■第1話 月夜の君■
(4)
綾が帳簿を漁り始めたのと同じ頃、瑠璃玻と煌の二人もまた宴の席を抜け出していた。
八尋に指示された通り中庭を横切り、最短距離で宝物庫に辿り着く。
瑠璃玻から鍵を受け取って扉に手をかけた煌は、僅かに眉を開いておや?という表情を見せた。
「あれ?先客ですか?」
既に扉の鍵が開いていた事に驚いている…にしては緊迫感に欠ける調子で呟きつつ、背後の瑠璃玻を振り返る。
「せっかく借りた鍵が無駄になっちゃいましたね」
「まったくだ。わざわざこんな格好までしたというのに…」
瑠璃玻は、露骨に不機嫌な表情で己の服を一瞥した後、何の警戒もせずに扉を開いて部屋の中に踏み込んだ。
そこに、計ったようなタイミングで険しい声が投げかけられる。
「誰っ!?」
声の主は、瑠璃玻と八尋がつい先刻話題に乗せていた人物――綾だった。
突然現れた2人の正体に驚いて言葉を失う彼女に対し、概ね状況を予想していた瑠璃玻は余裕がある分小馬鹿にしたような反応を返す。
「他人の家の倉庫に勝手に入り込むような人間に誰何される謂れはないな」
「何ですって!」
その台詞に我に返った途端キリキリと眉を吊り上げる綾に追い討ちをかけるように、瑠璃玻は鼻で笑って見せた。
「ふん、大方賞金稼ぎか何かだろう。八尋の秘密を探って来いとでも言われたか?生憎、あの男はそう易々と弱点を曝すほど甘くないぞ」
「そう言うあんた達は何なのよ?「月夜の君」なんてご大層な二つ名はまやかしってワケ?」
所詮同じ穴の狢だろうと――占い師だなどと身分を偽って相手を誑かしている分だけ瑠璃玻の方が性質が悪いと、綾は開き直って問い返す。
綾の裏稼業は確かに誇れたものではないが、舞姫としての彼女の業は本物だった。
挑発的な彼女の物言いに、瑠璃玻が不快げに顔を顰める。
だが、その口が何か言葉を紡ぐより早く、煌が2人の間に割って入った。
「俺達は、神殿から持ち出された神宝を捜しているんです」
「神宝?神殿からお宝を持ち出した人間がいるって事?神殿に盗賊が入ったなんて話、聞いた事ないけど?」
端正な容姿に相応しい煌の丁寧な口調にやや態度を軟化させた綾が、半信半疑といった面持ちで首を傾げる。
それに対して、瑠璃玻は皮肉な笑みを唇の端に閃かせてこう応えた。
「それはそうだろう。神宝を持ち出したのは外部の人間ではないからな。神殿側としては、身内の恥を曝すわけにはいくまい」
「それじゃ、神官様がやったって言うの?そんなわけないじゃない!」
「どうだかな。神に仕える身を名乗る者が必ずしも聖人君子とは限らない。位の高い神官ほど権勢欲は強かったりするものだぞ」
感情的に不敬を咎める綾とは対照的に、瑠璃玻は冷笑的な態度を取り続ける。
その事が、変に激昂するよりもかえって瑠璃玻の語る言葉に真実味を与えているようだった。
更に、瑠璃玻は言う。
「八尋のような商人の下には、世界中のあちこちから様々な品が集まってくる。それ自体は別に構わんが、中には多少危ない橋を渡ってでも取引を結びたいと考えるバカ共も出て来るから困る」
瑠璃玻は、無造作に積まれた宝の山から藍銅鉱の玉を拾い出した。
「例えば、これは潮満《シオミツ》の珠。潮の満ち干きを操る海の秘宝だ。悪用すれば、他の隊商の船を沈めて海路を独占する事も出来る」
あっさりと告げられたその効能に、綾は思わず息を呑む。
その作用は、ひとつ使い方を誤れば大きな厄災を引き起こしかねないものだ。けして一商人が独占して良い品ではない。
彼女の危機感が伝わったのだろう。
部屋の中を歩き回った挙句床に片膝をついて何かを探っていた煌が、穏やかに口を挿む。
「幸い、八尋殿は色々な意味で目が利く方ですからね。分不相応な品を手許に置こうとは思わないのでしょう。だからこうして密かに協力してくれているわけです」
煌は、そこで一旦言葉を切ると、もう1度室内を見回してから瑠璃玻を仰ぎ見た。
「でも、残念ながら目当ての物はなさそうですね」
「そうだな」
さして失望した様子もなく頷いて、瑠璃玻は手にしていた潮満の珠を立ち上がった煌に押しつける。
気負いのない彼等に、それまで黙って2人のやりとりを見つめていた綾がぽつりと呟いた。
「…ご立派な大義名分ね」
揃って振り向いた瑠璃玻と煌の目に、顔を伏せた綾の姿が映る。
彼女の拳は、何かに耐えるようにきつく握り締められていた。
「あたしの生まれ育った街では、身寄りのない子供は神殿に引き取られて聖娼になるのがしきたりだったわ。それが嫌なら、何か特別な技能を身につけるしかなかった」
「そういえば、ジュナは朱華《ハネズ》への信仰が盛んな街でしたね」
震える声から綾の感情を慮って、煌は僅かに声を潜める。
星神・朱華は愛と死を司る者として崇められており、時に豊穣の証ともされている女神だった。
殊に、ジュナを中心とする南の地方では爛熟した性的風習と相俟って、彼女を祀る星辰神殿には女神の名の下に参拝者に一夜の快楽を提供する男女の聖娼が置かれているのだという。
「本人が知ったら怒り狂いそうだがな」
煌の配慮を知ってか知らずか、瑠璃玻は彼が敢えて語らなかった部分まで全て承知の上で素っ気なくそう返す。
それは、聞きようによってはひどく謎めいた言葉だったが、自嘲的な気分に流される綾はその事に気づかなかった。
俯き、足許に視線を落としたままで、綾は告げる。
「だから、あたしは旅芸人の一座に入って踊りを習う傍ら、この仕事に手を染めたの。確かにあたしはただの賞金稼ぎよ。自分の中の最低限のラインさえ超えなきゃ何でもする。そうでもしなきゃ生きられない人間がいるのよ。お綺麗なあんた達には解んないでしょうけど」
吐き捨てるように口にされた言葉は、自分も他人も傷つける棘で武装した綾の胸の痛みに他ならない。
だが、瑠璃玻はまったく斟酌せずに彼女の痛みを切り捨てた。
「それで、おまえは自尊心の代わりに他人の秘密を売るわけか」
「〜っ!!」
勢い良く視線を上げた綾の花顔が屈辱に赤く染まる。
それでも、不思議な事に怒りも露わに瑠璃玻を睨む強い瞳は綾をより美しく見せた。
そんな彼女に、どこか愉快そうに目を細めた瑠璃玻が何かを言おうと口を開きかける。
と、その時、部屋の片隅に置かれた鏡が不意に光を放った。
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