■番外編 誓願の剣■

(5)

 玉座に並び立つ位置から集まった一同を見渡して、豪奢な黄金の髪の美丈夫が朗々と響く声でこう切り出す。
 「既に知ってる者もいると思うが、先刻、那波の庭園に不逞の輩が侵入した」
 太陽神・熾輝。
 斎主はあくまで祭祀王であるという観点から、ミフルの政(まつりごと)は剣皇の異名を持ち正義神でもある彼が采配を振るう形を採っていた。
 そして、現在謁見の間に顔を揃えている高位の神官や騎士団の上層部といった面々が実質的に政治や軍事を執り行っているというわけだ。
 「幸いとある剣士の活躍により事なきを得たが、どうやら賊の狙いは斎主の命らしい。悪しき影に堕ちた魔物か邪な欲を抱く人の子の仕業か…いずれにせよ、嘆かわしい事だ」
 抑えた口調の端々に滲み出る苛立ちに、居合わせた人々は我知らず身を竦ませた。
 普段は明るく軽薄な風を装う熾輝だが、その怒りは灼熱の太陽そのままの苛烈さで知られている。
 殊に、彼の愛する者――伴侶とされる月神・那波や溺愛する巫子の瑠璃玻――を傷つける相手に対しては容赦がなかった。
 熾輝は、彼等の畏怖の念を感じ取った上で、敢えて重々しい態度で続ける。
 「事ここにあって、「星の護り手」彩亡き後空位となっていた瑠璃玻の護り人を定めようと思う」
 その一言に、一同の間にどよめきが走った。
 斎主の襲撃で血気の逸っていた騎士団員達は俄然色めきだち、老獪な神官達は「星の護り手」と斎主の結びつきに思いを馳せて眉を寄せる。
 そういった思惑とは無縁に、彼等から少し離れた場所に控えていた煌は、瑠璃玻という名前は美しいなどとぼんやり考えていた。
 夜空の瑠璃と月光の玻璃の瞳を持つ綺麗な子供にこれほど相応しい名前はないとひとり得心する。
 それが現実からの逃避だという事に、煌自身きちんと気づいてはいた。
 気づいていて、それでも許されるならばそのまま知らぬ振りを通したいという彼の願いは、空しく破れ去る。
 「我が護り人は、既に1度その役目を果たしている。この短剣がその証だ」
 そう言って瑠璃玻が掲げた短剣は鍔のないシンプルな形の、だが凝った装飾で守護の呪文が彫り込まれた逸品で、煌が賊の1人に投げつけたものだった。
 「これは、毒矢などという卑劣な武器から瑠璃玻を救った聖剣だ」
 仰々しい熾輝の物言いに、多感な年頃の煌の耳がほんのりと赤く染まる。
 だが、続く熾輝の言葉は、その場にいた彼以外の人間に大きな衝撃を齎した。
 「この剣の主を、瑠璃玻の新たなる護り人とする」
 何の相談もなくこのような大事を宣告された重鎮達は明らかに動揺し、騎士達は誰がこの誉れ高い任に選ばれたのかと互いに探るような視線を向けて牽制し合う。
 中には、その短剣の形状からある特色を見て取って、玉座近くに客人として控える響を盗み見る者もある。
 まさに寝耳に水の出来事に狼狽える人々に、煌は同情の念を禁じえなかった。
 何しろ、彼自身がつい今しがた驚愕させられたばかりだったのだから。
 

※  ※  ※


 煌が控えの間に着いた時、彼の父である響は既に謁見の間に向かった後だった。
 今回のメシエ訪問の目的のひとつが彼を斎主に引き合わせる事だと聞かされていた煌は、言伝を言い付かっていた年若い神官に案内を請い謁見の間へと急ぐ。
 響からの言伝は、「戻り次第後を追うように」という簡潔なものだった。
 だから、斎主の徴である有翼円盤を描いた彩釉煉瓦が嵌め込まれた扉が閉ざされているのを見ても、煌は先客がいる可能性を全く考えなかった。
 「父上!」
 神官が何か告げるよりも早く扉を開くと、乱れた呼吸もそのままに響の許へと駆け寄る。
 「申し訳ありません、少々道に迷ってしまいました」
 そこまで言ったところで、煌はようやく玉座の主の存在に気づいた。
 慌てて膝をつきかけた煌は、しかし、斎主の姿を一目見た瞬間息を呑んでその場に立ち尽くす。
 其処にいたのは、先刻出逢ったばかりのあの子供だった。
 予感はあった。
 彩から聞いていた話と、目の前で見せつけられた魔法と、存在感と。
 この子なら精霊王と天空三神に仕える巫子に相応しいと、理性以外の部分でならすんなりとそう思える。
 だから、初めは驚きよりも魅せられたという感が勝っていたのだ。
 形良くも愛くるしい唇が、こんな台詞を紡ぐまでは。
 「では、この短剣の主を新たな護り人と定めよう」
 真直ぐ煌を見つめる異彩眼の主が手にしていたのは、紛う方なく彼の愛用の短剣だった。
 

※  ※  ※


 「剣の主は、速やかに斎主の前に進み出よ」
 謁見の間を埋め尽くすざわめきを制して響く熾輝の声に、煌は覚悟を決める。
 出逢った瞬間に、瑠璃玻を護りたいと思った。その気持ちに偽りはない。
 立ち上がり、玉座に向けて足を踏み出した煌の周りから、すっと静寂の波が広がっていった。
 誰何、不審、好奇心、猜疑――背中に向けられた数多くの視線を痛いほどに感じながら、煌はゆっくりと足を運ぶ。
 「まさか、こんな子供が?」誰もがそう思っているだろう。
 だからこそ、無様な真似はできない。
 生まれと育ちの双方から身につけた優雅な所作で玉座の前に跪いた煌は、懐から取り出した短剣の鞘を差し出して静かに口を開いた。
 「その短剣は、我が一族に伝わる品…」
 その鞘に施された装飾が瑠璃玻の持つ剣と同一であると見て取って、熾輝がどこか面白そうな笑みを浮かべる。
 煌は、自分を見下ろす瑠璃玻の瞳を見つめて、はっきりと宣言した。
 「私、煌・九鬼がその剣の主です」
 …その瞬間、瑠璃玻は酷く満足げに微笑んだ。
 それなのに、どうしてだろう。煌には、瑠璃玻の瞳が泣き出しそうに見える。
 「では、煌」
 名前を呼ばれて我に返った煌に、瑠璃玻は幼い声に似合わぬ威厳を持って命を下した。
 「たった今から、おまえを我が護り人に任ぜよう」
 煌は、頭を垂れて拝命する代わりに、目を逸らさずにこう応える。
 「我が剣にかけて」
 それが、2人にとって最初の誓いとなった。