Count Sheep, Go To Sleep
12月。
クリスマスを間近に控えて浮き立つ街に、何やら妙な噂が広まっていた。
「なぁ、知ってる?あの羊のおまじない」
「あー、見た見た。パソコンの画面に羊が出て来て柵跳び越してくの数えるアレだろ?」
「そうそう、それ。羊が一匹羊が二匹ってヤツ」
「ある日突然カウントしだすんだろ?新手のウィルスか何かかなぁ?」
「え〜、でもあれ可愛いよね」
「うん、すっごく可愛い〜!友達にもメールで送っちゃった」
「え、それってやばくない?」
「んー、でも、あれってただのデスクトップアクセサリーっぽくない?」
「どっかのサイトでダウンロードできるって聞いたよ?」
「きっとさぁ、眠れなくて困ってる奴が暇つぶしに作ったお遊びプログラムなんだよ。作ってるうちに眠くなるかもってさ」
「うわぁ、よけい寝らんなくなりそう」
「あはは、言えてる〜」
「あれって幾つまで数えるのかなぁ?」
「さぁ?でもパソコンが数えるんだもん、何万とかでもOKじゃん」
「…で、アレ、数え終わったらどーなんの?」
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久し振りにC.S.S.――Cyber Space Security――のオフィスに出向いたら、メンバー全員が何やら神妙な顔つきで一台のパソコンの前に集まっていた。
「おはよーございます」
あまり場にそぐわない挨拶を口にしつつその輪に歩み寄る俺に気づいて、オレンジがかった金髪を狐の尻尾みたいに束ねた身長190cmを越える偉丈夫が親しげに片手を上げて遣す。
「よぉ、フィン。珍しいな」
「アル先輩こそ」
アル先輩は俺と同じアルバイト出身の隊員で、かの悪名高き『cubic world』事件を解決した英雄だ。
現在でも、『cubic world』の一件以来のパートナーである【機械誑し】ことレイ先輩共々C.S.S.のエースとして名前が通ってる。
「それで、これ、何の騒ぎです?」
未だに状況が飲み込めない俺の質問に答えたのは、他ならぬレイ先輩その人だった。
問題のマシンを操作する手を休めた先輩は、柔らかく波打つフォーンの髪を優雅な手つきでかき上げながらこっちを振り返る。
「『Count Sheep』だよ、フィン」
「あぁ、例の噂の」
とにかくごつい印象のアル先輩とは対照的にどこかのモデルか俳優かっていうくらい整った顔立ちをしたレイ先輩が浮かべる優しげな微笑にやっぱり綺麗だなぁなんて感動しながらも、俺は最近良く耳にする噂を思い起こしていた。
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今月に入って、ある日突然パソコンが羊を数え始めるという事例が発生した。
『Count Sheep』って名前の通り、画面の端から現れた子羊が木の柵を飛び越えトコトコと去って行くのをカウントする――眠れない時に効くっていうあのおまじないだ。
1度数え始めると他の作業をしていてもバックグラウンドで延々と数え続けるって事以外特別な被害は報告されていないけど、マシンが正常な状態じゃない事には変わりがない。
ネット経由で感染するらしいから一応警察の電脳部門を担当するうちの職場にも無関係とは言えないけど、ウィルス対策やセキュリティ系のソフトを出してる各社は早々に対策を講じてる筈だし、一時的に話題に上れば良いっていう愉快犯の悪戯だってのが大方の見方で、それもすぐに下火になると思われていた。
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「あれって、ただのジョークウィルスじゃないんですか?」
「うーん、作者はジョークのつもりだったのかもしれないけどね」
わざわざC.S.S.のエースが乗り出す程大事だとは思えなくて首を捻る俺に、レイ先輩はちょっと考え込んだ後、一見何の関係もなさそうな事を訊いてくる。
「フィンは、前世紀に書かれた『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』っていう小説知ってる?」
「…名前だけは」
戸惑いがちにそう答えると、レイ先輩は何やら愉しそうに謎めいた台詞を吐いた。
「『Count Sheep』は、不眠症の人工知能の為の睡眠薬なんだ」
「…は?」
俺が思わず間抜け面を晒すのにも構わず、先輩は淡々と解説をし始める。
「この手のジョークウィルスでトリガーイベントをカウントに設定する場合、大抵は目標に向かってカウントダウンする方法を採用する。同時発症しないと面白味が半減するからね」
面白味って…まぁ、気持ちは解らなくもないけど。
レイ先輩って、おとなしやかな雰囲気のわりに時々危険な発言するよなぁ。
「でも、『Count Sheep』はいつ感染しても1から羊を数え始める。ある一定のカウントでイベントが発生するとしたら時期が揃わない。だから、カウントはトリックでキーイベントは別にあると考えたんだ」
「これが、その解析結果」と言って、先輩が目の前のディスプレイを指し示す。
件のウィルスに感染しているらしいそれは愛くるしい子羊がぴょこぴょこ跳ねる姿を延々表示し続けてて、見てると何となく気持ちが和んでしまった。
この可愛らしさが曲者で、感染が広がる要因になってるんだけどね。
「このマシンの内蔵時計は、現在12月31日23時59分に設定されてる」
レイ先輩の声をぼんやりと聞いてた俺は、初めその意味を理解できなかった。
