■番外編 誓願の剣■

(9)

 「やっぱり、彩と較べるとまだまだ子供ね」
 祈祷の広間から駆け去る瑠璃玻を呆気に取られて見送る煌の背に、溜息混じりの声がかかる。
 振り返れば、つい今しがたまで鎮魂の儀を執り行っていた朱華が華やいだ容貌に相応しからぬ憂愁を帯びた表情で彼を見つめていた。
 一見瑠璃玻とさほど変わらぬ年頃に見えるこの少女神は、自らの神器である相克の環【クラヴィウス】を下賜するほど「星の護り手」と呼ばれた彩を気に入っていたらしい。
 だからと言って、12歳も年の離れた姉と較べられても…と困惑する煌に、朱華は素っ気無くこう言い放つ。
 「出来もしない事を軽々しく誓うものではないわ」
 本気で口にした誓約をすげなく一蹴するような言い様に、温厚な煌もさすがに反感を覚えた。
 しかし、朱華は煌の挑むような視線も意に介さず、淡々と告げる。
 「瑠璃玻は、巫翅人になるわ」
 真直ぐに煌を見据える彼女の瞳は、感情の篭らない声音とは裏腹に責めるような鋭さを秘めていた。
 「今はまだ僅かな兆候があるだけだけど、たぶん身体が成熟しきる前にあの子の時は止まってしまう。そうして、その姿のまま永い永い時を生きて、やがては新たな神になる――那波がそうだったように。その時、あなたはあの子の隣にいられる?」
 ひとつの時代が終わり、歴史が新たな神話になるほどの永い時を生き続ける――その膨大な時間の重みにうちのめされる煌に追い討ちをかけるように、朱華はこう続ける。
 「巫翅人は孤独な存在よ。どれほど心を傾けても、定命の人の子は彼等を遺して死んでいく。それを知っているから、彩は永遠を誓う事だけはしなかった。瑠璃玻の声にしない願いに気づいていても、ね」
 それは、不可能を不可能と認める強さを持った彩らしい決断だと煌は思った。
 だが、偉大な姉のその毅さを尊敬しつつも、煌自身は別の道を選び取る。
 それこそが子供っぽい甘さだと言われようと、煌には瑠璃玻の孤独を見て見ぬ振りする事などできなかった。
 「そうやって誰とも触れ合わずに生きていけと言うんですか?喪う痛みを味わうくらいなら最初から出逢わなければ良いと?その方が幸せだとでも?そんなの間違ってる!瑠璃玻は、あんなにも淋しがりなのに」
 感情的に反駁する煌に、朱華はどこまでも冷めた口調で応戦する。
 「だからこそ、よ。たとえいつか喪う時が来るとしても今この瞬間の想いをなかった事になんて出来ないと…普通の人の子ならそんな生き方も良いわ。限られた時間の中で繰り返す出逢いと別離なら耐えられる。でも、終わりのない孤独と喪失感に耐えられるほど人は強い生き物じゃない。いつか、心が壊れてしまう」
 互いの言い分も理解できるだけに、2人の主張は平行線を辿る一方に見えた。
 それが、朱華にも解ったのだろう。
 「これ以上あの子を傷つけないで」
 きっぱりとそれだけ言うと、後は振り返りもせずに踵を返す。
 その背中に、煌は静かに呟いた。
 「…それでも、俺は瑠璃玻のそばにいたい」
 その為にできる事なら何だってしてみせる、と心に誓う。
 …そう、例えば、巫翅人になる、なんて事でも。
 

※  ※  ※


 瑠璃玻と同じ時を生きる為に、巫翅人になる。
 そう煌が密かに決意したその日から、数年の月日が過ぎた。
 瑠璃玻の身体は、明らかにその時を止めつつあった。
 中性的な容姿は男女の別を持たない生まれの所為としても、15歳という年齢にも拘らず未だ成長期の兆しすら見られない。
 煌自身は、といえばミフルで一般的に成人と見做される21歳の誕生日を迎え、青年と呼ぶに相応しい姿に成長していた。
 ――このままじゃ、差が開く一方だ。
 煌は、内心焦慮を募らせる。
 既に、神聖魔法はほとんど習得してしまった。
 神殿騎士団の一員として、また斎主の護り人としての務めを果たす傍ら独学でそれだけの成果を修めたのは、偏に彼の努力の賜物と言って良いだろう。
 だが、ここまで来ても尚、本来の目的である巫翅人になるほど魔力を身につけるには至っていない。
 「精が出るな」
 その日も、更に魔力を高めるべく神殿の書庫で魔術書を漁っていた煌は、突然現れた熾輝にそう声を掛けられて危うく手にしていた書物を取り落としそうになった。
 「だが、この辺の禁呪は素人が手を出せるようなもんじゃないぞ?」
 熾輝は、仕方ないとても言いたげに微苦笑を浮かべつつ、狼狽する煌から書物を奪って棚に戻す。
 悪戯を見咎められた子供のようにばつの悪そうな様子で俯いてしまった煌の生真面目さをほんの少し哀れむような、それでいて酷く寛容な目をして見下ろした熾輝は、ふっと口許を緩めると誘惑者の手管で楽しげにこう持ちかけた。
 「良いモノを貸してやろうか」
 訝しげに顔を上げた煌に、どのような魔法か何処からともなく取り出した剣を投げ渡す。
 それは、刃元に埋め込まれた太陽神の紋象を中心に鍔と押さえを十字の光条に見立てたシンプルな形状の、片刃の長剣だった。
 見た目よりもかなり軽いその剣は、細い鎖を編み合わせたような護拳といい細身で鋭利な氷煉鋼の刀身といい、熾輝が扱うには少々華奢な印象を与える。
 「これは…?」
 思い浮かんだ心当たりの畏れ多さにまさかと思いつつ問わずにはいられない煌の伺うような視線に、熾輝はあっさりと頷いてみせた。
 「そ、太陽神の神器・相生の剣【プロクシェーム】だ」
 更に、彼特有の魅惑的な悪童の表情でこんな風に付け加える。
 「こいつは、あらゆる魔法を力に変える魔法剣だ。使い方次第では魔力の鍛錬も出来る」
 最後の一言に、煌はさっと顔色を変えた。
 「どうして…?」
 九鬼の一族に生まれ、戦いを生業とする身でありながら私欲の為に神聖魔法を究めようとしている事に、煌は少なからぬ罪悪感を抱いている。
 まして、不遜にも巫翅人を目指している事は、あらぬ誤解を招かぬようにとの気遣いもあって今日まで誰にも知られないようにしてきた筈だった。
 それが、よりにもよって天空三神の一柱である熾輝に見抜かれていたとは――隠し続けてきた想いを見透かされて動揺する煌を宥めるように、熾輝は声を和らげる。
 「今のおまえの望みには心当たりがあるからな」
 懐かしむように目を細め、口許を軽く歪める男臭い笑い方で彼が口にしたのは、思いも拠らぬ告白だった。
 「俺も、那波を追いかけて巫翅人になった口なんだよ」
 照れ臭そうに髪をかき上げながらも、熾輝は瞠目する煌に共犯者としてのエールを送る。
 「だから、ま、せいぜい頑張んな」
 煌は、声に出来ない感謝を込めて大きく頷き返した。