−エピローグ−


 『cubic world』のクリアから1ヶ月、俺は正規隊員になって初めてC.S.S.――Cyber Space Securityのオフィスを訪れた。
 メディカルシステム直結のマシンに任せっきりですっかり鈍っちまった身体を鍛えなおさなきゃなんなかったし、マスコミの対応やら事務的な手続きやらに追われて身動きが取れなかった所為もあって、なかなか機会が取れなかったのだ。
 そんな訳で、エレベーターが目的の階に到達するまでの待ち時間に新しく支給されたIDプレートがずれてないかとか髪が乱れてないかとか…相変わらず長髪を1つに結わえた「狐の尻尾」状態だけど…神経質に身繕いしてみたりする。
 そうこうする内にチンと無愛想な音と共に扉が開き、俺は一見厳重なセキュリティが敷かれてるとは思えないありきたりな扉の前に放り出された。
 大きく深呼吸をして、ちょっとばかり緊張気味に認証装置に手を伸ばす。
 指紋の照合、網膜の照合、合言葉と声紋の確認、といった一連の手続きを経てようやく開いた扉から、俺は柄にもなくおずおずと顔を覗かせた。
 「こんちはー、お久しぶりです」
 遠慮がちに声をかけると、たちまちオフィスに集まってた隊員達に取り囲まれる。
 「おっ!久しぶり!」
 「おー、遅いぞアル!復活して初っ端から遅刻か?」
 「英雄のご登場だな」
 少々手荒な、でも温かな出迎えを嬉しく思いつつ、俺は最後の一言に苦笑を浮かべた。


@@@



 アル・ファズールに止めを刺した瞬間に一部の暴走していたプログラムを切り離した『cubic world』のシステムは、俺のゲームオーバー宣言を受けて拘束していたプレイヤー達を解放した後、完全に機能を停止した。
 残念ながら救助が間に合わずそのまま帰らぬ人となってしまった人もいたらしいけど、ほとんどのプレイヤーが生きて現実世界に戻って来た。
 もちろん、栄養失調や肉体の衰弱は免れなかったし、俺の先輩も含めてその多くが未だに心身両面の治療を継続してる状態ではあるけれど。
 俺はと言えば、いつの間にやら「英雄」なんて立場に祭り上げられていた。
 まぁ、事件の規模やそれの及ぼす影響の大きさ、深刻さから世間の目を逸らすには恰好のネタだったんだろう。
 ゲームの中で俺を助けてくれたガランサスやサキ、マリア――メア・マリスって言うべきか?――、グレンが、何処で何をしてるのかは解らない。
 …もちろん、レイも。
 ネットゲームのプレイヤー同志では顔も本名も知らないままパーティーを組む事も珍しくないけど、ちょっと寂しい気もする。
 今はただ、彼等の無事を祈るばかりだ。
 あとは、マニアックな専門家連中が「独立した意思と擬似人格に基づいた思考回路を有するA−LIFE(人工生命体)の可能性」だとか「人工知能の自殺について」だとかいう深遠かつどーでも良いテーマの論議で盛り上がってるらしいが、それはこの際置いておく事にする。
 とにもかくにも、『cubic world』に関する事件はこうして一応の終わりを見た。


