を見つけても、けして1人では手を出すな」
その意外な真摯さが何故だかくすぐったくて、綾は敢えて何も言わずに背を向け、ひらひらと手を振って後ろ手に扉を閉めた。
※ ※ ※
綾が出て行った扉をじっと見つめていた瑠璃玻は、横顔に向けられた視線に含まれる柔らかな感情に不機嫌に向き直った。
「何だ、煌」
「いえ、何だかんだ言って、結構彼女を気にかけてるんだなぁと思って」
切れ長の涼やかな目許を笑みの形に細めて告げる煌に、瑠璃玻は嫌そうに柳眉を顰める。
「「星神の舞姫」の話も、あながち口からでまかせってワケでもないんじゃないですか?」
「さぁな」
そう訊いてくる煌が妙に嬉しそうで、瑠璃玻はふいと子供じみた仕草で顔を背けた。
ややあって、ともすれば聞き漏らしてしまいそうな微かな声で「ただ…」と呟く。
「《アヤ》という名前の女は、どうも私の調子を狂わせるらしい」
瑠璃玻を見守る煌の笑顔が、ほんの少しの痛みとせつない懐かしさを孕んだ。
「…見た目だけなら全然似てませんけどね」
それでも、ふんわりと微笑む彼の瞳は、あくまで優しい。
その昔「星の護り手」と呼ばれたもうひとりの《アヤ》。
彼女は、瑠璃玻にとっても煌にとっても大切な人だった。
優雅な美貌に似合わず豪快でさばさばした気性の主だった彼女を思って、瑠璃玻は感傷を振り払う。
「気の短さとお節介さと凶暴さ加減では良い勝負だと思うぞ」
「あの人が聞いたら滅茶苦茶怒りそうだなぁ」
つられて浮上した煌は、明るさを取り戻した微苦笑で天を仰いだ。
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