***椿***
猫の瞳は、時にこの世のものでない存在を見つめているという。
*・*・*・*・*・*・*
冬休み最後の日に飼い猫のクロが迷子になった。
母さんが洗濯物を干している隙に、開けっ放しになっていた窓から外に出てしまったらしい。
過保護だと思われるかもしれないが、クロはまだ子供で、しかも生粋の家猫だ。町の歩き方も知らなければ猫同士の掟も解らない。
話を聞いた僕は、お昼ご飯もそこそこに家を飛び出した。
小学校のグランドにも公園にも、クロの姿はなかった。
他に心当たりがあるわけでもなく、寒空の下名前の通り真っ黒い毛並みの仔猫を捜して当てもなく歩き回る。
そうしている内に、ふと気がつくと周りの景色が変わっていた。
僕の家の近所ははいわゆる新興住宅街というやつで、碁盤の目みたいに張り巡らされた道路沿いに同じような造りの家が規則正しく並んでる。
ところが、この辺りの道路は道幅が狭くて、そのうえ妙に入り組んでいるのだ。
そのくせ一軒一軒の家は敷地がやたらと広くて、塀や垣根も立派で、建物もいかにも日本家屋っていう感じがする。
たぶん、代々この土地で暮らしてきた旧家の多い地域なんだろう。
時代がかった風景が珍しいのとどうにも場違いな雰囲気に馴染めないのとでおずおずと周囲を窺いながら歩いていた僕は、視界の片隅を過ぎった鮮やかな赤い色に惹かれて足を止めた。
それは、古めかしいお屋敷を囲む生垣に咲いた椿の花だった。
ほとんどの木々が冬枯れた寒々しい風景の中で、艶やかな深緑の葉と真っ赤な花のコントラストはとても鮮明に映る。
思わずぼぉっと見惚れていた僕は、「にー」というか細い声に我に返った。
「クロっ!?」
慌てて声がした方を見ると、生垣の根元に前足を揃えて座ったクロが、ゆらゆらと尻尾を揺らしている。
けれど、クロは僕を見て声を上げたわけじゃなかった。
不思議に思って金色の視線を追ってみると、丁度垣根が途切れて門になっている所に小さな女の子が立っている。
その子は、まるでお人形さんみたいだった。
ピンク色の着物に赤いお被布を重ね着した格好は、妹が3歳の時に七五三のお参りで着た衣装と同じだ。
肩のところで切り揃えられて扇形に広がった髪は本当に黒くて、国語の教科書に出てきた「緑の黒髪」っていうのを思い出す。
ぱっちりした大きな目もさくらんぼみたいな小さい口も、やっぱりお人形みたいだ。
女の子は、じっとクロの事を見つめてたけれど、僕の声を聞くとゆっくりとこちらを振り返った。
そうして、少し首を傾げるようにして、にこっと笑う。
それが凄く可愛くて、僕はちょっとどきどきした。
それで、何か言わなくちゃと思って焦って口を開く。
「あ、あのっ」
でも、何を話せばいいのか解らなくて言葉に詰まってしまった。
そこに、いつの間にかすぐそばに来ていたクロがするっと体を摺り寄せて来る。
僕は、一瞬そっちに気を取られて視線を落とした。
甘え声で鳴くクロを腕の中に抱き上げる。
それからもう1度顔を上げた時、既に其処に女の子の姿はなかった。
*・*・*・*・*・*・*
家に戻る道を辿りながら、僕は考えた。
そういえば、お伽噺や神話には人間の姿で現れる妖精が良く出て来る。
もしかしたら、あの女の子は椿の花の精だったのかもしれない。
夕飯の時、その話をしたら母さんに笑われた。
「だって、今時着物着てる子なんて普通いないよ!」
そう反論した僕に、母さんはこう応える。
「あの辺には、茶道の家元のお宅があるのよ。確か小さいお孫さんがいた筈だわ。そういうお家の子なら、お正月が明けるまで着物でいてもおかしくないでしょう?」
そして、翌日。
学校へ向かう途中、僕はあの女の子を見かけた。
女の子は、クリーム色のダッフルコートに赤いランドセルを背負って友達と一緒に歩いていた。
母さんの言った事が正しかったわけだ。
だけど、やっぱりあの時のあの子は、椿の花の化身だったんだと僕は思っている。

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