***竜胆***
けして俺を振り返らない貴方の、その背中を護りたい。
*・*・*・*・*・*・*
瓦礫の山の片隅でひっそりと咲く竜胆の花を見つけた。
うち捨てられた庭園の灰色の景色の中で一際目を惹く紫藍は、深い哀悼の色だ。
愛でる者を喪って尚孤高の美しさを忘れぬその花に、貴方の姿が重なって見えた。
*・*・*・*・*・*・*
「どうして、人は諍うのかしら」
焦土に砂塵を巻き起こす風に黒衣の裾をはためかせ、貴方は静かに口を開いた。
視線の先には、一夜にして廃墟と化した集落の跡が在る。
立ち上る硝煙の残り香、割れた窓ガラス、弾痕の刻まれた家の壁。
血溜まりのできた舗道には、小さな赤い靴と熊のぬいぐるみがぽつねんと遺されている。
此処で暮らしていた人達のほとんどが、テロや紛争とは何の縁もない、極普通の人々だったろう。
ささやかな幸福を夢見て慎ましやかな生活を送っていた彼等の日常は、けれど強者の思惑と無慈悲な暴力によって永遠に奪われてしまった。
「虐げられ、犠牲になるのは、いつも力ない立場の者ばかり」
そう呟く貴方の透徹した声音からも、ヴェールに隠された静謐な横顔からも、感情の起伏は読み取れない。
唯一、ロザリオを握る指の微かな震えが、秘められた激情を物語る。
「こんな風に傷つけあう事でしか、人は望みを叶える事が出来ないのかしら」
そっと瞼を伏せた貴方の痩せた蒼白い頬を、一筋の涙が伝い落ちた。
胸を軋ませるその雫さえとても綺麗で、俺は息を詰めて貴方を凝視する。
優しくて、強くて、哀しい人。
神に仕える身でありながら、貴方はけして神に慈悲を請う事はしない。
ただ、罪深き人の子の為だけに、貴方は祈り、涙を流す。
きっと、貴方がただ1人の誰かを愛する日は生涯来ないだろう。
理不尽に奪われる命を憂い、繰り返される過ちを嘆きながら、世界の痛みから目を逸らす事無くその痛みを少しでも和らげる為にすべてを捧げると誓いを立てているのも知っている。
それでも――それだからこそ、俺は貴方を愛し続ける。
貴方の哀しみを癒す術は、俺にはないけれど。
「行きましょう」
届かぬ想いは胸の裡に仕舞い込んで、身を切る風の中に佇む貴方のほっそりとした背中に向かって呼びかける。
「貴方を待っている人がいる」
「…えぇ」
頷いた貴方は、もう1度目の前の光景を脳裏に焼きつけるように真直ぐに見つめると、凛とした所作で身を翻した。
2度とは振り向かない貴方を追って、俺もその場所を後にする。
*・*・*・*・*・*・*
愛して欲しい、とは願わないから。
どうか、高潔なその魂を、せめて傍で見守らせてください。

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