その時刻と先輩の言ってた「トリガーイベント」って言葉が頭の中で結びついた瞬間、『Count Sheep』ウィルスが発症する。
「え!?」
突如ディスプレイが暗転し、本体から微かに聞こえてたモーター音が途絶えた。
「強制電源断!?」
「ううん、休眠状態」
動転する俺に冷静に首を振るレイ先輩の言う通り、先輩が軽くマウスを動かすと画面には元通りデスクトップテーマが表示される。
違ってるのは、羊を数え続けてたウィンドウが消えてなくなってる事くらいだ。
呆然としてる俺に、パソコンの内蔵時計を元に戻しながらレイ先輩はこう結論付けた。
「つまり、『Count Sheep』は年が変わった瞬間にパソコンをスリープさせるプログラムなんだ」
「この為に、レイの野郎、俺のマシンを一台犠牲にしたんだぜ」
おかげで作りかけのプログラムが消えちまったぜ、なんて零すアル先輩を、レイ先輩は素っ気無くあしらう。
「仕方ないだろう?僕のマシンはコマンドのプロテクトが特殊でこの手のウィルスは効かないんだから」
「まぁ、でも、これくらいの悪戯なら可愛いもんじゃないですか?」
そんな2人のやりとりと『Count Sheep』の製作者のセンスに何だか脱力して乾いた笑いを浮かべつつ口を挿んだら、アル先輩に力一杯否定されてしまった。
「冗談!」
レイ先輩も、穏やかに結構怖いコトを言う。
「確かに、一般家庭で使われてるパソコンや家電製品に搭載されてるAIが一時的にスリープするだけならたいした被害にはならないよね。せいぜい内臓電池が切れた時点で作業中のデータが飛ぶとか、タイマーが作動しないとかいう程度で」
いや、それも充分困りもんだと思うんですケド。
声にならない指摘は当然届く筈もなく、先輩は至って真面目に先を続けた。
「問題は、病院や企業の所有するマシンが感染した場合なんだ。生命維持装置は一時的にでも止まったらアウトだし、警備システムが作動しなければ犯罪が多発し放題だからね」
「だけど、そーいう用途のマシンは普通ネットから独立してるんじゃ…?」
「甘いぜ、フィン」
俺の疑問に、アル先輩はちっちっと舌を鳴らして人差し指を横に振る。
「警備会社のシステムは監視先の情報を獲得する必要から常に独自のネットワークで繋がってるし、病院内にも24時間体制で患者の様子を看視するLANが組まれてる筈だ。そして、メインマシンのセキュリティがどんなに強固でも、端末機器は外部情報を取り込む為に必ずオープンになってる」
「それに、データを転送する手段はネットワークだけじゃないからね」
そう言って、レイ先輩は近くにあったTVのリモコンを手に取ると、無造作にスイッチを押してみせた。
「例えば、こんなリモコンの発する無線シグナルだって立派な通信手段なんだ」
言われてみればその通りで、俺は思わず感心してしまう。
先輩は、感情を取り払った事務的な口調で解析結果を告げていった。
「『Count Sheep』の分類は典型的なメモリ常駐型のワーム。感染源は作者の個人サーバだね。そこから、まずはネットワーク上の比較的無防備な他のサーバに侵入してWebページ内に自己コードを埋め込み、そのページにアクセスしたマシンに一時ファイルを経由して感染、メール発送により増殖してるものと思われる」
「更に、発想や見かけの可愛らしさが受けて面白半分でわざわざサイトからダウンロードできるようにするバカまで現れてるしな」
アル先輩の呆れ混じりのコメントに頷いて、レイ先輩はこう締め括る。
「そうやって感染してるAIから、たまたま警備システムの端末や医療機器にデータが送られてしまわないとも限らないってワケ」
確かに、先輩達の危惧する通りならC.S.S.きってのエースコンビが動くのも当然だった。
大変だなぁなんて他人事みたいに思ってた俺は、でも、その直後に安穏とした考えを放棄する事になる。
「そこで、モノは相談なんだけど」
上目遣いに俺を見つめるレイ先輩の魅力的な表情に、俺はそこはかとなく嫌な予感を覚えた。
そして、悪い予感ほど的中するのが世の常というものだ。
先輩達は、人間を誑かす悪魔そのままの笑顔で交互にたたみ掛ける攻撃に出た。
「フィンは、クラッキング得意だよな?」
「今回のケースだと、いくらソフト会社がウィルス対策プログラムを作っても対応しきれない部分も予想されるんだ。世間では無害なジョークウィルスくらいにしか認識されてないし、一般的にはネットから独立してるように見えるマシンほど安全だと思われがちだから、自主的に対策を講じてくれないケースも多いだろうし。しかも、『Count Sheep』には結構優秀なステルス機能がついてるから、検出され難いんだよね」
「だから、こっちも自己増殖して勝手に『Count Sheep』を駆除する『牧羊犬』プログラムを作っちまおうってコトになってな」
「それには、多少強引にシステムに割り込まなきゃいけない場面も想定されるだろう?もちろん役目が終わったら跡形もなく消えてくれないと困るし」
「おまえなら、そーゆープログラム組めるだろ?」
それって、仮にも警察のやる事じゃないんじゃ…?なんていう心の呟きにはお構い無しに、レイ先輩がにっこりと俺に微笑みかける。
「協力、してくれるよね?」
その笑顔に止めを刺されて、俺は泣く泣く頭を垂れた。
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羊が一匹、羊が二匹。
眠れない夜のおまじない。
だけど、年末にかけての一週間、俺は仮想羊を数える不眠症の人工知能の為に徹夜で電脳牧羊犬作りに追われる破目に陥った。