2.5次元の恋愛



 10:00AM。起床と同時に机の上のノートパソコンの電源を入れる。
 オフィスに出向かなくて良い日の俺の日課。
 顔を洗い、トーストを咥えてコーヒーをなみなみ満たしたマグカップ片手に部屋に戻ると、メールの着信を報せるファンファーレに出迎えられた。
 このアドレスに届くのは、仕事絡みのメールに限られてる。
 面倒くさいなぁなどと思いつつソフトを立ち上げると、お世辞にも見目麗しいとは言い難い鬚面のオヤジが画面いっぱいに映し出された。
 「おはよう、フィン。早速だが、新しい任務だ」
 思わず画像表示を縮小する俺に向かって、オヤジさんは古風なスパイ映画よろしくそう切り出す。
 「『パナケア』シリーズの最新作がハッキングの被害に遭っているという通報が入った。どうやらエネミーデータが書き換えられているらしい」
 へぇ、『パナケア』って言ったらオンラインゲームの中じゃ超有名どころのRPG大作じゃん。
 「C.S.S.への依頼は侵入者の発見と確保だ。フィンは、いつも通りゲームに参加して、出来るだけ派手に動き回って連中の注意を集めてくれ」
 はいはい、要するに囮ってワケね。ま、もちろんそれだけ実力を買われてるってコトだから悪い気はしないけどさ。
 そんな事を考えてると、オヤジさんがふっと生真面目な表情を和らげた。
 仕事の上司っていうより世話好きな飲み仲間の顔で、性質の悪い笑みを浮かべて口を開く。
 「それから、『パナケア』にはフィンの想い人も参加してるぞ」
 「えっ!?嘘、ミトラが!?」
 リアルタイムのチャットじゃないんだから返事がないのは解ってるのに、思わず俺はそう訊き返してしまった。
 だって、ミトラがいるんなら俄然やる気が違うもん。
 俺の反応を見越してるんだろう。オヤジさんはニヤニヤしながら釘を刺してくる。
 「お偉方は民間人に頼るのは良い顔をしないが、ありゃ別格だろう。お前の判断で組んでも構わん。だが、愛しの彼女にのめり込んで仕事を忘れてくれるなよ」
 途中からオヤジさんの忠告を聞き流し、残りのトーストをコーヒーであたふたと流し込んで、俺は早速ネットに接続すべくヘッドギアを装着する。
 現在は味覚と臭覚以外の感覚を全てリアルに体感できるタイプのマシンも出回ってるけど、トラブった時に自力で対処できなくなる恐れがあるから俺は専らヘッドギアだけで、サイバーグローブすら碌に使わない。
 キーボードを叩き慣れてるし、いざとなったら緊急用の音声入力システムもあるしね。
 そうこうする内にユーザーの認証が済んで、ネットにリンクした視覚と聴覚に大量の情報が流れ込んで来た。


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 C.S.S.はCyber Space Securityの略で、文字通り電脳空間の警備に当たる警察の部署のひとつだ。
 主な仕事は、ネットワーク上の様々な犯罪――中でも、ネットゲームに関する違法行為を取り締まる事。
 各企業や大学、政府機関のデータバンク等と違って、ネットゲームのホストは不特定多数の人間がアクセスするという特性上、どうしてもセキュリティが甘くなりがちなのだ。
 それはそうだろう。一応は客商売だから下手に強力なICE(対侵入障壁)を仕掛けておいて操作方法を誤った利用者を攻撃したなんて事になったらマズイし、人気のあるゲーム程規模が大きくなるからすべての利用者をいちいち監視しきれないという現状もある。
 実は、俺自身も過去にちょっとした悪さをしてるとこを捕まって、クラッキングの腕を見込まれてスカウトされたアルバイト隊員だったりする。
 隊員は、普段は自分の得意分野のゲームに一般のユーザーとして参加して、犯罪行為が行われていないかパトロールしている。
 ちなみに俺の得意分野はRPG全般。このジャンルの違法行為は、カルトなゲーマーの行き過ぎたゲーム世界への干渉や腕試し的なプログラムの改竄というような、結果的な損得勘定より行為そのものを目的としているものが多い。
 でも、他のジャンルになるといわゆる金品目当ての、悪意のあるものも結構出て来る。
 例えば、パズルゲームの成績を水増しして賞品を不当に入手したり、他人のレースゲームの結果で賭け事を始めた挙句に八百長の為に妨害工作に出てみたり、スコアを入れ替えてみたり。
 場合によっては、主催者サイドが利用料金をふんだくろうと1度アクセスすると接続を切れないように細工したり、怪しげな有料サイトにリンクを張ってたりする事もある。
 そういった違法行為を発見し、取り締まる仕事の他に、今回みたいにゲーム会社からの依頼で捜査を始める事がある。
 こういう時はゲームへの途中参加のリスクを軽減する為にある程度成長した状態からスタートさせてくれたり、好きなジョブに就かせてくれたりといった優遇措置がとられるのが普通だ。
 ゲームを最初から愉しむ事が出来ないのはちょっとつまらないけど、まぁ仕事だから仕方ない。
 準備を整えて、俺は『パナケア』の世界にダイブする。


