■第2話 暁紅の星■

(3)

 目も眩むような真昼の太陽に白い街並みが照り映える。
 ミフル南部・スズリ地方を代表する街、ジュナ。
 大陸を南北に流れるレイタ河の下流一帯に広がるミル樹海、その河口寄りの出口に程近い場所に栄えるこの街は、森の幸にも海の幸にも恵まれた豊かな享楽都市だった。
 石畳の舗道の両脇には瑞々しい果実や新鮮な海鮮料理を饗する店が立ち並び、南国特有の甘ったるい果物と強い香辛料の香りが道行く人々の食欲を誘う。
 その他に目に付くものといえば高価な宝飾類等の贅沢品や土産物ばかりで、日用雑貨の類を扱う店は表通りにはほとんど見当たらない。
 それは、そのままジュナが観光資源によって成り立っている事を意味していた。
 暖かな気候と豊かな食と、星辰神殿の提供する星供《ホシク》という名の聖娼を目当てに、ジュナには大陸の内外から多くの旅人が訪れる。
 髪の色も肌の色も違う人々が集うこの街は、聖都メシエやナイキと並ぶ人種の坩堝でもあった。
 大抵の者が違和感なく行き交う通りの中にあって、それでも人目を惹かずにはおかない人間も存在する。
 「暑い」
 突き抜けるような青空の下、慣れない陽射しと人いきれに中てられた瑠璃玻が不機嫌にそう呟いた。
 先に立って歩いていた綾が、あからさまに呆れた顔で振り返る。
 「そんなカッコしてるからでしょ」
 メシエと較べると気温も湿度も格段に高いジュナの街中にいるにも拘らず、瑠璃玻は普段通り襟元まできっちりと締まった長袖の上着を着込んでいた。
 彼の半歩後ろをついて来る煌が袖なしの外套姿という所為もあって、視覚的な違和感は否めない。
 瑠璃玻とは対照的にいつも以上に露出度の高い格好の綾は、理解できないとばかりに頭を振る。
 「だいたい、ついて来てなんて言ってないじゃない」
 溜息混じりに告げる彼女の脳裏には、この事態を呼び起こすきっかけとなった会話が蘇っていた。
 

※  ※  ※


 熾輝の口から日向の名が告げられた瞬間、綾は自分の顔が強張るのを感じた。
 愛と死を司り、豊穣の女神と見做される朱華への信仰が盛んなジュナでは、星辰神殿が強大な権力を握っている。
 その神官長を務める日向と言えば、知らぬ者とてない烈女だった。
 同時に、綾とは因縁浅からぬ間柄でもある。
 ジュナでは、身寄りのない子供は星辰神殿に引き取られ、星供と呼ばれる聖娼として育てられる。
 早くに両親を亡くし、同じ境遇の子供達同様神殿で幼児期を過ごした綾は、その風習を嫌って旅芸人の一座に身を投じた。
 長じて生きていく糧を得る為に賞金稼ぎに手を染めたものの、芸妓華焔としての彼女は名うての舞姫として高い評価を得ている。
 そんな彼女の魅力をいち早く見出していた日向は、綾が一座から独立すると星供に戻らないか、或いは神殿直属の舞い手にならないかと頻繁に誘いを掛けて寄越すようになった。
 そもそも星供という制度そのものを作り出したのが日向だった。
 飢えて死ぬ筈の子供達を保護し、働き口を与えるという意味では評価されている制度ではあるし、おかげでジュナの街が栄えている事も解ってはいるものの、綾にはやはり日向の考え方に共感する事が出来ない。
 賞金稼ぎという裏稼業の事もあって――今にして思えば、狡猾な日向の事だからそちらの才能も含めて綾を取り込もうとしていたのかもしれないが――綾は祭りの時に神楽舞を奉納する以外は極力彼女とは接触しないよう心掛けていた。
 おかげですっかり苦手意識を抱いていたのだが、続く熾輝の台詞に我に返る。
 「本音はどうあれ、星の神器だったら星辰神殿に納められてしかるべき、ってのが向こうの言い分なんだけどな」
 「それなら、朱華様が直接御出座しになって、神宝を在るべき処に戻せって命じれば…」
 あまりに身勝手な主張に、綾は呆れ返った。
 だが、至極真っ当な彼女の提案に対し、天空三神は揃って否定的な素振りを見せる。
 「どーだかなぁ。あのオバサン、見栄と権勢欲の塊だからなぁ」
 「この姿だと説得力がないってのもあるけど、そもそも神官長として神の声に従う気があるなら【クラヴィウス】を持ち出したりしないんじゃないかと思うのよね」
 「それ以前に、私達は天象神殿から動くわけにはいきませんし」
 熾輝と朱華の毒舌はともかく、那波の一言は綾に疑問を抱かせた。
 それが素直に顔に出たのだろう。彼女が何か問いかけるより早く、熾輝が再び口を開く。
 しかし、彼の言葉は更なる謎を呼び起こした。
 「元々は俺達も巫翅人だったんだがな。力が強くなり過ぎたのと、より長い時を生きる必要が生じたのとで肉体を捨てたんだ」
 「肉体を捨てた…?」
 「そうです」
 言われた意味を理解できないまま鸚鵡返しにするしかない綾に、那波はおっとりと頷く。
 「今、私達を模っているのは半物質の熱量――「空」の精霊です。通常「四大」と呼ばれる地風水火の精霊より高次の存在である「空」の精霊は、より強大な力の源になり得る反面、顕現できる場を選びます。こうして普通の人間のように存在していられるのは天象神殿の中か、それに匹敵するだけの清浄な空間に限られるのです」
 「ちなみに、瑠璃玻の周りは無条件で居心地が良いんだが、長時間俺達みたいな重い存在を支えようとすると幾ら瑠璃玻でもかなりの負担になっちまうからな」
 「そんな訳で、あたし達が出張るのはほんとにどうしようもない事態に陥った時だけなの」
 三神が綾の為に口々に謎を解き明かすのを黙って聞いていた瑠璃玻は、ひとつ肩を竦めると溜息混じりに呟いた。
 「仕方ないな。私自身が出向かざるを得まい」
 彼の口から出た意外な台詞に、綾はきょときょとと瞬きを繰り返す。
 「え?そうなの?いつもみたいにあたしが潜入すれば良いんじゃないの?」
 「相手が悪い、と言っただろう。あれだけの権威を持つ神殿の神官長相手に民間人が下手な行動に出れば不敬罪に問われかねない」
 瑠璃玻は、さも億劫げに綾の疑問に応えた上で、意地の悪い笑みを浮かべてこう付け加えた。
 「もちろん、おまえにも同行してもらうぞ。私の立場で確証も無しに乗り込んで行った挙句に正面きって喧嘩を売る訳にはいかないからな。せいぜい口実として利用させてもらおう」
 その言い草に一瞬むっとしかけた綾の耳元に、端正な横顔に微苦笑を浮かべた煌がこっそり囁きかける。
 「本当は、君の身を案じているんですよ」
 おかげで、綾はそれ以上文句を言う事が出来なくなってしまったのだった。
 

※  ※  ※


 健康的な色香を振りまいて歩く綾を先頭に、物憂げな表情が近寄り難い神聖さを感じさせる瑠璃玻、紅茶色の瞳に柔らかな笑みを湛えた煌と三者三様に見る者を魅了しておきながら、一行はまったく周囲の視線に関心を払わずに歩を進める。
 やがて、彼等の行く手に、辺りを取り囲む棗椰子の葉の緑との対比も鮮やかな白亜の建造物が姿を現した。