■第2話 暁紅の星■
(2)
身支度を整えた瑠璃玻は、個人的な謁見室を兼ねた私室に3人分の食事を運ばせた。
彼と煌と共に就いた遅めの朝食の席で、綾は今回の仕事の成果を報告する。
「残念ながら、今回も収穫はなしよ」
他人に媚びてまで出世したいという欲のない綾は、変に言い繕ったりはせずに事実のみを端的に告げた。
「アウインでは【クラヴィウス】はおろか、お宝のひとつも見当たらなかったわ」
この部屋で瑠璃玻と綾の間に雇用関係が成立してから、月が2度満ちて欠けた。季節は水の藍玉節の終わりから緑と花の緑玉節も半ばへと移ろっている。
その間、綾は天象神殿から持ち出された神宝の行方を追っていた。
中でも、瑠璃玻から特に念を押されているのが星の神器・相克の環【クラヴィウス】の捜索である。
あらゆる属性の魔法を吸収するというその腕輪は、あらゆる属性の魔法を力に変える太陽の神器・相生の剣【プロクシェーム】や、それを冠する者の魔力を極限まで高めるとされる月の神器・言霊の翼【フィルミクス】と並んで三神の秘宝と称される魔法具だった。
綾は、三神の秘宝がどのような役割を果たす品なのか知らされていない。
それでも、それらが天象神殿から失われた事がどれだけ重大な意味を持つのかは、那波をはじめとする天空三神がわざわざこの場に顔を揃えている事からも想像がつく。
だからこそ、彼女には不思議に思える事があった。
物怖じしない性格の綾は、それを素直に口にする。
「そもそも、アウインって言ったら月光神殿のお膝元、那波様と瑠璃玻の出身地ってコトでありがたがられたりしてるんでしょ?そんな町が神殿のお宝を隠匿したりするとは思えないのよね」
アウインは、ミフル大陸の北東の半島にある小さな町だ。
地の利が良いわけでもなく特産物や観光資源に恵まれているわけでもない極平凡な、本来なら地図にも載らないような小規模な村落を有名にしているのは、月神・那波とその巫子にして斎主の瑠璃玻という2人の傑出した人物を輩出したという事実だった。
信仰心に厚い民の中には、聖都メシエの天象神殿を訪れたその足でアウインの月光神殿まで詣でる者も多いという。
だから、綾は本当に軽い気持ちで瑠璃玻にこう持ちかけた。
「瑠璃玻も、生まれ故郷なんだから自分で足を運べば良かったのに。きっと盛大に歓迎してくれるわよ」
「どうかな」
だが、瑠璃玻は食事の手を休めずに形の良い唇に皮肉な笑みを刷く。
「確かにこの世に生を受けたのはあの町での事だが、故郷などという感慨はまったく沸かないし、歓迎されるとも思えない」
「そう?確かに、ちょっと閉鎖的な雰囲気ではあったけど、昔ながらの素朴な田舎町って感じだったけど?」
瑠璃玻の真意が読めずに首を捻る綾に応えたのは、壁に背を預けてのんびりと寛いでいるように見えた熾輝だった。
「そ、閉鎖的で排他的、典型的な古い集落だ。だから、瑠璃玻は捨てられた」
陽気な口調に似合わぬ剣呑な台詞に、綾が思わずといった風に目を瞠って振り返る。
武神であると同時に正義神でもある熾輝は、肩書きに似合わぬ俗っぽさを装って痛烈な批判の言葉を吐き捨てた。
「瑠璃玻の額の傷は生まれつきだ。聖痕なんて言やぁ聞こえが良いが、やっぱ気味悪がるヤツも多い。その上、左右色違いの異彩眼で半陰陽ときてる。自分が「普通」だと思ってる頭の固い連中にとっちゃ、異端は脅威と畏怖の対象でしかないからな」
「「異形の者は強大な力を持つ」って迷信頭から信じた挙句に、自分達の保身の為に生まれたばかりの赤子を捨てるのよ。町ひとつ滅ぼしたあたしの例もあるから仕方がないのかもしれないけれど」
その隣で、窓枠に腰掛けて子供じみた仕草で足を揺らしていた朱華も、さも疎ましげに同意する。
那波は、2人の言葉に眉根を寄せると、その哀しげな面持ちのまま静かに言葉を紡いだ。
「強大すぎる力を畏れる気持ちは誰にでもあるもの。けれど、人と違う生い立ちの者や心身に障害を持つ者に他者にはない力が現れるのは、失われた能力を補う為に天が与えるからだと言われています。それを恐れ、妬み、あまつさえ命を奪うなど…」
傷つけられ、虐げられる者の痛みを思って嘆く那波に、瑠璃玻がふっと表情を和らげる。
諦観というのとは違う、優しく穏やかな眼差しを那波に向けて、瑠璃玻は淡々と語りかけた。
「それでも、私はマシな方だよ那波。この三日月形の傷と風変わりな姿形を月神の加護の証だと思い込んだ連中は、私を殺せず神殿の前に置き去りにするしかなかったのだからな」
それから、一転していつもの不遜な顔つきに戻ると、隣に席を取った煌にこう言い放つ。
「だから、そんなに殺気立つな。室温が下がるとスープが冷める」
言われて初めて、綾は向かい合って座る煌が温和で魅力的な笑顔でいながら深く深く怒っている事に気づいた。
かつて不当かつ理不尽な行いに拠って瑠璃玻が貶められた事が、彼にとっては許し難い事なのだろう。
それにしても、不機嫌なら不機嫌らしく素直に顔に出す瑠璃玻より、表情ひとつ変えずに周囲を凍りつかせるような煌の方がよっぽど怖いと綾は密かに思った。
何となく膠着してしまった場の雰囲気を変えるべく、熾輝が話を戻す。
「まぁ、綾の言う事も尤もだな。どうせなら、怪しいところから攻めた方が手っ取り早くてい良ーんじゃねぇの?」
「心当たりがあるの?」
これまで何も聞かされずにあちこち調べ歩いていた綾が、意外そうにそう訊き返した。
そのすぐ脇で、瑠璃玻と煌は何とも言い難い表情で顔を見合わせる。
問われた熾輝が答えようとしないのに焦れた綾は、そっぽを向いた朱華と困ったように曖昧に微笑む那波を見遣った後、瑠璃玻達の方へと向き直った。
その誤魔化しを許さない瞳に負けて、煌が不承不承といった態で口を開く。
「以前から星の神器を欲しがっていて、その正当な所有権とやらを主張している人物がいます。ちょっと厄介な相手なので、できれば無関係であって欲しいところなのですが…」
「お前にも縁がある人間だぞ?」
瑠璃玻がそう言い添え、彼等の歯切れの悪さと思い当たる節に綾は微妙に頬を引き攣らせた。
「…まさか…」
そんな彼女の反応を愉しむかのように、熾輝はにしゃりと性質の良くない笑みを浮かべて目的の人物の名を告げる。
「ジュナの星辰神殿が神官長、日向《ヒムカ》。さすがにあのオバサンじゃ、相手が悪いだろ?」
それは、予想通り綾にとって最悪の答えだった。
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