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 ミトラは、ゲーム中では大抵ローティーンの少女の姿を採っている。
 彼女曰く、ほとんどのRPGには隠しパラメーターが幾つか設定されていて、その中のひとつに「成長期の子供は能力値が伸び易い」というのがあるのだそうだ。
 ヴィジュアルはその時々で若干違うけど、名前の由来になってるのがとある神話の太陽神だからか、金髪碧眼が多いかな?
 今も、森の入り口で3匹のゴブリンに囲まれた彼女は、真夏の太陽を思わせる赤みがかった豪奢な金髪を惜しげもなく風に晒していた。
 年齢は12、3歳くらい。タージェと呼ばれる首から斜めに掛けるタイプの軽盾に簡素なブレストプレートといった軽装で、手には飾り気のない杖を握っている。
 『パナケア』は中世ヨーロッパ風のファンタジー世界が舞台だから、まぁ妥当なカッコだろう。
 俺はと言えば、ハーフアーマーに盾代わりの左手のみのガントレットと身軽さを優先した出で立ちで、腰に下げたバスタードソードの他にサブウェポンとしてミニチュアクロスボウを改造したパチンコもどきを懐に忍ばせている。
 職業は、一応剣も攻撃魔法も使える魔法剣士【ルーンナイト】。単独行動になる可能性が高いから、仕事の時はほとんどコレから始める。
 欲を言えば回復系の魔法も欲しいとこだけど、そっちはたぶんミトラが押さえてる筈だし。
 そんなワケで、早いとこ合流しよう。
 「ねぇ、ミトラ。俺とパーティー組もうよ」
 戦闘への助太刀を指示しながら俺が声をかけると、振り返ったミトラが溜息混じりにこう呟いた。
 「また君なの?フィン」
 つれない声音でも迷わず名前を呼んでくれたのが嬉しくて、自分でも頬が緩んでるのが解る。
 いそいそと隣に並んだ俺に、ミトラはちらっと視線を投げて遣した。
 「よく私だって解ったね」
 そりゃ、やっぱ愛でしょ、なんて我ながら恥ずかしい台詞を胸の裡で吐いてる事はおくびにも出さずに、ぱちりと軽くウインクしてみせる。
 「ミトラだって俺のコトすぐ解ったじゃん」
 もちろん、ミトラも俺と同じだったら、嬉しいけどね。
 なぁんて感動のご対面を楽しんでたら、無粋なゴブリン共が卑怯にも背後から襲い掛かって来やがった。
 振り向きざま抜き放った剣で先頭の1匹を斬り払う。
 確かな手応え――この程度のレベルの敵なら一撃で倒せるだけのダメージを与えた筈なのに、そいつは2、3歩よろめいただけで持ち堪えた。
 「げっ!なんでたかがゴブリンの分際でこいつらこんなにHPあるんだよっ!」
 「エネミーデータがおかしい事くらい承知でアクセスしてるんじゃないの?」
 思わず喚いた俺にクールな眼差しを向けつつ、ミトラが杖を振るう。
 相手の強さをしっかり見極めてる彼女は、きっちり呪文を追加発動させてその場の敵を一掃した。
 「やれやれ、最初っからこれじゃ先が思いやられるなぁ」
 ナイト気取りがカッコつかずじまいで、俺は情けないのを誤魔化す為にしゃがみこみ、天を仰いでぼやく。
 それから、パタパタと服の埃をはたいているミトラを見上げてこんな事を問いかけてみた。
 「ところで、ミトラは何のジョブやってんの?」
 「今は歌姫【ディーヴァ】だけど」
 それが癖なんだろう。ちょこんと首を傾げて、ミトラは素っ気無くそう答える。
 「えぇ!?ってコトは、もう神官【クレリック】と吟遊詩人【バード】のマスターになったワケ?」