@@@



 事前に連絡は入れておいたけど、職場への復帰と正規隊員としての着任の報告も兼ねて、俺は隊長のところに挨拶に向かった。
 執務室の扉の前で姿勢を正し、ノックの返事を待って部屋の中に足を踏み入れる。
 「失礼します」
 敬礼する代わりに軽く頭を下げた俺は、顔を上げてみて初めて先客がいる事に気づいた。
 「あぁ、彼がアルだよ」
 俺が何か言うより早く、隊長がその人物に俺の名前を知らせる。
 俺よりちょっと若いくらいだから、多分まだ学生なんじゃないだろうか。
 柔らかく波打つフォーンの髪に、これまた穏やかで優しい印象の若葉色の眼をしたその青年は、何処ぞのファッション誌のカバーボーイだって言われても違和感のない整った貌を笑みの形に綻ばせて優雅な物腰で俺を振り返った。
 何だろう?初めて見る筈の相手なのに、やたらと懐かしいっていうか、既視感を覚えるのは――。
 まさか…と思いながらも確信を持てずに口を開くのを躊躇する俺を見て、青年が口許に手をやって小首を傾げる。
 その仕草、何かを考え込む時の、ほんの些細な癖。
 「はじめまして、っていうのも今更かな?」
 ――ってコトは、やっぱり、もしかして?
 「【機械誑し】のレイ。cubic worldでおまえのナビゲーターを務めてた相棒だ」
 隊長の口からあっさりと告げられた事実は、心のどこかで半ば予期していたにも拘らず俺にしっかりと衝撃を齎した。
 「え?え、だって、レイって女の子じゃ…?」
 混乱しながら問いかける俺とは対照的に、レイはおっとりと電脳界での常識を口にする。
 「仮想現実(ヴァーチャル)の世界での姿が必ずしも現実(リアル)と同じとは限らないだろう?」
 「でも、じゃあ、あの言葉遣いは?」
 芝居にしちゃ見事に少女になりきってたように思えるけど、よもやその手の性癖でも…?なんてくだらない想像にまで突っ走る俺の頭の中身が伝わったのか、答えるレイの形の良い唇には淡い微苦笑が湛えられていた。
 「あぁ、あれは、丁度開発中だった人格連動型言語変換プログラムの試作品を通してたから」
 そんなにちゃんと「女の子の話し方」に聞こえてたなら、実験は成功だね。
 そう言って満足げな表情を浮かべるレイに、俺はげんなりと脱力する。
 「あのなぁ…」
 一体どこの世界にあんな危険な状況で未完成のプログラムを試してみようなんて考えるヤツがいるんだ。
 「ちなみに、「レイ」が囚われた後、どうやってシステムに介入してたんだ?」
 呆れついでに、俺はもう1つゲーム中から気になってた疑問を尋ねてみた。
 今の気分なら、どんな返答が飛び出しても怖くない…たぶん。
 俺が自棄を起こしてるのを知ってか知らずか、レイは何でもない事のようにその時の状況を説明してくれる。
 「全感覚変換タイプのマシンで1度オペレーション作業用にカスタマイズした電脳空間にダイブした上で、「レイ」の操作と同時進行で『cubic world』のシステムにアクセスしてたんだ。ネットワーク上に仮想マシンがあって、それを使ってるって考えてもらえば良いかな?電脳空間内では肉体的な制約を受けずに全方向から情報を受信できるっていう利点がある。だから、マニュアル入力のキャラクター操作と同時に思考伝達方式のインターフェースを使ってシステムに介入する作業をこなしても支障がないんだ」
 ――いや、普通あそこまでリアルで複雑な造詣のキャラクターの操作とハッキング紛いのプログラムへの干渉なんて両立できないから。っていうか、それ以前に人間の頭脳でそんなに大量の情報を一度に処理できるもんじゃねぇだろ?
 人間業じゃねぇ。
 思わず零れた呟きを、隊長がいかにも愉快といった調子で笑い飛ばす。
 「それが、【機械誑し】って二つ名の所以さ」
 しまった。そういえばこの人も存外クセモノなんだった。
 俺の中で見事狸親父ランキング暫定トップに躍り出た隊長は、その栄えある地位に相応しくきっちり俺に追い討ちをかけてくれた。
 「これまで某機関のシンクタンクに所属してた彼にはオブザーバーって形でうちの仕事を請け負ってもらってたんだが、今日付けで正式にC.S.S.に配属される事になったんでな。せっかくだから、このままアルとパートナーを組んでもらう事にしたからそのつもりで」
 「そのつもりで」って言われたって、ソレは既に決定された事項で、俺の意見を挿む余地はないワケだろ?
 「そんなわけで、改めてよろしく」
 にこやかに話しかけてくるレイの、ゲームの中の「レイ」より格段に愛想の良い、けれど数倍は危険な笑顔と共に差し出された手をまじまじと見つめて、溜息を1つ。
 ――まぁ、レイが相手ならいっか。
 早々に抵抗を放棄した俺は、再び手に入れた相棒の手をしっかりと握り返した。


@@@



 そんな訳で、この日は後に俺にとってもC.S.S.にとっても記念すべき1日となったのだけれど、それはまた別の話ってコトで。


HOME