■番外編 誓願の剣■
(2)
――どうして、神殿っていうのはこうややこしい造りになってるんだろう?
梁の部分に施された精緻な彫刻に目を凝らして、煌は本日何度目かの溜息を落とした。
人々が神を崇め祈りを捧げる場であるというだけなら雨風が防げれば良い訳で、何もこんなに凝った建物を建てる必要はないだろうにと、目の前の柱の模様を記憶にあるものとつき合わせつつ風情のない事を考える。
神より授かった宝――巫子や神官であり、経典の名を借りた史実書であり、信者から寄与された金銀財宝の類だったりもする――を護り、神に仕える者の威厳を守る為に、神殿関係の建物の多くは荘厳で複雑怪奇な建築様式を好んで採用している。
その傾向は規模の大きな神殿ほど顕著で、特にここ聖都メシエの天象神殿は三柱の天空神が一堂に会するだけに付随する施設も朱華の霊廟、熾輝の奉剣場、那波の夢殿と数多く、広大な敷地内にあってそれらを結ぶ通路も必然的に入り組んだものになっていた。
当然、神殿内に標識などが在る訳もなく、お勤めを始めたばかりの見習い神官などは日々さぞ苦労している事だろう…と、有態に言って今現在道に迷っている真っ最中の煌は自分の事を棚上げして同情を寄せる。
そう。煌は、道に迷っていた。
しかも、どうも先刻からどんどん喧騒から遠退いているような気がしてならない。
――うーん、どうしようかな?
角を曲がったところで突き当たった扉を前に、煌は僅かな躊躇いを見せた。
目の前の扉には、月神の紋象を描いた彩釉煉瓦が嵌め込まれている。
この装飾からいって、扉の向こうは一般人立ち入り禁止の聖域だとか禁域だとかいう可能性がかなり高かった。
そういう意味では素直に引き返した方が得策かもしれないが、だからといって来た道を辿ってまっすぐ元の場所に戻れるかというとそれはそれでいまいち自信がない。
無表情に逡巡する煌の貴族的に整った理知的な横顔は、身に纏う穏やかな雰囲気と相俟って15歳という彼の年齢にそぐわぬ聡明さを思わせる。
だが、ややあって彼が出した結論は「まぁ良いか」という非常に楽天的なものだった。
人通りの少なさからいって、此処で待っていたところで救いの手が差し伸べられる可能性は低い。かといって、迂闊に歩き回るのも疲れるばかりだ。それならいっその事衛兵にでも見つかって連れ出された方が手っ取り早い。
とりあえず現状から抜け出すべく、煌は意を決して観音開きの扉を押し開いた。
※ ※ ※
扉を開け放った瞬間、飛び込んで来た光に煌は思わず目を眇めた。
屋内の薄暗さに馴染んでいた瞳が陽射しに慣れるまで、若干の時間を要する。
其処は、吹き抜けの回廊に囲まれた花園だった。
五角形を描く石畳の小径の周りに、淡紅の蓮花が無数にゆらゆらとたゆとっている。
小径は五角形の内側にも伸びていて、中央には小さいながらも石造りの東屋が建てられていた。
その東屋も、石畳も、周囲に廻らされた回廊の柱さえも白を基調にしていて、増幅された日の光が目に痛いほどの清浄さを醸し出す。
その清らかさは人を拒むものではなくて、むしろすべてを受け入れて赦すような、そんな優しさに満ちていた。
それでも、この一瞬を壊す事がとても罪深い事のように思えて、煌は我知らず息をひそめる。
時折吹く風に揺れる蓮の花のさやさやとそよぐ音だけが静寂に漂う中、彼の眼差しはしばし魅入られたように庭園を彷徨った。
どれほどそうしていただろう。
ふと、その瞳が鮮烈な色彩を捕らえる。
夢見るように柔らかな景色の中で、一際目を惹く深い紅。
それは、1輪の真っ赤な薔薇の花だった。
東屋の中に据えられた卓の上にそっと置かれたそれは手向けの花のようで、そんな風に感じた自分に煌は眉を顰める。
近しい人を亡くしたばかりで感傷的になっているだけだ。
武を尊ぶ九鬼の家の者として常に毅い心である事を己に課す煌は、軽く頭を振って自分にそう言い聞かせた。
そうして、その時になってようやくこの花園に先客があった事に気づく。
その人物は、赤い薔薇の載った卓の前に悄然と佇んでいた。
年端もいかぬ子供…その年齢は、おそらく10歳にも満たないだろう。性別は定かではないが、遠目にもはっとするほど綺麗な顔立ちをしている。
象牙色の肌は内側に月の光を宿しているかのようで、俯き加減にひっそりと立つ神秘的な姿はその場を包む神聖な空気に見事なまでに調和していた。
陽射しを受ける度銀の艶を帯びる玄妙な黒髪が頬にかかっていて、煌のいる場所から表情を窺う事は出来ない。
けれど、何故だか煌には、その子が泣いているように思える。
細く頼りなげな身体を抱きしめてやりたい衝動に駆られて、気がつくと煌は庭園の中へと足を踏み出していた。
突然乱入して来た気配に、その子供は弾かれたように顔を上げて煌の方を振り返る。
刹那、2人の視線が交錯した。
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