 このゲームが一般に公開されてからそんなに経ってたっけ?
 転職のルールについての記憶を手繰り寄せて呆気にとられてる俺に、ミトラは謎めいた笑みを浮かべるだけで、肯定も否定もしなかった。
 それだけで、俺はミトラが何か細工したのを直感する。
 彼女は、RPGファンの間ではちょっとした――いや、かなりの有名人だ。
 どんなゲームでも必ずクリアする電脳の賢者。彼女ほど鮮やかにRPGをプレイする人間を俺は知らない。
 早解きだけなら彼女以上のプレイヤーも存在する。マニアックなアイテムコレクターもいれば、謎解き屋なんてのも。
 でも、ミトラはそういったすべての要素で並外れた才能を発揮する。いわば、マルチプレイヤーってヤツだ。
 しかも、彼女の場合、違法行為で本来の状態にないゲームでさえ、きちんとエンディングを迎えてのける。
 その代わり、彼女自身も今回のジョブみたいに法に触れるギリギリのテクを使う事もあるけど…。
 ただ、ミトラは犯罪行為に及ぶような輩の検挙には協力的だし、実際フリーのエージェントとしてC.S.S.の仕事の下請けみたいなコトをしてる節も見受けられるから、その辺は大目に見てもらってるんだと思う。
 プログラムやゲームの仕組みそのものにかなり詳しいからどこかの会社のプログラマーじゃないかって噂もあるけど、しっかりゲームを愉しんでるみたいだし業界人じゃないってのが俺の推測だ。
 そう。
 すべては、あくまで推測でしかない。
 俺は、ミトラに惚れてるけど、彼女の顔も本当の名前も知らない。
 実のところは女の子かどうかも解らない。見た目通りのお子様かもしれないし――それだと、俺ってばロリコン?――、ひょっとしたらめちゃくちゃゴツイおっさんだったりするかもしれない。それどころか、NPC(AIで行動するNo Player Character)の可能性だってある。
 それでも、俺はミトラに惹かれずにはいられない。
 恋は盲目とはよく言ったもんだと思うよ、ほんと。
 「で、君が来たって事はC.S.S.もようやく動き出したんだね」
 ぼぉっと物思いに耽っていた俺は、ミトラの声にはっと我に返った。
 不審に思われないように、慌てていつもの軽いノリを取り繕う。
 「そ。とりあえず、思いっきり目立って敵さんを引き付けなきゃなんないんだ。だから協力してよ」
 「それは構わないけど」
 わざと甘えるみたいにせがむ俺に、ミトラは悪戯っぽく微笑んだ。
 「でも、足手纏いになるようなら置いてくよ?」
 「誰に言ってんの?」
 自信満々でそう切り返せば、軽く肩を竦めてられてしまう。
 こんな些細なやり取りさえ楽しくて仕方ないと言ったら、普段の俺を知ってる連中はきっと大笑いするんだろうな。
 まぁ良いや。とりあえずは悪友くらいにはなれてるみたいだし、地道にオトモダチから始めるのも悪くない。


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 その昔、小説や漫画の登場人物に恋する人々を2次元コンプレックスと呼んだらしい。
 それなら、俺の場合はさしずめ2.5次元コンプレックスとでもいったところか?
 シュミレーションの恋愛ゴッコなら、きっとこれほどハマッたりしなかった。
 仮想現実の世界の中で、俺は本気で恋をする。


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