***桜***


 17年前の今日。今と同じこの場所で、私は彼と出逢った。

*・*・*・*・*・*・*


 あれは、祖母の葬儀の日だった。
 私は5歳になったばかりで、朝からずっと続く格式ばった儀式にも大人達の秘めやかなおしゃべりにも飽きてしまっていた。
 それで、ひとり墓地を抜け出して、人気のない桜の杜に迷い込んだのだ。
 その年は例年になく春が早くて、4月に入ったばかりだというのに既に花の季節は終わりを迎え、折からの強風に煽られて薄紅の花弁が舞い狂う様はまるで夢の中にでもいるようだった。
 彼は、そんな夢現の景色に溶け込むようにひっそりと佇んでいた。
 日本人にしては明るい色の髪と白い肌の、とても綺麗な人だった。
 哀切と追悼を表し、喪に服す意思を示す黒衣に身を包み、彼は遠い目をして霞がかった空を眺めていた。
 人は、あまりに美しいものを目にすると瞬きも、呼吸さえも忘れてしまうらしい。
 幼い私は、息を詰めて彼に見惚れた。
 どれくらいそうしていたのだろう。
 ふっと吹き荒れていた風が止んで、視線を感じた彼がこちらを振り返った。
 薄茶色の瞳が一瞬瞠られ、それから柔らかく細められる。
 玲瓏な顔《かんばせ》を飾る透明な微笑みはどこまでも優しくて、けれど私は俄かに恐怖をかき立てられた。



 桜の樹には、神が棲まうという言い伝えがある。
 同時に、その花は死せる者の魂を呼び寄せるとも――。



 彼が桜に取り憑かれているのか、それとも花の方が彼に魅入られたのか。
 「…櫻鬼!」
 亡くなった祖母に聞かされた伝承を目の前の美しい人に重ねて、私は脱兎の如く身を翻し、その場から逃げ出した。

*・*・*・*・*・*・*


 あれから17年。
 祖母の17回忌を終えた私は、あの日と同じ道を辿っていた。
 今年は春が早い。丁度、あの年と同じように。
 これまでにも法要の度に何度かこの地を訪れたけれど、いつも桜の季節には合わなかった。
 だが、今年はあの年と同じ早さで季節が巡る。
 それが何かの符牒であるかのように思えて、私は誘われる心のまま桜の杜へと足を踏み入れた。
 短い命の散り際にあってより華やかに咲き誇る清雅な花影に、束の間夢の中に迷い込んだような錯覚に囚われる。
 その時、ざぁっと一際強い風が巻き起こった。
 淡い紅色の灯を点した白い花弁が視界を埋め尽くす。
 陶然と立ち尽くしていた私は、伸ばした指先さえふとした拍子に見失いかねない花吹雪の向こうに現れた青年に目を奪われた。
 強烈な既視感が胸に沸き起こる。
 風に乱れた明るい色の髪。透けそうに白い肌。黒衣に包まれた痩身。
 時の流れから取り残されたかのようにあの日のままの姿で――年を取る事さえ忘れて其処に佇む人。
 彼は、私の視線に気づくとあの時と同じように優しく綺麗に微笑んだ。



 「優艶という言葉の音は幽遠に通じる」と語る誰かの声が、不意に脳裏を過ぎった。

*・*・*・*・*・*・*


 彼は、桜の古木を廻り、ゆったりとした足取りでこちらに歩いて来た。
 「父さんが以前、この杜で小さな「櫻鬼」に出逢ったと言っていたけれど」
 私の目の前で足を止めて、彼はにっこりと笑みを浮かべる。
 「どうやら、僕も見つけられたみたいだ」
 こうしてすぐそばで見ると、彼は畏怖を覚えるような曖昧な存在ではなく、ごく普通の――そう評するにはかなり整った貌立ちだが――快活な青年だった。
 たぶん、今の私と同じくらいの年齢なのだろう。
 ようやく現実感を取り戻して、私は最初に感じた疑問を口にする。
 「父さん?あの時の彼が、あなたのお父さん?あなた幾つ?」
 「あの人は、年齢を感じさせない容姿をしているから」
 彼は、くすくすと苦笑しながら自分は私のひとつ違いの従姉弟だと告げた。
 それを聞いて、私は更に首を捻る。
 「でも、あれからあなたのお父さんにも、あなた自身にも一度も会わなかったわ。何度も機会はあった筈なのに」
 これについては半ば予期していたらしく、彼はあっさりと謎解きをしてみせた。
 「お祖母ちゃんが亡くなった時、僕は麻疹にかかっててお葬式には出られなかった。しかも、小学校に上がってすぐ家の都合で海外に留学しちゃったし」
 言われてみれば随分簡単な話だ。
 あまりの呆気なさに拍子抜けする私に、彼は続ける。
 「それに、君ときたら桜に気を取られてばかりで、今日の法事の席でも僕に気づかなかったでしょ?」
 それは確かにその通りで、私は図星を指された恥ずかしさにちょっぴり赤面してしまった。
 そんな私に、彼は屈託なく笑いかける。
 「でも、僕は父さんの話を聞いて、ずっと逢いたいと思ってた。小さな「櫻鬼」にさ」
 悪戯っぽい彼の言葉に肩を竦めて、私は溜息混じりにこう応える。
 「私は、あなたの方が「櫻鬼」だと思ったのよ」
 そして、心惹かれ続けていた。
 そう言ったら、彼はどんな表情をするだろう。



 どうやら私は、幼いあの日に桜の杜の魔法にかかってしまったらしい。



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