■番外編 誓願の剣■
(6)
煌が正式に斎主の護り人に着任したのは、実りの紅玉節に入って最初の新月の日だった。
彼が初めて天象神殿を訪れた日から、ほぼ月が一巡り半している。
この間、煌は当初の目的通り神殿騎士団に入団し、神殿の近衛としての最低限の礼節や心得を学び、基本的な訓練をこなしてきた。
大方の予想に反して、煌はすんなりと騎士団に受け入れられた。
彼の父親である響の人と為りや九鬼の一族を知る古参の騎士達は最初から煌をその年若さ故に侮るような事はしなかったし、煌は煌で鳴り物入りでの入団を誇るどころか少年らしい潔癖さとはにかみでもって特別扱いされる事を拒んだ。
彼のそんな礼儀正しく誠実な人柄は、騎士団長を始めとする年長者達に好印象を与える。
更に、入団試験で彼が示した実力は、密かに彼を羨んでいた血気盛んな若手達を黙らせるのに充分なものだった。
それでも一部には妬心に駆られる者もいるにはいたが、煌の騎士団での修行は概ね順調に進み、今日という日を迎えるに至っていた。
※ ※ ※
「5つの節の初めの新月には、朱華の霊廟で鎮魂の儀を執り行う」
花園の周囲に廻らされた回廊を歩きながら、瑠璃玻は斜め後ろにつき従う煌に淡々と語りかける。
幼い声に似合わない尊大な口調は驕り高ぶっての事ではなく育ってきた環境に拠るものだと、僅かな会話の機会から煌は気づいていた。
物心つく以前から周りの人間からは祭祀王として崇め奉られ、教育係の神官達からも斎主としての威厳ばかり求められていたのでは、自ずから子供らしい態度など身につく筈もない。
それが証拠に、言葉遣いこそぞんざいながら、瑠璃玻は今もこうして煌の為にわざわざ斎主の仕事について説明してくれていた。
「その前に、那波に引き合わせておく。一応、私は「月神の巫子」という事になっているからな」
そう言って悪戯っぽく笑う瑠璃玻に悟られない程度に、煌は形の良い眉を顰める。
瑠璃玻の額に三日月型の小さな傷痕がある事を知ったのは、出逢ってすぐの事だった。
この傷と異彩眼の所為で実の親にさえ畏れられて捨てられた身が、同じ理由で月光神殿に保護され生命を繋ぐ事になったのだと告げた瑠璃玻の、年不相応に老成した諦観を感じさせる皮肉な笑みを思い出す度、煌は自分の事以上に痛みを感じずにはいられない。
そんな煌の胸の裡も知らぬ気に、先を行く瑠璃玻は月神・那波の夢殿の前まで来ると軽く扉を叩いた。
「那波、入るぞ」
一応は声をかけたものの、返事を待たずに中へと入る。
何時ぞやと同じように、それ自体鏡のように磨かれた大理石の床に嵌め込まれた銀鏡の前に、那波は坐していた。
「私の護り人を務める事になった煌だ」
瑠璃玻の、端的といえばあまりに端的な言葉を受けて煌を見た那波が、涼やかな銀灰色の瞳を細めてほわりと微笑む。
「はじめまして、ではありませんね」
その夢のような美しさへの照らいと過日の非礼を思い返しての恥じらいとに頬を染めた煌は、膝をついて礼を取る事も忘れて陶然とその場に立ち尽くした。
彼女の隣には、こちらは既に煌と面識のある熾輝が姫君を護る騎士のように控えていて、にやにやと性質のよろしくない笑みを浮かべながら2人の様子を眺めやっている。
しばしの間、未だ来ぬ時をも読み解くと謳われる神秘の眼差しをじっと煌に注いでいた那波は、やがて嫋やかな両の手を床につくとすっと面を伏せた。
深々と頭を垂れた彼女は、命を下す代わりに希う言葉を口にする。
「瑠璃玻を頼みます」
彼女の動きに合わせて長い銀の髪が薄絹のように蒼氷色の衣の上をさらりと流れ落ちる様に視線を奪われていた煌は、咄嗟にその意味を掴み損ねた。
崇拝すべき天空三神の主神によもや頭を下げられようとは思ってもみなかったろう彼を責めるのは酷というものだろう。
我に返った煌が何か言いかけるより早く、熾輝がゆったりと口を挿む。
「さて、ご挨拶も済んだ事だし、そろそろ行くか」
それに対して物問いたげな表情を見せた煌だったが、再び顔を上げた那波の穏やかな笑顔が彼の心に躊躇いを生じさせた。
そうこうする内に、熾輝が何気なく漏らした言葉の方に気を取られて機会を逸してしまう。
「しかし、着任して早々鎮魂の儀とはなぁ」
「難しい儀式なのですか?」
陽気で快活な剣皇らしからぬ様子に一抹の不安を覚えて丁重に問いかける煌に、熾輝は曖昧な表情で視線を宙に泳がせた。
「ん?いや、護り手にとっちゃそうでもないんだけどな」
何やら釈然としない態度で言葉を濁す熾輝を遮るように、瑠璃玻が揶揄を孕んだ声を投げて寄越す。
「安心しろ。おまえを傷つけさせたりはしない」
「おいおい、そりゃ煌の台詞だろ?」
やや呆れた風に苦笑混じりで返す熾輝の軽い調子につられて、煌は緊張の糸を緩めた。
だが、その一方で、肩越しに顧みた瑠璃玻の煌を見る瞳がけしてふざけていない事に彼は気づいてしまう。
何だが不可解な事が多過ぎる、と煌は内心首を捻った。
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